第五章 変わらぬ愛1

文字数 2,080文字



 顧みれば、一九八〇年代とは、両極端の価値観が溶けあうことなく共存した時代だったと思う。()(アカ)()(クラ)という対義語が流行語になった。明るく、ノリの良いネアカこそが正義で、寡黙で真面目で思慮深い者たちはネクラと揶揄され疎まれた。レッテル貼りが幅を利かせ、黒か白か、〇か百か、大勢(たいせい)につくのかつかないのか、明確な立場表明を求められる中庸のない時代でもあった。
 一昨年、『レクイエム 一九八〇年代のポップカルチャー』という番組の台本を書いたとき、私が特に頁を割いたのは、八〇年代後半のフリーター、小劇場ブーム、「いか天(*)」といったところだったが、ひと口に八〇年代といっても、じつは前半と後半で大きく様相が違っている。そして、この両者の境界線にバブル景気という現象を据えることは、あながち間違いではないだろう。その意味では、「八〇年代」なるものの真の終わりは、バブル崩壊と時を同じくする一九九二年ごろと捉えるべきかもしれない。
『レクイエム』の番組名が示唆するとおり、それは終わったもの、消え去ったものとして描かれねばならなかった。
 フリーターとは、堅実、安定、平凡の象徴たる「サラリーマン」――父親世代の灰色(背広の色)のイメージとの対極的存在だった。学校を出た先に待っているのが灰色の世界だとしたら、それは徴兵制みたいなものだ。よって、当時の若者の心に「自由」の魅力が刺さらないはずはないのだった。会社の駒、歯車にはなりたくない。ただし、そうであるなら相応の才覚が必要なはずで、そこをクリアできた者となると、ごく少なかったろうと思う。結果的に彼らの多くが、抵抗虚しく数年で社会に降伏していく。これがバブルの終わり、「八〇年代」の終わりと重なりあう。
 バブルが去って、ほかには何が変わったか。ポップカルチャーに特化していうならば、表現者の自由よりも、計算ずくで利益を得ることを優先する時代になった。二〇一六年のいま現在もそれが継続しているのは、ことさら指摘するまでもないだろう。
 もちろん売らんかなの俗根性は八〇年代にもあった。しかしそこには「わたくし」が良いと思った作品を世に知らしめたいという欲求、情熱があったように思う。対して以降は、「わたくしは良いとは思わないが、売れるならばそれが正解、それでかまわない」という態度に、恥も外聞もなく資本側が舵を切ってしまった。ゆえに八〇年代後半は、良きアマチュアリズムの時代であったともいえるのだ。小劇場ブームもそうだ。バンドブームもそうだ。
 技術は拙い。資質の有無もわからない。それでもやりたいことをやってみる。「私だって目指していいんだ」「手が届くんだ」と思わせる空気が八〇年代後半にはたしかにあって、それこそがあの時代最大の美点だったと私は思っている。あのころ無数に芽吹いた若芽の多くは、花を咲かすことなく立ち枯れて、ごくひと握りの才能だけが生き残った。こればかりはどうにも仕方がないけれども、何より最悪なのは何もしないことで、やって駄目なら諦めもつくというもの、少なくとも経験は残るし、いつの日かそれは、何かしらの糧となる。
 八〇年代の小劇場ブームを牽引したのは、野田秀樹の「夢の遊眠社」、鴻上尚史の「第三舞台」、三谷幸喜の「東京サンシャインボーイズ」、岩松了の「東京乾電池」、宮沢章夫の「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」、ケラリーノ・サンドロヴィッチの「健康」といったあたり―、彼らに憧れて、たくさんの若者たちが手弁当で劇団を作り、『ぴあ』のホールマップ(*)を頼りに小さな劇場を借りて公演を打った。
 まだインターネット配信などなかった時代、アマチュアバンドが自主制作レーベルからレコードやCDを出すようになったのもこのころで、彼らの個性を資本家が取りこんで一大ブームを生みだしたのが、八九年に放送が始まった「いか天」だったが、それも二年足らずで終了し、やはりひと握りの才能だけを残して、番組出演バンドの多くが時の波間に消えていった。なぜなら、資本家と手を組んだ時点で作品主義は通用しなくなるのだし、何を措いても売れる「商品」を求められる事態になるからだ。表現者のスタートは誰しも純粋なものだ。降って湧いた変化に、多くのバンドが対応できなかったというわけだ。
 伊緒が姿を消したのは、こうした時代のさなかだった。


*いか天
八九年二月から九〇年末までTBSで放送されていた『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』。武道館でイベントを開催するほどの人気を博した。アマチュアバンドが毎週勝ち抜き形式でキングの座を競い、この番組をきっかけに多くのバンドがメジャーデビューを果たした。

*ホールマップ
正式名は「ぴあmap ホール」。株式会社ぴあが不定期発行する劇場情報を網羅したムック本。首都圏版は、大ホールからキャパ五十席に満たない芝居小屋、ライブハウスに至るまで、すべて写真、平面図、付帯設備、使用料金が掲載されていたため、借りる側にとってたいへん役立つアイテムだった。二〇〇三年以降は「全国版」として刊行されている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み