第四章 薄れゆく愛6

文字数 7,401文字



 長い時を遡行して、この記録のための取材を始めたのが昨年の春、だが、古い出来事を照らす光が徐々におぼろげな像を結びはじめても、山之内家の失踪事件の真実だけは、いつまで経っても暗い影に阻まれて見通しが利かなかった。
 すっかり行き詰まっていた私がようやく曙光を見出したのは、取材開始から一年余りが経過した今年三月だった。
 乃木孝太郎はかつての学級担任である。丁寧な言葉遣いをする目立たぬ教師だったが、あの夏休みの一日は忘れがたく、四半世紀を超えてなお強い印象をとどめていた。乃木は四十代で教師を辞めたそうで、五十八になる現在は、本土の街で塾講師をしているのだった。
 東京から訪れた私のことを、幸い乃木も憶えていた。いくらかふっくらとし、若い時分より温かな人当たりを身につけた彼は、不意の来訪者を快く歓待し、長らく顧みることのなかった思い出を語ってくれた。
「山之内伊緒さん……ええ、憶えていますとも。あの子は双子だったでしょう。お姉さんは密夏さんといいましたっけね。生まれたときに新聞に載ったんですよ、双娘町に双子の娘が生まれたといってね。たしか、直後に叔父さんにあたる方も失踪したのでしたね。お二人とも、行方はわからずじまいですか」
「ええ、いつか、ひょんなことから答えが見つからぬでもあるまいと、ずっとそう思いながらこの一年調べてきたのですが、時間だけが過ぎてしまって」
「わかります。いまだに真相がわからないというのはじつに不可解ですが、そんな馬鹿な、こんなはずじゃなかったのにと思うことが、振り返ってみると人生にはままあるものです」
「先生、夏期講習の帰りぎわにギリシア神話の話をなさったのを憶えておられますか。みんなが帰ったあとの、二人きりの教室で」
「ああ、そう……そうでしたっけね」
 乃木孝太郎はすこしはにかんだ顔で眼鏡を直した。
「あのときは大変失礼なことをしました。頼まれもせぬのに余計な口出しをして……私なりに、何か解決を手繰り寄せる手はないか、可能性を探っていたのだと思うのですが、どうも頭でっかちでいけませんでした。申し訳ない」
 遠い夏の午後と同じく乃木は頭を下げ、私はそれを手で制した。
「いえ、たしかにびっくりしましたが、あらゆる可能性に頭を(めぐ)らしてみるのは悪いことじゃなかったと思うんです。だって、結局事件は未解決のままなんですからね」
「あんなに狭い島でね。解せないことです。とにかく、どんな事情であれ、伊緒さんはかわいそうな運命でした。山之内さんのお宅は島の名士だったでしょう。お父さんは双子の娘さんたちの護衛役に、幼いころから一頭ずつお供の犬までつけていらっしゃった。しかしね、上手くいかないときは上手くいかないのがこの世の中です。どんなに用心しても、どんなに準備万端整えていても、不幸は一瞬の隙を衝いて襲ってくるものですから」
「そうですね」
 人生を四十三年生きた私も、素直な気持ちで乃木の意見を認めた。そのうえで、山之内家で飼われていた犬は二頭ではない、一頭だけだと訂正し、ジョンにとっては姉妹二人ともが主人だったのだと伝えた。すると、乃木孝太郎はさも不思議そうな顔をして、「一頭だけ? それはおかしいですね」と首を捻った。
「まさにあの晩、山之内果樹園の車に犬が二頭乗っているのを、私は見かけたのですがね。むろん、そのときはまだ事件のことを知らなかったが、あとになって、ああ、ではあれは犬を連れて廃校に伊緒さんを捜しに行った帰りだったのだと納得したわけです」
 世志が犬を連れて伊緒を捜しに行ったのというのは、なるほどそのとおりだ。しかし、二頭というのは変な話だった。
「待ってください。それは何時ごろのことですか。どこで見かけたんでしょう」
「さすがに正確な時間までは憶えていません、が、おそらく七時半は回っていただろうと思います。たしかあれは五月の終わりの出来事だったでしょう? ええ、そう、中間テストの翌日だったんですよ。職員室に残って前日分の採点をしていて……そういうときはたいてい七時半あたりまで作業していましたから、あの日もたいがいそんな見当だったと思うんです。
 自宅への帰り道でね、私の脇を白いバンが通ったんですよ。車体に山之内果樹園とあったので、伊緒さんの家の車だとすぐに気づいたわけです。それで、伊緒さんなり密夏さんなりが乗っているかもしれないと思い、とっさに目で追った。といっても、徒歩と車ですから向こうはすぐに遠ざかってしまいましたが、そのときに、リアハッチの窓に大きな犬が二頭並んでいるのが見えたんですよ」
「山之内の犬はジョンというセントバーナードだったんですが、それは二頭ともセントバーナードだったんですか」
「いやいや、犬の種類までは断言できません。夜でしたし、車も街燈のおぼろな明かりに見ただけなんですから。しかし、セントバーナード……ええ、そうだったような気もします。とにかく、それこそ双子みたいによく似た大型犬が二頭乗っていた、それだけは確実です。双子のお嬢さんに双子の犬……とにかくそれが印象深くてね。ですから山之内さんの犬は二頭だと、今日の今日まで私はそう受け取っていたのですよ」
 乃木孝太郎がどこまで信用に足る人物か、私にはわからない。が、老成した彼の語り調子には、大いに信憑性を感じさせるものがあった。
「先生はあとから伊緒の事件を知って、その白いバンが伊緒を捜しに行った帰りの車だと思われた。ということは、車は廃校のほうからやってきたということでしょうか」
「そうなりますね。だって私の脇を追い越して行ったんですから」
 双娘町中学と廃校の小学校は比較的近距離にあり、どちらも島の北西部に位置していた(序1「白浪島全島図」参照)。
「その車を見かけた場所を憶えていらっしゃいますか」
 難しい質問だと私は思った。なにせ二十八年も前の取るに足らない出来事だ。ところが乃木孝太郎は、意外なほどの自信を持って、憶えていると答えた。なぜなら、彼が車と出くわした地点というのが印象的な場所だったからである。
「車を見たのはトキツ森の南側ですよ。君もご存じでしょう、あの三叉路。森を挟んで東西に道路があった、西側に新道が、東側に旧道が。私はいつものように新道を通って、ちょうど三叉路に差しかかった……と、そこへ旧道のほうからヘッドライトが近づいてきたんです」
 通称新道は、明るい防犯燈の備わった二車線の舗道だった。片や、東の旧道は未舗装の暗い小道である。トキツ森に沿って南北に伸びる両者は、森の南端で合流して一本道となる。乃木孝太郎いわく、その合流地点の三叉路で、旧道からやってきたバンと鉢合わせしたというのだった。
「新道ができて以来、反対側の道を通る車はめっきり減っていましたから、いきなりライトを浴びて驚きました。危うくぶつかりそうになって……ですから向こうはけっこうなスピードを出していたんでしょうね」
「それが山之内果樹園の車だったんですね」
 ふと私は、あの晩、旧道の途中で、森の奥に怪しい男の息遣いを聞いたという美容師、成田美弥子の証言を思いだした。手製のタイムテーブルを見ると、世志は七時二十五分ごろにジョンを乗せて廃校をあとにしているから、乃木孝太郎が出くわしたころあいに戻ってきて、南の三叉路を通過するのは自然だ。バンの運転手は世志と考えて間違いないだろう。新旧二筋の道が合流した一本道の先は丁字路で、そこを左折して山道をのぼれば山之内家に至る。
 しかし、乃木の回想にはいささか妙な点があった。廃校の位置からすると、世志の車は新道を通ったほうが適当な気がするのだ。たしかに山之内家は島の東――、つまり旧道側にあるけれど、たびたび触れたようにその道は狭く、暗く、地面が悪い。それに、廃校から帰るのであれば、新道のほうが多少なりと近道にもなるのだ。世志はなぜ旧道を選んだのだろう。
 乃木孝太郎との会話で新たに知りえた情報は、これですべてだった。
 この日、乃木に会いに行ったのは、確たる目的があってのことではなかった。私は居場所のわかった関係者に、可能なかぎり会おうと決めていたのだ。
 東京へ帰る新幹線の車中で、携えてきた情報の集積を読み返していた私は、ふいに奇妙な描写に目を留めた。
 それは事件翌日の中尾早紀の証言の一部だった。正門付近にいた少女二人が、六時五十分にやってきた世志運転のライトエースに乗りこみ、車は校舎の玄関脇まで行って停車する。校内の捜索に向かわんとする世志が、車内で少女らに声をかけた。
 記録のなかの中尾早紀は、そのときの様子をこう語っている。
「大変だったね、じきに駐在さんが来ると思うから、あの人の指示を仰ぐといい、もうすこしだけここで待っていなさいといって、懐中電灯を持って車を降りていきました。それから、後ろに回ってドアを開けると、ジョン、行くぞって……ジョンって犬ですよね? 私たちはいわれたとおり、車のなかで駐在さんを待ちました」
 改めて読み直してみて、変な気がした。「ジョンって犬ですよね?」とは、少々おかしな質問ではなかろうか。世志がリアハッチからジョンを降ろし、校舎に向かうところを少女たちが見ていたなら、ジョンが犬であることは明白で、わざわざそんな問いを口にするはずがない。
 少女らは、車内の座席から玄関は死角だったと答えている。窓を開け、身を乗りだして後方を覗きこめば別だろうが、そうはしなかった。これと同様、彼女らには校舎に向かう世志の姿――、少なくとも、彼が連れていたジョンの姿は見えなかったのではないか。なぜなら、ジョンはリアハッチから降ろされたから。ワンボックスカーゆえ、座席と荷室スペースのあいだに仕切りがないとはいえ、背もたれ越しに振り向かなくては背後を確認できないし、真っ暗な車中のつかのまの出来事だったとすれば、何も見えなかったとしても不思議はない。状況からして、ジョンとは犬に違いないのだが、実際には一度も目にしなかったから、中尾早紀は「ジョンって犬ですよね?」といういわずもがなの問いを漏らしたのだ。
 だが、見ていないから何だというのだろう。その晩、ジョンが廃校にいたのは揺るぎない事実である。七時二十五分、収穫なしで校内の捜索から戻ってきた世志が、ジョンを荷室に乗せるところを山岸槐人が目の当たりにしているではないか。何も問題はない。
 ところが二十八年経って、あの晩、おそらく七時半から八時のあいだに、森陰の旧道から現れた山之内家のバンに、セントバーナードらしき大型犬が二頭乗っているのを見たと断言する人が現れた。それが事実なら、なぜ、いつ、どこで犬は二頭に増えたのか。
 帰京後、手を尽くして中尾早紀と電話連絡を取った私は、問題の晩、座席で振り返って後ろの荷室を覗いたかと訊いた。彼女は、そんなことはもう憶えていないが、車に乗りこむ際にチラッと見たような気もする。暗がりのなかに、何やら果樹園の仕事道具らしきものが積まれていたようだと答えた。
「では、そこに犬がいるのは見なかったんですね?」
「犬は見ていません。たぶん、積まれていた荷物のせいで見えなかったんだと思います。私たち、伊緒さんの叔父さんが呼びかけたときに初めて、後ろに犬が乗っていたことを知ったんです」
 物事というのは申しあわせたみたいにいちどきに動きだすことがある。この翌日、山岸槐人から個展の招待状が送られてきた。印刷されたハガキには、ボールペンの手書きで、「一九八八」という作品を見に来い、とメッセージが添えてあった。その(まず)い文字を目にした瞬間に背筋を貫いた感覚は、一種名状しがたいものだった。見えない力に(いざな)われるように、私はさっそく翌日、青山のギャラリーに足を運んだ。
 少年時代には想像だにしなかったことだが、成人した槐人は芸術家になっていた。事件当時、彼の実家は漁船や車の修理を請け負っていたから、手先の器用さは父親譲りなのだろう。
 コンテンポラリー・アートの作家、山岸槐人は、ここ四、五年でめきめきと頭角を現してきた注目株だったが、平日昼間の会場は閑散としていた。
 人はいかにして進むべき方向を定めるのだろう?
 数ある選択肢のなかから、それが正しい道だと彼に信じこませ、決断させ、歩ませる力は、どこから生ずるのだろう。
 あの鄙びた離島、私の生まれ故郷から、幸光将洋という俳優が現れ、山之内世志というデザイナーが出で、山岸槐人という芸術家が生まれた事実は、不思議でもあり、他人事ながら誇らしくもあった。私自身、少年時代の夢とは少々形が違ったものの、どうにか文筆をなりわいに生きている。
 それぞれ別の道を歩きだしたが、しかし槐人と私はいくつになっても互いに中学生のままなので、相手の知らない大人の顔を見せるときは、妙に面映ゆい気持ちが湧いた。
 どちらからともなく照れくさい笑みを泛べながら、槐人はまるで私の心を見透かしたみたいに、真っ先にくだんの作品の前へと案内した。
 槐人が手がける作品は、金属や石を素材にした立体芸術が主で、「一九八八」も例外ではなかった。
 仄明かりのなか、眼前には、ところどころに錆の浮いた一台の車がでんと据えられていた。まつ毛の長いウーパールーパーを思わせるフロントフェイスが懐かしい。トヨタの初代ライトエースだ。その車体を半ば埋め尽くすように周囲を取り巻いているのは、腕時計、懐中時計、目覚まし時計―、数えきれないほど数多の時計の集積だった。
 槐人には悪いが、このとき私は、作品の芸術的価値よりも、白い車体に誌された「山之内果樹園」の文字に釘づけになっていた。これは本物だろうか。本物とすれば、四半世紀の時を超えて、どういうわけでそれが大都会、東京・青山のギャラリーに出現したのか。急に現実と虚構の境がぼやけて、私はうろたえた。そこへ背後から槐人の声がした。
「去年、新宿で飲んだとき、すこしだけ例の事件の話をしただろう。あのとき喉まで出かかったんだが、今日の日のために秘密にしておいたんだ。お前が島を出たあと、この車はうちの実家の修理工場に持ちこまれていたんだよ。もうずいぶんガタが来ていて廃車にするしかなかったが、処分する前に、俺が親父に頼んで保管しておいてもらったのさ。
 何のためにって? どうも自分でも不思議だが、あのとき、まだ十代で、芸術のゲの字も知らなかったにもかかわらず、俺にはおぼろげながらひとつのヴィジョンが見えていたんだ。いまや役立たずになったこの車が、遠い将来のいつの日にか口を開き、失われた過去を語りだすだろうってな。だからこれは、俺にとっちゃ最も古い作品ってことになる。陽の目を見せてやるのに二十年以上かかったがね。おかげで時計の数がこんなに増えちまって」
 私は高校進学を機に島を出たが、槐人は中学卒業後の五年間、実家で父親の跡を継ぐべく働いていたのだった。彼が歩むべき本当の道を見出すのは、もっとあとのことである。
 前に私はこんな文章を書いた。
「幼いころから薄々感じていた。ひとたび失ったものは二度と帰ってこないという諦念が、町全体に染みついているようだった。伊緒の失踪をきっかけに、そんな私の印象はいっそう強まった」
 当時の槐人が同じ感覚を持っていたことを、この日、初めて私は理解した。いや、同じ感覚というのは正しくない。彼の場合、未来から過去を俯瞰する視点さえも有していたのだから、その感性は私とは比較にならぬほど鋭敏だったのに違いない。だからこそ彼は芸術家となって、彼なりの方法で、失われたあの年――一九八八年の記憶を封じこめ、形に残そうとしたのだ。
「こっちに来いよ。後ろの荷室に犬の抜け毛が落ちてるんだ」
 思いがけない槐人の言葉に、私は夢を破られたようにわれに返った。
「犬の毛が? いまも?」
「そうさ、あいつ……ジョンっていったけな? 後部シートの裏に挟まっていたんだ。京右、憶えてるか? ほら、五月二十七日の晩、俺は廃校の前でジョンがこの車に乗せられるところを見ていたろう。それでなんとなく、これはあの晩に落ちた毛じゃないかって勝手に解釈して、今日まで捨てずに取っておいたんだ。この車は可能なかぎり当時のままにしてあるのさ。そうじゃなきゃ作品の意義が半減しちまう気がしてね」
 時計の山を崩さぬよう後ろの正面へ回り、開きっ放しのバックドアから荷室を覗くと、たしかに片隅に茶色い毛束が落ちていた。前もって制作意図を知らされていなければ、うっかり掃除機で吸い取って終いだ。無意識のうちに毛束をつまみ上げ、鼻先に掲げて、そこで何だか妙な気が起こった。手近にあったスタンド式のスポットライトにじっくり翳してから、私はいった。
「槐人、あいにくだが、これは犬の毛じゃなさそうだよ」
 旧友はきょとんとしていた。
「どういうことだ?」
「わからない。しかし……いや、ちょっと調べてみなくちゃいけない。丸ごと持って帰っちゃ大先生の制作意図が台無しだろうから、五、六本だけ抜き取っていいかな。確かめたいことがある」
 心ここにあらずの私は、ほかの作品、ミニチュアのモノリスといった趣の、赤褐色の岩に籐のバスケットがめり込んでいるのや、泥まみれになったブリキのコンバースや、甕に張られた水の底に白銀色のスチール片が沈んでいるのや――、いずれの前に立っても虚けたように上の空だった。竹馬の友も心得たもので、「芸術を解さない奴は迷惑だから帰れ帰れ」と、わざと急かすようにいって笑った。
 帰りがけ、いまひとたび「一九八八」の前に立ったとき、車を囲んだ無数の時計の針が、ことごとく五時五十分を指して止まっているのに気がついて、ハッと胸を衝かれる思いがした。
 隣で槐人がささやいた。
「じつはこのなかに一個だけ、正確に時を刻んでいる時計があるんだ」
 ライトエースに残されていた毛束について、知人に依頼した検査結果が届いたのは、ギャラリーを訪れたわずか三日後のことだ。相手は、父が警察官だった時代にお世話になった専門家だから、調べるのは苦もないことだったろう。
 思ったとおり、あの毛の主は犬ではなかった。
 かかる回答を得て、夜、私は名古屋の密夏に電話をかけた。どうしても彼女に確かめねばならないことがあったのだ。
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