「0」

文字数 859文字

中学生になった二女はさらに病気が進行し、胃婁をつくり、人工呼吸器を使うようになった。

高校生になると、親が学校に常時付き添わなくてはならなくなった。

自分の時間が全く持てなくなり、私は仕事をすることを考える心の余裕もなくなった。
働けない理由が堂々とあることに、少し気持ちは助けられていたのかもしれない。

たまには夫に子どもたちを任せて、友人とランチをしてリフレッシュすることもあった。
ママ友も、学生時代の友人も、ほとんどみな仕事をしている。だから、約束するときは友人の仕事の予定を考えて日にちを決めることになる。

娘をみていてもらうために、夫の仕事の予定を考えるのは私くらいだった。

友人の仕事の話を聞くと、やっぱりうらやましかった。
もしも私も仕事を続けていたらと、ついつい「もしも」を想像した。

やっぱり無職であることは私を落ち込ませる。

何かの書類の職業欄に書くのは「無職」か「主婦」。
私の課税証明を取りに行けば、収入欄は「0」だ。

夫の働いてくれた収入でやりくりしながら、なんとなく自分が自由にお金を使うことに抵抗を感じて生きてきた。

「俺の稼いだ半分はあんたの稼ぎ。子どもをみてもらってるから俺は働きに出られるんやから、半分はあんたが働いた収入やと思っとるよ。」
と、夫は言ってくれる。

二女を育てることでもらってきた障害児手当は、私の仕事へのお給料だと言われたこともある。

でも私は、そう思えない。

時給150円でも自分で働いて収入を得ることに価値を感じてしまう。
「母」で「妻」の自分以外の自分が欲しくなる。
職場の忘年会や新年会にも行ってみたくなる。

専業主婦になりたかったわけじゃない。
「専業主婦」ということばは大嫌いだ。
「無職」ということばも腹が立つ。

24時間、毎日働きづめで、楽な日など1日もない。
でもその仕事に支払われる報酬はない。

家族は私に感謝をしてくれる。それはとてもありがたい。
幸せに生活をさせてもらって、不満はない。

でも無職で収入がないというのは、自分の価値が「0」だと言われているような気がして、無力感を感じてしまう。
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