リセット

文字数 1,584文字

 ここに留まるのは嫌だ。だが地元には帰りたくない。どちらも自分の居場所ではないからだ。他の土地ならどうだろう。四国や九州、海外でもいい。とにかく、居たくない場所から逃げられるのなら行き先はどこでも良かった。そうやってこれまで生きてきた。東京にいる間だって何度も引っ越し、何度も仕事を変え、何人もの人間関係を幾度となく断ち切ってきた。カラフルに侵された過去を消しても消しても、目の前からはまた新たに消したいカラフルが襲いかかってくる。レイにとってこの世界は、どうにも身の置き所のない醜くカオスな世界だった。そして最も苦しいのは、それほどまでに惨たらしいカラフルの荒波を、自分以外に誰一人として分かる者がいないということだ。
 レイはいつの間にか立ち上がっていた。そしてこれもまたいつからそこにあったのか、四十リットルのゴミ袋に次から次へと物を投げ込んでいた。ティッシュ、本、雑誌、文房具、服、バッグ、ポーチ、化粧品。かつてお気に入りだった物たちを一心不乱に掻き集めては、なんの迷いもなくゴミ袋に突っ込む。どれもこれも、変色してしまった物体達だ。無我夢中で家中をかき回したため息が上がっていた。目には自分への悔しさによる涙が滲んでいたが、それを上回るほどの自分への腹立たしさが湧き起こり、滲んでは渇き滲んでは渇きを繰り返していた。
 ベッドサイドテーブルの引き出しを力任せに開ける。すると奥から何かが転がってきた。その姿を見た瞬間、レイは自分の中で切羽詰まった焦燥感の波がすうっと引いていくのを感じた。石ころサイズのそれを手に取り、掌の上にころんと乗せる。古めかしい木彫りのストラップだ。熊か兎か狐か、何らかの動物の頭部が象られており、その後頭部に開けられた穴に革紐がくくりつけられている。どこかにぶら下げれば必ず動物が真下を向いてしまうという滑稽な仕上がりだ。
 いつどこで手に入れたのかは知らないが、物心がついた時には既に持っていた。そしてこれを当然のように“宝物”としていた。大して自分好みのデザインでもなければ、高価なアクセサリーというわけでもない。ましてや思い出の一つすらなく、いつもレイの部屋のどこかしらで眠っているだけの彫刻品だ。しかし、これまで幾度となくやってきた衝動的な断捨離の難を逃れてきたのも事実だ。
 冷静さを取り戻してから、ふと部屋の中を見渡した。鮮やかで殺風景なワンルーム。生活感が失われたその空間は今や、ショッピングモールのキッズスペースのようだった。その中央では黒に変色したゴミ袋が、ブラックホールさながらに口を開いている。近付いて中を覗き込むと、暗闇の中でカラフルな元“生活感”が無邪気に賑わい、どこか不気味さすら感じさせた。手に持っていた宝物を見つめる。桜色に染まっているが、そもそもこれの本当の色など知らない。レイはそれを、ベッドサイドテーブルの中央にそっと置いた。そして力尽きたようにベッドへ腰を下ろした。
 まるで発作のような断捨離癖もずっと治らない。十年前に家を出た時は、こんな未来など全く予想していなかった。難なく仕事をして、友達と遊んで、結婚して、充実した大人としての時間が流れていることだろうと、何の根拠もなく思い描いていた。しかし実際は、誰にも理解されない謎の変色現象に振り回され、仕事も家も人付き合いも切り替わっていくばかりで、何も積み重なっていない。十年を棒に振った感覚だ。そろそろ今の環境も潮時だった。衝動的な断捨離がそれを物語る。仕事も家も人もリセットするタイミングだ。
 いつものように都内で環境を変える道もあれば、思い切って九州辺りで再出発する道もある。しかしレイはこの時、さらにもう一つある道をどうしても無視できなかった。その道は九州よりも遥かに思い切りを要するが、レイはその覚悟を決め、密かに自分自身を鼓舞していた。
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