廿五 戸次氏十四代目当主、戸次 左衛門大夫 親守

文字数 2,328文字

 府内、上原館(うえのはるやかた)

 大広間の中央に戸次孫次郎(べっきまごじろう)が座しており、その背後に戸次親久(べっきちかひさ)(戸次分家・片賀瀬の当主)と安東家忠も腰を下ろしていた。

 孫次郎は(まげ)をきっちりと()い、良質の直垂(ひたたれ)を着込んで身だしなみを整えており、家忠たちも同様に正装していた。

 孫次郎は親家の葬儀を終えると、その旨などを報告をしにやってきていた。

 部屋の左右(さゆう)には宿老(しゅくろう)年寄衆(としよりしゅう))、聞次(ききつぎ)といった大友の中枢(ちゅうすう)(にな)う家臣団が列席しており、誰もが孫次郎に視線を向けていた。

 上座(かみざ)に座す大友家当主‥‥大友義鑑(おおともよしあき)も孫次郎を見つめていた。

 先の馬ケ嶽城合戦の勝報(しょうほう)の時と(くら)べて、(おご)そかな雰囲気に包まれており、孫次郎は(かしこ)まりつつ父・戸次親家(べっきちかいえ)の死去を伝えると、大友義鑑は沈痛な表情を浮かべて(くちびる)を震わせつつ口を開いた。

戸次丹後守親家(べっきたんごのかみちかいえ)身罷(みまか)れたのこと、(まこと)に残念であった。病弱ながらも大友家を長年支え奔走(ほんそう)し、あまつさえ此度(こたび)の宇佐神宮からの救援の申し出をに逸早(いちはや)く駆けつけ、大内の(はかりごと)を阻止した(こう)天晴(あっぱれ)である」

「御屋形様から、そのようなご()めの御言葉をいただき、父上も喜んでいると存じます」

 馬ケ嶽城の戦いの後、大内は宇佐神宮に使者を送り、弁明(べんめい)に参じた。

 大内の使者はふてぶてしく、“元”配下の間田と佐野たちが“勝手(かって)”に武器と兵を集めていたとして、宇佐神宮や周辺の国人衆に迷惑をかけた()びに、謝意の進物と巨額の金子(きんす)贈呈(ぞうてい)し、宇佐神宮との講和を持ちかけたのである。

 宇佐神宮としても豊前国で(あらそ)いが激化するのを危惧(きぐ)したのであろう。無難な落とし所としての講和を受諾(じゅだく)したのだった。

 発起人(ほっきにん)である宇佐神宮が手を引いてしまっては、大友(戸次)としても(ほこ)を収めるしかない。

 大義名分(たいぎめいぶん)を失った戸次軍は宇佐神宮からの撤退(てったい)要請(ようせい)を受け入れ、近い内に馬ケ嶽城から引き上げる予定となっている。
 その為、まだ戸次親延たちは残務処理で馬ケ嶽に滞在しており、今回列席できなかったのだ。

 多数の者が大内との全面戦争にならなくて済むと胸を()()ろしたが、

――まだ、その時ではない。

 大友義鑑や吉岡長増といった一部の宿老たちは、そう遠くない時期(じき)に大内とぶつかるだろうと推知(すいち)していた。

「大内との戦は今(しばら)くは収まるだろう。また、馬ケ嶽の勝軍(かちいくさ)における恩賞(おんしょう)祝宴(しゅくえん)などが(ないがし)ろになってしまっているが、()(もっ)て戸次家の家督相続について評議しなければならない」

 大友義鑑は声を大にして語りかける。

「だが、此度の勝軍(かちいくさ)‥‥戸次丹後守親家の嫡男(ちゃくなん)、戸次孫次郎は元服前にも関わらず、親家の名代(みょうだい)として軍の総大将を見事に務めあげ、勝利に導いた。戸次家の当主としての気質(きしつ)は適当であり、戸次の家督を継ぐに相応であると示したと思う。異議ある者はおるか!?」

 戸次親久が答える。

「戸次親延の名代、戸次親久。戸次親族衆(しんぞくしゅう)、異議はございません!」

 続けて安東家忠も自身の名を名乗った後、

「戸次御家来衆(ごけらいしゅう)、異議はございません!」

 そして周囲の宿老の誰かが「異議なし!」と発言すると、立て続けに「異議なし!」と連呼されていった。

 場が落ち着くと、大友義鑑は深く(うなず)き改めて口を開く。

「うむ。では、戸次孫次郎を戸次家当主として認める。また此度は元服の儀も兼ねて()(おこな)うとし、戸次孫次郎に偏諱(へんき)を与える。慣例(かんれい)(なら)い、わしの一字“鑑”を与えるとして、孫次郎よ。何か所望(しょもう)はあるか?」

「恐れながら、御屋形様。身共(みども)は此度の戦において、手柄(てがら)など何一つ挙げておりません。此度の勝軍(かちいくさ)父上(親家)のお膳立(ぜんだ)てがあったからこそ。身共は父上の尻馬に(またが)っていただけに過ぎません」

 宿老たちは健気(けなげ)珠勝(しゅしょう)な心持ちだと感心しただろうが、孫次郎の本心からの言葉だった。
 孫次郎は義鑑を見据え、話しを続ける。

「故に御屋形様より偏諱を(たま)わることは、まだ身共には不相応(ぶそうおう)であり、御屋形様の御名を(けが)すかと存じます」

「‥‥ならば如何(いかが)する?」

「身共が(まこと)一廉(ひとかど)と認められるまで、戸次家の通字であり、父上と同じ“(ちか)”を名乗らせて頂きたく存じます」

「“親”をか‥‥。して、下の名は?」

「守るの“(もり)”を考えております」

「“守”? 何故(なにゆえ)に、その名を?」

「父上との約束でありましょうか。父上が今際(いまわ)(きわ)に伝えてくださった心得(こころえ)を守り果たすための所願(しょがん)を込めております」

「戸次‥‥親守(ちかもり)か。ふむ、良い名だ。よかろう。“鑑”の偏諱は、そなたが一廉(ひとかど)と成した(あかつき)に与えようぞ」

 大友義鑑は息を吸い、気持ちを整えると、より一層大きな声で張り上げる。

「では、戸次家当主、戸次孫次郎を“戸次親守(べっきちかもり)”と改め、“左衛門大夫(さえもんのたいふ)”を官位を叙位し、“戸次左衛門大夫親守(べっき さえもんのたいふ ちかもり)”とする。また此度の勝軍の論功行賞(ろんこうこうしょう)として、戸次親家の官位昇叙(かんいしょうじょ)とし“常陸介(ひたちのすけ)”を叙位(じょい)する」

 戸次親久、安東家忠は叫びたい気持ちを抑えつつも、両眼から大粒の涙が溢れ出していた。
 孫次郎‥‥いや、戸次親守は驍猛(ぎょうもう)なる熱い意志が込もった大きな(まなこ)で大友義鑑を見据え続ける。

「して、戸次左衛門大夫親守よ。今月より在府(府内に駐在)し、館に出仕(しゅっし)して奉公するよう命じる。日々精進(ひびしょうじん)するよう(はげ)むがよい」

「かしこまって(そうろう)

 親守の(りん)とした声が響き渡った。

 大友義長、戸次親家を知る宿老たちは、在りし日の二人の幻影(姿)が大友義鑑、戸次親守に重なって見えた気がした。

 父たちの想いが子らの代で果たされても、また新たな想いが紡がれていくのだろう。


 戸次親守の名は、今はまだ府内・上原館でしか知られていないが、この若武者の名や武功が周辺国、鎮西(ちんざい)(九州)だけでは収まらず、天下に。
 そして遥か遠い未来にまで豪雷(ごうらい)のように(とどろ)くなど、この時、誰も想像だにしない。

 そこへ至る道は険しく、幾つものの苦難と戦いの日々が待ち受けているが、その時まで見届けていこう。見守るように。


第一章 立花(戸次)道雪の初陣 -了-
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