一 戸次孫次郎、十四歳
文字数 1,974文字
時は大永六年(1526年)、三月。
豊後 国、大野荘藤北 。
府内(現在の大分市)より遠方の南の方角に位置し、山々と深い森に囲まれた場所にて先人たちが切り拓いた平野 に人里があり、その北西には“鎧ヶ岳 ”という名の小高い山がそびえ立っていた。
鎧ヶ岳の山道を難なく駆け登っては、険しい獣道も物ともせず、まるで鹿のように跳ぶが如く軽快に駆けていく人の姿があった。
まだ“少年”と呼ばれてもおかしくない年頃であったが、何事も恐れぬ勇ましい顔つきに、身体つきは大人よりも人並 以上に鍛 えられていた。
幼年の頃より鎧ヶ岳を修練 の場として、崖をよじ登ったり、岩を持ち上げたり、大木 を刀で斬り倒したりと、時には棲 みつく野生動物を相手にして励 んだ賜物 だ。
かといって彼 の者は野生児 ではない。
着ている小袖の素材は絹布 が用いられて新しめであった。この時代、服は貴重品であり、ただの庶民ならば麻の古着をボロボロになっても着回す。
また腰 に携 えた刀の鍔 は細かな装飾が施されている。
元服をまだ迎えていない少年が高価な刀を所持しているのを見るからに、武家出身であるのは明白だろう。
少年は自分と同じ源氏の系統の者である、かの“源義経 ”も鞍馬山 で修練し、天狗に剣術や兵法を学んだと云われている。
この天狗は野生動物だったのではないかと、少年は思い浮んだ。
十年近く鎧ヶ岳で修練しているが、これまで天狗という妖 に遭遇していないからだ。
武家の子であるならば、源義経は伝説の武士であり、憧れの人物でもあった。
いつか自分も義経のように戦 に出て活躍しては、大いなる武功を立てて、御家再興 の大望 を抱 いていた。
その為にも日夜を問わず、日々鍛錬に勤しんでいるのだ。
駆け足のまま山頂に到着した。流石に息は切れてはいるが余力は残っているらしく、休憩は取らずに次の日課の鍛錬……山頂に高々と生えている大木によじ登った。
瞬く間に木の天辺 に着くと眼前に広がる……別府湾や沖ノ浜、そして府内の町並みに、一際大きく立派な館は主君である大友家の居館だ。
少年は、ここから一望できる景色が好きだった。
吹き抜ける心地よい風を受ければ、疲れは風と共に吹き飛んでしまうほどに。
先の義経のように戦で活躍し、この豊後国だけではなく九州、ゆくゆくは日本全土にまで自分の名が轟ければ、自 ずと大望が叶えられると意気込んだ。
まだ恐れを知らない自信と勝ち気に溢れた表情を浮かべた少年の名は――
「おーーい、孫次郎ーーー!」
麓 より、自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
高い場所から眺めると、こちらへ向かっている三人の姿。見知った顔だ。
木に登ったので自分を確認できたのだろう。
先頭を行く汗だくの人物は安東家忠 。
孫次郎の家に仕える家臣であり、また孫次郎の実姉が嫁いだので義兄でもある。
そして家忠の後ろに居る二人は、十時惟忠 と十時惟次 。
孫次郎と同じ年頃で、二人は兄弟ではなく親戚の間柄ではあるが双子と見間違えるほどに顔が似ていた。
孫次郎は颯 っと枝から飛び降りた。
高所からではあったが地面に着いた瞬間、両膝を曲げて衝撃を緩和させて、無事着地したのである。
三人も山頂に到着するや孫次郎の元へと近寄り、汗まみれの安東家忠が絶え絶えとなった息を整えつつ話しかけてくる。
「やっぱり、はあはあ……ここにいたか、孫次郎。はあはあ……」
「ええ。ところで兄上、どうしてここに?」
「十時殿が参られたので、それを報せに来たのだ」
「そういえば、前に十時殿から剣術の稽古をつけていただく約束していたが、もう来たのか?」
「ああ、殿 の見舞いで予定を早めて参られたのだ」
「なるほど。で、そのことで、わざわざここまで?狼煙 で報 せてくれれば良かったんじゃないのか?」
「狼煙を使えば、お前だけではなく周囲に何だと思われるし、下手したら狼煙が府内にまで見えてしまったら一大事だ。それに惟忠 や惟次 に、お主(孫次郎)を捜して貰うのは無礼だろう」
十時家は家臣 ではなく客将であった。客人に探索を任せるのは、確かに礼儀に外れている。
二人の話しに十時惟忠 が補足を入れる。
「それに安東殿はこの頃、事務方ばかりというので、父たちから身体を動かせと云われ、こうして若(孫次郎)を捜す羽目になってしまったのです」
「それはご苦労なことで、兄上。それじゃ館まで戻るか。忠 、次 、どちらが先に館へ辿り着くか競争だ!」
孫次郎はそう云うや否や駆け出すと、慣れた様子で惟忠と惟次も即座に追いかけていく。
場に取り残された安東家忠の「あ! ちょっと待った、孫次郎!」と叫ぶ声が山彦 となり鎧ヶ岳に響き渡った。
戸次孫次郎 。
後に戸次鑑連 、そして戸次道雪 (または立花道雪)の名で知られ、智勇を兼ね備え、各国の諸将の中で最も“義”に厚き豪傑の勇将と伝わる大器は、この時、十四歳であった。
府内(現在の大分市)より遠方の南の方角に位置し、山々と深い森に囲まれた場所にて先人たちが切り拓いた
鎧ヶ岳の山道を難なく駆け登っては、険しい獣道も物ともせず、まるで鹿のように跳ぶが如く軽快に駆けていく人の姿があった。
まだ“少年”と呼ばれてもおかしくない年頃であったが、何事も恐れぬ勇ましい顔つきに、身体つきは大人よりも
幼年の頃より鎧ヶ岳を
かといって
着ている小袖の素材は
また
元服をまだ迎えていない少年が高価な刀を所持しているのを見るからに、武家出身であるのは明白だろう。
少年は自分と同じ源氏の系統の者である、かの“
この天狗は野生動物だったのではないかと、少年は思い浮んだ。
十年近く鎧ヶ岳で修練しているが、これまで天狗という
武家の子であるならば、源義経は伝説の武士であり、憧れの人物でもあった。
いつか自分も義経のように
その為にも日夜を問わず、日々鍛錬に勤しんでいるのだ。
駆け足のまま山頂に到着した。流石に息は切れてはいるが余力は残っているらしく、休憩は取らずに次の日課の鍛錬……山頂に高々と生えている大木によじ登った。
瞬く間に木の
少年は、ここから一望できる景色が好きだった。
吹き抜ける心地よい風を受ければ、疲れは風と共に吹き飛んでしまうほどに。
先の義経のように戦で活躍し、この豊後国だけではなく九州、ゆくゆくは日本全土にまで自分の名が轟ければ、
まだ恐れを知らない自信と勝ち気に溢れた表情を浮かべた少年の名は――
「おーーい、孫次郎ーーー!」
高い場所から眺めると、こちらへ向かっている三人の姿。見知った顔だ。
木に登ったので自分を確認できたのだろう。
先頭を行く汗だくの人物は
孫次郎の家に仕える家臣であり、また孫次郎の実姉が嫁いだので義兄でもある。
そして家忠の後ろに居る二人は、
孫次郎と同じ年頃で、二人は兄弟ではなく親戚の間柄ではあるが双子と見間違えるほどに顔が似ていた。
孫次郎は
高所からではあったが地面に着いた瞬間、両膝を曲げて衝撃を緩和させて、無事着地したのである。
三人も山頂に到着するや孫次郎の元へと近寄り、汗まみれの安東家忠が絶え絶えとなった息を整えつつ話しかけてくる。
「やっぱり、はあはあ……ここにいたか、孫次郎。はあはあ……」
「ええ。ところで兄上、どうしてここに?」
「十時殿が参られたので、それを報せに来たのだ」
「そういえば、前に十時殿から剣術の稽古をつけていただく約束していたが、もう来たのか?」
「ああ、
「なるほど。で、そのことで、わざわざここまで?
「狼煙を使えば、お前だけではなく周囲に何だと思われるし、下手したら狼煙が府内にまで見えてしまったら一大事だ。それに
十時家は
二人の話しに
「それに安東殿はこの頃、事務方ばかりというので、父たちから身体を動かせと云われ、こうして若(孫次郎)を捜す羽目になってしまったのです」
「それはご苦労なことで、兄上。それじゃ館まで戻るか。
孫次郎はそう云うや否や駆け出すと、慣れた様子で惟忠と惟次も即座に追いかけていく。
場に取り残された安東家忠の「あ! ちょっと待った、孫次郎!」と叫ぶ声が
後に