第2章

文字数 14,318文字

「みなさま。ようこそこのバスへ」
 先刻幸枝を叱りつけていた男・黒田がバスガイド風にマイクを握って喋り出した。
「このバスは一路、辰州村に向かっております。この辰州村についてをご存知ない方が大半だと思いますので、少々ご説明を」
 前の方に座っていた譲治は、どんな連中がこのバスに乗っているのかと後ろを振り返った。
 定員三十人くらいのマイクロバスなのに、車内は半分以上空席で、乗っているのもなんだかハローワーク主催の慰安旅行かと思うような、うらぶれた雰囲気を湛えた中年男たちだ。どこか投遣りで自らの運命に諦観しているような、そんな空気がバス全体を支配している。
「辰州村は周りを山に囲まれた風光明媚なところです。水も空気も美味しく、村で採れた新鮮な野菜はこれまた絶品。今や新しい山岳リゾートとして注目を浴びようか、というところです。そこに皆さまをご案内いたします。村に着いたら、いろいろなことをやっていただくと思いますが、お約束した通り、食費宿代交通費もちろんタダでございます。やっていただくと申しましたが、別に力仕事をしろとか騙して山の中の飯場に放り込むとか、そういうことではありません。簡単な単純軽作業を」
 黒田の場合、単純軽作業』と強調すればするほど怪しげに聞こえる。
「一日に数回、私が皆さんを招集しますから、その時は私の指示に従ってください。それ以外は自由時間です。三々五々、ご自由にお過ごしください」
 一番前の席には、黒田と並んで、幸枝が座っている。彼女は、時折様子をさぐるように振り返って譲治を見た。その都度譲治はウィンクしたり投げキスを送ったりするのだが、幸枝は震え上って前を向く。
「質問!」
 ぐたぐた延々続く黒田の話を断ち切るように譲治が手を上げた。
「新宿でバスに乗る前に、エキストラだと聞いたんだが、具体的には何をするんだよ?」
「エキストラのような事です。行けば判ります」
 黒田は話を中断された不快を抑えて笑顔で答えた。
「期限は一週間って言ったよな? 行ってみたらとんでもねえ人里離れた山奥で、言うことをきかなきゃ帰りの交通手段もないってことは、まさか、ないよな? いや、飯場に放り込む訳じゃないって話はさっき聞いたけどな」
 譲治はそこで言葉を切って、同乗者を見渡した。
「集団誘拐して身の代金を取ろうとか?」
「なるほど。そういう手もありますね」
 黒田は真顔で応じて頷いた。さすがに乗客たちの間に不穏なざわめきが広がった。
「冗談です。だいいち、誘拐ならお金を持ってそうな人を掠うでしょう? ですがこのバスには」
 乗客たちは早くも興味を失ったようだ。全員が無気力で無口で、お互いに顔を見合わせすらしない。個人主義というよりも、他人に全く関心が無いのだ。陽気な面々なら黒田と譲治のやり取りに苦笑するところだろうが、彼ら全員が放つどんよりした不運のオーラには歯が立たない。大寒波に遭遇して落ちる小鳥のごとく譲治のジョークはことごとくはずし、雰囲気は凍った。
「貧乏人しか乗ってなくてもよ、腎臓とか目玉とかを抜いちゃうとか、いろいろあるだろ」
「辰州村には、そんな外科手術が出来る病院はありません」
「オレたちを亡きモノにして、その戸籍を売買するとか」
「いえいえ。そんな滅相もない」
 と律義に応じていた黒田だが、さすがに苦笑いした。
「しかしアナタ。よくそんな裏街道なことばかり思いつきますね。そういうご商売ですか?」
 事情を知る幸枝が、さかんに黒田の袖を引っ張って信号を送るのだが、黒田は気づかない。
 譲治はなおも疑っている。
「けどよ。今どき、単純軽作業をするだけでアゴアシ付き一週間の旅行なんて、そんなうまい話があるわきゃねえだろうが?」
「それが、あるんです」
 黒田は、ここぞとばかりに声を張り上げた。
「しかも、単純軽作業というのは、ほとんど遊んでるようなもんです。賃金は払えませんから、旅行気分という事で」
「あ。読めたぞ! そのカラクリ」
 譲治は立ちあがって黒田に指を突きつけた。
「あんた、占有屋かなんかだろ。その山岳リゾートに競売物件かなんかがあって、そこをおれたちに占有させようってんだな。判った判った」
 黒田は苦り切った顔になって首を振った。
「違いますよ……そういう後ろ暗いことをしに行くんじゃないんです。あなたは私どもについてなにか大きな偏見をお持ちなようですね」
 黒田はゲンナリした、という表情で譲治を見た。
「騒ぎを起こしたいんですか? 乗ってる皆さんを不安にさせて、下車させてしまいたいとか?」
 そこで幸枝が、思いっきり黒田の腕を掴んで引っ張った。彼女に何やら耳打ちされた黒田の表情が変わった。
「……なんでそんな男を」
「だから私は」
 しばらく二人がぼそぼそ話すのを、譲治は愉快そうに見ていた。
 やがて、愛想笑いを満面に浮かべた黒田が、ウィスキーのボトルを片手に譲治の席にやって来た。
「まあまあ、一杯どうですか」
「なんだ? 酒の中に薬でも入ってて、オレを眠らせようってのか? それとも、永久に目が覚めなかったりして?」
「またまた、ご冗談を」
 黒田は彼にボトルを見せた。封を切っていない新品のスコッチだ。
「今どきジョニ黒ってのも俗かもしれませんが、旨い物は旨いので。さあ開けてください」
 黒田に言われて、譲治はボトルの封を切って、黒田が差し出す紙コップ二つににウィスキーを注いだ。
「ね? 私も飲みますから、疑りっコはよしましょうよ」
 黒田はぐいっと飲んだが、譲治は様子を見ている。
「しばらくして吐き出すんじゃないかと思ってな」
「飲んじゃいましたよ。それに、いくらあなたが煽動しようとしても、このバスに乗ってる人は、多少の事じゃ動じませんよ。いや、多少の事以上でも動じないかもしれないな」
 二人は一緒に後ろに振り返った。
「ね? 人生いろいろあり過ぎて、疲れ果てた人とか投げちゃった人とか、流れに流されるままの人ばっかりなんですよ、ここに乗ってるのは。というか、そういう人しか乗らないわな。いきなり『アナタの一週間の時間をください』と言われてホイホイ乗ってきますか? 仕事はどうするんだ? 家族にはどう言うんだ? 突然消えてもダレも心配しないのか? ってなものですよ。いくらアゴアシ付きって言っても、警戒心ってものがあるでしょう? さっきアナタが言ったようなことだってあるかもしれない。ワタシが取って食っちまうかもしれないのに。もちろん食ったりしませんし、飯場に叩き売りもしないし臓物を取ったりもしないし、戸籍を勝手に使いもしませんけどね」
 黒田は、譲治を見据えた。
「で、アナタは、どうしてこのバスに乗ったんです?」
「それは……」
 幸枝絡みだとは言えない。ましてやお前から借金を取り立てるつもりだとは言えない。どう巧いウソをつこうかと考えていると、猛烈に眠くなってきた。バスに揺られているせいか?
「ええと、それは……」
 譲治はころっと眠りに落ちた。それを見た黒田は小さく頷くと、やあやあと言いながら他の乗客にもウィスキーを勧め始めた。
 幸枝とバスの運転手以外の全員が寝てしまったのを確認して、黒田は席に戻った。
「さて、これで一件落着。人工冬眠成功だ。行き先はあいにく火星じゃなくて、山奥のど田舎だけどな」
 黒田はニヤリと笑って幸枝に言った。
「これでいちいちトイレ休憩に停まらなくてもいいし、連中に飯を食わせなくてもいい。あんたにとってもあの男を寝かしてしまった方がいいだろ?」
「だけど……どうして黒田さんだけ睡眠薬が効かないの?」
 幸枝は、黒田がみんなと同じものを飲んだのを見ていた。
「いや、私は睡眠薬が全然効かない体質でね。不眠症になった時とても困るんだ。幸い、眠れなくなった事は今までないけどね」
 そう言った黒田は、けけけと高笑いしてスルメを食い千切った。

 バスが首都高を抜けて高速道路に入る頃には夜になった。
 ハイウェイを爆走して田舎の国道に降りた頃には夜が白み始め、標高があがるにつれて、空も明るくなってきた。
 山岳地帯に入り、国道の道幅もどんどん狭まり、車窓の風景も切り立った山と渓谷に変わった。
 いくつもの川を渡り、山腹をうねうねと走るうちに、山の頂に陽が昇って朝になった。高い山に遮られて、このあたりは日の出が遅い。
 一段と道が狭くなり、バスが速度を落とした頃に、譲治は目を醒ました。
 ぼんやりしたまま窓外を見ると、真新しい別荘風の家並みが目に入った。ログハウスあり煉瓦造りあり北欧風ありスイス風ありの、まったく統一性も何もないバラバラな意匠の建築群だが、どれもが真新しくて、それなりに金がかかっているのは判る。
 山の陰になってまだ陽が当たらない家々は明かりをつけているが、ここは住宅展示場かと思うほどの派手でこれ見よがしなデザインの割りには、どの家もいまひとつ垢抜けない。それは窓から洩れる照明のせいだ。こういう家に似つかわしい温かでゴージャスな白熱灯ではなく、冷たい色の蛍光灯を家中に使っているので、まるでコンビニのように見える。
 センスのねえ成金どもの山岳リゾートかよケッと、譲治が思っていると、妙なものが目に入った。
 コロニアル風の白い円柱をあしらった、まるで国道沿いのファミレスのような別荘の前に、ビニールハウスがあるのだ。他にもよく見ると、白壁にオレンジ瓦屋根の地中海風別荘のパティオに耕耘機がとめてあったりと、なにかがおかしい。
 だが、そのリッチな地区はあっという間に終わってしまった。雑木林がとぎれ、次に見えてきたのは、全く対照的なボロ家の一群だった。
 いや、よく言えば『都会の喧噪を離れた山村にある、いかにも歴史と伝統を感じさせる純日本家屋』と形容すべきか。しかしトタン屋根のいかにも貧しい長屋、としか形容できない家も少なからずある。窓から洩れる灯火は、こちらは一様に暖かみのある白熱灯だが、どれも極端に光量を落としてあって暗い。ほとんど囲炉裏か蝋燭の火のようだ。直前に小奇麗なモデルハウスみたいな家を見たせいもあって、この一帯がとびきり貧乏臭く感じられてしまうのだ。東京の貧乏人が集まる地区でも、ここまで貧しそうな家は少ないだろう。絵に描いたようなボロ家だ。
 これじゃ山の冬は寒いだろうな、と思っていると、バスは停車した。
「みなさん、起きてください。ただ今、目的地の辰州村に到着しました。ここが村のシティ・センター、辰州村役場前です」
 山肌を切り崩して広場を造ったような空間に、チロル風というのかスイス風というのか、女性週刊誌に出て来そうなペンションが建っていたが、それが辰州村役場だった。
 マイクロバスから降りると、山村に吹き渡る風は寒い。しかし、早朝だというのに、バスの前には背広姿の中年以上の男達がずらりと勢ぞろいしていた。
「ようこそ、辰州村へ!」
 山仕事で鍛えた、という感じのがっしりした初老の男が声を張り上げ、譲治にうやうやしく名刺をさし出した。
「私、村長を拝命しております、三上忠義と申します。チュウギと書いてタダヨシ」
 村長はバスに乗ってきたうらぶれた男たち全員に名刺を配り、最敬礼した。それに続いて、村の最高幹部たちも名乗りを上げて「どうかよろしく」と言いながら名刺を手渡した。
 古ぼけた老人の中にあって、七三に頭をきれいに分けたふちなし眼鏡の小瀬助役は、村ナンバー2にしては短躯なせいもあって学生のように見えた。
 黒田と幸枝が、そそくさと村役場の中に逃げ込むように入ったのを、譲治は見逃さなかった。とは言っても、こんな山の中で狭い集落だ。逃げも隠れも出来まいと、彼は敢えて追いかけなかった。というより、起き抜けで身体を動かすのが大儀だったのだ。
 三角屋根の山小屋風村役場は、広場の崖に面して建っている。その並びには、同じデザインの郵便局に農協があり、その向かい側の山腹を背にして雑貨屋、食堂、食料品店があった。
 バスがやって来た方向を見渡すと、道路から一段下がった場所にさっきの貧乏家屋群があり、その奥の道路と同じレベルの場所には、リッチな別荘群が固まっている。
 そのリッチな家の一つから車高を低くした走り屋仕様のが出て来て、山を降りていった。
 町にお買い物ですな、と村長が言った。譲治は村長に聞いてみた。
「成金どもが住み着いてるんだな、この村には。あの分じゃ、けっこう住民税が取れるんじゃねえの?」
「はぁ? 何のことをおっしゃっているのか。この村は風光明媚ですから、たしかに都会のみなさんが何人か移住して来られてます。でも成金とか、お金持ちとか、そういう人たちでは……。自給自足で、有機農業とかエコロジーとかスローライフとか、難しいことばかり言ってる人たちですよ。お金もほとんど使わないし」
 そのくせ麓の町まで村民が無料で乗れるバスなど、村のサービスは目一杯利用するのだそうだ。
「なんでもこの辺りは龍脈だか気学だかで言う『特別な場所』らしくて。そういうのさっぱり判りませんが」
「でもよ、あのセンスのねえコテコテの家といい、さっき出てったゾクが好きそうな改造車といい、とてもそんな気学だの何だののインテリが住んでそうには見えねえぞ」
「ああ、あれですか。あそこに建ってる家のことですね。あなた、誤解してますよ」
 三上村長はやっと意味が判った、というように手を打った。
「あのセンスのない……もとい、豪華な新築の家に住んでるのはこの村の、昔からの住人です。コンヴェンションセンターの建築で村が潤ったときに、みんな一斉に、競うように家を建て替えましてね」
 なるほど。この村もプチ・バブルに踊ったということか。
「しかしなあ。同じ村でこうも勝ち組と負け組が露骨に別れてるんじゃ、何かとカドが立つんじゃないか?」
 譲治は手前の貧乏家屋の一群を指差した。
「あんなボロ家に住んでる連中が、すぐそばに豪華な新築を見せつけられたら普通、ヒガむぜ」
 だが村長は意味が判らないという顔だ。
「だからよ、島流しとか平家の落人の家じゃあるまいし、あの貧乏長屋も村で助成して建て替えてやれよ。気の毒に」
「あのですね、あそこに住んでる人はわざわざ好きこのんでああいう家を選んでるんです」
「好きこのんで? あんな廃屋をか」
「いわゆる『古民家』がブームになってるとお聞きになったことはないですか? あの古い家に住んでいるのが、都会から移住してきた人たちですよ」
 ようやく譲治にも事情が呑み込めた。ボロ家に住みついているのが都会から来た新住民、新しいキッチュな建て売りに入居しているのが、この村本来の住民だったのだ。
「なるほど。住む家で人を判断しちゃいけねえな」
「我が村としては全部、建て替えたいのですがねえ。大変だったんですよ。都会からの人たちが村民の新築に反対して。やれ自然が台無しだの、俗悪な家が建つと景観が滅茶苦茶になるだの、村人の生活近代化に対して信じられないクレームをつけてきて」
「たしかに俗悪な家だけどな」
 と、その時。村役場の脇からどんどん人が湧いてきたので、譲治は面食らった。
 よく見ると、村役場の脇には階段があって、下の谷から大勢の人が上がってきたのだ。
「役場の下に、村営コンヴェンションセンターがありまして。ちょうど朝ご飯の時間ですな」
 ゾロゾロ歩く人々は、みんな村役場の向かい側にある食堂に吸いこまれていく。
「バスでお着きの皆さんにも、朝食を用意してあります。そちらの食堂へ、どうぞ」
 村の首脳の中で一番若い助役が声をあげて、一同を案内しようとした。
 店から漂ってくるみそ汁と焼き魚の匂いに空腹を刺激された譲治も、食堂への列に加わろうとした。が。
「あ」
 階段を上がってきた人の列の中には、譲治の知っている顔が多数いるではないか。
「柚木、柏田、樽見、牟坂、服部……あいつら、こんなところに隠れてたのか」
 彼らは、そろいも揃って、譲治がずっと行方を追っている「巨額多重債務者」だった。数百万の借金を踏み倒してトンズラした悪質な連中だ。
 反射的に追い掛けて胸ぐらを掴みたくなるのを、譲治は必死に我慢した。
 偶然にも居場所が判ったんだし、こんなにまとまってるんだ。きっちり追い詰めて一網打尽にしてやるぜ。しかし……こんな山奥の村に、借金まみれのやつらがどうして集まってるんだ?
 その時。列の最後をとろとろと歩いている女の姿が目に入った。幸枝だ。
 譲治はこれ幸いと彼女の腕を掴んで捩じ上げた。
「おい。どうしてここには借金魔王たちが大挙して集まってるんだ? お前が貧乏人どもを招集したのか?」
「知らないっ! 離してよ」
 怯えるかと思いきや、幸枝はきつい目で譲治を見た。新宿でオドオドした態度で人集めしていた時や、バスの中で譲治にびくびくしていた時とは態度が違う。この村に着いて、急に自信を得たかのようだ。
 そんな幸枝の態度と関係があるのか、村の首脳陣も「幸枝が危害を加えられている」のを見て、一斉に近付いてきた。
 マズイ雰囲気を敏感に感じ取った譲治は、ぱっと手を放して反則攻撃を見つかったプロレスラーのように両手をあげた。
 幸枝は乱れてもいない服の乱れを直すと、譲治を睨みつけた。言葉では言わないが、ココは私のテリトリーよと主張しているかのようだ。
「オマエ、なんだかここじゃVIP待遇みたいじゃないか。借金まみれの連中を掻き集めて、何をしようって言うんだ?」
「さあ? 私は人を集めろと言われてるだけだもの」
「まあそれはいいけどよ」
 譲治は、こちらを監視するように見ている村の幹部連中をちらりとチェックした。
「肝心の金はどうしてくれるんだ?」
「……ちょっと待って。この仕事が終わればキレイに払いますから」
 幸枝は声を落としていった。
「オマエ、まさか村役場の連中までデート商法でたぶらかしたんじゃないだろうな? いや、それは無理だな。トロいお前には。さっきの人生終わったような連中もたぶらかしたのか? あいつら、すべての方面に完全にやる気ねえから、大変だったろ」
 そう言いながら今度は彼女の胸に手を伸ばそうとして、ぴしゃりと叩かれた。
「あなたも、せっかくだから朝ご飯食べてきたらどう? 新鮮な野菜が美味しいわよ」
 そう言って、ニッと笑った。
「私は、逃げも隠れもしないから。この村には定期バスも通わないのよ。必要な時だけ村のバスが出るの」
「袋のネズミになったのは、オレも同じって事か」
「そういう訳ね。この村では、私にあんまり乱暴な事をしない方がいいわ。確かに私は、ここではVIP待遇だし」
 幸枝はそう言うと、村の首脳陣に頷いて見せて役場の中に入っていった。譲治がその後に続こうとすると、助役の小瀬に遮られた。
「申し訳ありませんが一般の方は、あちらでお食事を」
 お前など絶対に入れてやらない、という頑としたものがあった。
「なんだよ。さっきは名刺配って愛想振り撒いてたくせに」
「とにかく、みだりに立ち入らないように!」
 小瀬は役場のドアを譲治の目の前でバン、と締めた。
「ま、いいか。先は長いんだし」
 とにかくこんな山奥まで来てしまった以上、腰を落ち着けるしかない。
 譲治は腹を括って食堂に入った。
 街でよくある大衆食堂のような安物のテーブルに安物の椅子があり、席についた者は丼飯を頬張っている。飯にみそ汁、ウルメイワシの干物に海苔、生卵、漬け物というシンプルな献立だが、湯気が立って美味そうだ。さっきまで胃も眠りから覚めず、食欲は全く無かったのだが、炊き立ての飯の香りを嗅ぐと、急に空腹感が襲ってきた。
 だがテーブルが四つしかなく席が全部で十六しかない。ほとんどの者がお預けを食って立たされている。
 譲治もおとなしく順番を待ちながら、飯を食っている連中を観察した。
 さっきの借金を踏み倒した連中以外の面々も、いかにも職安で求人したような中高年齢層や、そしてドヤ街で集めたようなガテン系老年ばかりだ。とにかく安い金で掻き集められるだけの人数を掻き集めてきた事がよく判る。
 ようやく第一陣の食事が終わって席が空き、譲治も朝飯にありついた。生卵をばしゃばしゃとかき混ぜて熱い飯に掛け、はふはふ言いながらかき込んだ。
「美味い!」
 安物で賞味期限は多分過ぎているウルメイワシも、頭からかぶりつくと無性に美味かった。山の空気のせいか?
 村で採れた野菜で作った漬け物が、これまた絶品だった。種類は判らないが青い葉っぱのソレは噛み締めるほどに滋味が溢れた。
 夢中で食って箸を置いた時、外で大きな音がした。大型車のディーゼル・エンジンの音だ。
 食堂から出てみると、村の広場には、大型の観光バスが到着したところだった。さっき譲治たちが着いた時と同じく、村の首脳陣が総出で出迎えている。
 バスから降りてくるのは、さっきのメンツとはまるで違って、若者ばかりだ。体育会系の学生みたいなのから貧弱なバイト君までいろいろだが、女も交じっている。
 黒田も役場から出てきて、彼らをどうもどうもと笑顔で迎え、村役場脇の階段を指差している。
「撮影は何時からですか?」
 バスから降りてきた男が黒田に聞いた。若者たちはみんな普段着だが、その男だけはスーツ姿で手には書類を抱え、携帯電話を首からぶら下げている。
「衣裳とか小道具は?」
「まあまあ、とにかく、下のコンヴェンションセンターにいったん集合してからという事で」
「そうですか。事前の打ち合わせが無かったので……あ、スケジュール表とか貰えますか」
「それも下のコンヴェンションセンターで」
 黒田は、背広姿のマネージャー然とした男も階段の下に送り込んだ。
 その男は階段を降りながら携帯電話に話し掛けている。
「もしもしオハヨウゴザイマス。原田です。今現場に着きました……くそ。電波弱いな」
 彼はどう見てもテレビや映画にエキストラを送り込む専門プロダクションのマネージャーで、バスに乗ってきたのはエキストラのバイトで雇われた学生なのだろう。
 そうしていると、またもバスがやって来た。今度は小型のマイクロバスだが譲治が乗ってきたものとは雲泥の差のあるデラックス仕様。窓から顔を覗かせているのは、全員が女。それも若くて美形だ。
 彼がしばらく眺めていると、デラックスバスは完全に停車して、その美女軍団が降りてきた。
 曲線を誇示するようなTシャツや薄いセーターにぴったりジーンズかミニスカートといういでたち。旅行に来たというよりも、撮影の現場に来たという雰囲気が濃厚な軽装だ。
 胸の隆起はホルスタイン級の超巨乳から中学生みたいな美乳までそれぞれだが、みんな見事に魅力的なラインを見せている。小さければ小さいなりに曲線の美しさをアピールしているのだ。
 胸がデカい女はTシャツやトレーナーなどを無造作に着ているが、小さい女は襟ぐりが深かったりタンクトップだったりで、男のツボを巧みに突こうとするかのようだ。だが特に媚を売っているようにも見えないので、本能的なものとしか思えない。
 胸がそうならお尻もそうだ。ピッタリしたジーンズは第二の皮膚だ。それに包まれたヒップの膨らみは、丸裸の状態以上に、隠されているが故に男の妄想を掻き立てる。
 ウエストがきゅっと締まっているのも実にそそる。バスから降りる時に、ジーンズのウエストと短いTシャツの間から素肌がちらっと見えたりすると、女については百戦錬磨を豪語する譲治もドキドキしてきた。
 ミニスカートの女も、ジーンズとは別の色香を発散している。なんせ腿が剥き出しだ。朝の陽光を浴びた腿は実に眩しい。
 まさに何もない山村の一種禁欲的で水墨画のような世界に、いきなり欲望剥き出しの極彩色のグラビアが突入してきたような感じだ。異様に浮いている。さっきのうらぶれた男たちはこの山村でも何の違和感もなかったが、いかに場違いだろうがミスマッチだろうが、眺めている分には若くてセクシーな女の方がイイに決まっている。
 そう思ってニヤついていた譲治だが、女の中の一人に、見覚えがあった。薄いTシャツが胸の存在感をこれでもかと誇示し、しかもヘソがちらちらと見えている。ぴっちりしたスリム・ジーンズに包まれた脚は長く形がよく、白い肌に黒いサングラスが最高に決まっている。可愛い鼻に愛嬌があり、タラコのような唇はフェラチオの旨さを妄想させる。
 誰だっけ、この女。
 譲治の写真付き取り立て人リストにはないから金絡みではないし、過去に彼がヤッた女でもない。しかし、見覚えがある。
 誰だろうと考えたが、思い出せない。親しい関係なようで、そうでもない。毎晩濃厚な関係を結んだようで、まるで赤の他人。そんな知り合い、いたか? 特別な間柄で、いたはずなのだ。
「くそ。喉元まで出かかってるのに」
 譲治は独り言を吐きながら、彼女達について、村役場脇の階段を降りた。
 崖をおりたそこには、白亜の殿堂があった。
 こんな山の中の寒村には全くふさわしくない、コリント様式の堂々たるビルだ。いや、単なるビルと呼ぶにはふさわしくない。いささか古い「会堂」という言葉の方が似合っている。
 道路から一段下がったところに、おそらくは谷を埋めて土地を確保したのだろう、広い場所があり、そこに五階建てくらいの高さの「辰州村立コンヴェンションセンター」が建っていた。大理石ではないにしろ、真っ白な表面が朝の光を反射して眩しい。
 中に入ると、人の流れは『大会議場』に向かっていた。ドアが開けっぱなしだったので覗いていくと、小会議室で都会から来た貧乏人どもは寝泊まりしているようで、マットレスや寝袋がごちゃごちゃと並び、私物が散乱している。洗濯物が干されているのが生活臭を感じさせる。
 『大会議場』は大きなホールだった。しかし椅子は無く、みんな立ったままだ。貧乏人軍団にエキストラ、そして美女軍団がそれに加わった。
 みんな勝手に喋っていて、その話し声がホールに反響してわんわんと響いている。
 会場に先に入っていた学生たちは、後からやってきたセクシーな美女たちに歓声をあげた。
「……ガキか、こいつら」
 譲治は学生たちの精神年齢の低さに顔を顰めた。
 だが彼らは遠巻きに歓声をあげるだけで近づいていくほどのガッツはないようだ。女達の方がはるかに上手だという事は見ただけで判る。彼女達が軽くガンを飛ばすだけで、たじたじとなって腰が引けている。
 そうこうしているうちに、ホールの前にあるステージ上に、黒田が登場した。もみ手をしながら舞台袖から現れたその姿は、往年の西条凡児に似ている。
 貧乏人たちが拍手をし始めたので、それにつられて学生たちも手を叩いた。
 彼の立ち位置に、下からマイクスタンドがするするっと伸びてきた。
「ハイハイみなさん、オハヨーございます。ようこそお越しくださいました」
 黒田は満面に笑みをうかべて話し始めた。
「ハイ静かに。静かにして私の話を聞いてください」
 しかし会場の喧噪はなかなか静まらない。舞台上で黒田が話し始めたのも無視して私語をやめないのはエキストラで来た学生たちだ。債務者や失業者のオヤジたちは無気力にステージを見上げている。女達は黙っているが、ホールを品定めし、値踏みするように眺めている。
「ハイ静かにして……静かにせいと言うとるんじゃ! 舐めとるんか、え? オマエ」
 いきなり切れた黒田はドスの利いた声を張り上げた。その声はよく通り、ダメ学生たちも一斉に首を竦めて口を噤んだ。
「えー、今から大事な事をお話しします。いいですか。これから数日、みなさんにはここで暮らしていただいて、簡単な仕事をしていただきます」
 すかさず、さきほど携帯で話していたエキストラ会社のマネージャーらしい男が声を張り上げた。
「日東プロの原田といいますが、簡単な仕事って何ですか? 撮影としか聞いてませんよ!」
「仕事とは、もちろん、撮影です。というか撮影のようなものです。おなじようなもんです。とにかく、東京から取材もやって来ますので、よろしくお願いします」
「ですから具体的な内容を聞いてるんですよ!」
 記者会見で鋭い質問を飛ばす記者のような口調で、原田が聞いた。
「彼らを預かっている以上、私にも責任がありますんで」
「ハイハイ。それはそうです。もちろんです」
 黒田がそう応じた時、美女軍団に遅れて数人がホールに入ってきた。腰には小物を入れるポーチを付け、手には鏡を持った三十路の女三人と、原田と同類のような男。女はいわゆる「メイクさん」にしか見えない。
 メイクさん……と思った瞬間、すべての情報が譲治の頭の中で結合し、どうしても出てこなかった名前が、一気に脳裡に甦った。
「西田ヒカル子だ!」
 思わず叫んでしまった彼の声に、場内はざわめいた。
 譲治に名指しされたその女は、そうよ、それがどうしたのといわんばかりにポーズを取った。
「あのAV女優のヒカル子が来てるのか!?」
 学生たちがざわざわと騒ぎ始め、列が乱れてセクシー美女たちに殺到し始めた。
 西田ヒカル子は、譲治のご贔屓だった。新作が出れば即借りて、一晩に四回はマスをかいた。ヒカル子の出演作はすべて見ているのだ。これほど身近で遠い存在はほかにはあるまい。
「ヒカル子の横にいるのは日高まるみだ!」
 学生の中から声が上がった。日高まるみというAV女優を譲治は知らなかった。
 意外な場所で心の恋人が現れた悦びで、幼い学生たちは歓喜して狂喜した。
 暴徒化しかけた彼らを原田も村の職員も制止出来ず、農協の隣にある駐在から飛んできた警察官が警笛を吹いた。
「落ち着きなさい、君たち! ナニを興奮してるんだ!」
 その一喝で毒気が抜かれたようになった学生たちは、急におとなしくなった。
「……いいですか? では話を続けます。えー皆さんにはいわゆる『信者』になってもらいます。私が、みなさんが崇め奉る『教祖』です。私が儀式を執り行い、その様子を取材しようと、東京から報道陣が来るんです」
「じゃあ、撮影じゃないんですね?」
 原田が食い下がった。
「撮影ですよ。東京から取材が来るといったでしょう」
「あのね、それは取材であって、撮影じゃないでしょう」
「どうして? 彼らもビデオを撮るじゃないですか。撮るという事はこれ即ち撮影でしょ」
「違うんだなあ」
 原田は言葉が通じないのにイライラした様子だ。
「だから、そういう宗教の儀式の設定の場面があるドラマか映画の撮影じゃないんでしょう?」
「そういう設定のところを、取材に来たカメラマンが撮影する。だから、撮影。それが何か?」
 原田が絶句したところで、黒田は勝利の笑みをうかべた。さすがは詐欺師、巨額の金を踏み倒して逃げているのもこの手口なのだろう。
「で、話をすすめます。とにかく、時間がありません。皆さん方は、つい最近私の教えに帰依したばかりの新入会員さん、ということにします。だから、儀式のシキタリなどを知らなくてもいい。とにかく私に尊敬と畏敬の眼差しを向けて、教祖たる私に従ってくれればいいのです」
「ウチの女のコたちも同じですか?」
 AV女優のマネージャーが聞いた。
「いいえ。わざわざスターのみなさんにお越し願ったのは、ただの信者に扮して貰うためじゃありません」
 高い金出してそんな程度で使うかよ、というのが顔に出た。
「その件は、後ほど詳しく打ち合わせ致しましょう」
 ではいったん解散して、と話が進もうとしていた時、外が騒がしくなった。
 ロビーに出て外を見てみると、入り口の前には『デモ隊』がいた。手描きのプラカードには「カルトは辰州村から出て行け!」「村の自然を壊すな!」「村民に平和な生活を!」などと書かれていて、デモ隊の面々は口々にプラカードに書いてある通りの事を叫んでいる。
「エセ宗教は出て行け!」
「お前たちは目ざわりだ! 自然の景観を台なしにするな」
「我々のぉ、静かな生活を乱すんじゃないっ」
 とは言っても総勢十人ほどで、明らかに村人や村の首脳陣とは顔形が違う。人種が違うというと語弊があるが、氏素姓が全く異なるのははっきり判る。全員が熟年世代だが、いわゆる都会のインテリであることが一目瞭然だ。
「くそ。エコロジーだかスローライフだか知らないが、新参の住民の癖に勝手なことばかり」
 デモ隊はどうやら全員が例の『古民家』に住み着いている都会から来た新住民のようだ。
「こっちの苦労も知らないで」
 助役の小瀬が顔を歪めて呟いた。
 デモ隊も、ロビーにいる小瀬を見つけて個人攻撃を始めた。
「ちびでぶ小瀬、セコセコするな!」
「あんた、いったいどういうつもりだ? カルトに村の施設を貸すなんて。お前は村をメチャクチャにする気か!」
「目先の金に目が眩んだんだろう、このちびでぶ!」
 都会から移り住んだ「自然愛好家」たちはスローライフが好きで穏やかなのかと思ったら、かなり過激でテンションも高く、意地が悪そうだ。シュプレヒコールの飛ばし方なども実に堂に入っており、『抗議行動』というものがごく自然に身についた感じだ。
 その代表らしき人物は、三苫多門と名乗る男とその妻だ。都会をドロップアウトした熟年夫婦だが、田舎暮らしを優雅にエンジョイしているとは思えない風貌だ。多門の筋張って痩せた体躯はミイラを思わせ、こけた頬と狂信的な光を宿した眼光はまさに疫病神のイメージそのもの。それが作務衣を着ても蕎麦打ちを趣味にしていても、まるで優雅には見えない。亭主の和風なイメージとは逆に女房は頭にバンダナを巻き、ぞろりとした草木染めのスカートに「フェアトレード」とプリントされたTシャツを着ている。きれいにセットされた白髪とおしゃれな老眼鏡が、
六〇年代ヒッピー風のいでたちとミスマッチだ。
「東大出た学歴だけで助役になった無能者!」
「くそ……お前らは、この村が嫌になったら出て行けばいいんだろうけど、オレたちはそうはいかないんだぞ」
 苦労がシワになっているような村長と違って、いかにも計算高そうな小瀬が言うと白々しく聞こえるセリフだが、デモ隊の面々を見れば、小瀬の気持ちも判る。
「あいつら、通販の作務衣なんか着て自然人を気取りやがって」
 小瀬が歯ぎしりするように男たちはほぼ全員が作務衣を着ている。
 一方、女たちはというとこれまた全員がノーメイクで白髪交じりの長い髪を垂らしたり、二つにむすんだり、水晶の数珠を首に巻いたり、ヒッピーの成れの果てのようなぞろりとしたインド綿のスカートを身にまとったりと、あたかも七十年代で時間が止まったかのようなオーラを放っている。
「いまに見てろ。この村は、一発逆転するんだ! お前ら都会の勘違いしたインテリどもに、いつまでもエラソウにさせないぞ!」
 譲治は、この村で、ナニが進行しようとしているのか、俄然興味が湧いてきた。
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