第3章

文字数 22,011文字

 外のデモ騒ぎが収まり、サクラとして雇われた連中がそれぞれ割り当てられた控え室に引き上げたのを見はからって、譲治はホールに戻ってみた。
 そこでは、『祭壇』の設営が始まっていた。テキパキと動く男達が、金属パイプを組んで板を載せ、白い布を敷いて行く。それを黒田や村のナンバー2であるはずの小瀬が監督している。
 十段ほどある『祭壇』に菊の花を並べようとしたので、黒田が「待て待て!」と声をあげた。
「それじゃ葬式だろう! 違うんだって。さっきは村長の葬式みたいな感じでとは言ったが、葬式そのものをやるんじゃないんだ。花は……バラとかチューリップとか、いろいろ色のついたのがあるだろ? とにかく派手な物にしてくれ」
 腕に『辰州葬儀社』と書いた腕章をしている男達が口を尖らせた。
「大きな葬式みたいな感じってことで準備してきたのに、急にそんな事言われてもなあ。それにこっちは田舎の葬儀屋なんだから、難しいイベントの仕込みなんかやった事ないし」
「そうは言っても……電通とかに頼む予算もありませんし、ここはなんとか」
 小瀬が割って入った。
「とにかく、テレビが入るんだから、見栄え良くやってよ」
 黒田はテレビを強調した。
「どうしようかなあ。浄土真宗みたいにしちゃまずいんですね?」
「真言宗も日蓮宗も違うぞ。神道でもないしキリスト教でもない。そうそう、無宗教ではどうです? 無宗教の告別式というか、お別れの会みたいなパターン」
 小瀬の提案に、黒田はニヤリとした。
「無宗教?」
「いや、まあ、イメージの話で」
 小瀬は頭を掻いた。
「ここいらじゃ無宗教なんてシャレたことする人はいないんでね……」
 地元の葬儀社の男達は頭を捻った。
「じゃあここは、紫綬褒章受章記念、みたいな感じでしつらえてみましょうか」
「そうしてくれる? それが一番近いみたいだから」
 黒田がやっと頷いた。しかし、
「じゃあ祭壇はいりませんね?」
 と撤去しようとしたのには、怒気を含んだ声で止めた。
「何をする! 祭壇がなかったらご本尊を置けないだろうが! バカかお前らは!」
 その声に、『辰州葬儀社』の社員たちはむっとして顔を見合わせ、どーしよーもねーなーという風に首を振り、言われるままに祭壇を残し、言われるままに派手な色みの花を並べた。
 その結果、大物の告別式のような設えから、「故人を送る会」くらいには普通になった。
「よし。ちょっと待ってて」
 その場を離れた黒田は小走りに外に出て、すぐに何かを大切そうに胸に抱えて運んできた。
 自分を教祖と称した男は『それ』を祭壇の中央に置くと、さも価値があるもののように、角度を微妙に調節している。
 『それ』がなんなのか、黒田の体が邪魔になって譲治からはよく見えない。
「……よし」
 黒田は納得したように呟くと、祭壇から離れて、眺めた。
 『それ』は、譲治が組の事務所でツカモトのアニキにヤキを入れられた時に聞かされた、そして珠子の部屋で見せられた雑誌に載っていた『黄金の仏像』そのものだった。形はまさにあの時の写真に瓜二つで、きらびやかに鮮やかに、黄金の光を放っている。
「これが、黄金の輝きか」
 さすがは詐欺師の黒田。コンヴェンションセンター・大ホールの、窓からの光線が最も良く当たる位置に祭壇を置いたようだ。黄金の仏像をこれみよがしに輝かせて有り難みを嫌がうえにも高めようと言う魂胆なのだろう。
 だが、アレは金メッキしたハリボテであることを、譲治は知っている。組事務所でその話を聞いていなければ、純金製の超高価なものだと思い込んだろう。実際、あの貴金属商が言っていたとおり、実に見事な出来栄えだ。
 黒田は、ホールの入り口から譲治が覗いているのを知らず、その『黄金の仏像』をためすがめつして何度も角度を変えて置き直し、最後はハンカチで表面を丁寧に拭いた。
 そこへ小瀬が呼びに来て、二人はなにやら密談しながら出て行った。
 辰州葬儀社のスタッフも花を並べ終えて、別の仕事をしにホールを出て行った。
 ホールに誰もいなくなった、短い間。
 譲治はこの機を逃さじとホールに忍び込み、祭壇に駆けよった。
「メッキとは思えねえよなあ」
 そっと持ち上げてみた。ハリボテのメッキなら軽いはずだ。が、それはずっしり重い。
 偽モノだという仏像に顔を近づけて、じっくりと見てみた。
 どうも、輝きが本物っぽく見える。この光沢のある金色は、やっぱりメッキなのか? 鑑定の素養のない譲治は、よく判らなくなってきた。
「盗んでもこの村からは逃げられないよ」
 声に振り向くと、黒田が立っていた。
「ご本尊様をどうするつもりだ? 借金のカタに持って行くつもりか?」
「幸枝からオレの正体を聞いたな? まあそれなら話が早い。あんたがウチから借りたカネの取り立てに来たんだ。夜逃げした先まで無料で送迎してくれるなんて、至れり尽くせりじゃないか」
「駄目だ。そのご本尊様は渡す訳にはいかないっ!」
 黒田は突然、わざとらしい大声をあげた。
「断じて渡す訳にはいかないのだ! 私が身を挺して守る! 守って見せる!」
 なおも芝居がかった声色と身振りで譲治の前に立ち塞がる。
「弁慶の立往生だっ!」
 しかしそんな教養は譲治にはないから無反応。肩透かしを食った黒田は、なおも声を張った。
「ご本尊は、私のすべてだ!」
 仁王立ちした黒田は、なおも声を張り上げつつ、眼を見開いてちらりと右の方を見た。譲治に合図するように何度も目玉を右側に動かし、最後には右に小さく顎をしゃくった。
 その先には、小瀬がいた。譲治と黒田のやり取りを、どうしたものかと見ている。この村の助役は、助役のくせにちょろちょろと黒田の周りに密着しているのが奇妙だ。
「今、緞帳を降ろしてあるが、あの向こうはステージだ。向こうで話そう」
 黒田はここだけ小さな声で言うと、また大声になった。
「私の行く手を阻む物は断固排除するが、私の武器は、言葉だ。言葉でご本尊様を盗もうとした君を立ち直らせてやろう!」
 一瞬のスキを突いて、黒田は譲治の手から『ご本尊様』を奪い返すと、胸を張って歩き出した。
 黒田が先に立ってステージに向かうので、譲治も阿呆らしいと思いつつ、後に従った。
 緞帳の裏は、ステージとは言え常夜灯に薄暗く照らされただけの、何もない空間だった。ここは当面使わないので、作業する人間もいない。
 二人だけになった黒田は、いきなり譲治の前に土下座をして額を床に擦り付けた。
「申し訳ありません。何とぞ……もう少々のご猶予を」
 そう言いつつ、『ご本尊様』を差し出した。
「これを、担保に致しますが、今日だけはご勘弁願って……私の再起がかかっているのです」
 床にがんがんと額をぶつけて謝る黒田に、譲治は辟易した。
「おい。いい加減にしてくれ。お前ら金を借りたダメな野郎どもは、必ず借金取りを悪人に仕立てるのな。借金を踏み倒して逃げてるお前らの方がずっと悪いのにな。オレは業務を遂行してるだけなんだからな」
「殴るなり蹴るなり、なんなりと。ただ、このご本尊様は、今日の大一番のために苦心して用意したものですので」
「お前、さっきの説明会で『教祖』とか名乗ってたけど、教祖様は人を見る目がまるでねえようだな。お前がこれを発注したヤツは相当のワルだぜ。がっぽり抜かれて、これ、金メッキのハリボテだぜ」
 譲治は指先で『黄金の仏像』をかーん、と弾いた。
「そんな事は判ってますよ」
 黒田は頭を上げた。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「金メッキと言っても十四金だ。あの先生と山分けしたのさ」
「共謀して抜いたのかよ」
 さすがの譲治も呆れた。が、腑に落ちない。
「だけどおかしいじゃねえか。お前がみんなを騙すために作った小道具がそのご本尊様だろ? テメエのカネをテメエで抜いてどうするんだ?」
「私が、この仏像に自分のカネを出したとでも思いますか?」
「違うのか」
「一銭も払ってませんよ。このご本尊様製作の資金はですね、全額、ある確実な筋から出してもらったんですよ。考えてもご覧なさい」
 黒田は辺りを憚るようにこそこそと見渡した。譲治もつられて見回したが、緞帳の閉まった狭いステージしか見えない。
 黒田の得意そうな顔に、譲治は何も思いつかない。
「とにかく、今日の午後、テレビが来ます。『静かな山村を奇妙な宗教が占領して大混乱』という事件の取材です。ああ、判ってます判ってます」
 黒田は両手を出して何か言いたそうな譲治を制した。
「私は教祖の役。掻き集めた連中は信者の役。村の連中は困り果てている役。これはまあ、村を上げてのイベントのようなもので」
 おぼろげながら黒田の魂胆が読めてきたような気がする。
「もしかして、これは……」
 黒田は目を逸らした。
「こうなるに到った事情は、いずれ明らかになるでしょう。とにかく私は、ここで新しい宗教を立ち上げるのです。そしてそれが、旨くいきかけてるんです。苦節数十年、私の起業家人生で実に初めての」
「詐欺師人生だろ」
 黒田は譲治を無視して、ニセモノ確定の『黄金の仏像』を手にしてぽんぽんと叩いた。
「入魂の一作です。今まではここまで凝らなかった。何かを信じたい連中は、細かいところに拘るんです。盲目的信仰と言うのはありません。彼らなりに納得して初めて、信仰が始まるんです」
「それだけ巧妙に作った、ということか」
 譲治は黒田の手から『黄金の仏像』を取ると、何度も放り投げては受けとめた。
「ハリボテの金メッキにしちゃ、重過ぎないか」
「だから。スカスカに軽いからハリボテだとバレるんでしょ。中の空洞にコンクリートを詰めたんです。メッキも十四金だけど分厚くコーティングしたし、高級感を出すのに苦心しました」
 テレビショッピングのような口調になっていた。
「とは言いますが、あながち私もニセモノというか偽りの教祖と言う訳でもないのです。東京でやっていた『ギャンブル依存症心療カウンセラー』で」
「ああ、倒産同然で事務所も家賃が払えず夜逃げしたんだよな」
「話の腰を折らない」
 黒田はむっとした。
「たしかにお客が集まらなくてペイしなかったけれど、私の治療で治った人もいるんです」
「ギャンブル依存をお前が治したって? そりゃ下手な鉄砲も数打ちゃ当たるだろうし、イワシの頭も信心からとか言うし。詐欺師のたわ言を信じ込むバカだって中にはいるだろうよ」
「あんた、ヤクザ関係にしては妙にジジ臭い言葉知ってるね。お婆ちゃん子だったとか?」
 黒田は譲治の目を正面から見据えて言った。
「論より証拠だ。ギャンブルが治った本人がこの村に来てる。逢わせてあげよう。そうすれば私への認識が少しは変わるだろう」
 誰かここへ、と、殿様が人を呼ぶ真似をしたが、当然ながら誰も出てこない。黒田は仕方なく自分で控え室までその人物を呼びに行った。
 程なく黒田に連れられてやって来た女は、譲治を見て叫んだ。
「何でアンタがここにっ!」
 その声は、珠子だった。
「教祖様、コイツはヤクザですよっ! や・く・ざ」
 譲治を見た瞬間、珠子は言うが早いか、とっとと逃げ出そうとした。
 だが黒田は珠子の腕を掴んで、穏やかに諭した。
「いけませんね、珠子さん。人を外見でヤクザだなどと決めつけるのは。この方は確かにパンチパーマだし、ダブルのピンストライプのスーツも着ているし、頬にキズもあるし目つきも悪いし、小指もなさそうだけど」
「いい加減なこと言うなよオイ。指は全部揃ってる」
 ほら、と譲治は両手をひらひらさせて見せたが、黒田は涼しい顔で珠子に命じた。
「この方は私があなたにしてあげたセラピーを誤解されているようだ。珠子さん、今ここであなたに出来ることをして、何とかご理解をいただけるように努力してみなさい」
 そう言われた珠子だが、「はぁ?」と首を傾げたままきょとんとしている。
「だからだなあ、君が今ここで出来る事と言えば限られてくるだろう? その、いわゆる奉仕をしておあげなさいって言うの」
「たとえば?」
「まったく『指示待ち世代』はこれだから。私が言うのは、物事に対して素直になりなさい、という事だ。この状況で、今、君が、この人にしてあげられる事は何か。何をすれば喜んでもらえるか、考えてごらん」
 考えていた珠子は、譲治を見て黒田を見て、顔をしかめると、もう一度黒田を見た。
 その黒田は小さく頷くと、譲治に向かって顎をしゃくった。
 はあ、と溜め息をついた珠子は、譲治の前にひざまずくと、いきなりスーツのズボンのファスナーをおろしにかかった。
「言っとくけど、これは教祖様が言うからやるんだからね」
 そう言いつつ、イヤイヤながらという表情も露骨に彼のズボンの中に手を突っ込んでペニスをまさぐるので、譲治は思わず珠子に蹴りを入れてしまった。
「おい黒田、一体何をさせるんだキサマ」
「いや、ですからここでアナタにご奉仕して、私たちにご理解をいただこうと」
 黒田は慌てて弁解した。
「喜んでいただけると思ったんですが」
「珠子のカラダは東京でもう味見済みだ。黒田、てめえよくまあこれだけ手なずけたもんだよな、往生際の悪い、この女をよ」
 ケリを入れられ数メートル先で仰向けにひっくり返っていた珠子が抗議した。
「手なずけたとか騙したとか、そんなんじゃないのよ。あたしは教祖様によって生まれ変わったんだから。まっさらの、新しい、まったく別の人間になったの! あたし以外にも、教祖様に救われたヒトはたくさんいるのよ。みんなここに来てるから。呼んでこようか?」
 黒田が東京で主催していた心療サークルの会員もこの村に移っていて、そのメンバーは黒田を本気で尊敬しているらしい。
「僅か一日かそこらで治ったとかなんとか、よく言うぜ。つまりは貢ぐ先がパチンコのCR機から教祖さまに変わっただけの事じゃねえか。それより」
 譲治はズボンのファスナーをあげながら黒田に向き直った。
「おい。珠子をテメエの借金のカタの貢ぎ物にしようってんなら、こっちにも希望がある。あの幸枝。幸枝を差し出せ。よく見ると結構美人だしな。あの要領の悪そうな間の悪いドジでバカで機転の利かなさそうなところが、何ともそそるんだ」
「幸枝か……うーん、それは。困ったな」
 黒田が彼女を『幸枝』と呼び捨てにした事に、譲治は引っ掛かった。
「新宿西口のバス乗場でお前、あの女を叱りとばしてたじゃねえか。あれもお前の手駒なんだろ?」
「いや……彼女は」
 珠子の手前なのか、黒田は手を振ってはっきり否定しようとした時、何者かが薄暗闇のなか、足音も荒く近寄ってきた。
「さっきから黙って聞いてれば、あんた、ひどいでねえか。幸枝ちゃんを、まるでモノか何かみてえに。おら、絶対に許せねえぞ!」
「なんだお前は?」
 譲治は身構えた。速攻で戦闘モードになるのは彼の習性だ。
「おらは、幸枝の幼なじみの植草公平っつー者だ。怪しい者でねえ。この村で農業に従事してるだよ」
 大柄な若者の姿が常夜灯に浮かび上がった。都会ではあまり見かけないゴツイ顔にがっしりした体躯の公平は、通販で買ったとおぼしいフィッシャーマン・セーターを着た胸を反らした。
「幸枝ちゃんは心のきれいなコだ。トロくて村の小学校ではよくいじめられてたけども。おらもいじめたことはあるけど、それは幸枝ちゃんが好きだったからだ。ほかの男どももそうだったと思う。彼女、東京さ行って、見違えるほど綺麗になって、垢抜けて戻ってきたじゃねえか」
 この公平という男は、どうやら幸枝に惚れているらしい。
「はぁん? この村じゃあ、あのダサい女でも『垢抜けてる』ことになるのかよ。ひでえ山の中に来ちまったもんだよな、おい」
 アバタもエクボかよと譲治がせせら笑うと、公平は物凄い形相で彼の胸ぐらを掴んだ。
「馬鹿にするでねえっ。とにかく幸枝ちゃんは、外見がどんなにシティガールになっても、心は純でケガレを知らない、昔のままの幸枝ちゃんのはずだ。そのへんの商売女みたいに取り持てだの何だの、失礼なことを言うでねえ!」
 だが譲治がちょっと肩を揺すっただけで公平ははじき飛ばされた。だがなおも言い返す。
「幸枝ちゃんは、この村のシュッセガシラなんだからなっ!」
 お前その幸枝が東京で何してたか知ってるかと説明しかけて、譲治はやめた。幸枝にぞっこんで、ほとんど崇拝しているらしいこの青年に言ってきかせてもムダだろう。
「東京で一旗揚げて返ってきたのを『出世頭』というの、間違ってるか? 間違ってねえべ? なら、幸枝ちゃんは間違いなくその『出世頭』だべ?」
 これには譲治だけでなく黒田も即答できないようで、うーんと唸った。
「その出世頭だから、村も幸枝ちゃんを重んじるんだろ? 幸枝ちゃんがエグゼテブだから、村長さんも幸枝ちゃんの言うことを聞くんでねえべか」
 公平は思いがけない事を言い出した。
「なんだそれ。あの女はこの村ではそんなにエライわけなのか?」
 譲治が黒田を見ると、一連の張本人たる黒田は肩をすくめ誤魔化すようによそ見をしている。
「この辰州村は今、存亡の危機に立たされてるだよ。その村の危機を救うために、大きな事業が始まるだよ。そこにいる黒田さんとか幸枝ちゃんは、その大きな事業のブレーンと言うか知恵袋というか、とにかく大事な切り札なんだべさ」
「なにさ。幸枝幸枝ってさっきから……」
 珠子が小さな声を漏らした。不満そうに口を尖らせている。
 そりゃそうだろう。この女にしてみれば、あの鈍そうな幸枝に金を貸したばかりに、オレにヤラれこんな山奥までやって来るハメになったようなものなんだから。
 譲治の顔に薄笑いが浮かんでいるのを見た公平は、瞬間湯沸かし器のように熱くなった。
「信じねえだなっ! ならば、幸枝ちゃん本人の口から聞いて見ればいい。さ、行こう!」
 公平は譲治の腕を掴んで引っ張った。
 何となくその剣幕に押されて、譲治はついて行った。
 コンベションセンターを出て崖に刻まれた階段を上がると、幸枝は役場前の広場に、村の幹部たちと一緒に立っていた。
「幸枝ちゃん! この都会から来たヤクザもんに言ってやるだ! おめえは」
 幸枝は譲治の腕を掴んだ公平になにか言いかけたが、ちょうどその時、またもバスが到着した。 大型バスからは、今度はぞろぞろと若い男たちがおりてきた。思い思いに巨大なスポーツバッグやスーツケースを持っているが、なぜかみんな派手なスーツに茶パツ・金髪・銀髪、人工的な日焼け顔。しかも、一様に公平や譲治とは全く対照的な、いわゆるイケメン風の男ばかりだ。
「な、幸枝ちゃん。この東京から来たバカに……」
 だが懸命に話し掛ける公平の声は完全に無視された。公平など眼中にない、という風情で幸枝は、バスから降りてきた一人に駆け寄った。
「達也さん! 来てくれたの? 信じられない」
 その男は、幸枝が惚れて頼って逃げられたホスト、館山達也その人だった。思わず駆け寄って彼の胸に飛び込もうとした幸枝のうれしそうな顔がはっと曇った。
「あ……あの。達也さんが忘れて行ったクレジットカード、あたし勝手に使ってしまって。でも、必ずその分のお金は」
「いいんだよ。あんなカード、どうせ失効するし」
 達也は白い歯を見せて、いいよいいよと手を振った。
「踏み倒す借金がちょっと増えるだけの話さ。幸枝ちゃんからこの村のこと、聞いといてよかったよ。もしかして、と思ってメモにあった番号に電話してみたら、夜逃げの足を用意してくれるっていうじゃない? それも何人でも、頭数は多ければ多いほどいいっていうから、渡りに舟だったわけ」
 達也にも事情がありそうだった。
「いやあ、話せば長くなるんだけど、店のナンバーツーが独立して始めたホストクラブが大コケしてね。俺もそこに移ったんだけど、オーナーが闇金に手を出して、店のホストを片っ端から保証人にしまくって。今や全員ヤクザに追われる身なんだよ」
 達也は振り返り、バスから降りて来た面々をずらりと指し示すようなアクションをしてみせた。よく見ると全員、ホストスーツに身を包んで一応それらしい外見はしているが、どことなく表情に締まりがなく、いかにも取ってつけたようで全然サマになっていない。
「オーナーに人望がなくてね。客を持ってるホストを揃えられなかったんだ。歌舞伎町で道ゆく兄ちゃんに声かけて、ホストやってみませんか、って掻き集めたんだよ。学生やシロウトばかり集めても、そんな店、うまく行くわけないんだよなあ。まあこいつらも、あっさり騙されて借金背負わされて、ホストになっていいことは何もなかったね。しばらくこの村にお世話になるよ。食べるものと寝るところは保証してもらえるんだよね?」
「ええ、それはもちろん。お金はあまり出せないけど、この村、風光明媚でいいところよ」
 幸枝の輝くような笑顔を見れば、この男に惚れていることはまる判りだ。
「どうぞどうぞ。コンヴェンションセンターに入って。お茶とお菓子をお出ししますから。お友達の皆さんもどうぞ」
 いそいそと達也を接待する幸枝を、譲治と公平は離れたところから眺め、互いに顔を見合せた。
「イケメンのようでよく見るとイケメンでない、さりとてカタギでもない。実に中途半端な連中だな」
「ンな雑魚はどうでもエエ。それより誰だべさ? あのいかにも信用ならねえ都会の色男は。幸枝ちゃん、絶対騙されてるだ」
「しかしアレはマジで喜んでるぜ。都会で負け犬になったのは自分だけじゃない、同類が来てくれたと言う喜びだけじゃねえよな、あれは」
 譲治の言った事は、公平の頭上を通り過ぎた。幸枝が東京で成功したと信じ込んでいるのだから仕方がない。だからこそ、いかにも怪しい都会のスケコマシ系色男が、公平の脳内では村の重鎮・村の頭脳・村のVIPたる幸枝と馴れ馴れしく話しているのが気に入らない。
「じゃ、私、防災無線でイベントのアナウンスをしなくちゃならないから。達也さん、どうぞごゆっくり」
 幸枝は残り惜しげに立ち去った。公平には全く目もくれなかった。
「このままにはしておけねえ!」
 怒り心頭の公平は、譲治が止める間もなく階段を降りる達也に武者ぶりついた。
「幸枝ちゃんを騙すな!」
 だが背中に組み付かれた達也は、すかさず背負い投げして公平を階段の下に飛ばしてしまった。
「君、何言ってるの? というか、君は、ナニ?」
 達也は、馬鹿にしたような目つきで公平を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。
「何か誤解があるようだけど、僕は女の子を騙してなんかいない。夢をあげているだけさ」
 立ち上がった公平は、痛みを堪えて力の限りに叫んだ。
「夢だのカスミだの食って生きられるわけがねえ! おらは幸枝ちゃんに一生の愛と生活を」
「あのねえ。そんなものをイマドキの女の子は別に求めてないの。食べるに困る時代じゃないんだから。生活ったって、都会では女の子のほうがよっぽど稼いでいるんだよ。ま、稼ぐにはそれなりに思い切りが必要だけどね」
 幸枝が都会でいかがわしいことをしていた、と言わんばかりのほのめかしに、公平の顔を不安がよぎり、次いで怒りの表情が戻ってきた。
「幸枝ちゃんは多忙でエグゼクテブな東京の生活に疲れてこの村さ戻ってきただ。それもこれも、みぃんなあんだみてえな出来の悪い都会の人間の暮らしを良くするために頑張ってきたせいではないか。幸枝ちゃんのように心のキレイな女の子は、おらのような人間と村で守ってやらねば」
 コンヴェンションセンターから出て来た珠子がその様子を見ていたが、公平の熱い語りに「ふん」と冷笑をあびせて立ち去った。
「お前なあ、いい加減にしろよ」
 譲治は呆れて割って入った。いくらなんでも公平の思い込みは激し過ぎる。幸枝に恋するあまり、極端に美化し過ぎている。公平の中では幸枝はまるでジャンヌ・ダルクというか、判り易いたとえで言えば「けっこう仮面」のようではないか。
「黙っていようと思ったがあの幸枝って女は」
「……無垢な天使ってわけじゃない。そうでしょう?」
 譲治の言葉を達也が引き取った。
「彼女、ぼくをホテルに誘って」
 譲治と公平は思わず異口同音に達也に詰め寄っていた。
「何言うだ!」「何だと、てめぇこの、人の女に手ぇ出しやがって」
 譲治の脳内では、幸枝はすでに「俺の女」になっているようだ。

 三人が揉めているそのころ。黒田は村役場に陣取って、文書課の職員をこき使っていた。
「文書課長! この文面はないでしょう! アナタは神社仏閣に行った事はないのか? 教会に行ったこともないのか? 仏典や聖書を読んだ事がないのか?」
 呼びつけられた文書課長はむっとして、脇にいる三上村長を睨んだ。
「村長! 私はどうしてこういう事を言われなければならないんですか? 私は文書課長ですが、書く物は村の条例とかいろんな規則とか村長のご挨拶とかの行政文書であって、こんなインチキ宗教の聖典なんか、ちゃんちゃらおかしくて書けますかってんだ!」
 赤が一杯入った書類を机に叩きつけて、文書課長は怒鳴った。
「村長。だいたい、こんなことを村の職員がどうしてやらなきゃならないんです? おかしいじゃないですか。一宗教に自治体が関わるのは、憲法違反ですぞ」
「まーまーまー」
 語気鋭く食ってかかる文書課長を、三村村長は引き攣った笑顔で宥めた。
「村は全然、関わってませんよぉ」
 明るく言いながら、村長は課長に、村長室に来い、と目で合図した。
 村長室に入るなり、三上村長は、がばとひれ伏して文書課長に土下座した。
「頼むから、ここは堪え難きを耐えて、忍んでくれ。この通りだ! あの男に協力してやってくれ」
「村長……頭を上げてください。そんな事をされても困ります。私は別に村長に対してどうこう言うつもりは」
 部下は慌てて村長を立たせようとした。
「判ってくれ。君も判ってるだろう。私としても、これは、苦渋の決断なんだ。決しておふざけでも余興でもない。とにかく、村のためだと思って力を貸してくれ」
 村長はなおも頭を下げ続けた。
「しかし……これ、外部に知れたら、大変な事になりますよ。私、それで共犯とか言われて捕まるの嫌だなあ」
「キサマ」
 ずっと頭を下げていた三上村長は、瞬時に激高して課長の胸ぐらを掴んだ。
「わしがここまで頭を下げて頼んでいるのが判らんのか!  そんなに情のないヤツだったのか」
 三上村長の顔には苦悩が浮かんでいる。
「ここは一つ、わしに免じて折れてくれ。もうすぐテレビ局がくるんだ。いいか、今日は勝負の日なんだよ。黒田にとってではない。この村にとってのだ」
 そう言った三上の目には、東京から来た連中にへらへらしている好々爺ではない、小さな村とはいえ一応政治家の、強い光が宿っていた。

 村の広場では、依然として譲治と公平と達也が揉めていた。痴話喧嘩だから果てる事がない。
 そこへ、一台の4WD車が入ってきた。ボディには「山里テレビ」というロゴが描かれている。
「わっ。テレビだ!」
 目ざとく見つけたのは、小瀬だった。
 この村の助役である小瀬は慌てて村役場に飛び込んだ。
 4WDからは、ハンディカメラを担いだカメラマンと三脚を持った助手、マイクを持つ音声さん、そして台本をまるめて持っている男が降りてきた。長髪気味の頭にレイバンのサングラス。咥えたばこにやたらポケットの多いサファリジャケットを着た、痩せぎすな中年男だ。
 役場から飛んできた黒田は、台本をまるめて持つ男にぺこぺこ頭を下げて、両手を握り締めた。
「相浜ディレクター!」
 ディレクターと呼ばれた男は、ニヤリと嗤った。
「やあ、黒さん」
 黒田とは旧知の間柄のようだ。
「相浜さん。ようこそいらしてくださいました。いやあもう、助かりました」
 黒田は他のスタッフにも握手してこれ以上下げられないほど頭を下げまくった。
 旧知と言うより、黒田が拝み倒して来てもらった、という感じだ。
「で、相浜さん。これ」
 黒田がディレクターにぶ厚い封筒を手渡すのを譲治は見た。
「あれはカネだな」
 譲治はそう確信した。黒田のやつは借金も返さずマスコミを買収したのだ。
 ひと言言ってやろう。いや、あのカネを奪ってこっちの借金返済に回してやろうと譲治が黒田に近付こうとした時、広場にある防災無線のスピーカーから、のどかなチャイムが響いた。
「みなさま」
 流れてきたのは幸枝の声だった。
「みなさま。まもなくコンヴェンションセンターにて、『おむかえの儀式』が始まります。信者のみなさま、どうぞコンヴェンションセンター大ホールにお集まりください。ご見学と取材のみなさまもどうぞ」
 黒田はそれを聞き、近づいてくる譲治の耳に慌ただしく囁いた。
「すまん。ちょっとこれから色々あってな。その件はまた後で。今詳しくは説明できないが、今手掛けてるこのプロジェクトが成功すれば、いずれカネはいくらでも入ってくる。そうなりゃおたくの借金くらい一気にドーンと。いや、私だってこの村から逃げようがないってこと、判るだろう? 私はもう逃げないから」
 譲治の顔に不信の二文字が浮かんだのを見て、教祖は慌てて付け加えた。
「そうだ。あんたも一口乗らないか? うまい儲け話なんだ。確実なバックもついてる。絶対、損はさせない」
「バックってなんだ? 村長だまくらかしてエセ宗教に嵌めたのか?」
「いいや。そうじゃない。そうじゃないし、今は言えない」
 黒田は首を横に振り、じゃあ、と言い残して階段を降りて行った。
 譲治はその後ろ姿を見ながら、もう少し様子を見ることにした。たしかに、これほどの仕掛けをした以上、黒田が村から簡単に逃げ出すとは思えない。

                     *

「せーの!」
 どんどこどんどこという大太鼓の原始のリズムに合わせて、大勢の若者が体をくねらせている。男は上半身裸、女はTシャツとショートパンツのようなものを着用しているが、その中には珠子も交じって汗をかいている。
 その後ろでは、中高年の男達が両手を上げてウオーと叫んだ。
 広い大ホールの半分が、このバリ島のケチャもどきというか芸能山城組の下手な真似と言うか往年の植木等のハッスル踊りと七十年代のサイケなゴーゴーダンスのようなものを見せる連中に占められている。
 ホールの壁にへばりつくように村人がおそるおそる覗いている。腕組みして渋面をつくり、苦々しさのきわみ、という表情で眺めているのは都会から来たスローライフ愛好家の連中だ。
「おいおい取材って、あれだけかよ?」
 譲治は、同じく場内の様子を見ている小瀬に聞いた。
「残念ながら。NHKと民放キー局に知らせたんだけど。週刊誌や新聞にも教えたんだけどなあ」
 三脚を据えて、このヘタな学芸会のようなものを撮っているのは先程の『山里テレビ』の相浜たちだけだ。その横にデジカメを構えた記者風の若い女が二人。ポケットに手を入れたまま憮然とした表情で見ている正体不明のインテリ風中年男が一人。
「あれは、山を降りた町にあるケーブルテレビで、きっと地元の話題みたいな感じで流すんだろうなあ」
 村の助役としてアテが外れたのか、小瀬は無念そうに言った。
「他のも近在のタウン誌と廃刊寸前のローカル新聞と……あと一人は判りません」
「いったいこれは何なんだ? この村の祭りなのか? それとも」
 譲治に聞かれた小瀬は、ぎくりとした様子だ。
「それとも? いやいや、村は一切関係してませんよ。これは黒田ナニガシが始めた新興宗教」
「じゃあどうして村の施設を貸してる? 職員が協力してるのはなぜだ?」
 小瀬が弁明しようと口をあけた時、祭壇の背後で締まったままだったステージの緞帳がさっと上がり、スポットライトが舞台上を照らし出した。
 そこには巨乳女が二人いた。襟ぐりが深く取ってあるヘソまでの服を着ている。下は見えそうで見えない超ミニスカート。
 どこかで見たことある、と思ったら、それもそのはず、さっき大ホールで一緒に説明を聞いていたAV女優の西田ヒカル子と日高まるみではないか。
 魅惑的な肢体を見せ付けるような衣裳で、彼女たちは躰をくねらせて踊ッた。時折り足をはね上げると、超ミニが捲れ上がって、何やら黒い物が見えたような見えないような……。
「おお」
 と思わず声をあげてステージを食い入るように凝視した小瀬だが、やがて、首を捻って観るのをやめた。それは譲治も同じだった。
 観ている客たちも全く同様で、もっと正直にゾロゾロと帰り出した。
 山里テレビは仕方なくビデオを回しているが、カメラマンはファインダーすら見ていない。ディレクターの相浜は『儀式』の最中だと言うのに携帯電話を使い、通話を終えたと思ったら手早く撤収して、さっさと帰ってしまった。カネを貰ったにもかかわらず。
 デジカメで写真撮影をしていた若い記者も、一人がバッグを持って会場を出て行った。もう一人はカメラを仕舞って座り込んだと思ったら、壁にもたれて居眠りを始めた。
 正体不明の中年男だけが仏頂面のまま、全く気のない表情で見続けている。
 ステージ上のAV女優二人は、フロアに降りてきて『信者』の一群の前でヘタな踊りを続けたが、冷ややかな雰囲気を強く感じたのか、お互い目を合わせて頷くと、そのままホールから出て行ってしまった。
「……ダメだこりゃ」
 譲治も彼女達の後についてホールを出た。
 ロビーでは、『儀式』の途中で出てきたヒカル子とまるみを、黒田が両手を広げて止めていた。
「ダメだよ! Uターンして戻ってよ!」
 しかし二人のAV女優は口を尖らして文句を言った。
「だって私たち、こういうの専門じゃないもん。人前で踊るなんて、やったことないもん。私たち、女優よ」
「だけどAVだろ! 約束では踊りながら脱いでもらうことになってたのに」
「誰が! そういうのはストリッパーのする事でしょ! だ、か、ら。私たちは女優なの」
 彼女達も怒り始めた。
 その脇では、幸枝がマネージャーを必死に引き止めている。マネージャーは「話が違う」と主張しているようだが、幸枝にはまるで言い返す材料がないらしく、にこにこ笑うしかないようだ。
 開けっ放しのドアからは、ダレダレの『儀式』の様子が見えた。太鼓だけはどんどこと腹に響く音を立てているが、これも時間が経過するうちにリズムが乱れ、音も弱くなってきた。
 素人集団の『信者』たちも疲れてきたのか、一人二人と床に座り込み始めた。後ろに並ぶ中高年チームに至っては両手を上げて叫ぶ演技もやめて、ただ立ち尽くしている。もともと覇気のない男達だから、のそーっと立ってるだけの図は、文字通り「途方に暮れた失業者」でしかない。
「おい黒田。これは何だ? 村の新しい祭りか? それともエロを売り物にする新興宗教か?」
 譲治は思わず黒田を怒鳴りつけていた。
「まったく中途半端にも程があるだろうが! せっかくAV女優を使っておきながら裸を全然見せないのはどういうことだ!」
 彼は返す刀で女優二人にも凄んだ。
「それとお前ら。そもそも巨乳がウリのお前らが生チチ見せないのはどういうことだっつーの! イヤらしいアエギ声とイキ顔で売ってるお前らが、無表情な能面ヅラでダンスって、何だそれ?」
 端くれとはいえプロのヤクザの迫力に一同は恐怖で金縛りになった。
「だいたい今の世の中、何のウリもない中途半端なモノが一番ダメなんだ。儀式だか学芸会だか知らないが、値段がハンパに高いくせに美味くも不味くもない平凡なラーメン屋と同じだ。そんなものは真っ先に淘汰される運命にあるのだ。判ったか! お前らは本当に商売ってモノを知らねえ」
 譲治は一同を眼光鋭く睨め回しながら、吼えた。
「おい黒田。お前が言った、『間違いのない金儲け』ってこれかよ、え? こんな事でどうやって儲けようって魂胆だったんだ? まずそれが聞きてえな。あれだけミエ切ってエラソウに言ったんだから、さぞやキッチリした計算があったんだろうな。ええ? こんな素人の老人ホーム慰問に毛の生えたみたいなことやって、どうやって儲けるつもりだったんだ? こんな深夜番組の売れない芸人のコント以下のことしてヨ」
「いやいや、これでもちろん信者を獲得出来るとは思っておりませんよ。宗教だって、そんなに簡単にやれるとは思っておりませんから」
 黒田は、AV女優の手前、威厳を崩さず譲治に相対そうとした。
「じゃあ、どうするんだ? 信者も集まらないのに、こんなクソイベントやる意味、あんのかよ? チチがデカイだけが存在理由の女にチチも出させねえで」
「ですから、その……山奥で妙な宗教が騒ぎになってるとマスコミに騒いでもらって」
 ははあ、なるほど、と譲治は万事心得た、と言う顔になり不気味に笑った。
「なるほど。マスコミでこの宗教を知ったヤツの中には大馬鹿者の含有量も多かろうと。おれは決めた。決めたぜ、黒田さんよ」
 譲治は黒田の手をとった。
「判っていただけましたか! 今なら数口乗って戴く余地も」
「オレは決めたんだよ。今すぐお前を連れて東京の事務所に戻る。あんたはジイサンだから山奥の建設現場やマグロ漁船に叩き売るってわけにもいかねえ。かえって苦情がでらあ。腎臓片方抜くか、それとも生命保険目一杯かけて東京湾に」
 それを聞いた黒田の咽から、ひ〜という高い声が出た。
「待ってくださいっ。お願いします」
 黒田はがば、と譲治の足元にひれ伏して、そこからじわじわと身を起こして譲治の足に取り縋った。
「やり方さえ間違えなければ、この事業は、絶対儲かるのですっ」
「やり方か。あのやり方を指してるのか?」
 譲治は大ホールの中を顎で示した。誰もストップを命じないので太鼓は乱れ打ち状態、素人ダンサーズの踊りは半分以上が落伍、中高年チームも立っているのにすら疲れて全員が座り込み、横たわって寝込むヤツまでいる。
「もう誰も観ていないから止めてきてくれ」
 黒田の声に、幸枝が走った。やがて、全員がぞろぞろと自分の控え室に戻って行った。
「ちょっといいですか」
 儀式が終わるまで我慢強く観ていたインテリ風の中年男が、黒田たちのところにやって来た。
「私、ニュースキャスターの久留間徹也と申しますが」
 テレビで見覚えのある顔に、全員が緊張した。部外者なはずの譲治までが思わずドキドキした。
「これは、いわゆる、町おこしのイベントですか? それとも村に伝わる古代の儀式を復活させた、文化財的歴史的価値のある試みだとか」
「いえそれは私の口からは」
 黒田は逃げようとした。だが久留間は食い下がる。
「さきほど村長さんに伺ったら、これは村は一切関与していない事だと言い張られて。ならばどうして村営の施設をこんなに好き放題に使っているのかと。そうしたら、村長は、悪質な新興宗教に騙されて村の施設を占領されているのだと。あなた方は、違法スレスレの予約をしてこの施設を利用しているんですってね」
 『あなた方』と言われた途端、黒田の側からすうっと全員が離れていった。
「俺は関係ねえからな。アレを観て、あんまりヒドいんで文句を言ってるだけだ」
 譲治が逃げた。
「私は、村を代表して早く出て行ってくれと申し入れを」
 と、小瀬助役。
「私たちはぁ、なんか、騙されて、訳の判らないモノに出さされてぇ」
 とヒカル子とまるみ。
「その通りです。我々は騙されたんです」
 と彼女たちのマネージャー。
「ほぉ。すると、この村は、奇妙な新興宗教に占領されていると言う訳ですか」
「そうです!」
 と、『占領』している側の黒田が何故が率先して肯定した。
「どうしてこの村を選んで、この村を占領してるんですか」
「ええ、それは」
 黒田は縋るような目を小瀬に向けたが、小瀬は知らん顔をしてあらぬ方を向いた。
「……この村が、霊的なスポットだからです!」
 黒田は言い切った。咄嗟の思いつきであることが見え見えの口調だ。
 久留間というニュースキャスターは絶句した。ゴールデンのニュース番組としては、さすがにこういう電波オカルトな言い草はトピックに出来ないだろうな、と譲治も思った。
「……そうですか。貴重なご意見有り難うございました。まあこの状態でしたら村の生活に特に支障もなく、宗教と村人は共存している訳で、特にネタになるようでもありませんので、私もこの辺で」
 久留間は取ってつけたように挨拶すると、帰ろうとした。
「え。ここまで聞いたのに取り上げてくれないんですか!」
 黒田と小瀬が同時に声をあげた。
「ニュース番組の本性が見えましたよ。テレビは具体的な犠牲が出ないと記事にしないんですね。ストーカー事件で誰かが死なないと動かない警察と同じだ!」
 久留間の背中に黒田が言葉をぶつけた。
「あんた、相手が背を向けると急に強気になるのな」
 譲治に言われて黒田は言い訳した。
「まあ、とにかく、宗教はカネになります。間違いありません。資金は無尽蔵です。なんせバックには村の地方交付税交付金が」
 そこまで言った時、小瀬がいきなりぶつかってきた。
「あ、失礼。ちょっと立ちくらみしてしまって」
 明らかにわざとぶつかった小瀬は苦笑して見せたが、その目は笑っていない。
 黒田もはっとしたように話題を変えた。
「とにかく、悪い話じゃないですよ。どうです。一緒にやりましょう。アナタの力を貸してください。ヤクザのパシリより宗教の方が儲かると思いませんか?」
 少し心を動かされたような譲治の様子を、黒田は見逃さなかった。
「幸枝君。向かいの迎賓館は開いてるかな? こちらに何かご馳走を」
 言うまでもなく、迎賓館とは村に一軒しかない食堂の事だ。
「開いてなかったら開けさせてくれ。とにかくここでは話が、ね」
 場所を変えた黒田と譲治、幸枝は食堂に入った。黒田の監視役のように、小瀬もついてきた。
「おい黒田。あんたは色々やって来たが成功したためしが無えよな。全部赤字でそれがそのまま借金になっている。どんな詐欺師でもタマには当てるもんだがな。そうだよな、黒田?」
 譲治はどんどん酒を飲まされて、すっかり出来上がってしまった。
「はっきり言ってやろう。お前が失敗ばかりしてるのは顧客のニーズを読み違えてるからだ」
「はい。おっしゃる通りです」
 黒田は、とにかく譲治をなだめようと御高説拝聴の姿勢に徹している。
「どんな詐欺だって、騙される側にも心の琴線に引っ掛かる何かがあるから騙されるんだろ? しかし、今日のアレはダメだ。ヘタクソな出来損ない踊りを見せたからって、何も起きる訳ないだろうが?」
 黒田たちはただ頷いて聞いている。
「裸踊りを見せるにしてもだ。お前は演出と言うものを知らない。あんな下手っぴな踊りでも、夜、しんしんと寒くて静寂が迫る中、巨大な焚き火に黄金の御本尊が照らされて、半裸の女が躰をくねらせたらどうだよ? ずっと神秘的だろうが。太鼓の音も映えるぜ。焚き火だから女の曲線美も強調されるしな」
 黒田はただハイハイと聞いている振りだけだが、小瀬が居ずまいを正してキチンと聞き始めた。
「だから、今度から『儀式』は深夜、外でやるんだな。太鼓もたくさん揃えて一斉に叩いた方が腹に応えるだろ」
 ポーズでハイハイ言っているだけの黒田を小瀬が小突いた。
「あんた、キチンと聞けよ。マジに凄く参考になるぞ」
 小瀬の目に真剣なものがあるので、黒田も座り直して背を伸ばし、譲治の言う事をメモし始めた。
「『セックス教団』で売るつもりなら、あんたらの遣り方はまだまだぬるいぜ。まず、正真正銘のハダカを出せ。次にはそのものズバリのファックくらい見せないと話題にもならねえ」
 傍で顔をしかめる幸枝に譲治は枝豆を指で弾いてぶつけた。
「お前にやれって言ってないだろ。今日のネエちゃんにギャラ弾んでやらせるんだな。もしくは本番ストリッパーを呼んでこい。有名なのはダメだ。雇ったのがすぐバレる。有望新人がいいな。なんなら、あの珠子でもいいぞ。で、この儀式を仕切る演出家も必要だ。お前らド素人じゃ盛り上げるのは不可能だ」
「じゃあ、誰が?」
 黒田ではなく、小瀬が尋ねた。この男は妙に本気になっている。
「プロだな。プロ。舞台とかイベントの演出が出来るヤツがいいが、エロも判ってないとダメだ。そういや名人肌の演出家がいたな。本番まな板ショーを芸術に高めたといわれた男だ。カネに困ってアダルトビデオ撮ってたはずだが……それでも凝り過ぎて大赤字を出して逃げてるはずだ。ウチの闇金からも金引っ張ってるぜ。案外この村にいたりしてな」
「ちなみに、その人の名前はなんですか」
 小瀬が訊いた。
「ええと、蜷川明とか言ったっけ」
 小瀬は、譲治のその答えにピンと来たらしく、すぐさま食堂から出て行った。
「それとな、この宗教の信者の中の、若いキレイどころを裸にしてヌードカレンダーを作るんだ。いいか、プロじゃダメだぞ。初ヌードの初々しい素人だからいいんだ。教祖様のためにこんな恥ずかしいポーズもとってみました、てな犠牲的精神がそのヌードに漂えば、これ、いけるぞ」
 黒田はまたぼんやりしているが、今度は幸枝がメモを取っている。
「でな」
 譲治は、がぶりとコップ酒を飲んで話し続けた。彼の経験とエロな想像力が刺激されて、止まらなくなっている。
「今どきエロで珍奇なパフォーマンスをするからといって取材は来ない。ンなの、別に珍しくも何ともないんだ。田舎に妙な宗教が居座って迷惑な存在になってる、てのも、先例がいくつもあるから今更珍しくもない」
「じゃあ、どうすれば……」
 黒田が悲痛な声を上げた。
「だから!」
 そんな事も判らないのか、と譲治は苛立ちの声をあげた。いつの間にか借金を取り立てに来た立場も忘れ、自ら思うところを熱心に語ってしまっている。
「みんなが可愛いと思うものを餌食にするんだよ。善良な連中の神経を逆なでしてやれば衆目を惹く。ドブネズミが千匹殺されても誰もなんとも思わないけど、愛くるしい猫が一匹虐殺されただけでみんな怒り狂う。ふてぶてしいオバハンがレイプされてもスルーされるが、十五歳の清純な乙女が処女を奪われ輪姦までされたらどうだ? 犯人は怒り狂った連中に血祭りにされても文句は言えない。そんなもんだ。判るだろ?」
 そう言われて、黒田は首を傾げた。本当に判らないらしい。
「だからよ、中年のオバハンが妙な宗教にハマっても誰も関心を持たないが、その同じ宗教の連中が東京の川に現れた可愛いアザラシを捕まえようとした途端、世論の袋叩きに遭っただろ? それと同じことだよ」
「私、判る」
 と幸枝が手を上げた。
「あのね、私、思ったんだけど、東京で掻き集めたフリーターの女の子の中から、一番ケナゲでいたいけなくて可愛い子を探せばいいんじゃない? その子に『私は危ない宗教に拉致されてこんな山奥まで連れてこられました』みたいに言わせるとか、それっぽい演出をするとかすれば」
「それ、あくど過ぎないか?」
 黒田が抵抗感を示した。
「お前が言うかお前が」
 譲治が呆れた。
「あくどくなきゃ詐欺じゃないだろ? 詐欺じゃなきゃ儲からないだろ? とにかく、宗教のアガリで儲けるなら、マスコミで宣伝してもらわなきゃ、な」
「問題は、今この村に来てる女の子が、いまいちみんなイケてないってこと」
 幸枝が懸念を示した。
「いくら若いって言っても、あれじゃあねえ」
 自分はスタッフ側だと信じて言いたい放題言っている幸枝に、譲治は熱い視線を送った。
「じゃあ、お前やるか? 少女と言うにはトシ食ってるけど、お前はデート商法で芝居は一応できるんだろうし、どことなく幸薄そうだし、適役なんじゃないか? 悲劇のヒロインを演じ切って故郷に錦を飾れよ」
「ダメよ!」
 幸枝はきっぱりと言った。
「私の故郷はここよ。山奥に拉致されたことにならないでしょ」
「東京でナニ不自由ない暮らしをしていたのに無理やり連れ去られて、着いたところが偶然故郷の山奥の村だった。それじゃマズイのかな?」
 黒田が口を挟んだが、譲治と幸枝の浮かない顔を見て、黙った。
「まあ、そういうことはすぐ調べられてバレるわな。バレた時すごく面倒だから、止めよう。そもそも、デート商法で成績最低だったお前にそんな大役はムリだろうし、そんな姿、親兄弟には見せられないよな」
 譲治は断念した。
「じゃあ、もう一回、スカウト隊を出せば? ちょうどホスト君たちが来てるんだから、彼らをスカウト隊として送り込めば」
 譲治はニヤリとした。
「いいじゃねえか。あの達也を隊長にしよう。いい上玉をスカウト出来るまで帰ってくるなと厳命すればいい。そうだよな、黒田」
 身を乗り出した譲治にぎゅっと太腿を掴まれた黒田は、反射的にはいはいと頷いた。
「そ、そんな……達也さんはさっき着いたばかりなのに」
「いや。達也の野郎にはその任務を与えよう。彼も自分の才能を生かせる場が与えられて嬉しいだろう。いやここは是非とも行ってもらわねばならないだろう」
 幸枝を威圧するかのように、譲治が言葉を被せて、言い切った。
 数時間後。達也と一緒に来た元ホストの若者たちは、乗ってきたバスに再び乗り込んで、山を降りて行った。
 ホスト軍団が戻ってくるまでには少なくとも数日はかかるだろう。いや、永遠に帰ってこないかもしれない。それは譲治には好都合なのだ。
 達也たちが美少女を連れて戻れば、それはそれでカネになるだろうし、達也たちがトンズラするか戻るのに時間がかかれば、それだけ幸枝を口説く時間が出来る。
 
 達也たちが東京に戻ってからしばらくは、何事も起きなかった。『儀式』は一度やったきりで二度目は無期限延期になった。芸のないAV女優はキャンセルして東京に返したが、行き場のない他の連中は依然として村に居残った。また集め直すのも大変だし、人数はいるがギャラは安いし、宿舎はコンヴェンションセンターの控え室で、一日三食食べさせていれば文句を言わないから、管理もラクだ。
 本来は国際会議場なはずのコンヴェンションセンターは、今や完全に黒田の新興宗教の本拠地となっていた。このことについて、昔からの村民は完全に無関心だが、スローライフ愛好の都会出身者は毎日のようにデモをしている。
 そんな声が窓から聞こえるコンヴェンションセンター二階の事務局では、文書課長と譲治がパソコンに向かっていた。
「なあ。あのデモ隊の言い分も正しいと思うんだよなあ」
 譲治は文書課長に言った。
「このコンヴェンションセンターは村のものだし、あんたも村の幹部だろ? それがどうして、居座られて迷惑なはずの、いかがわしい新興宗教に肩入れしてる訳?」
 二人は、この作業のために購入した最新のパワーマックで、黒田の宗教の『護符』を作っている。『護符』と言っても中身はボール紙に刷ったエロ写真なのだが、譲治が凝り性ぶりを発揮して小細工を始めて収拾がつかなくなり、村一番のパソコン使いの文書課長の救援を仰いだのだ。
「私、多少はDTPもたしなみますので。村の広報誌は全部、私が編集しております」
 ああ、さっき村役場で見たあの幼稚園のバザー案内みたいなアレね、と口に出かかるのを譲治は必死で我慢した。
「ですがこの件は……村長からのトップダウンで。私たちにはなんとも」
 文書課長は目を逸らした。
「おいおい。まさか、訳も判らないまま手伝ってるんじゃないよな? 大の大人がそれじゃ、情けねえだろうが」
 そう言われた課長は黙ってしまった。
 そこへ、幸枝が入ってきた。
「あのね。黒田さんが『儀式』の件で段取りを決めたいと言ってるんだけど」
 おお、そうか、と譲治は腰を浮かした。
「そういや、この宗教、名前はなんというんだ? まさか『黒田の宗教』とかじゃねえだろうな。それじゃなんだか駄菓子みたいだし」
「とりあえず、『辰州教』じゃダメ?」
 幸枝はそう言ってニッコリしたが、文書課長は怖い顔をして睨んだ。
「それは困る。村の名前を出さないでください。それはいけません」
「じゃあ、それを含めて相談してくらぁ。隣、借りるぜ。三十分ぐらい誰も入ってこないでくれ。じゃ、後はヨロシク」
 譲治は幸枝の腕を引いて、隣の空いている会議室に入って後ろ手にドアをロックした。
「よう。やっと二人きりになれたな」
 そう言ったかと思うと、いきなり正面から幸枝の肩を掴んだ。
「何も言うな。黙って言う通りにすれば、お前が東京でやってたことは村の連中に黙っててやる」
 ドスの利いた声でそう言うと、ぐいと抱きしめようとした。幸枝は必死に抵抗した。
「なに照れてるんだよ。さあ、東京でやりかけたことの続きをやろうぜ」
「続きってなによ! 放して」
 幸枝はもがいて譲治から逃れようとした。
「だから。貸した金の利子分にやらせろ。あの達也とかいう男とはやったんだろ。減るもんじゃなし」
「いやっ、やめて」
 意外に力の強い幸枝に突き飛ばされ、譲治は会議用テーブルを巻き込んで壁に激突した。そのままテーブルの上に倒れた拍子に、その足が折れてぐしゃりと畳まれてしまった。
 どしゃーんがしゃーんと派手な音に、ドアが激しくノックされた。
「大丈夫か? どうしたんだ幸枝ちゃん!」
 公平の声だった。幸枝はすかさずドアを開けた。
「おめえ、なーにやっとるだ!」
 畳まれた会議テーブルの上に倒れている譲治を見た公平は、呆れ果てたと言う声をあげた。
「役場の課長さんに聞いたら、幸枝ち
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