第4章

文字数 22,005文字

 屋外に高く組まれたヤグラに載った巨大スピーカーから、強烈な音量で激しいリズムが飛び出した。アシッドだかハウスだかユーロビートだか、とにかくその種類の、単調だが激しいビートが繰り返されている。腹に響くリズムを聴いていると、いつの間にか催眠術にかかったように頭がぼうっとしてくる。
 村の広場に設営されたステージは目まぐるしく変化する七色の光に照らし出されて、まるで都会のクラブのよう。
 そこに、左右から一斉に若い女達がわっと現れた。みんなエロい薄物を身に纏い、狂ったようなノリの良さで、胸や裾がはだけるのもかまわず踊り始めた。珠子も交じっているが今や完全に女の一群に同化している。
 彼女たちは熱狂的に踊りまくり、薄物には汗が染みてほとんどシースルーのスケスケ状態になっている。しかしそれを気にとめる風もなく、彼女たちは乳房を揺らし腿を高く上げ、股間の翳りが覗くのをものともせず、汗とフェロモンを発散して踊り狂っている。
 音楽が突然、リズムを刻むのをやめ、調整の悪いチューナーのようなぴーぴゅーという音を出し始めたと思ったら。
 女たちが左右にさっと割れると、空いたステージ中央に青いスポットライトが当たり、そこに一人の少女が登場した。
 やはりキモノ風の衣装を着ているが、他のギャルたちとは違ってシースルーではない。白い絹物らしい、なんとなく格調のある衣裳だ。それは例のリスカ少女……食事の時、ほとんどモノを食べず、手首に幾筋もの傷を持つ結城真沙美という少女だった。
 そのうつろな目つきと美貌が凝りに凝りまくった青白い照明に気味悪いほど引き立って、この世のものとは思えないような戦慄を感じさせる。
「なんか……凄い。全然フツーの子に見えたのに」
 舞台上の真沙美に目が釘づけになっている幸枝が、彼女の衣裳あわせからヘア、メイク全般を担当している。
「へっへっ。俺の見込んだとおりだ。自慢じゃないがアイドルに関しては、俺は見る目があるんだぜ。いわゆるフォトジェニックってヤツか? ちょっと見は地味な子がカメラのレンズを通すと化ける、それが俺にはわかるんだ」
 と自慢そうな譲治は、両手で四角を作り、ディレクターがやるような格好で空間をフレームに切って悦に入った。
 その指フレームの中にいる真沙美はさらに美しく、触ったら折れてしまいそうなほど繊細だ。
 彼女は厚地の白い着物を着て、肌はまったく露出していない。だが、重たげな着物に包まれた、折れそうな肢体の痛々しさが、誰の心にもひそむ嗜虐心を刺激するというか、強烈なエロスを感じさせた。
 そこへ、赤銅色の肌に褌を締めただけの村の男たちがどやどやと登場するや、舞台上の真沙美をわっと取り囲んだ。
 少女はあからさまな表情で怯えた。そこに、着物を剥ぎ取ったりするわけではないが明らかにレイプ・輪姦を連想させるような振り付けで、男たちが絡む。一昔前の粗っぽいミュージカルというか前衛舞踏のような振り付けだ。
「ちょっと……あそこまでやっちゃったらマズくない? あの子、まだ未成年でしょ」
 心配そうな幸枝に譲治は余裕で答えた。
「大丈夫だよ。ああ見えて十九にはなってる。家庭環境も確認したが、母親は若い男と不倫、父親は仕事に逃げて家族には無関心と、絵に描いたような崩壊家庭だ。家出した娘を探したり、この村にクレームをつけてくる気遣いはない」
 舞台上では、半裸の男たちが彼女にわっと群がり、一瞬少女の姿が見えなくなった。
 突然、電子音楽が切れて和太鼓の連打が始まった。それがやがて乱打に変わると、男たちの輪の中から少女の着ていた白い着物や帯が次々にほうり投げられた。
「嘘! 彼女を脱がしちゃったの!? それはちょっとひどくない?」
「まあ見てろって」
 男たちの輪がほどけると、舞台の中央には、薄い半透明の襦袢一枚にされた少女が立ち竦んでいた。照明が巧みなのと、薄物の絶妙な透け具合のせいで、彼女のやせ細った躰の線は見事にカバーされており、しかし、強烈なバックライトが彼女の衣裳を透かして、躰の曲線を妖しく見せている。それが強烈にエロティックだ。
 マスコミも村の者も、全員が生ツバを飲み込み、もっと良くみようと身を乗り出した。
 特設ステージの周りには、テレビの取材クルーが陣取って、この山奥には全然似付かわしくない狂乱のダンス・パフォーマンスを撮っている。一クルーのみだが、回しているビデオカメラは複数なので、かなりの取材が来ているように見える。
 このクルーは前回もやってきてカネを受け取ったにも関わらず、パフォーマンスがあまりに不出来なのに呆れて帰ってしまったチームだ。しかし今回、相浜ディレクターは真ん中に立って満足そうに頷いている。
 他にもスチールカメラで撮りまくるカメラマンが五人ほどに、記者らしき男女が十人ほどいる。
 その後ろには村人が集まって、目を丸くして、この耳をつんざく大音響と激しいダンスを観ている。さらにその後ろには、『インチキ宗教出ていけ』のプラカードを持ったスローライフ住人が目を三角にして腕組みしている。しかし彼らの足は何故かリズムを刻んでいる。
「イケるじゃねえか! 取材も来てるし!」
 ステージ脇で譲治は声を張り上げると、黒田もしてやったりという表情で答えた。
「あの連中もカネで呼んだんだけど、本気で取材してるしね」
「しかしこの振り付けと演出、いいじゃねえか!」
 譲治の横で満足げに頷いて見せたのは、小瀬助役だった。
「いいでしょう? 食い詰めて借金取りに追われてるAV監督ときいてピンと来たんですよ。AVを芸術に変えた男、といえば蜷川明。彼が自主映画で借金こしらえてこの村にいるって。まさかコンベンションセンターの控え室で寝てたとはねえ」
 小瀬は鼻高々だ。その横には、全身黒ずくめの怪しい芸術家然とした蜷川明本人もいて、終始笑みを浮かべて頷いている。
「大自然とエロスの融合だ! AV史上の伝説となるようなパフォーマンスだぞ、これは!」
「これでいけるぞう!」
 蜷川と小瀬は叫んだ。
 と、和太鼓の連打に電子音楽が絡み始め、リズムが少しスローになり、バラード風な音になった。
 左右にハケていた女たちが戻ってきて少女を隠してしまった。今までは激しく踊りまくるだけだった彼女達だが、今度は悶えるようにゆっくり腰を揺らめかし始めた。そんな女達に取りつくように、濃厚なコンチネンタルタンゴのように男が絡みだした。
 男達の手は女の乳房を掴み、唇を重ねて熱いディープキスをし、もう一方の手は女の股間に潜り込んだ。
 少女は、この群衆舞踏の影に隠れてすでに舞台を降りている。
「栗鳥マタタビの酒が効いたな」
 自宅の庭を開放してビニールシートで風呂を作ってくれた畑山のジイサマが破顔一笑した。
「なに? クリトリ?」
 譲治が声を張り上げた。
「おうよ。三年にいっぺんの祭りの時に使う酒だよ。山の中に栗鳥って鳥がいてな。その鳥が吐き戻して作った巣材で米を発酵させて作る酢が珍味なんじゃが」
「栗鳥の酢?」
「それはおいておいて、栗鳥が自分の餌に集めてくるマタタビの実をさらに醗酵させると、酒が出来る。まあ猿酒の一種じゃがね」
「栗鳥酒」
「その酒には、一種の媚薬のような成分があるようなんです」
 小瀬は説明した。
 見物している村人たちは、激しいリズムと大音響とまばゆいばかりの照明に驚いてはいるが、怒ってはいない。むしろニコニコして、妙に懐かしそうな表情で眺めている。
「畑山サン。あんたら、平気なのか? 村の秩序を乱すでねえ、とか怒らないのか?」
 不思議に思った譲治が聞くと、畑山のジイサンは首を振った。
「ワシらの若けえ時分はこんなこと、珍しくもなーんともねかった。年に一度は、はぁ、やってたっペなあ。その日ばかりは誰とやっても、何人とやっても、人前でやっても、大勢でやっても一切お咎めなすの無礼講でなあ」
 おそるべし、村の奇習。
 特設ステージ上では、ジイサンのその言葉通りに、乱交寸前の状況が展開されていた。
 そこへ、「どいたどいた」とリヤカーに積まれた大きな物体が到着した。運んできたのは達也と幸枝だ。
「おい、お前ら二人でどこ行ってたんだよ!」
 仲の良さそうな二人に譲治は腹を立てた。
「だって、他に人がいなかったんだもの。仕方ないわよね、達也さん」
 幸枝はそう言いながら達也にしなだれかかった。
「いいから早くステージに上げろ」
 二人が運んできたのは、村の鎮守様に祀られている、男根・女陰の形をした御神体だった。
「ひやー。リアルだねえ! モザイクかけないとテレビに流せないぞこりゃ」
 古い木で作られた全長数メートルのご神体を見て、譲治が歓声をあげた。「これは凄い」と蜷川も狂喜した。
 そこへ、リヤカーを追って三上村長と村役場幹部の老人グループがやってきた。
「やめなさい。祟りがあったらどうする」
「それは、村を守る有り難いご神体だぞ。失礼な事に使うでない」
 しかし、畑山老人は、涼しい顔をしている。
「まっ、いいんでねえの」
 細かいことには拘泥しないタチらしい。
 老若男女のうち『若』だけがいない村人たちは、音と照明に慣れてくると、ステージ上の乱交ショーにヤンヤの歓声をあげ始めた。オバサン連中は「もっとやれ!」とか声をかけている。
 突如、ステージ奥に巨大な火柱が上がった。
 ドーンと音をたてて吹き上がったのは、高さ十メートルほどのキャンプファイアだった。木で組んだ塔に油がかけられて火がつけられたのだ。
 低音がブーストされたリズムだけの音が、原始の血潮をたぎらせる。それに燃え上がる深紅の炎ときては、本能を揺さぶらずにはおかない。
 ステージ上の男女の動きが不穏になってきた。今まではあくまで振り付けられた悩殺ダンス、という感じだったのだが、いまや女に覆い被さった男は、本気で相手の女をペッティングしているようにしか見えない。
 愛撫されている女も、本気で躰を捩ってヨガっているように見える。
「おい……アレ、ほっといて大丈夫か?」
 男の中には、このまま勃起したペニスを取り出して正常位で挿入したくて堪らなそうにしているやつもいる。女達は全員ノーパンだし、この村に来て時間も経ち、ヤリたさも募っているだろう。とはいえ、そんなことになっては公然猥褻になって、よろしくない。
 しかし、ステージから目と鼻の先にある駐在では、たった一人の駐在警官が目を見開いてステージ上を凝視していた。取り締まるために監視しているのではない。明らかに愉しんでいる。
 ステージ上の彼らも、さすがに公衆の面前でホンバンに突入するのを躊躇っているようだ。
 その時。
「……ご覧の通り、宗教に名を借りた、猥褻きわまりない常識外れの、羞恥と吐き気を催す破廉恥なセックス・ショーが繰り広げられているのです!」
 マイクの音が耳に飛び込んできた。ステージの前に陣取ったワイドショーのリポーターが、甲高い声をあげているのだ。ショー絶好調の時からなにやら喋り続けていたようだが、大音響のせいで聞こえなかったのだ。
「村長! この事態をどう思われますか?」
 ついさっきまで譲治のそばにいた村長は、いつの間にかリポーターの横に立って深刻な表情をつくっている。
「………」
 村長の声は低くて少し離れるとまったく聴き取れない。しかしの表情は曇り、困惑し、もろに苦渋の色を浮かべている。最後には目頭まで押さえてみせた。
「そうですか。有り難うございました」
 村長がそれに応えて深々と頭を下げたところでビデオが止まり、リポーターもマイクを降ろした。
「へへへ。出演してきた」
 村長は一転してニコニコして譲治たちがいる場所に戻ってきた。
「あんた、黒田のバックなのか困ってるのか、どっちなんだ?」
 そう訊いた譲治に、村長は聞こえないフリをした。
 と、その時。
「これ、焚くといいだ」
 という古老の声が響き、ザルに入れた大量の木の実が村長に差し出された。
「いや私に渡されても困る……」
「栗鳥マタタビの実だよ。これは猫ではなく人に効くだ」
「いやだから、私は一応教団とは無関係だし」
 押しつけられて処置に困った村長はザルを押し返した。
「なんだね。せっかく人が親切でやってるだっちゅうのに」
 古老はヘソを曲げたらしく、ザルを村長から奪い返すと、そのままタタタと火に駆け寄ると、ザルの中身を一気に炎にくべた。
「さあ、これでヤリまくるだ若い衆!」
 ごおおっと炎が弾けた。
「ヤバイ! これ以上エキサイトしたら放送禁止になる! 消火しろ!」
 譲治や黒田、そして部外者のはずの村長までが異口同音に火を消せと叫び、駐在所の隣の消防団から消火ホースが引き出された。
 しかし、栗鳥マタタビの実はまだ生で水分が多過ぎたのか、猛烈な煙が吹き出した。
「この煙を吸いこむだ! 昔は煙を嗅いでみんなメメチョをしまくったものだよ!」
「つーことは、この煙でトリップ出来るわけか」
 達也がふ〜んと感心した。
 が、しかし。煙の量はもくもくと増え続け、トリップするどころかげほげほと咳き込み始めて、広場にいる全員が酸欠状態になりかかった。
「火を、火を消してくれ!」
 ステージ上で乱交セックス寸前までいっていた若者たちも、ファックどころの騒ぎではなくなっていた。
「ご覧ください! 宗教関係者がなにやら訳の判らない未知の物質を火にくべました! 有毒ガスが充満しています! あたりは阿鼻叫喚の騒ぎになっています!」
 この『大惨事』に再び取材が再開され、リポーターは絶叫した。
「あ! あそこに、この教団の主宰者である黒田氏がいます! 黒田さん!」
 リポーターが黒田を指差し、カメラも黒田を向いた。
 狙われた黒田は大仰に狼狽えて見せ、逃げ惑った。本気になれば広場の奥から森の中に逃げ込むか、階段を駆け降りてコンベンションセンターに逃げ込めるのに、黒田はステージや人垣の前をみっともなく右往左往するばかりだ。
「教団主宰者の黒田鉄幹氏は、あのように我々の取材を拒否して逃げようとしています! 黒田さん、このような騒ぎを起こしておいて、逃げるつもりですか? 黒田さん!」
 クルーを引き連れたリポーターが黒田に走り寄ろうとした、その時。
 突然、物凄い勢いの水が飛び散り始めた。煙の中を凝視すると、持ち手のいない消防ホースから水圧充分の水が噴射され、その勢いで消防ホースがメチャクチャに踊り狂っているのだ。ホースの持ち手がいないまま、誰かが消防水栓のバルブを全開にしてしまったのだ。
「煙攻めに水攻めです。この山奥にある平和だった辰州村は今、悪魔のような宗教に乗っ取られて、ご覧のように、地獄になってしまいました!」
 リポーターやクルー、そして他の取材陣も頭から水をかぶって濡れ鼠になった。
 村の消防団員が決死のトライで踊り狂う消防ホースに突撃し、見事構え直して火柱に放水すると、村人からはヤンヤの喝采が起きた。
 鎮火とともに煙も薄くなっていった。
 村人はこの大騒ぎに呆れ果てて立ち去ったかと思いきや、全員が残って一部始終を眺めている。もう夜の十時を回ろうとしている時間にも関わらず、老人ばかりの村人は全員元気だ。
 一方、都会からやってきたスローライフ愛好住民も負けてはいない。ビデオカメラのレンズが自分たちに向くと、条件反射のように『インチキ宗教出て行け』のプラカードを高く掲げるのだ。
「いやー無事、鎮火して良かった。一時はどうなる事かと」
 心配そうな言葉とは裏腹に、リポーターは迫力ある映像が撮れた喜びを隠しきれない。
「このボヤ騒ぎも演出の一部だったんですか? マスコミ向けに配慮してくださったとか?」
「いやいやとんでもない。まったくのハプニングですよ」
 リポーターと黒田はなぜかやたらと親しげだ。そこにディレクターまでが加わって、さながら旧交を温めてでもいるような感じだ。黒田が揉み手をして訊いた。
「もっと何か撮りますか? ほんとにこんなもんでいいですか? 欲しい画とかがあれば、何でも言ってくださいよ」
 黒田はもっと取材して欲しそうだ。
「これは『いかがわしい教祖の差し金で怪しい宗教に蹂躪される、山奥の純朴な村』というスクープ企画ですよね? だったら、教祖たる私が取材を避けて逃げ隠れする卑怯な姿をもっと撮った方がいいのでは?」
 黒田はしきりに自分を売り込んでいる。
「いえ……我々としては出来れば、さっきの、あの、儀式のイケニエにされていた女の子にインタビューをしたいんですが」
 相浜ディレクターが目で辺りを探しながら言った。
「え? 私じゃないの。主役はあくまでもこの私だよ」
 黒田はあからさまに不満を漏らしたが、すかさず譲治が割って入った。
「イケニエの女の子……ああ、あの子ね。いいですよ」
 ディレクターにはにこやかに微笑みながら、小声で黒田を恫喝した。
「黒田、お前、何考えてんだ? お前みたいな不細工なオヤジより、誰だって美少女を見たがるに決まってんじゃねえかよ。……じゃあ、すぐに連れてきますから」
 ほどなく少女が連れて来られた。譲治はディレクターに提案した。
「ただマイクを向けてインタビューするんじゃ面白くないでしょ。もっと趣向を凝らしてみては」
 譲治の言う意味をすぐに理解したディレクターがワルノリした。
「そうか。我々が彼女を見つけて突撃取材を試みようとすると、彼女が逃げる。リポーターが『何かひと言!』とか叫びながら追う。道のどん詰まりで彼女にやっと追いついたと思ったら、怪しい教団関係者が出て来て、『彼女には何も聞くな』と我々に乱暴する。レンズを手で塞ごうとしたり、撮ったビデオを出せと恫喝したり、カメラマンに蹴りを入れたり、リポーターのマイクをもぎ取ろうとしたり。その中で彼女は怯えた表情で……つーのはどう? いわくありげで、なかなかショッキングな映像になると思うけど」
「彼女が逃げるココロは……家出してるからか?」
「そこんところはいくらでも言い訳出来るようにぼかした方がいい。その言い訳が疑惑を呼び、疑惑が疑惑を生むようにしていけば、スクープの値打ちが上がるし」
 ディレクターと譲治は意気投合した。
「さすが餅は餅屋、ヤラセには年期が入ってるねえ!」
 黒田は大喜びしたがディレクターはちょっと嫌な顔をした。
「仕込みと言ってほしいな。で、きみ、名前は?」
「あたし、本当に家出してるから……言わなきゃ駄目ですか?」
「だったら芸名でも考えようか?」
 調子に乗った黒田はいくつも名前をあげたが、すべて演歌歌手のようなものばかり。少女は露骨に顔をしかめ、やがてぽつりと言った。
「結城、真沙美……」
「おっ、いい名前だねえ。お嬢様って感じがして。ええっと、つまりきみは俗世間のわずらわしさに疲れ、何もかも嫌になったところで妙な宗教に引っ掛かってしまって……」
 ディレクターは勝手にストーリーをでっちあげ始めた。
「おれ、元々はドラマ志望だったんだけどワイドショーに回されて……なんか、やる気が出てきたっすよ!」
 この前は賄賂を貰う自分に自嘲して、さながら昇進の見込みのないやさぐれ刑事的な気だるさを漂わせていたディレクターは、今回はイキイキとしてスタッフにテキパキ指示を出した。
「ミッチャン、ハンドマイクが死んでも大丈夫なように胸にピンマイクつけよう。音声さん、ガンマイクもよろしく。彼女、結城さんにもピンマイクつけようか? ミッチャン、ちょっと結城さんにメイクしてあげてよ。ライトでテカるだろ。そうそう。で、我々の取材を妨害してくれるのは、と……。君たち! そう、君と君と……そしてそこの三人!」
 ディレクターは、ステージから降りた若者の中から特に人相が悪いのを五人指差した。
「君たちが、結城さんを守って、何も答えさせないようにする。で、我々に暴力をふるう。本気でやるなよ。カッコだけ。こっちはオーバーに反応するから。じゃ、一回リハしようか?」
 ディレクターは気分はすでに映画監督という感じで、指を鳴らしてカット割りをし始めた。
「そう。ここで結城ちゃんのアップね。怯える表情。ほら、もっと怯えて。そこに左右両脇から教団の男たちがヌッと入ってくる! だめ。それじゃコントだ。もっと本気になって!」
 厳しいダメ出しをするディレクターはノリノリかつ熱心に演技指導をした。
「じゃあ本番行こうか。もろもろOKですか? ハイッ回した」
 深夜、もはや完全にドラマと化した『取材』が始まった。

                     *

 在京某キー局の報道フロアでは、ビデオのモニター画面に不穏な映像が再生されていた。
『なんだ、君たちは! 私はこの少女に話を聞きたいだけなのに!」
『だからそれはダメだと言ってるだろ! 帰れ帰れ!』
 だが画面の男は怯える少女に執拗にマイクを突きつける。
『あなた、お名前は? ……やめなさいっ! あっ、蹴らないで! 暴力はよしましょう! 乱暴は止めなさい。……お名前は? どうしてここへ? やっぱり信仰してるから?』
『私……結城』
『え? 結城なんていうの?』
 そこでカメラの画像が激しく揺らいだ。フレーム外から『イテ。危ないだろ!』と怒声。
『おい、カメラマンを殴るんじゃない! 誰か! 誰かこの暴力を止めてくださいっ! 責任者の方、いないのっ! え、ええと……ゆ、結城さん、結城なんて言うの?』
『結城……真沙美』
『結城真沙美さん、結城真沙美さんね。ご両親は心配なさってるでしょうね』
『それは』
『イテッ! なにすんだよう』
『私、なんかよく判らないうちにここに連れてこられて……』
『え? じゃあ、無理やりここに連れて来られたの? それじゃ拉致?』
 またも画面が激しく揺れ、回転し、地面とそこに生えている草が大写しになった。止まった画面の外から激しく言い争う声だけが聞こえてくる。
『ここまでだ! これ以上の取材は駄目だ』
『ほら、撮ったビデオを出せよ!』
『きゃー止めて!』
 ここで映像は途切れ、灰色の砂嵐になった。ビデオのリモコンを手にした男が振り返った。
「どうです、これ。事件性があるのは明らかじゃないですか」
 通信者からひっきりなしに入る速報アナウンスや途切れない電話のコール、それに付けっ放しのCNNテレビなどの音が錯綜している局の報道フロアで、久留間徹也は、デスクの男に力説した。
「これはネタになります。この、結城真沙美という少女に対する人権侵害や性的虐待の事実があれば、ワイドショーではなく、ウチの夜のニュースで徹底的にこの教団を叩けます。二週間はトップでやれますよ。ウチが先陣を切って、この悪徳教団を糾弾してやりましょう! デスク!」
「そうねえ」
 デスクと呼ばれた男は首を捻った。
「ウチの夜のニュースも、最近ぱっとしないしねえ。なにか独占スクープ映像で派手なのが欲しかったんだよねえ。まあ、仮にだよ、この少女が本当に無理やり拉致されて、山奥に監禁されて、教団の祭祀に無理やり出されてああいう猥褻な事をさせられているのなら、大いに問題だよねえ」
 そうですよ、と久留間は勢いづいた。
「そもそもカルト宗教が以前、あれほどの大事件を起こしたのに、今はどうです。石川五右衛門ではありませんが、世にカルトの種は尽きまじです。笑って見ているうちにどんな暴走を始めないともかぎりませんよ。徹底追及しなければ」
「しかしなあ」
 デスクは腕を組み、思案顔で顎を撫でた。
「このビデオ、ワイドショーの取材だぜ。しかも悪名高きお台場テレビだ。しかも田舎のケーブルテレビの取材を買ったんだろ。もしも視聴率目当てのヤラセだったら……」
「そんな弱腰でどうします? 始める前からやめる理由を探していては駄目じゃないですか。ウチの局はたしかに以前、例のカルト問題でダメージを受けました。だからといっていつまでも及び腰では。ウチ本来のステーション・カラーを取り戻すんです。正義一筋・人権・リベラル・理想主義の我が局、報道のテレビ赤坂といわれたあの頃を」
「判ったわかった。取材してみるといい。だがくれぐれも慎重にな」
「ありがとうございます! 必ず、凄いスクープを抜きますよ」
 元スター・キャスターで、今はバラエティ枠に取って代られた夜のニュースのキャスターだった久留間徹也は辰州村に戻る手配をした。

                    *

「黒田さんはこの教団の主宰者でらっしゃいますよね」
「いかにも。私はこの『リージョン教団』の代表ですが」
 久留間の差し出すマイクに向かって黒田はハリのある声で答えた。
「教団の本拠地に、この人里離れた山深い村を選んだ理由はなんですか?」
「それはもちろん、山の霊気が我々の五感を刺激してスピリチュアルだからです」
 この前来た取材はワイドショーで、しかも金を払って来てもらった「ヤラセ」だった。マイクの前で声を張り上げていたリポーターも三流の地方ネタ専門で、結局、番組の最後の方でエロネタのように扱われてやっと放送された。しかし今、彼の話を聞いているのは、日本を代表するニュースキャスターの久留間徹也だ。世界の戦場に足を運び、多くのスクープをモノにして良心の男と呼ばれ次期ピューリッツァー賞の有力候補にして白髪で長身の知的で渋い二枚目なのだ。
「そうですか。スピリチュアルな環境は、宗教にとって必要な事でしょうね」
 久留間はにっこりと笑った。相手の油断を誘う屈託のない笑みだ。その柔和な笑みを絶やさず、しばらく黒田や教団を持ち上げる話を続けたのち、さりげなく本題に入った。
「ところで、村の施設を、教団の本部として使っている件についてですが。村長さんは、会議をすると言うから貸したらそのままずるずると居座られている、とおっしゃってますが」
「契約は更新していますし、利用料もキチンとお払いしていますよ。無理やり不法占拠しているのではない事をお判り戴きたいです」
 久留間は、なるほどと納得したように見せた後、ついでのように付け加えた。
「それはそうと、あなたの教団の中に、無理やり連れてこられて、本人の意思に反して宗教的儀式の実演を強制されている人物がいる、という情報を得たのですが」
 黒田の顔がにわかに強ばった。それまではごく普通の、どこにでもいる初老の男のような温厚な受け答えをしていたのだが、その質問を受けた途端に声が変わった。
「何が知りたいっ!」
 取材の山が来た、と本能的に悟った久留間の表情にも緊張が走り、すかさず突っ込んだ。
「先日の『儀式』でしたっけ? あれに出ていた女性です。他局の取材によれば東京から連れてこられて否応なく教団に参加させられていると。ああいう性的な露骨な事をするのは本意ではないと、どう見てもそのようにしか取れない受け答えでしたが」
 黒田は何か言いたげに久留間とカメラを睨んだが、いきなりすっと立ち上がって会見場所から立ち去ろうとした。
「どうしました。答えられないんですか?」
 その言葉を背に受けた黒田は、振り返らずに答えた。
「お答えできません。彼女はこの教団では非常に特殊な存在ですのでね。もちろん」
 振り向いた黒田の顔は著しく強ばっていた。
「彼女本人への直接取材、それだけは絶対やめていただきたい」
「ちょっと、黒田さん!」
 久留間の声を無視して、黒田はドア外に消えた。

 久留間は、取材クルーを連れて、辰州村の中を探りまわっていた。
 村はしんとして、誰もいないように見える。コンベンションセンターも、儀式がない時は静かだ。教団関係者がのんびりと洗濯を干したり体操をしたりして、カメラに向かって手を振ったりするだけだ。
「実に平和な光景です。この村には何も起こっていないように思えます。大自然の懐は深く、その包容力で、あのようなカルト宗教をも受け止めてしまうのでしょうか」
 久留間は問題意識たっぷり、かつ思わせぶりなコメントをマイクに喋った。
 額に日本を憂うかのような深い皺を寄せ、眉間には苦悩の筋を浮かべる世界的ジャーナリストの知的横顔をカメラが捉える。半逆光になったその顔はとてもフォトジェニックで「画になる」。
 と、そこへ、一人の女性があたりを憚るように近づいてきた。髪の長い、若い女性だ。
「あの、ちょっと」
 こういう時、幾多の修羅場をくぐってきたピューリッツァー賞候補は「へ?」のごとき間抜けな応答はしない。常に現場は戦場。久留間は緊張感に満ち満ちた声で答えた。
「なにか?」
 その女性は久留間の耳に顔を寄せ、囁いた。
「あの子と話をしたいんでしょう? 彼女はコンベンションセンターの裏手にある民家に監禁されています。朽ち果てたお化け屋敷のような家ですからすぐに判ります」
 有力な情報を入手した久留間の目が鋭く光った。
「チャンスは早朝。日の出の後の三十分間だけは監視なしで林を散歩することを許されているの。……ごめんなさい。私から言えるのはこれだけ。彼女の力になってあげて。お願いします」
 その女性は少女への同情からか大きな瞳を潤ませ、涙を拭うような仕草さえ見せて、足早に立ち去った。
「日の出の時間を調べなきゃ。……ああ、カットカット」
 久留間は、ネタを掴んだ悦びを見せつつディレクターに大声で命じた。このクルーのボスは久留間で、ディレクターは雑用係だ。
「じゃあ、ひとまず車に戻りましょうか」
 ワンボックスカーに久留間たちは戻って行く。それを物陰から見守るのは幸枝だった。
 言われたとおりに「密告」したものの、幸枝には何がなんだか判らない。譲治がしゃしゃり出てきて黒田とつるみ始めてから自分は埒外に置かれて、あれをしろ次はこれだ、と小間使いのようにコキ使われている。今の芝居だって譲治に言われてやったのだ。しかし、言われたとおりのセリフは喋ったが、どうしてこんなまわりくどいことをするんだろう、と不思議で仕方がない。
 なぜなら、あの子は監禁なんてされていないのに。

 翌朝。
 ワンボックスカーの中で一夜を明かした久留間たち取材クルーは疲れも見せずにコンベンションセンターの裏手に急いだ。
 そこには、あの女性が言った通りの、崩れかけた家があった。
「これは……劣悪な環境です。廃屋同然です」
 もちろん久留間は、この家がもう二十年も空き家のままで事実上の廃屋であり、現在の所有者は麓の町に住んでいて、この村には全然寄りつきもしない事を知らない。
 やがて意図的に警備を薄くしたこの家から、例の少女・結城真沙美が姿を見せた。
 ぱきぱきと枝を踏みしめる音が静寂を破る。
「足音です。私の耳には、骨が折れるような残酷な音に聞こえます。主観的過ぎるでしょうか」
 久留間は真顔でカメラに問いかけた。
 朝の光を浴びて、山々の空気も解け始め、すべてが目覚めるような爽快さがあった。
「この澄み切った空気は、しかし、人間の汚れた所業までを浄化はしません。今、その犠牲者の少女が姿を見せ、一日に僅か数分、かろうじて許された自由を味わっているのです」
 スローライフ族の住むボロ家からも白い煙が上がり始めた。薪の火を起こし朝食を作り始めたのだろう。それに対して、村人が住む近代的住居は完全電化で煙も出ない。
「村人が、今日もつましい生活を始めました。しかし彼らは自分たちを守るために、悪魔のような宗教に歯向かう事さえ出来ず、息を殺したように毎日を送っているのです」
 そこまで言い切っていいのか、と若いディレクターは首を傾げたが、この強引さと決めつけで久留間徹也は数々のスクープをモノにしてきたのだ。
 久留間は手招きして、結城真沙美に近付いた。
「ちょっと、いいですか?」
 久留間は彼女にマイクを向けた。強張った表情の真沙美。
「何も……話すことなんて」
「ほんとうですか? あなたは無理やりに、ああいう儀式というかパフォーマンスをやらされているのではないですか?」
「……ごめんなさい。何も言えません」
 だがその怯えた表情は、何らかの強要が存在することを明らかに物語っているように見えた。カメラは彼女の表情をアップで追い続けた。テレビ赤坂の報道カメラマンとして最高の腕を誇る男のカメラワークは、ひとすじの揺れもなく真沙美を追い続けた。
「口止めされているのですね? よかったら、この村で何が起こっているのか、話してもらえませんか?」
「い、いいえ。いいえ」
 真沙美は完全にパニック、という素振りで激しく首を横に振りながら後ずさった。
「どうしたんです。何も強制されていなくて問題ないのなら、話せるはずじゃないですか。さあ、話してください」
 久留間が一歩踏み込むと行き場をなくした彼女は、突然、ホラー映画のヒロインのように顔を引き攣らせて、その場にしゃがみ込んだ。さらに顔を覆って嗚咽を洩らし始めた。
「今だ!」
 先ほどから出て行くタイミングを見計らっていた譲治は、ここぞとばかりに飛び出した。こういう局面は『間』が大事だ。
「おい、お前! 誰に断って勝手なことをしてるんだ!」
 山の斜面をずざざっと駆け降りた譲治は、久留間と真沙美の間に滑り込み怒号した。
「なんですかあなたは!」
 久留間もカラダを張っているところを示そうというのか、見るからにヤクザっぽい譲治に向かってきた。
 しかしここで譲治は手を出さない。前回のワイドショーのリポーターと違って、自主的に取材に来た久留間とは全くの初対面で、なんの打ち合わせもしていない。だから、下手に手を出して告訴されてはかなわない。
 譲治は真沙美に向き直った。
「お前、こいつに何か喋ったか? 正直に言わないと、どんな目に遭うか判ってるよな?」
 彼は真沙美の折れそうな腕を後ろ手に回してぎりぎりと捩じ上げ、全身をがくがくと揺さぶった。真沙美が悲鳴をあげる。
「何も、何も言ってません! お願い、この前みたいな酷いことはしないで!」
 真沙美は、ここぞとばかりに哀願し泣き叫んだ。これが芝居でなければさすがの譲治も手を引っ込めたくなるような、胸も潰れよというほどの慟哭だ。久留間が詰問する。
「あんた、この少女に何をしてるんです? 虐待と言う噂がありますが」
「何を人聞きの悪い!」
 久留間には手を出せないがここで暴力性をアピールしなくてはならない。譲治は真沙美を地面に突き飛ばした。もちろん、身振りは派手だが実際にはダメージがないように、何度も事前に練習したのだ。その甲斐あって彼女は見事に倒れ込んだ。
 こいつけっこう演技派だぜ。なかなかうまく行ったじゃねえか。
 譲治は内心ほくそ笑みながら、なおも真沙美を恫喝した。
「おい、お前。自分の立場ってもんを判ってるんだろうな?」
 わざとらしく大声で怒鳴りつけながら、倒れ込んだ真沙美の脇腹に軽く蹴りを入れた。
 さあこれでどうだ。まさかこれを撮り損なってないだろうな、と絶妙の間を置いて振り返ると、案の定というか期待通りに、テレビ赤坂のカメラはしっかりと譲治と真沙美を撮っていた。
 久留間は顔面蒼白、震える手でマイクを持っている。
「撮ったぞ! 全部撮ったからな。お前らの悪事がこれで全国に知れ渡るんだ」
 決然と叫んだつもりだろうが、その声はひっくり返った。
「きみ! 絶対に助けてあげるから! 希望を失わないで頑張るんだっ」
 と叫んだから実際に助け出すのかと思ったら、クルーは一団となって撤退し始めた。後ずさりしつつ逃げて行くのだ。
「おい! 助けてやると言いながら見殺しかよ?」
 譲治は呆れて突っ込んだ。
「私が言ったのは法的な意味だ。これを報道して世論を動かして助ける。そういう意味だ」
「今助けた方が手っ取り早いんじゃないのか?」
 久留間の論法は、募金活動する暇があったらテメエが働いて義援金を送った方が手間が省けると思うアレと同じだ。
 しかしこれでインパクトはあったのか? せっかく向こうから、日本を代表するジャーナリストが取材に来たんだ。飛んで火に入る夏の虫とはこの事だ。ならばこの好機を百二十%生かさなきゃいけない。じゃないと、焦げ付いた金は回収出来ず、俺の立場も危うい。
 譲治は必死に考えた。で、もう一押ししておく事にした。
「こら貴様。勝手に撮ったろう? ビデオを渡せ。渡さんかい!」
 譲治は威嚇したが襲いかかったりはしない。相手が逃げ出す余裕を十分に与えながら迫った。この間合いは時代劇のチャンバラから学んだものだ。
「駄目だ。このビデオは絶対に、絶対に渡さないぞ!」
 相変わらず裏返った声で久留間は叫び、脱兎のように駆け出した。
「待ちやがれっ、この」
 一拍置いて譲治も駆け出したが、全速力の六掛けぐらいのスピードでわざとゆっくり走り、それよりも逃げる相手を恫喝するセリフに集中した。
「お前ら、言うことを聞かないと、呪い殺してやる! 帰りの車を谷底に落としてやる! 放送事故を起こしてオンエア出来ないようにしてやる! ホラ今念を送って、ビデオテープの磁気情報をメチャクチャにしてやったぞ!」
 だが、久留間は早大とイェールを出たエリートで、譲治が苛々するほど脚が遅い。何度も木の切り株に足を取られ、クルーも転びそうになってはカメラを壊すのではないかと、見ていて肝が冷えた。
 まったく。ストライドもフォームもなっちゃいねえな。アレは間違いなく運動会の前日、学校が地震か火事で潰れればいいと祈ってたタイプだよな。
 何度も追いつきそうになってしまうのを調整しながら、ようやく林の向こうに逃げ去ったクルーを見て譲治は心からほっとし、肩をすくめた。

                      *

「これは、宗教の名を借りた搾取です。こんな蛮行が現代の日本で行われていると言う事が信じられない思いです。これは宗教を冒し、良識を愚弄する許しがたい犯罪であると、私は言わざるを得ません」
 ニュースショーの画面で久留間徹也が銀色の髪を振り乱し、熱弁をふるっている。画面が切り替わり、真沙美の恐怖の表情のアップを映し出した。
「やったぜ! これはヒットだ!」
 コンべンションセンター二階の「教団本部」で、テレビを観ていた譲治や黒田たちは歓声をあげ、肩を叩いて喜んだ。その輪の中に、何故か村長や小瀬助役、文書課長などの村幹部もいて、一緒に喜びを分かち合っている。
 そこへ、青い顔をした村の職員が飛び混んできた。
「村長! 大変です! ニュースを見たという電話がじゃんじゃんかかってきています。村は何をしているのかと。犠牲者の少女を放置しておくのかと」
 職員の慌てぶりを見た三上村長は、小瀬や黒田、譲治と顔を見合わせたが、数秒後、爆発的な哄笑が起こった。それは、何年も何年も待ち続け、その奇跡が今、やっと起きたと言うような喜びに溢れていた。
 別の職員が飛んできた。
「村長! 電話がパンクしています! 来る電話来る電話、すべて拉致監禁少女をなんとかしろと言う苦情ばかりです」
「やりましたな。君は実に素晴らしい」
 黒田は譲治に握手を求めてきた。
「いやいや。まだまだこれからだぜ。やっと火が点いたってとこだな。これに油をそそいで風を吹きかけて、どんどん大きくしていかないと」
「その意気やよし!」
 黒田は堅く握った譲治の手をぶんぶんと振りまくった。
 別の職員がやってきた。
「NHKと在京民放五社、朝日讀売産経毎日の各紙と共同通信、ロイターにAP、CNN、アルジャジーラにポストに現代、文春、新潮、女性セブンに女性自身、フライデーにフラッシュと、あらゆるマスコミから取材申し込みが殺到しています。教団に電話がないので、ソッチの分も全部村役場にかかってくるんですよ!」
 その職員は黒田を見て文句を言った。
「早く自前の電話を引いてください!」
「用がある時はピンク電話があるから」
 と言いつつも、黒田は激しい反応に大きな手応えを感じて、喜びを隠せない。
「スゴイのね」
 幸枝にも尊敬の目で見つめられて、譲治も大きく面目を施した。
「教団が成功したら、あなたのせいね」
「それも言うなら、あなたのおかげ、だろ」
 譲治は嬉しかった。幸枝から誉められたのも嬉しいが、この場にいる全員が彼を注目し、拍手し、その働きを讚えてくれるのにジンときた。これほどまでに手放しで賞讃された事など今までに一度もなかった。しかし今は違う。彼がすべての中心だ。拍手を贈り尊敬の目で見つめる人の中には、イケメンの達也もいる。それがことのほか嬉しい。
 そこへ、村の職員が飛び込んできた。
「大変だ!」
「またか。これ以上大変な事はそうそう起きないと思うけど」
「記者が大勢集まってます!」
 え? と譲治や黒田は首を傾げた。記者会見はまだ設定していないのに。
「いやいや、みんな勝手に取材に来たんです。それも、芸能とかじゃなくて、ガラの悪い社会部の連中で。早く会見しろと騒いでます!」
「社会部がもう来たの!」
 黒田は頭を抱えた。
「あいつらは刑事より執念深くてワイドショーのリポーターより粘着でヤクザ並にコワモテだからなあ……」
 そいつはいいじゃねえか! と譲治が声をあげた。
「ようするにマスコミが来たんだろ? 社会部でもなんでもオイデオイデの上等じゃねえか。おれが矢面に立ってきっちり説明してやるからよ」
「いかんいかん!」
 黒田は蒼くなってとめた。
「見るからにヤクザのあんたが表に出たら、何もかもぶち壊しですよ。宗教に名を借りた新手のセックス産業か、新タイプの児童売春かと、ますますイメージが悪くなってしまう。社会部の連中は、そういうふうに決めつけてレッテルを貼るから、一度そう報道されたら終わりですよ」
 頼むからそれだけは、と黒田は譲治に泣いて取り縋った。
「ああ? おれが表に出るのの何処が悪いってんだよ? 晴れ舞台じゃねえか。せっかくオレが話題つくってマスコミ集めてやったのに黒田、てめえ恩知らずな奴だな。つべこべ指図する気なら今すぐ、てめえの借金全額、耳を揃えて返しやがれ!」
「ですからその……あなたのイメージにいささかヤク……いやその、多少裏社会を連想させる面がなきにしもあらず、というと正しい表現ではないようにも思われて」
「誰がヤクザだオイ? おれのどこが裏社会なんだよ?」
 ダブルのダークスーツといい、これみよがしのもみ上げといい頬の傷といい、誰がどう見ても譲治はヤクザだ。というか、ヤクザのステレオタイプが歩いているようなものだ。しかし借金をしている悲しさで、黒田ははっきりモノが言えない。
「というわけでオレが会見に出よう。記者連中はどこだ?」
 譲治の勢いは誰にも止められないと思えた、その時。
「あの。えーっと」
 わざとらしく咳払いして割って入ったのは元ホストの達也だった。
「譲治さん……だっけ? あなたはきちんとした紳士に見えるし、記者会見のメインになってもらっても全然問題ないと思うんだけど」
 さすがはホスト。心にもないことを平気で口に出来る才能は第二の天性だ。
「……教団のイメージ的には、たとえば若い女性をマスコミとのあいだに立てたほうが、絶対、ウケると思いますよ。だいたい、男が出て行くより絵になるし。外見はそこそこ、とりあえず、マトモな日本語が話せる女性なら……」
 そう言った達也は、ドア外に見える信者たちを眺めた。外見はともかく、言葉づかいという点では東京から連れてきたギャル軍団はダメだ。敬語を使えないし、人前できちんと話したことなどないから、いきなりタメ口が出てしまうだろう。
 関係者一同を見回していた達也の目が幸枝に止まった。それを見た達也は、なるほどと頷いた。
「……そうだよ。女なら、厳しく追及されて泣き出しても『泣くな』とか怒られないし、怒られてもかえって世間の同情を引けるし。うん。いじめられキャラ、というか、いじられキャラみたいなのが最高だよ。幸枝ちゃん」
 名指しされた幸枝はぎょっとしている。
「きみが記者会見で喋るといい。そうですよね、黒田さん。いや、教祖」
 教祖・黒田は重々しく頷き、幸枝はうろたえた。
「あ……あたし、そんなこと」
 いきなりなんの相談もなく重責を押しつけられそうになった幸枝は当惑を通り越して驚愕した。
「こいつか。それはいいかもな」
 気がつくと譲治までが幸枝の全身をじろじろと見ている。
「決まりだな。お前は今からこの教団のスポークスマンだ」
「ていうか、スポークスパーソン」
 達也が口を出したが譲治は無視した。
「だけどだけどだけど、私、無理。絶対そんなのダメ!」
 幸枝はパニックのあまり地団駄を踏んで駄々をこねた。
「早くしてください!」
 村の職員が急かした。
「夕刊の締め切りに間に合わないそうです」
 そのうちに、記者会見場にした階下の大ホールから罵声が聞こえてきた。
「早くしろよ! 大新聞をいつまで待たせるんだ!」
「知る権利を妨害する気か!」
 怒鳴り声を聞くと、幸枝はますますパニックになった。
「何でもいいから喋れ。にこやかに、感じよく。しかし言質を取られるようなことは言うな」
「そんなの無理よっ! 高校のホームルームでも発言した事なかったんだから!」
「……とりあえず何でも曖昧にごまかせ。デート商法やってたんなら出来るだろ。たとえ売り上げ最低のお前でもな」
 譲治は凄みを利かせて睨みつけた。
「そんな、睨んでも怖くない……怖くない。記者会見するより怖くないっ!」
 ドアに掴まって絶対に行かないとわめく幸枝の手を、譲治は指の一本一本を引き剥がして抱きかかえ、階段を無理やり降りさせた。
「出来ないって! そんなこと。答えられない質問をされたら、どうしたらいいのよっ?」
「だからそういう時は話をそらすとか、現在教団の教義に照らして検討中だとか、何とでも言いようはあるだろうが。ホントの事を答える必要はないんだ。マスコミが食いついて話題になればいいの。だから、喧嘩を売ってもいいんだぜ……そうだ! どうしようもなくなったらお前、神懸かれ」
「はぁ?」
「だからお告げを受けたっつーか、カミサマからの啓示を受けた振りをするんだよ。意味ありげだが訳のわからんことを口走るとか、白眼を剥くとか、失神して見せるとか。心神耗弱状態だったとか、後からいくらでも言い訳が出来る! ほいっ!」
 譲治は彼女の背中を突いた。
 よろけながら前に出ると、そこは大ホール。
 彼女の顔をストロボの閃光が連発で襲った。テレビカメラ用のライトも点いて、すごく暑い。
 眩しさに閉じた目を開くと、そこには大勢の記者が身を乗り出して待っていた。ワイドショーでよく見る芸能リポーターの記者会見と、官房長官の会見の中間のような感じだ。記者は椅子に座っているが、こちらを見る目は鋭く、意地悪なようでもある。
 幸枝には口が耳まで裂けて、舌なめずりするオオカミが座っているような、ディズニーのアニメの一場面のように見えた。
「大丈夫だよ。僕が横についてるから。適当に助け船出すし」
 優しく囁いたのは、達也だった。
「……やっぱり達也さんね。あのくそヤクザとは全然違う……有り難う!」
 幸枝はなんだか勇気が出た。だって、愛する達也さんが付いていてくれるんだから。
 二人はマイクが林立する席に、並んで座った。これが婚約記者会見ならどんなにかいいだろう、と思った。なんせ、誰がセットしたのか知らないが、席の背後には金屏風が立っていた。
「みなさま今日はわざわざ遠くからのお運びありがとうございました。ただ今より教団の広報を務めます、バーバラ幸枝が皆様のご質問にお答えいたします」
 いつの間にか司会役になった達也が開会を宣言した。
「バーバラ幸枝?」
「そう。あなたがバーバラ幸枝」
 いきなり芸名を付けられてしまった幸枝だが、達也さんの命名ならいいか、と思い直した。
「さあ、質問をどうぞ」
 真っ先に手を上げた記者を、達也がペンで指した。その仕草はアメリカ大統領みたいでかっこいい。しかしその質問に答えるのは、幸枝なのだ。
「無職の、それも未成年の少女ばかりを大量に拉致したという疑惑がありますが、その辺はどうなんですか?」
「ええ……拉致ではありません。みんな自分の意志でここに来ています。ここは空気もよく、健康的な食事をお出ししていますので、みなさん体重も増えて困っているようです」
「おかしいじゃないですか。では何故、結城真沙美という少女は、拉致監禁されていると言ったのです? 自分から来たのなら、彼女が嘘を言ってることになりますね」
「だって、嘘をついてるんだから」
 幸枝の答えに会場は騒然となった。
「自分からバスに乗ってきたんだから、自分で来たってことでしょう? 嫌がるのを無理矢理になんか乗せてませんよ」
「その前に催眠術をかけていたとか、暗示をかけたとか、脅迫したとか、そういうこともないと言うんですね?」
「ありませんったら」
 幸枝は、譲治の意図をよく判っていない。判らないなりに事態を沈静化させようと喋るのでギャップが出来て、記者はますます苛立つ。しかしそれは意図的な芝居ではなく、幸枝の天然の反応なのだ。
「じゃあどうして真沙美さんはああいう事を言ったんです?」
「あの年ごろの女の子はとてもデリケートで、自分を悲劇にヒロインにしてしまう事もあるんです。みなさんオジサンだから判らないと思いますが」
「ウチの局では、あのビデオを専門家に鑑定してもらったら、彼女は本当の事を言っている公算が大だという結果が出たんですが」
「それは、その鑑定の人が間違ってるんです。ウケ狙いなんじゃないんですか?」
 そう答えた途端に、容赦のない質問が一斉に巻き起った。
「どうして事実を隠蔽しようとするんですか」
「背後に闇の世界の住人がついていて、暴力団の資金源になっているという話は本当ですか」
「黒田教祖は過去に依存症治療と称して詐欺を働いていますが、その事実を認めますか」
「この村に逃げ込んだのは、無理やり信者にした人たちを逃がさないためではないのですか」
「この辰州村当局も、村の施設を勝手に占拠されて困り果てているという事実をどう考えますか」
(どうしよう……)
 答えられない質問ばかりが矢のように飛んできて、幸枝は進退窮まった。自分にだって判らない事を、どうやって説明出来ようか。一方的にガンガンと煽るような質問責めを受けて、へらへら笑うしか術はない。突然神懸かれと言われても、お告げのようなことを口走って誤魔化せといわれても、何も考えていないし思いつかない。
「失神。失神」
 横で達也が小声で言った。失神してごまかせと言うのだろう。だが、このまま失神しても記者たちは許してくれそうもない。
「どうしたんですか?」
「なにか答えなさい!」
「黙ってても答えになりませんよ!」
「おい、様子が変だぞ。医者を呼べ!」
 限界だ。これ以上引き延ばせない。なにか言わなければ。
 横を見ると、心配そうな達也が勇気を出せと言うように大きく頷いた。しかし、頷かれてもなんの助けにもならない。
 振り返ると、大ホールのドア脇に立っている譲治と黒田の姿が見えた。脅すような身振りをしている譲治や、ただハラハラしているだけの黒田からは速攻で視線をそらした。
 次に彼女の目に飛び込んできたのは、壁に貼りっぱなしになっている古いポスターだった。
『辰州村鉱泉──森林のフィトンチッドに包まれて やすらぎのひとときを。天然成分豊富』
 いつから貼られているのか判らないほど印刷の色は褪せ、「森林」の緑はほとんど黄色くなっている。その中に天然石に囲まれた露天風呂があり、若いカップルが浸かっている。露天風呂の水面からは湯気が立ちのぼり、若い男女のとってつけたような笑顔を包んでいる。
(あれ……嘘よね)
 この村で育った幸枝は、その鉱泉がただの湧き水で温泉ではないことはもちろん、鉱泉とも呼べない事を知っている。すぐそばにはバブルのころの村おこし資金で建てた『温泉センター』もあるが、当然沸かし湯だ。ポスターの露天風呂も現在は打ち捨てられ、水面には青ミドロが浮いているはずだ。
(でも、あんな露天風呂に、達也さんと入ることが出来たなら)
 追いつめられた幸枝の視線は、達也とポスターとのあいだをさまよった。
 だが、その時、またもリポーターたちの一人から怒声が飛んだ。
「ちょっと。黙ってちゃ何も判らんじゃないか! ごまかす気か、あんた?」
 大新聞のバッジを光らせた記者が大声を上げた。
「……温泉が見えます!」
 咄嗟に幸枝は口走っていた。
「温泉につかっている若い男女が見えます。そのまわりには湯気がもうもうとあがっていて、二人は幸せそうです」
「何を言ってるんだ、あんた。全然訳が判らんぞ!」
 記者やリポーターたちは口々に怒号のような声をあげた。
 虚空に目を据えて一点を見つめ、神がかりの演技をする幸枝目がけて何度もストロボが焚かれ、カメラのシャッターが切られた。
「話にならん。質問に答えてくれ。儀式と称するパフォーマンスで白い着物をきて裸の男たちに嬲られていたあの子は、今何処にいるんだ」
「待ってください」
 割って入ったのは達也だった。
「彼女は……ええと、バーバラ幸枝には『ヴィジョン』が見えるんです。たった今、彼女に神霊がくだりました。それは間違いない。バーバラが今言ったことは、『お告げ』です。これには深い意味がありますので、ただちに教団で会議を開き検討しなければなりません。申し訳ありませんが今日の会見はここまで、とい
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