八、ロッキン・パンダ~台風を巻き起こせ!~

文字数 14,070文字

 松木に飲みに誘われたが、丁重に断った。そんな場合じゃない。『ロッキン・パンダ』が社員募集しているのだ。これは受けるしかない。ただ大きな問題がある。『つぶやきフォロワー数』だ。今の明のフォロワー数は二十。しかも、どういう層が見ているのか、全く検討がつかない。その中の二人は稲森と太田だというのがわかっているが、他の十八人は全くの知らない人間なのだ。それを五百に増やさなければならない。どうすればいい? 
 ともかく、まず調べなければならないことは、ロッキン・パンダの仕事内容だ。パソコンを起動させる。リクルートのページを見ると、つぶやきと同じく、職務内容は「便利屋」となっている。ロッキン・パンダは雑誌編集、ライブイベントの企画、広告と、面白いことはなんでもやる会社だ。
 考えに煮詰まり、片っ端からページを開く。その中で、佐伯が自転車で街を突っ走る動画があった。自分も、彼みたいに風を切って生きたい。ただそれだけなんだ。
「ただ、それだけなのに……」
 それだけ。つぶやくと、不思議なことにひとつの妙案が浮かんだ。これは大きな賭けかもしれない。でも、この賭けに乗っからないであきらめたくはない。憧れの人間と仕事をするなんて、もしかしたら一生に一度のチャンスじゃないか?
 明は、即座にロッキン・パンダへメールを打った。


 五日後、履歴書とその他制作会社などに送りつけていた資料を持って、渋谷のロッキンパンダの面接会場を訪れた。レンタルの会議場を借りているらしく、室内は広い。入り口で、赤いフレームの、髪をアップにした性格がきつそうな女性に履歴書と資料を渡すと、資料だけ返された。
「履歴書以外のものは受け取れません」
「過去に書いたキャッチコピー集なんですが」
 食い下がってみても、結果は同じだった。
「弊社は、過去のものに興味はありません。新しいものを作る人間を募集していますので。不満でしたら、お帰りください」
 取り付く島もなかった。こうなったら、態度で示そう。明は一度廊下に出ると、持ってきた資料を全部ゴミ箱に捨てた。
「過去は捨てました。御社に不満はありません。本日はよろしくお願い致します」
 女性はにこりともせずに、席に案内した。
 広い面接会場の中に、結婚式場で使われるようなイスが七つ等間隔で並んでいる。明は三番目に来たので、真ん中より少し左よりの席に座った。
 先に来た、横の二人を見る。一番端に座っているのは長髪にひげを生やした男性。面接だというのに、襟元がゆるくなったTシャツとぼろぼろのジーパンだ。荷物がやけに大きいのも気になる。壁に立てかけているのは、多分ギターだ。都市伝説で、「面接で一発芸をすると受かる」なんてものも流行ったが、彼はそれ狙いだろう。実は明も念のため楽器を持参していた。ビジネスカバンに入る、小さなものだ。そんなことはまずありえないだろうが、もし「一発芸をやれ」と言われたら、カバンから取り出して演奏するしかない。とはいえ、全く練習していないので、カバンのものはただのお守りのようなものになっている。
 今度は左の人物に目をやると、ぎょっとした。紫のモヒカンにニードルリストバンド、びりびりのシャツでパンクバンドでもやっているような風貌の女性だった。彼女は何も持っていなさそうだ。そもそもカバンすら持ってきていない。手ぶらだ。履歴書だけ持ってきたというのか。それはそれで問題のような気もするが。
 入り口から誰か入ってくる気配がした。腕時計を確認すると、時間十分前。ちょうどいいか、ちょっと遅いくらいだ。
 明の右に座ったのは、ショートヘアのモデルのような美少女だった。ホットパンツにヒールの高いサンダルが、脚を余計に長く見せる。上は白いシャツに茶色いボレロだ。彼女は小さいカゴのようなバッグを膝の上に置いた。
 三人を見ていると、自分の存在が奇異に思えてきた。みんな自由な格好なのに、自分だけスーツにネクタイ。せめてクールビズにしてくればよかっただろうか。いや、ここは面接会場。スーツ着用で何が悪い。両方の気持ちに板ばさみになり、明は混乱しかけた。
 そこに入ってきたのが、スーツの男性だった。明より大分若そうだ。スーツを着ているというよりも、「着られてしまっている」ように見える。でも、彼の存在に明は安心した。ここはやはり面接会場だ。
 面接三分前。まだ二人も到着していない。電車に遅延が出ているのだろうか。
「すいません! 遅くなりました!」
 駆け込んできたのは、ピンクのポロシャツに丈の短いパンツ、スニーカーの男だった。ぱっと見ると、夏休み中の大学生が紛れこんだみたいだ。
 時間だ。緑の頭の佐伯が入ってくると、メガネの女性が分厚い扉を閉めた。残り一人は間に合わなかったようだ。
 正面の長い机の真ん中に、佐伯は座った。隣の席についた女性から受け取った履歴書を一枚ずつ見てから、開始の挨拶をした。
「今日はみんな来てくれてありがとう。佐伯勝といいます。ここにいるメンバーは、みんなつぶやきのフォロワーが五百人以上いる人たち、つまり『一部に有名な一般人』です。この中で一緒に仕事ができる人が出てくれれば嬉しいと思っています……あー、一人例外がいるんだっけ」
 明はどきっとした。自分だ。注目を浴びることを覚悟して、右手をゆっくりと上に伸ばす。
「私です」
「あー、そうそう、田口くん。君の企画には期待してます。ともかく今日の面接をクリアしたのちに、フォロワー五百人集めてね」
「はい」
 周りは意外とクールだった。冷たい視線や、特別扱いに嫉妬する者が出ると思っていたが、自意識過剰だった。いや、ここにいる全員が自意識過剰なのだ。「特別扱いが一人くらいいようが、受かるのは自分に決まっている」。そんな自信に満ち溢れている人間しか、この場にはいなかった。
「では、自己PRしてもらおうかな。順番は挙手した順ってことで」
 佐伯が言い終える前に、明の左のモヒカン女性が勢いよく手を挙げた。明の耳元の風を切る音がした。
「二(ふた)鹿(しか)叶(かなえ)、二十二です。パンクバンドをやっているので、自己PRをシャウトします」
 開いた口がふさがらなかった。彼女は喉から搾り出すような高音でギャギャギャとシャウトする。終わった頃には肩で息をしていた。
「最後の『キル・ユー』しか聞き取れませんでした」
 先ほどの受付の女性がにべもなく切り捨てた。誰もが思ったことではあったが、無表情でその台詞を吐けるのは、ある意味特技だ。シャウトした女性も失言だ。興奮のあまり、普段口にしている言葉が出たのだろう。
 落ちこむモヒカンの彼女を置いて、自己PR合戦は続く。次に手をあげたのはひげの男性だ。
「一之瀬博人です。僕はギターを持ってきたので……ちょっと待っていただけますか」
 壁に立てかけたギターを取りに行こうと腰をあげた瞬間、赤フレームがそれを止めた。
「ギターを弾くだけでしたら、都市伝説にもあるのでやめてください」
 めった切りされて、ひげは固まった。メガネの女性は、もしかしたら自分の父親レベルの冷徹人間なのではないだろうか。こうなると、手を挙げるのが恐くなる。それでも勇気を出して手を挙げたのが、もう一人のスーツマンだった。
「は、はい! ぼ、僕、私は後藤俊夫とおっしゃって、十八歳でございます」
 緊張しているのか、敬語がめちゃくちゃだ。十代なら尚更だろう。彼は何をしようというのか。
「ぼ、僕はコマネチを三分間に三百回できます!」
 会社の面接が、一気に一発芸大会会場へと変貌した。その予感はあった。あったが、ここまでひどいとは思わなかった。
 十代のスーツ青年は、一心不乱にコマネチを始めた。それを無視して、女性は「次の方」と明を含めた残り三人に手を挙げるように促した。
「もうやだ!」
 勢いよく席を立ったのは、右隣のモデルばりの美女だ。彼女はそのまま走って扉を開け、面接会場から出て行ってしまった。その気持ちはわかる。自分も逃げたい。
「他はありますか」
 女性はそれすら無視して、面接を続行しようとする。
どうしようか。一応、一発芸用に楽器は持ってきている。最後になったら分が悪い。ここは思い切って手を挙げるべきだ。
 明が悩んでいる隙に手を挙げたのは、ピンクのポロシャツだった。
「亜麻模(あまも)大学経済学部経営学科の但馬健吾といいます。私は大学に在籍しながら、ベンチャー企業「シー・ベジタブル」の社長も勤めております。学生向けのフリーペーパーの編集・発行が主な事業です。今回御社の社員募集に応募しましたのは、自分が経営している会社とは違った見方をする企業に入って、勉強したいと思ったからです」
 一発芸じゃなかった。しかもベンチャー企業の社長。まともな自己PRに明はたじろいだ。
「はい! 三百回できました!」
 コマネチ男が空気を無視して手を挙げると、「すいません、見てませんでした」とあっさりかわされる。スーツに着られている十代の青年は、汗を拭い席に着いた。
「君は? 田口くん」
 佐伯に指名され、迷う。但馬のような自己PRはできない。霞むだけだ。それなら、色モノの覚悟を決めて、持ってきた楽器を演奏するしかない。ゆっくりと、カバンの中から、こげ茶の細長い袋を取り出す。練習はしていない。本当にこんなことになるなんて、思っていなかった。お守り代わりだったものが、本当の武器に変わる。
 明はリコーダーの先を口に当てると、震える息を流しこんだ。トゥッ、トゥッ、トゥ、とタンギングする。何回も同じフレーズを演奏する。イントロ部分しか知らない。震えた息も、だんだんと勢いよくなってきて、音がきれいに聴こえるようになる。
『スモーク・オン・ザ・ウォーター』だ。
「……で?」
「え?」
「その先は? ないんですか?」
 メガネの女性はいつまでもイントロ部分を吹き続ける明にしびれを切らし、先を急かした。この先は考えていない。イントロを吹きながら考える。こうなったら。
「うおおおおおおっ!」
 リコーダーをイスに叩きつける。リコーダーはふたつになった。――割れた。そう思った。だが、違った。根元の部分がすっぽり抜けて、飛んでいく。スローモーションを見ているようだった。根元のパーツは、隣のモヒカン女性の頬に、クリーンヒットした。
「痛ぇなぁ! この野郎!」
 モヒカンは反射的に立ち上がり、明のネクタイを締めた。
「すいませんすいません、本当にすいません。悪気はなかったんです」
 完全降伏。片手にリコーダーを持ったまま、頭を上下に振って謝る。そこで、手を二回叩く音が聞こえた。
「面接だから、けんかはしないでね。では、面接はこれで終了です。合格者は後日連絡します。あ、田口くんはその前にフォロワー五百人ね。それじゃ、お疲れ様」
 佐伯は機嫌よさそうに、軽快な足取りで面接会場を出て行ってしまった。
やばい、落ちた。事業に手を出して、大失敗。借金だけが残った。そんな感じだ。落ちたとしても、面接を受ける条件だったフォロワー五百人のノルマはこなさなければならない。
 モヒカンに手を離してもらうと、明は床にへたりこんだ。
「すいません! 向かい風が強くて遅れました!」
「もう面接は終わりましたよ」
 七番目の受験者が赤フレームに追い返されると、明はやっと立ち上がって帰る支度を始めた。


 電話に出た稲森は、大分酔っ払っていた。
「マジで? お前、就活始めてずいぶん変わったな」
「え、どう変わった?」
「アホになった」
 その通りで、言い返すことができない。父にも同じ事を言われた。
『アホ、アホ、アホー。田口アホらくん』
 子供のようなはやし言葉でばかにされ、悔しかった。その上、またかりんとうを鼻につっこまれた。ろくなことがない。
「アホになったのはいいけど、ちゃんと約束は履行しないとだめだぞ。お前、自分の書きこみ、忘れてないだろうな」
 明のつぶやきは大変なことになっていた。

『ロッキン・パンダの面接を受けるためにフォロワー募集します! フォロワーを集めるために、渋谷から上野まで、銀座線沿いに歩きます!』

 この書きこみに、目ざといネットの住人はすかさず突っこみをいれてきた。

『売名乙』
『歩くって、もちろん名前ぶら下げて歩くんだろうな』
『証拠を見せないとフォローしてやらない』
『ここを見てしまってる時点で俺は負けてる』
『そんなに距離はないだろう。売名の意味、あるのか?』

 フォロワー数も口コミやブログなどの必死の行動で集まり、今では百人を超えた。こうなってしまったら、歩くしかない。佐伯のために、得体の知れない百人のために、自分が嘘をつかないことを証明するために、歩く。それしか道はない。
「でも、歩いて、駅ごとに写真を撮るんじゃ信憑性も面白みもないよね」
「じゃ、伴走者をつければいいじゃないか。カメラ持参でさ。松木辺り、声かけてみたら?」
 アドバイスをすると、遠くからもう一人の酔っ払いの声が聞こえた。稲森の父だろうか。彼は彼で休みを満喫しているらしい。
「ありがとな」と礼を言うと、明はすぐに松木の番号を押した。


八月十三日。天気、曇り。気温は昨日の雨のおかげでさほど高くはない。三十一度だ。
「道は調べてきたのか?」
松木は、カメラを明に向けて質問した。
「調べてない。迷ってた方が面白い映像になると思って」
足首を回してストレッチをする明を、周りの人間はちらりと見る。彼の前と後ろには、ダンボールに白い模造紙を貼り、つぶやきのハンドルネームと「フォロワー募集中」というコメントを書いた板がぶら下がっている。まるでサンドイッチマンだ。
「でも、よくOKしてくれたな。一緒に歩くの」
「俺だって、大学最後に何か大きなことやりたかったんだ。小学、中学、高校と機会はあったのに、何もしなかったからな。生放送・外配信なんて、相当根性ないとできねーし」
 カメラを下に向けて、松木はしんみりと言った。
「あ、でも一言いいか」
「なんだよ」
 ちょっと前までの松木とは全く違う口調で、はっきりと明に宣言する。
「俺は、お前がゴールまで歩く感動的な映像を撮ろうなんて、微塵も思ってないからな。大体、運動不足な学生が、渋谷から上野まで歩けるかっての。お前が早々に音をあげて、情けなく、汗まみれでヒーヒー言ってるシーンを撮るために同行するんだ。いいな」
 今日はいつもより涼しいというのにバテ始めている松木の言葉に、明はつい笑ってしまった。
「笑うな! ぼやぼやしてると、日差しが強くなるぞ。出発、出発!」
 松木はごまかすかのようにカメラのピントを明に合わせて、急かす。明もつぶやきを投稿した。

『十一時二十三分、渋谷駅出発!』

 渋谷駅前を抜け、宮益子坂を上る。人はやや多く、みんなが二人に注目する。中には指をさして笑うやつもいた。ティッシュ配りのアルバイトがぎょっとした顔で二人が坂道を上がっていく様子を見つめていた。
 坂の上につくと、道はストレート。大きなビルの間を通り、こどもの城方面へ行く。向かいの大学はまだ夏休みなので、今の時期の昼間はサラリーマンが多い。人は渋谷駅付近より減ったので、幾分歩きやすかった。
「あの人、すっげー荷物」
 松木がカメラを明から、知らない男性の背中に向ける。彼の肩には、大きなボストンバッグがかかっていた。その横を、スレンダーな女性が歩いている。
「モデルと付き人さんかな? よくわからないけど」
「どうなんだろうな」
 彼らは表参道駅の階段を下っていった。ここで明も携帯で写真を撮る。撮った画像はメールに添付して、つぶやきに投稿だ。

『表参道通過。ここまでは余裕』

 表参道駅付近を通り過ぎると、道幅が広くなる。ダンボールで前と後ろを圧迫されている明は、少し楽になった気分だった。大手音楽プロダクションの巨大モニターには、イチオシのアイドルが映されている。
「あれ、誰? これから売れるのかな」
 松木が訊ねると、明も首を傾げた。
「俺も最近音楽聴いてないな。またCD借りに行こ」
表参道から外苑前もさほど距離はなかった。すぐに写真を撮ってつぶやきを投稿すると、次の駅へ急いだ。このペースなら、案外楽にクリアできそうだ。ただ問題なのは、フォロワー数が伸びないことだ。フォロワー数のためには、人通りの多いところを歩く方が効率はいい。渋谷駅の周辺で、どれだけの人にこのボードを見てもらえたかが肝だ。
 外苑前は外国人が多かった。この辺に住んでいる人だろうか。観光客にも見えなくもないが、どちらにも取れる。左手に神宮、右手はビル。爽やかな追い風が吹いて、気持ちいい。蒸し暑い格好をしているので、余計にありがたみを感じる。明は、額の汗をポーチに入れておいたハンドタオルで拭いた。目に塩分がしみ、痛いくらいなのだ。
 しばらく行くと、牛丼屋のチェーン店でお店のおじさんが呼びこみをしていた。他の店ではやっていないのに、珍しい。
 これはチャンスだ。明はおじさんに近づいた。松木もカメラを回しながら寄る。おじさんは、目の前の謎のサンドイッチマンにおどおどする。
「あの、ここのお店、常連さんとかいます?」
「そりゃいるけど、それが?」
「もし、話す機会があったら、このハンドルをフォローしてくれるように言ってくれませんか? 就活の一環で、今日渋谷から上野までこの格好で歩くんです」
 おじさんは唖然とした。
「この暑い中、就活で? 大変だねぇ。言う分にはいいけど、ちゃんと水分取って歩くんだよ」
 おじさんの口コミがどこまで有効かわからないけど、お願いしないよりはましだ。頭を下げると、スポーツドリンクをごくりと飲んだ。
 十二時五分、青山一丁目到着。これからが本番だ。暑くもなる。松木はリュックの中からふたつのキャップを取り出した。駅前の交番にいたお巡りさんが、怪訝な顔でこちらを見ていたが、足早に去る。
 青山通りを直進すると、人通りのほとんどない散歩道に入った。歩きやすいが、反対側の赤坂郵便局前を歩いた方が、人目は引けたかもしれない。辺りはずっと緑だ。
 やっと抜けたと思って斜め右前を見ると、老舗和菓子店ののれんが風に揺れている。ここまで歩いてくるのは、意外にも初めてだ。明みたいな埼玉県在住者は、地下鉄でこの辺りまで来てしまう。赤坂豊川稲荷についた。
「お参りしていきたいな」
 写真を撮ってつぶやくと、松木もうなずいた。
「同感。就活うまくいくようにって。でも、こんな格好じゃ入れないだろ。終わったら、また日を改めてこようぜ」
 確かに、サンドイッチマン姿じゃ、叶う願いも叶わなくなりそうだ。
 地下歩道前を右折して、路上のマップを確認する。事前に調べてこなかったわりには、迷わずにここまで来ることができている。運がいいのだろうか。でも、面白い映像が取れているかどうかは別だ。
「松木、俺、どんな風に映ってる?」
「ただ、汗だくで動いてるだけだな。全く面白くない。けど、それもここでちょっと変わるかも」
 十二時二十分。お昼休みのサラリーマンやOLの集団が、明に注目していた。
「フォロワー募集中だって」
「これは学生時代の黒歴史、決定だな。顔出ししてるし」
 明を見て笑う人もいれば、眉をしかめる年配者もいる。
「君、どのぐらいフォロワー集まったの?」
「……現時点で、二百三十一人ですね」
 携帯を確認して、驚く。すれ違った人は少ないが、ネットの情報が情報を呼んでフォローしてくれたひともいるのだろう。質問したサラリーマンも、携帯をいじってフォローしてくれた。
「タイムラインでのバッシングはすごいけど、フォロワーは着々に増えてます」
 携帯を、松木のカメラに近づけると、すぐに切った。信号が、変わった。
 赤坂見附駅周辺は、ランチの客で大賑わいだった。混雑した道を、ダンボールに挟まった男が通ろうとすると、白い目で見られる。仕方なかった。商店街を出て、大通りに進むと日枝神社があった。明はふもとから就活祈願した。
 十二時四十三分、溜池山王着。六車線と車の通りも激しく、上には首都高。特許庁前を通る役人らしき人たちの冷たい視線が痛い。
 何となく、歩道と自転車の境界を示す標識を撮り、つぶやきにアップする。松木はその様子をじっとカメラに収めていた。
 まだ一時間ちょっと歩いただけだ。疲れは全くない。その分、脳が興奮しているらしい。近くの自販機で四本目のスポーツウォーターを買い、一気に半分まで飲む。
「昔さ、夏休みになると、自転車で日本一周する子いたじゃん。今っていないよな」
 日陰を歩きながら、明は松木に言った。
「危ないからじゃないか? 子供を狙う変態もいるし」
「だけどさ、思うんだよ。俺にそういう機会があったら、やりたかったかもって」
 松木が「できっこない」と笑うと明は顔を赤くした。
「っていうか、やろうと思えば、何だってできるんだよ。気づかない振りして、人は暮らすんだね」
 明が静かに言うと、松木も閉口した。虎ノ門だ。
 道がわからずに、とりあえず外堀通りを行く。バス停には、新作映画のポスターが飾られてある。
「あ、明、あれ」
 松木に肩を叩かれ、上を見ると、初めて「上野」の標識があった。
 ようやく新橋に着くと、溜息が出た。ここまでくれば、もうJR沿いならすぐだ。けど、銀座線沿いという目標があるので、銀座、三越前を通っていかねばならない。けれど、なかなかいいところまで着いた。
 新橋高架下には、バスで乗りつけていた中国人団体旅行客でいっぱいだった。彼らは、明に気がつくと、カメラを向けてくる。明は顔を隠そうとしたが、映りこんでしまった。旅行客はそれだけでは飽き足らず、松木にデジカメを押しつけ、明とツーショットをお願いしてくる。着ぐるみアクターじゃあるまいし。内心思ったが、これも目立つ格好をしているからであり、しょうがない部分だ。明は笑って、写真を撮ってもらった。
「うぇー、あちい」
 松木がタオルで首元を拭いた。銀座方面の日当たりはすごい。出発した時間は曇りだったが、今はいい天気で直射日光が降り注いでくる。松坂屋の前を通ると、クーラーの冷気が気持ちよかった。店内は人で混雑している。ここにも中国人誘致のポスターが貼ってあった。
日本橋方面に行くと、一気に歩いている人間が変わる。ビジネスマンだらけだ。銀座では観光客や買い物客の好奇の視線が降り注いでいたが、ここでは別だ。「平日に遊べる学生は、いいご身分だな」とでも言いたげな、冷たい視線が突き刺さる。
「俺もこんなになれるのかなあ」
 松木が横でつぶやくと、明は曖昧な笑みを浮かべた。日本橋でサラリーマンとなると、結構いい会社の勤め人になるということだと思う。秋採用に、大手優良企業があればいいのだが。
 三越前のライオンが、暑そうに口を開けている。うちのシロみたいだな、と明は思った。
 江戸通りを右折すると、歩道は狭くなった。昭和通りは左折だ。上野まで、あと二キロ。その標識を写真に撮ろうと携帯を取り出したときだった。突然、手にした携帯が振るえだし、落としそうになる。落ち着いてから、通話ボタンを押すと、ロッキン・パンダからだった。
「田口さん、歩いてますか? こちらは生放送とタイムラインをのぞいていますが、田口さんへの意味不明な応援やらヤラセだという批判やら、カオス状態で面白いですよ」
 この間の赤フレームメガネの女性だ。抑揚のない声で、冷静に現状を伝える。
「そうですか、フォロワー数はいくつになってます?」
 その問いかけに、女性は鼻で笑ってから答えた。
「四百八十四人です。あと少しですよ。ところで今日電話したのは、別件のことなんです」
「別件?」
 他に何があるというんだ? 面接だって、落ちたはずだ。受かったのはきっと、ピンクのポロシャツを着た但馬という男だろう。電話口に緊張が走る。彼女は思わぬことを口にした。
「明日、今度はロッキン・パンダ本社においでください。フォロワー数関係なしで」
「え、どういうことですか?」
「面接は合格、ということです。二次面接をします。ですが、二次面接終了後までにフォロワー数のノルマは達成してくださいね」
一方的に告げると、電話は切られた。呆然としている姿も、松木は見逃さずにカメラに収めている。
「おーい、どうしたんだー」
 松木が小声でたずねると、明は腰に手を当てた。
「ともかく、フォロワー数増やさなきゃいけないことには変わりないんだ。あと二キロ、頑張るぞ!」
 大きな声を張り上げると、公園で休んでいたサラリーマンたちに一斉ににらまれた。
 二時三十五分。開始から三時間とちょっと。岩本町駅の前で信号待ちをしていると、地面が揺れた。足が震えているのか、車の振動なのかすらわからない状態だった。それは松木も同じらしく、ビデオカメラの一時停止ボタンを押して、ふくらはぎの辺りをもんでいる。
 五分後、秋葉原駅が見えた。この辺になると、サラリーマンに混ざって学生の姿もある。
「やべえ、アキバ寄っていきたい」
「帰りに寄ればいいだろ」
 明が、カメラを家電量販店の看板に向ける松木の首を引っ張ると、彼は怒った。
「帰りに寄る体力、残ってるわけないだろ? 俺、明日は家でごろごろしてる、絶対」
 自分は面接だ。松木と同じく、体力は限界である。こんな状態で、明日の面接に耐えられるのだろうか。こんなことなら、普段から運動もしておくべきだった。それに、もっと人との繋がりを大事にしておけばよかった。それでも、自分でつかんだチャンスがあるのは変わらない。コピーライターではないが、佐伯と一緒に仕事ができるんだ。
 上野広小路駅を過ぎ、上野駅まであと二百七十メートル。一歩、一歩が重い。自分の将来がのしかかってくる。これで決めたい。
 階段を使って、駅のコンコースを目指す。あった。パンダだ。
「ゴール!」
 松木が叫んで腕を挙げた。明もへとへとだ。さっそく松木にビデオの映り具合について訊くと、彼は首を左右に振った。
「面白いシーン、一箇所もないぜ。ある意味最高のできだ」
 この面白くないビデオは、動画サイトでものちに公開され、大批判された。


 ロッキン・パンダは渋谷の大通りを外れた場所にある、ビルの一部屋だった。会社という感じはなく、普通のマンションの一室だ。インターフォンを押し、ドアを開けてもらうと、この間の赤フレームメガネが出迎えてくれた。玄関で靴を脱ぐと、すぐにテーブルがある。ホワイトボードが埋めこまれている形のものだ。えんどう豆のような、背もたれのない形のイスに座ると、すぐに緑髪が頭を上げた。奥が仕事場になっているようだが、1LKなので、すぐに居場所がわかる。
 佐伯と赤フレームは書類を持ってくると、明の前に座った。彼らも同じく不安定なイスに腰掛けていて、なんだか滑稽だった。
「本日はよろしくお願いします」
 いつも通り挨拶するが、緊張感はなかった。もう、落とされるのがわかっていたから。
「で、結局五百人、集まったの?」
 テーブルに両肘を置き、手を組む。明は静かに答えた。
「残念ながら」
「ぎりぎりでしたね。五百九十九人。これはある意味奇跡的です」
 明石、と名乗った赤フレームは、自分の携帯を見て言った。佐伯は「惜しかったねぇ」と他人事のように笑っている。明は、内心佐伯に期待していた。ここまで来たら、普通、「最後の一人は俺がなってやろう」という展開が待っているんじゃないか? しかし、佐伯は全くそんな素振りは見せない。
「約束は五百人だからね。一次面接は合格にしたけど、これじゃダメだ」
「それなんですけど……」
 不合格で決定なら、なぜ自分が今ここにいるのか。それだけでも教えてもらいたい。明の口は勝手に動いていた。
「まともな自己PRをしていた人もいましたし、面白い人だって多かった中、なぜ私は一次通過させてもらえたのでしょうか」
 うーん、と少し考えたあと、あごをさすりながら佐伯は言った。
「『人を巻きこむ才能』ってやつかな。正直、リコーダー自体は全然面白くなかったんだよもうホント、くそ。っていうか、くそく以下。でも、そのあとパーツが隣の二鹿さんに当たったでしょ? ああ、こいつ、めっちゃ才能あるなって。無理やり人を引きこんじゃう力の持ち主だって。それと、つぶやきのフォロワー数稼ぐために、渋谷から上野を歩いたってのも。気がついたら、君のペースだよ。これこそロマンだ、って俺は思った」
「……でも、不合格なんですよね」
 ここまで褒めてもらえたのに、最後の最後でダメだった。明は就活で、初めて悔し泣きをした。他人に涙を見せるなんて、恥ずかしかったが、関係なかった。またスタートへ逆戻り。それでも頑張らなきゃいけない。笑って佐伯と別れられるように、今すぐ気持ちを整理したかった。
 佐伯が大きく溜息をついたとき、明石が一言発した。
「五百人のフォロワーがついたら、彼に内定を与える気だったんですか?」
「うん、そのつもりだった。他人を巻きこむ台風みたいなやつに、やっと出会えたと思ったんだけど」
 明はまだぐすぐすと鼻を鳴らしている。下に置いたカバンからハンカチを取り出して、目の辺りを拭う。明石と目が合った。にやりと、口元を歪ませる。彼女は明から佐伯に視線を移し、平然と言った。
「フォロワー数、五百人になりましたよ」
「え?」
 明と佐伯は、明石の手元の携帯をのぞきこむ。確かに五百。数字は間違っていなかった。
「最後の最後でなんで……」
 佐伯は携帯をいじっていない。そんなドラマみたいなことがあるわけない。明が驚いていると、明石は携帯を閉じて、無表情に二人を見た。
「私が五百人目です」
「明石、なんで、そんなことしたんだ?」
 佐伯が呆れたように言うと、サディスティックな笑みを浮かべて彼女は言った。
「三ヶ月」
 メガネをくいと持ち上げ、書類を数枚取り出すと、明に渡した。
「入社して三ヶ月彼がもったら、佐伯さんの勝ちです。この間の損失三百万、チャラにします。三ヶ月経たないで彼が逃げたら、次の企画はちゃんと予算内、いえ、予算の四分の三でやってもらいます」
「ええっ?」
 佐伯がすっとんきょうな声を上げ、立ち上がった。明石は平然とした顔で、明に内定承諾書などの書類を渡す。代表である佐伯より、彼女の方がはるかに力は上らしい。
「それと、わかってると思いますけど、うちの会社は福利厚生、ちゃんとしてませんので。九時五時勤務は当然なし、土日祝日も出社ですから」
 明に詰め寄る。これはもしかして、かなりの大勝負に出てしまったのでは? それでも涙を拭い、笑顔で書類を受け取った。今は不安より、期待の方が大きい。憧れの佐伯とともに働ける。長かった就活も、これで終わりだ。安易な選択だったかどうかは、仕事を辞める場面になったら考えればいい。これから全てが始まるのだ。はずむように、明は佐伯に言った。
「佐伯さん、俺、やりますよ、便利屋!」


 夕方、家に着くと、不気味に玄関のライトがついていた。父がいるのだろうか。それにしても早すぎる。シロも食事を終えているようで、腹を出して寝ている。
 明はゆっくりと鍵穴にキーを差こみ、扉を開けた。
「おかえり&ただいま! マイ・ベイビー!」
 頭の痛くなるような高音。母だ。でも、なぜ? 世界一周はもっと時間がかかるものじゃないのか? 靴を脱ぐと、母親が抱きついてきた。この過剰なまでのスキンシップは、気持ち悪い。うまくかわすと、ネクタイを緩めて質問をぶつけた。
「あのさ、世界一周だよね?」
「そうよ」
「なんでもう帰ってきてるの?」
 母の目が輝いた。また違った方向に思考が移動してしまったようだ。
「明ったら、ママがいなくて寂しかったのね? だからいじわる言っちゃうなんて、本当子供なんだから」
 再び飛びつこうとするのを必死に腕で止め、溜息をついた。
「違います。ちゃんと説明してください」
 冷たい声で訊ねると、母も少ししゅんとして、質問に答えた。
 どうやら母の乗った船は、スペインで立ち往生してしまったらしい。元から古い船で、エンジン部分が故障してしまったのだ。運良く、スペインを離れる前の点検で見つかったため、事故にはならなかったが、船の乗り換えを余儀なくされた。それがまた一苦労だったようだ。船に積んであるイスやテーブルを、客も総出で移動させなければならなかった。しかも、出発まで、念入りに検査をしなくてはならず、時間がかかる。このままだと、当初予定していた日程より一ヶ月も遅い帰国になると知った母は、あっさりと飛行機で帰ってきたのだ。
「三十万取られた俺が言うのもなんだけど、世界一周できないで帰ってくるなんて、面白くなかったんじゃないか?」
「いえ、最高に面白かったわよ!」
 六十代に見えない母は、ウインクを飛ばした。それを無視して、再び訊ねる。
「だって、家具の移動とかも手伝わされたんだろ? 言い争いやけんかだってあっただろうし」
 人間狭い場所にずっと閉じこめられていると、攻撃的になるものだ。長い船旅でけんかがなかったなんて、思えない。目に見えたものがなくても、当てこすりや嫌味など、人の精神を傷つける方法なんていくらでもある。それでも母は笑って言った。
「それを全部含めて面白かった、って言ってるの。ばかね。人間模様が見えるからこそ、面白いんじゃない」
 明は口をあんぐり開けたまま、閉じることができなかった。母は平然とお土産の整理をしている。いつも何も考えずにふらふらと旅に出てしまう母。何を言っても笑っている母。これは単なる楽観主義者じゃない。最強の楽観主義者だ。
 彼女には勝てない。そのまま廊下にしゃがみこむと、母は三ヶ月ちょっと振りに携帯の電源を入れた。ひっきりなしににメールの着信音が鳴り響く。
「マッサールからだわ。そういえば新しい落書き描いたから、送ろうかしら」
「まっさーる?」
 六十過ぎた人間が、人をあだ名で呼ぶことに違和感を覚えた明は、母の携帯をのぞき見た。

『アッキー久しぶり! 前にくれた落書きを元に、イスを作りました。今会社に置いてるよ。礼金はいつもの口座に振り込んでおきます。サンキュー!』

 アッキーというのは、おそらく母親のことだろう。親をあだ名で呼ばれると、なんともいたたまれない気持ちになるが、問題は添付されていた写真だった。どこかで見たことがある。というか、今日見たばかりだ。
 そのイスは、ロッキン・パンダに置かれていた、あの不安定なえんどう豆そのものだった。「マッサール」、「マサル」、「勝」。まさか。
「母さん、この『マッサール』って、もしかして、『佐伯勝』?」
 母の肩をつかんで、必死な形相を浮かべても、彼女は笑ってごまかす。
父が帰ってくると、そのまま例の調子でマシンガン・トークの始まりだ。明の疑問は解消されないまま、夜は更けていった。
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