第10話

文字数 1,586文字

 夜の街を連れ立って歩く哲也と臼尾。
 小さな飲食店ビルの前で立ち止まる二人。
 臼尾に問いかける哲也。
「ここの2階の店、来たことありますか」
「いいえ。でも構いませんよ。ここにしますか」
「はい」

 哲也が引き戸を開けると同時に威勢のいい掛け声。
「いらしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
 カウンターと6つのテーブル席。
 客はまばらなので、奥のテーブル席を選ぶ哲也。
 お通しを持って注文を取りに来る店主。
「初めてのご来店ですよね」
「あ、ええ。
 祖父が、そこのラーメン屋にいたんですけど、よくここに来ていたらしいと聞いたので……。ちょっと立ち寄らせてもらいました」
「え、来々軒の?じゃあ、てっちゃんのお孫さん?へえ、うれしいなあ。
 今回はなんだか、ご不幸が重なっちゃったみたいで大変でしたねえ。お葬式行きましたよ。別れた奥さんも同じタイミングで亡くなったんですってね、詳しくは知りませんけど。っていうか、結婚してたことも知らなかったんで余計驚きました……。
 水臭い人ですよ、まったく」
「すまん」
「え?」
「いえ、すいません。私も祖父のことはよく知らないんで、こうして跡をたどってるんです」
「なるほど」
「あ、とりあえず、ビール2本いいですか。つまみは考えときます」
「あ、はいはい。ごゆっくりどうぞ」

 グラスを持って哲也にビールを注いでもらう臼尾。
「ふうん、そんな経緯があったんですね」
「あ、祖父のことですか。ええ、まあ……」
「実はあのラーメン屋さんには私の知り合いがいて……」
「五郎、いや、日田さんですよね。今はあの人がオーナーやってます。
 僕、最近、毎日のように通ってるんで仲いいんですよ」
「ああ、そうでしたか。それはよかった。私はそれほど親しくもないんですけど、学生時代に同じ景色を見て育ったので親近感を覚えるんですよね」
「じゃあ、呼びましょうか。メッセージ送っときます。
 店が終わってからだから、10時過ぎちゃいますけどいいですか?」
「私は構いませんけど、彼が困るでしょう。そんな急な呼び出し……」
「はは、奴は……、いえ、日田さんは、私に会うのが楽しみだと言ってましたから大丈夫です。なにしろ師匠の孫ですから」
「ちょっと気の毒だな。まあ、都合が悪ければ断ってくるでしょうし、期待せずに待ちましょう。
 それより、相談事があるならどうぞ。どちらかと言えば人生負け組の私ですけど、だからこそ伝えられることもあるかと思います」
「ありがとうございます。
 ただ、この状態で僕が一方的に質問をしても当たり障りのない一般論になっちゃいそうで……。
 僕は臼尾さんにとても興味があるんです。まだ、ほんの数回しか言葉を交わしてませんけど、すごくいい人なのがしっかり伝わってきましたから。
 まずは、その秘密がどこにあるのか……」
「うーん、すでに誤解されてるようですね。私はとてもいい人とは言えません。
 育ちも悪いし、たくさんの人達に迷惑をかけてきましたから」
「じゃあ、そこから伺わせてください。
 他人に迷惑をかけてきたって言いますけど、それが思い込みってことはないですか。
 臼尾さんの後悔してる過去が、必ずしも人を傷つけていたとは限らないじゃないですか。
 もし仮に傷つけたとしても、その当事者はすでに忘れてるかもしれないし」
 にっこり微笑んでビールを一口飲む臼尾。
「曽倉さんこそいい人ですよ。こんな私を慰めてくれるんですから……。
 でも、だとしたらその逆もあり得ます」
 枝豆を口に入れながら聞き返す哲也。
「逆?」
「私が自覚せずに、誰かを苦しめていたかもしれない。
 あるいは……。いまだに私を恨んでいる人がいるのに、私自身がそれをすっかり忘れてしまっているかもしれない」
「どうも最近、面倒な人が多いな」
「え?」
「何でもありません。
 けど、この際、信頼関係を築きたいので、生い立ちから教えてもらってもいいですか」
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