第8話

文字数 1,529文字

「はあ……、なんていうか、あいつの過去は複雑で……。
 元々、奴は孤児なんです。だから、養護施設、昔で言う孤児院ですね。そこから学校に通ってました。
 高校卒業してからは、住み込みで新聞配達。配達の合間にあの時計店で修業して、そのままあの店に就職……」
「ふうん、偉いなあ。その努力と才能を認められて店を継いだってわけか」
「そこを説明するのが、また厄介なんですけど……。
 そもそも、彼の師匠は先代の店主。店を継いだのはその店主の息子です。
 彼と同世代、まあ二代目の方が二つくらい年上だったかな。その二代目は、時計修理の学校を卒業後、いったんは大手の企業に就職したんです。そして経験を積んだ後、家業に戻ったという、ある意味、業界のエリートなんだと思います。ほどなく、会社勤めの頃に知り合った女性とゴールイン。
 ところがある時、両親が事故で亡くなり、悲嘆にくれた当時の主人は後を追うように自殺しちゃったと。
 そして、残された奥さんがすべての財産を相続して義父の弟子であった彼と結婚。結果的に彼が店も名前も引き継いだってことらしいです」
「え、いや、ちょっと待てよ。その二代目の話は、かなり無理がないか。
 前半の順風満帆なところはともかく、問題は後半だよ。親が死んだからって自殺するか、普通。
 しかも先代店主の弟子がだよ、店も名前も、何より奥さんまで引き継ぎましたって、そんなことあるか」
「それを私に言われても……。ただ、当時は確かにいろんな噂が立ちました。
 奥さんと弟子が浮気の末、ばれるのを恐れて、あるいはばれちゃったから、主人を手にかけたんじゃないかとか」
「うん、それが一般的な発想だと思うよ。でも、ああやって成り立ってるんだから、そうじゃなかったってことなのかな。そんなに親しくないとか言ってたけど、それだけの情報持ってるんなら先に言えよ」
「すみません」
「だから謝るなってば」

 曽倉家、ディナータイム。
「なんでコロッケ買ってないんだよ」
 ごねる哲也をあやすように振る舞う陽子。
「今日は売ってなかったんです。ごめんね、哲也さん。代わりにおっきなメンチカツを、ほら」
「家の中で哲也っていうな。子ども扱いしやがって、まったく」
「だって子供みたいなんですもん。かわいいかわいい哲也さん」
「昇、何とかしろ」
 突然振られて戸惑う昇。
「っていうか、俺は父さんのことなんて呼んだらいいんだろう。呼び捨てかな」
「ああもう、二人とも黙ってろ」
 そこに現れる帰宅したばかりの葵。
「ただいま、お兄ちゃん」
「うるさい」

 リビングルームでくつろぐ家族。
 ヨーグルトをスプーンに乗せたまま哲也に話しかける葵。
「つまり、おじいちゃんは結局まだ何の成果もあげられてないってことか」
「まだって、今日が初日だぞ。しかも正味、半日。何ができるってんだ」
「で、明日の戦略は?」
「今、考え中」
「私に時計買ってよ」
「なに?」
「そのお店の人と話すきっかけが欲しいんでしょ」
「そりゃそうだけど。
 今、時計っていくらくらいするんだ」
「給料百万なんでしょ。それだけあれば買えるんじゃない?」
「ふざけるな。お前に百万の時計なんか似合ってたまるか」
「じゃあ、相場の見当ついてんじゃん」
「んー」
 そこにお茶を運んでくる陽子。
「すみません、お義父さん。ちょうど試験用の時計を買おうと言ってたんですよ。
 千円くらいのでいいんですけど、お願いできますか。もちろんお代は払いますから」
「あの店構えで千円の時計はないだろうけど、会話の糸口にはなりそうだな。よし、安そうな時計を値切り倒してやるよ。一応希望があれば聞いとくけど」
「スマートウォッチ」
「それ、試験で使っていいのか。
 ……いや、そもそもあの店にそんなの売ってるわけないだろ」
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