陰動《いんどう》

文字数 4,737文字

 全て思い出した。僕は――。
 「ちなみにあの後僕も殺されたよ」
 「ああ、一緒に記憶として流れ込んできたよ。最期のセリフはカッコよかったな」
 「よしてくれ。君の初号機よりはマシさ」
 それもバレているのか。思い出すというより記憶の共有に近いな。それにしても恥ずかしい。
 自分でも思いの外、重く捉えてはいない。過去の僕は確かに死んだのに、現在僕はこうして息と冗談を吐いて生きている。
 「それにしても冬也、あれは冗談というよりボケに近いよ。伝わりづらいし」
 「五月蠅い。自分でも恥ずかしいんだから止めてくれ」
 ついでに心を読むのも止めてくれ。
 不透明だった靄が晴れたように澄んだ気分で満たされていく。他にも気になることは山ほどあるが、今はどうでもいいのだ。肩の荷が一つ下りて、下腹部にナイフが刺さった……。今は痛くも痒くもないのだからどうでもいい。どうでもいいことだらけなのは生きる意味を失ったからだろう。僕たちは幽霊なのか? それなら泥棒のほうが百倍マシだったな。
 「記憶を取り戻すことが今の僕たちに何か関係があるのか」
 「関係がないことはないでしょ。まあ全部知っていそうな人がここにいるけど、ねえ魚梁木さん? 」
 「……春也といったか、まあ当たりだ。お前らが望む答えを示せはしないが、俺のやり残したことをやるとしよう」
 やはりキーマンはこの人だったか。それで魚梁木さんは僕らに包丁を見せまいと少し隠れて調理していたのか。優しさか? 知らんけど。
 魚梁木さんは厨房から出てきた。その手にはコップと焼酎があった。席を一つ離して僕の隣に座るとすぐさま酒を注ぎ、勢いのままに飲み干した。気持ちの良い飲みっぷりだった。
 「どこから話すかな」
 魚梁木さんは酒が入ると急に柔らかい印象に変わった。口調が変わったわけのではなく、雰囲気というかオーラが違う。まるで息子が生まれた瞬間の父親みたいに無力で愛情たっぷりの物腰を感じた。きっと気のせいだ。
 「ああ、まずお前らに言いたいことがあった。俺のこと覚えてるか? 」
 愚問だな。
 「皆目見当がつきません」
 「やっぱり冬也だなあ。僕もさっき気づいたけど……、夏祭りで会っているはずだよ」
 「うーん…………は! 夏也の親父さんか」
 魚梁木さんは溜め息をつく。
 「そう、夏也の、魚梁木夏也の親父さんだ。食べたらすぐ気づくと思ったんだがな、案外分からないもんだな」
 魚梁木さんは自嘲気味に笑った。
 はい、すっかり忘れていました。アジを食べて記憶が戻った時に頭には蘇っていたはずなのに、ピンとこないなんてものでは生温いほどに。それほど当時の僕には余裕がなかったのだろう。あの時の春也の顔でさえ鮮明には思い出せない。
 「じゃあ掴みはこれくらいでいいか。お前たちが死んだあとのことを教えよう。祭りはそのまま終わった。何もなかったように熱気は消えて、俺も後片付けをしていた。帰ってこないお前たちにイラつきながらな。そして荷物や機材を軽トラに積んでお前たちが消えた路地を通りながら帰った。そしたら血生臭い空気がして街灯の下に無残な息子の死体とさっきまで話していたお前のことも見つけた」
 真っ直ぐ淡々と惨劇を説明する。その時一番きつかったのは魚梁木さんのはずだ。酒の力もあるのだろうが意外とすんなり言えるんだ。時間が経てば心の傷も癒えるのかな。
 「俺は絶望したよ。安い言葉だけどな、それと同時に犯人を憎んだ。俺は泣けなかったんだよ……。夏也が幼い頃に母親を亡くして男手一人で夏也を育てた。やんちゃだったが優しい性格に育ってくれたよ。そんな夏也が…………一体何をしたって言うんだ! って思ってな。許せなかった。その日のうちに俺は秋也とかいう奴を撲殺した。そうでもしなければ怒りでどうにかなりそうだった。既にその時には手遅れだったけどな」
 魚梁木さんの話は支離滅裂で感情任せで悲しくて、虚しい。
彼がやったことは正しくはない。でもおかしくもない。その話を聞いて僕の腹に沈んでいた怒りという感情が爆ぜる前に消えた。彼は僕がやれなかったことを代わりにやってくれた。救ってくれた。終わらせてくれた。代行者だ。
 それでも、そこには何も残っていない。夏也という正義の消失から全てが一瞬で消えてなくなった。誠意と悪意と憎悪がぶつかり、どこかへいった。それだけだった。
 「俺は高校生を殺害した罪に問われ、生きることが嫌になった俺は屏風ヶ浦から飛び降りた」
 事件の真相を知る者は誰もいなくなり、全て魚梁木さんの罪として海の中に溶けていった。

 「…………」
 「…………」
 僕らは言葉を失って俯き、猫になる。
 ラジオのノイズが強くなりやがて消え、店内には静寂が漂った。
 魚梁木さんはコップいっぱいに酒を注ぎ直し、またも全て飲み干した。
 「くはあ……、しけた顔するなよ。もう過ぎたことだ……気にしちゃいない。いや、気にはしてるか……ははははは」
 完全に酔っぱらっているな。こうなると大人は面倒だぞ……。未成年には荷が重い。
 「僕らが消えた後のことは分かりました。それで今の状況について教えてくれませんか? なぜ僕らは生きているのかとか、なぜ夏が無いのかとか」
 春也がワザと空気を壊すように話の核心をついた。ありがたい。
 ここからが本題だ。僕らの死や魚梁木さんの過去は前座も前座だ。正直生きていようが死んでいようが関係ない。今の僕は好奇心と探求心に勝てそうになかった。今の発言から春也も似たようなものだろう。
 「ひと口いいか? 」
 「え? あ、どうぞ」
 魚梁木さんに向けて残していたアジの塩焼きの皿を滑らせる。かっこいいだろ、隣の席だけど。
 「少し冷めたな……」
 そう言いながらも箸で丁寧に身をほぐし、咀嚼していく。小声で「美味いな」と言っていた。自魚自賛か、でも料理だから違うか。
 「全部食べていいか? 」
 「どうぞ……」
 魚梁木さんの酔いが醒めたように感じる。このアジの塩焼き万能すぎる。エリクシールの中とかで泳いでいたのか? 
 「よし、じゃあこの夜会を終わらせるか。春也、この世界はお前らが生きていた、もといお前らが死んだ世界と同じだと思うか? 」
 「別の世界だという証拠は夏がないことしかありませんし、同じ世界で死んだ僕らが生きているのもおかしな話です。だから同じ世界じゃない」
 考える暇もなく春也の口からすらすらと言葉は出てくる。予習済みのようだ。ただ正解ではなかったらしく魚梁木さんの反応は薄い。
 「普通に考えるとそうなるな。至極真っ当な意見だし、とても良い考察だが……違う。ここは俺たちが死んだ世界と同じだ。完全に同じではない、夏がないからな。その原因はおそらく秋也だ」
 「秋也が夏を奪ったと? 」
 食い気味で質問する。アジを食べられてしまったから。
 「ニュアンスが違う、消したんだ。秋也が俺たちとの勝負に勝ち、その褒美として夏を消した。いや、夏也という存在を夏ごと抹消したんだ」
 意味の分からない話をされている。勝負? 褒美? 抹消? 
 「もう少し具体的にお願いします」
 「うーん弱ったな。俺も全て知っているわけじゃないんだが…………。具体的かどうかは分からないが噛み砕いていうと、俺たちは知らないうちに戦いに巻き込まれていた。そして負けたって感じだ」
 噛み砕いたら大雑把になった。
 「秋也の目的は初めから僕たちを殺すことでその報酬にこの世界を変える権利を得たってことですか? 」 
 「そう、それだ」
 今の説明で春也は分かったようで、僕もそれを聞いて何となくだが分かってきた。
 この世には天国も地獄もなかったということか。

 「でもそれだとおかしい点が一つ。秋也は魚梁木さんに殺されましたよね」
 「ああ」
 「死んだ人間がどうやって褒美をもらうんですか」
 「これは死んだ後に頭に流れ込んできた知識なんだが、俺とお前たちはいわゆる協力関係だった。俺は賢者でお前たちは愚者。賢者は賢者に手出し出来ず、愚者は賢者に愚かな刃を突き立てる。この名前の無い戦争で生き残った賢者の軍勢が世界を変え、輪廻転生する。敗北した軍勢はその世界に留まり続ける。次の賢者が現れるまで…………」
 最後のほうは神話を語るような口調で話した魚梁木さんは自分で言った話のはずなのに困惑している。
 「その話を信じろと? 」
 「信じるしかないだろ、俺もお前たちも」
 「それが…………この世界を変える唯一の方法なんですね」
 「そうだ」
 「なら夏也を取り戻すこともできるのか」
 「そうだ」
 「僕たちはどうすればいいですか」
 「…………俺は子供に人を殺せなんて言えない」
 「僕らが殺せばいいのは賢者とやらだけでしょ」
 「相手の愚者から魚梁木さんを守らないといけないよ」
 「俺は秋也ってやつが許せない。その裏で秋也を操っていた賢者もだ」
 「それは同感です」
 「冬也に合わせるよ」
 「一緒に戦ってくれるのか? 」

 「僕はもう逃げないと決めたんです、夏也の為に。だから僕はここにいる」
 僕の在り方は固まった。世界から何かが消えようともう変わらない。決意を飲んだ。
 「話を聞く限り他の賢者とやらを倒さない限り僕らはどこにも行けそうにないですから」
 春也はもう諦めたようだ。最初から巻き込まれたようなものだからな。
 そうして僕の理解が追い付く前に全て終わり、また始まった。
 夏が消えたと思っていたらいつのまにか友を失い、世界に縛られた。都合よく、都合の悪い話が目まぐるしく僕らの世界を書き換えていく。なんの力も待たないまま僕らは戦うことになった。
 「一体どこから狂い始めたんだ? 」
 「分からないよ。けど僕らは最初から何も分からないまま始まったじゃないか、そもそも僕らは友達ですらなかったんだから感謝はあれど恨みはないよ」
 異世界でもなくパラレルワールドでもない、自分たちの世界を書き換えるなんて妄想もしていなかった。
 悪い冗談みたいに時計の針は進み、頬をつねると痛い。夢でもなく妄想でもない。夏を取り返すために何度だってやり直せることにゲームのようなワクワク感が湧いてくる。それでも刺された腹の痛みが幻影のように感じる。あくまでも現実なのだ。

 僕らの物語は青くて馬鹿らしい話だった。
 赤く塗られた過去を抱きしめて、まだ続く。

 「そろそろ帰ろうよ冬也」
 「ああ、ちゃんと帰れるな。…………僕は帰らないよって」
 「ああ! もう、やめてよ恥ずかしい」
 「家まで送ってってやるよ」
 「魚梁木さん、お酒飲んだんじゃ…………」
 「今更気にするなよ」
 そんなこんなで僕たちは楽しい夜を過ごした。辛いこともたくさんあったけれど、それ以上に出会いと人の思いに魅せられてしまっていた。
 僕は今、生きるのが楽しいんだ。死んでからしか気づけないところは愚かだと我ながら思った。

 海風がドアから入る。外はすっかり暗くなってしまっていた。
 おかしい誰もまだ開けていない。
 「魚梁木さんはここにいますか? 」
 底冷えする声が僕らに問いを放った。手にはナイフが光っている。
 ゆっくりと近づく死期が居酒屋四季を埋める。

 「一生のお願いだから夢であってくれ」

 お腹が痛い。春也の声も遠くなった。

 アジの塩焼きも半生だった。
                                           完
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