敢光《かんこう》

文字数 5,881文字

 世界から夏が消えた。
 それはなんの前触れもなく突然起きた。
 そもそも季節感なんてものは現代人にはあまり馴染みがない。……なくなったと表現するほうが正しいのだろうか。
 春は希望とか夢とかぼんやりとスタートラインが頭に浮かぶ。桜は見るだけで気分が明るくなる気がするし、出会いの季節という大それた名前は中学校で別れた友達と高校で再開したときの思い込みだ。別れの季節は好きじゃない。
 夏は、やはり夏休みだろう。受験生にとっては地獄の期間かもしれない。まだ僕は高校二年になったばかりだから実感は湧かないけれども、死ぬほど辛いのだろう。暑いのは苦手だからクーラーと扇風機を愛しながら食べる冷たいアイスなんかが思い出だな。
 秋は実に多才だ。紅葉している木は全て「出木杉」なんじゃないかって毎年思う。読書、スポーツ、食欲の秋。秋以外いらないだろう。
 冬は好きな季節だ。住んでいるところが関東のさらに東ということもあって雪は滅多にお目にかかることはないが、憧れはある。幼いと馬鹿にされそうだ。それだけじゃないがやはり冬の寒さを嫌いになんてなれなかった。防寒具はゲームの装備品みたいにいくらでも工夫が利くから面白い。
 僕が季節に対して抱いている思いはこれくらい。
 夏が嫌いで、冬が好き。
 「やはり僕も現代人なんだな」
 誰にも聞こえないように机の上に消しゴムを置くように言ったはずなのに、前の席の春也はニヤリと顔を歪ませて振り向いた。
 「君が現代人かどうかに興味はないけど、その発言に至るまでの思考には興味があるよ」
 回りくどい言い方をしなくても授業がつまらないから話をしてくれと懇願すればいいものを。
 「春也、好きな季節は? 」
 「秋が嫌いで、春が好き」
 こいつ、僕の心を読んでいるような回答だ。春也はまだ表情を変えない。僕の返事を待っているようだ。
 「嫌いな季節は聞いていないが? 」
 春也には乗らない。「心読んでる? 」なんて聞いたあかつきには、どんなに心躍る話が待っているか想像に易い。もちろん躍るのは春也だ。僕は観客。
 「君は今から観客だよ」
 春也のダンスパーティが始まってしまう。否、落語かな。
 「冬也、君は僕の話に乗るまいと話題を逸らしたつもりなんだろうけど無駄さ。君は君自身で思っているより余計なことは声に出して喋らないタイプだ。だから一番最初に発した言葉にこそ重要なヒントが隠されているんだ。……自分が現代人だと自問自答したことが大いに関わってくると思う。そして僕にした質問から季節に関係があるんだろう。違うかい? 」
 よくもそんなに長いセリフがつらつらと出てくるな。と感心したが、この手の話には適当に相槌を打っておけばいいと昔に春也本人から聞いたことがあったのでそうした。
 「きっと夏がなくなったから、違和感があるのだろうさ。新学期になって、桜もすっかり散ってしまったし、もうきっと春とは呼べないな。でも今は全然暑くないよね。暑くなる素振りもいまだに顔を出さないから不安になるよ」
 僕は相槌を打った。
 まさに春也の言う通りだ。この世界は夏を失い、失ったことに気づいていない。スマホのネットニュースを覗けば、「秋の紅葉ツアー」なんて広告が珍しくない。
 地球温暖化だなんて騒いでいたのも、なぜか皆無だ。温暖化という言葉は死語になっている。かといって寒冷化が進んだなんて記事は一つも見つからない。
 夏が無くなったことが、どれほど自分の環境に影響するかを想像し得るほど僕は学が無いし、そもそも知る手段もない。
 ……………………いつからないのだろうか。
それすらわからない。昨日からか? 昨日何をしていた。僕はここで授業を受けていて、それからどうする。何をすればいい。思考の渦に飲み込まれていく。考えたところで正解に行き着くわけがないのだが、夏がない。今は七月下旬、夏休みに入る前のみんながうわついている時期のはずだ。おかしい。考えれば考えるほど分からなくなる。どうして――。
 「冬也、冬也。あまり考えすぎないほうがいい、とにかく気をしっかり保って」
 「春也! お前はどうなんだ! みんなおかしい……。俺以外、みんな。お前は」
 気保ってなどいられない。現実を受け入れられない。今、会話をできている春也という一縷の望みにすがるしかこの状況を呑み込めない。
 「僕は正気さ。合理的で論理的ないつもの僕だろう」
 「そんなこと初めて聞いたぞ……」
 春也はそんなんじゃない。ただ現実的なやつだ。ただ、そんな突拍子もない春也の情報で現実に引き戻される。現実師。
 「そう僕は現実的なやつだ。そんなこと考えているんじゃないか? その顔、図星だね。ふふふ、そう現実的だ。そしてなんでも割り切って諦めてさっぱりした性格なんだろう。悪く言えば冷たい、かもね。今の精神状態の君への自己紹介はこのぐらいにしよう。いいかい。冬也、僕はこの非現実的な状況に適応するために合理的に無駄話をしているんだ。さっきの僕らの問答に意味はないよ。ただ君が話かけてくるまで待ち、そして君が正気かどうか確かめたのさ」
 つまり自分はこちら側だと言いたいわけか……。本当に回りくどいな。
 「僕はそちら側だよ」
 「…………そうやって人の心を読むから怪しまれるし、友達もできないんだぞ」
 「心を読んでいるわけじゃないよ。想像しているだけさ」
 すこぶる怪しいなあ……。こんなやつが身近にいたのか。想像をするだけで心を読むなよ。春也は最後に「大切なのは傾向と対策さ」と付け足した。僕の心は受験か! 想像したくもない。
 一応、春也は正気だと分かった。間違えた。最初から狂っているから……、今も狂っているのか。合点!
 僕たちはその後、特に何もせずに過ごした。人生の中で身に入らない時間を全て凝縮したような時間だった。これには春也も同意見だった。ついに僕も狂い始めたかな。

 世界は狂っている。
 まだなにもわからない。
 世界は狂っている。
 それだけがわかる。
 春也は狂っている。
 自他共に認める。
 僕は狂っていない。
 
 僕たちは狂っていない。



 世界から夏が消えて、春也と無駄話をしてから三日がたった。
 今日は日曜日で、春也と会う約束をしていた。デートだ。いや、違う。僕はノーマルだ。ほんとだよ。恰好はインフォーマルだ。今日の天気は記号でいうと〇だ。
 集合場所は銚子駅前。綺麗になった駅舎は、木造で日光を取り込む造りになっていて透き通った印象を受けた。まあ建て替え前の銚子駅知らないけどね。愛ラブ茨城。
 駅を出てすぐにある係船柱に腰を下ろす。
 はあ。
 銚子駅からでている路線は全部で三つ。N田線、S本線、C電鉄だ。
 僕が利用しているのはN田線。一時間に一本しか走っていない。
 
 一時間に一本しか走っていない、いない……、いなぃ。エコー。
 一年生の時はよく駅まで走ったものだ。
 「先輩がよく言っていたよ。もっと走れえい!N田線って」
 「お前じゃないのかい」
 「まあ、乗り遅れたけどね」
 「走れよ。バスケ部だったのに」
 いつの間にかバス通学の春也が僕の背後を取っていた。
 春也は一年生のうちだけバスケ部に在籍していた。昔から習っていたから入ったらしいが、先輩や仲間とそりが合わずにあっさりと辞めてしまった。素人の僕から見ても十分な腕前だったと思う。もったいないなと気を悪くしないような声音で言うと、「僕の時間のほうががもったいないのさ」なんて言って返されてしまったことは未だに鮮明に思い出せる。
 春也は言葉遊びが好きで、かなりの読書好きだ。話をしてみると文学少年かな? と思う。本当は狂った想像読心現実師だった。そのまま独身で死ね。
 「失礼なこと考えているね? 君もモテないだろうに……」
 「僕は関係ねぇだろ! あ……」
 僕は墓穴を掘りながら。春也はスマホをいじりながら銚子のシャッター通りに繰り出した。ながらスマホ、ダメ相対。
 

 特に行きたい場所はない。強いて言うなら銚子。
 銚子という町は二種類の潮の流れが通じる、日本で一番漁獲量が多くすごい港町なのだ。
 僕は茨城県民だ。銚子の紹介なんて一行で十分だろう。茨城の紹介? いいよそんなの。
 茨城無行。
 
 「冬也はなにか気づいたことはあるかい? 」
 「一つだけ」
 「聞こう」
 今日集まったのは、他でもない夏が消えたことについてだ。夏消失事件とでもしておこう。土曜日のうちに僕らは夏が消失したことについて調べてきた。というのもそれが気になって仕方がないのか、他のことに対するやる気が起きない。朝も起きられないほどに。もうぐっすりよ。
 「夏という言葉、というか夏という概念がそもそもなくなっていたよ。ネットや家にあるだけの本を全部調べたけどさっぱりだった」
 「僕も同じだよ。ネットでは『なつ』と『ナツ』、あとは地名しか予測変換が出ないし、漢字辞典でも出てこなかった。つまり『夏』が入っている漢字とか有名人なんかもいなかった。いや、いなくなったのかな。あとサマーも無理だよ」
 そう。この世界には夏目漱石もいなければ、夏戦争も金曜日にみられない。いつも楽しみにしていたのに。来年もよろしくお願いしまーす!
 「それから」
 「それから?」
 「あとはなにも……」
 「なんもないのかい。なんだよ、話の流れ的にまだ喋ることありそうな雰囲気だったじゃねえか」
 「悪いけど、ぐうの音も出ないね」
 珍しいこともあるものだ。明日は雪か、それとも天変地異か、はたまた季節が一つ無くなるのか…………。ぐう。
 行き詰っているな。ぐう…………あれ。
 「お腹空いたのかい? 」
 春也に恥ずかしいところを見られてしまった。一生の不覚。
 「近くに美味しいパスタのお店があるから行こう」
 顔が赤くなっているだろうからお店を指定し、春也の承諾さえも聞かず先導する。
 銚子駅からいつもの通学路の踏切をすぐに左に曲がり、緩やかな坂をさらに右に曲がると分かりづらいところに喫茶店がある。和風なスパゲティが僕のお気に入りだ。ケーキなどのスイーツも大変人気があり、プリンはすぐに売り切れてしまう。一度でいいから食べてみたい。

 「プリン売り切れだね。じゃあ僕はアイスコーヒーと、ミートソースで」
 「…………プリン。じゃあカフェオレと、エビとツナのクリームソースで」
 プリン無い……。おい、前のカップル、プリン食べていやがる。あ、でもひとつのプリン分けているから許す。見つめ合うな! やはり許さん。
 このお店は家庭的な佇まいながらも時計がいっぱいかけられていて、なんかおしゃれだ。
 「なんかおしゃれだね」
 春也も同意見らしい。こういうところでお前の語彙を活かせ。
 僕らはスパゲティを平らげ、コーヒーに舌鼓を打っていた。
 「で、どうするんだい? 」
 「こっちが聞きたいよ」
 二人でため息をつく。もう一回、はあ。
 現状、夏がないことしか分からない。ずっとこれだ。もう飽きたでしょ。僕は飽きたよ。
 やはり僕ら以外は夏を知らない模様だ。店内には読書をする男性客や艶やかにカラメルでコーティングされた名前の分からないケーキを食べる女性客二人、しかも手には何やら「激甘スイーツパラダイス」と書かれた雑誌を見ながら談笑している。すみません、あちらのお客さんにインスリンを。いえいえ、お礼なんかいいですよ。気持ち、なんで。
 さらに、先ほどのカップルは「紅葉観に行きたいねー」、「そうだねー」なんて喋っている。その二人の顔が紅潮している。わあ、美しい紅葉だ。
 これじゃ秋だ! もう飽きた。
 「僕らがいくら調べたところでなにも変わらなくないか」
 「そうなんだよね……。行動に起こすにしても世界規模で夏がないならば、僕らのやろうとしていることは世界征服とか世界転覆に匹敵するね。同じ境遇の人がいればなあ」
 「いたとしても何も変わらなくないか? だってほんとに夏が消失しただけなんだから」
 「その夏が消失したという表現、僕は少し気に入らないね。夏が独りでどこかへ行ったとでもいうつもり? バイバイとか言っていた? 」
 それも面白いな……。
 「…………じゃあ誰かが持っていったとか」
 「いいね、それ。面白いし、夏探しより犯人捜しのほうが探偵っぽい」
 春也は子供みたいに笑ってみせた。
 「夏消失事件じゃなく夏盗難事件か」
 「夏泥棒捜しのほうがいいと思うよ。目的も忘れない」
 夏泥棒か。一体誰がなんのために。
 
 そこから春也と世間話をしてから店を出た。最近夏が無くてさ、まいっちゃうよ。
 銚子駅の裏手にある線路をまたいだ歩道橋を渡り、また駅前に戻る。
 やっとスタートラインだ。時刻は午後一時過ぎ、今電車が出てしまったので帰ることは許されない。おい待て、春也。バス停に向かうんじゃない。あと二分であちらも発車である。僕は春也の襟を掴んで引き留める。力強いこいつ。
 「仕方ないな。あと二時間だけだよ」
 「僕は次の電車で帰りたいんだ! 」
 バス時間に換算するな。バスは二時間に一本だけど。
 そして今度は港沿いの道を行くことにした。前方にポートタワーが見えるが、今から行ったら帰ってこられまい。
 「一体誰が盗んだんだろうね」
 利根川の河口付近に隣接する港には一休みする漁船たちがぷかぷかと浮いていた。人通りの少ない場所に出ると、秋の少し冷たい潮風が頬を撫でる。やはりというか、頭では分かっちゃいるけれども気持ちよさは消えずに残る。夏は終わったのだと身に染みて感じられた。僕は思うままに伸びをして、息を吐いた。
 「僕は秋、嫌いなんだけど」
 「この風の気持ち良さが分からないお前ではあるまい。それにお前が嫌いなのは『秋』じゃなくて、『飽き』だろ? 」
 僕たちは日が落ちる寸前まで銚子の潮風を堪能した。
 下らない話をしながら、受け止め切れない現実を杯からこぼした。
 心の憂いを映したあまりに美しい夕焼けを眼に刻みながら、ため息が肺から溢れた。
 熱くなった会話も夜が近づき冷めていき、お互いに言い出せなかった本文が、無駄話の灰に沈んだ。
 また明日と残して各々の帰路に流れて消えた。
 
 胸にしこりを残したまま。
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