第4話 レトリバーのおはなし

文字数 2,407文字

「おれはネルソン。ネルソンだからって、あの有名な海軍司令官とはなんの関係もないぜ。おれは英雄なんかじゃないんだ。

 別の名前だったらなってよく思うよ。無駄に期待されるし、なにもしていなくても残念がられるし、期待にこたえようと頑張ってみてもどんどん期待がふくれるだけ、どうしたって名前負けしちまうからな。

 それを思い知ったのは、ニワトリ事件のときだ。うちは農場なんだけど、そのころニワトリがよく消えるってんで、おれは「ニワトリには手を出すな!」って口すっぱく言われてたんだ。たしかにうまそうな若いやつばかり消えてたから、おれのせいだと思われてたんだろうな。でもよ、おれはニワトリに手を出しちゃいけない、でも家政婦はいいなんて、そう言ってくれなきゃわかんないよな?

 ある昼ひなかにな、新顔の家政婦がニワトリ小屋に入っていくのを見かけたんだ。中を覗いてみたら、太っためんどりをわし掴みにしてやがる。だから飛び込んで足首に噛みついてやったんだ、こいつがニワトリ泥棒かッて。まっずい赤い靴下でもなんとか離さないでいたら、家の者がムチを持って走ってきて、よしきたと思ったら、まあ、あとはご想像のとおりだ」

「大変だったね……」

 パグが同情の目でつぶやきました。と思うや一転いたずらっぽい光をきらつかせて、

「そういえば、溺れる女の子を助けてもあげたんだよね」
「ああ、溺れてるって思ったんだ」

 ネルソンは胸を張って答えます。

「でも、バタ足を練習していただけだったんだ。髪の毛をくわえて岸まで引っ張ってやったのがダメだったらしくて、あっちもこっちも非難轟々だったぜ。

 それで、おれは英雄になろうとするのをやめた。

 ちょうど密猟者と知り合ったから、夜になると農場から脱け出して、その仕事を手伝うようになった。そいつは街から離れたぼろっちい小屋ずまいで、がりがりの女房と、トムって名前の真っ白い顔をした息子と三人暮らしだった。

 このトムってのがいいやつでな、おれをかわいがってくれて、『バウンサー』って名前までつけてくれた。ネルソンよりいいだろ? トムには持病があって、他の子どもみたいに外で遊べなかったんだ。四六時中わらのベッドに寝かされて、ときどきどこか痛そうにしてたけど、おれを見ると必ず笑いかけてくれてな……

 それで、ある夜な、いつもみたいに小屋までぶらぶら向かいながら、晩飯はうさぎかな、とか考えていたら、トムの泣く声がした。女房も泣いている。うさぎはなかった。おれはうさぎの肉が大好物なんだけどよ、いやそんなことより、密猟者が逮捕されちまったんだ。

 ああ、トムのやつ、その冬はひとりぼっちだった! 女房はちょっとでも金を稼がないとって一日じゅう働きに出ちまってるし、たずねてくるやつなんておれ以外いなかったからな。毎日ひからびたパンのかけらしか食べられない二人を見ていたら、自分だけ農場に帰ってたらふく食ってるのが恥ずかしくて、恥ずかしくて、たまらなかったよ。

『ねえバウンサー、今度もしどこかに骨でも落ちてたら、拾ってきてくれない?』

 いつだったか、トムがおれをやさしく撫でながらそう言ったんだ。わかるか? 気晴らしがほしいみたいな言い方してよ、腹が減ってしょうがなかったんだ。

 おれは考えた。トムのためになにかしてやれないか、ってな。それでその日の帰り道、黒い目をしたかわいい女の子のカゴを奪った。ベーコンのにおいがしたんだ。トムに持っていってやろうって、もちろん乱暴にはしてないぜ、できるだけやさしく、盗った。

 引き返したら、女の子が追いかけてきた。見かけによらず足が速くてな、なかなかまけなくて、結局そのまま小屋まで案内するみたいになっちまった。

『こらっ、──あっ……』

 一緒に中に駆け込んだ女の子は、おれを叱りかけて、トムを見つけて立ちつくした。その一瞬でおれはとんずらだ。そのままそこにいたら怒られそうだったからな。

 あくる日の夜、小屋に行ってみたら、すべてが変わっていた。暖炉には火がパチパチ燃えていて、家じゅう明るかった。トムには暖かそうな毛布が掛けられていて、おれのために皿いっぱいの骨を用意してくれてもいた。

 あの女の子のおかげだって、その後ちょくちょく見かけていてわかった。トムを街にある赤いレンガ造りの大きな家につれていって、医者に診せたりしているって、持病も治りそうだって、後からうわさで聞いた。そのとおり元気になっていてほしいもんだよ。

 実はそれっきり、トムには会えてないんだ。おれは農場の家族旅行に付き合わされちまってな、帰ってきたら小屋はつぶされていて、トムもどこにもいなくて──」

 そこまで話したとき、知らないうちにパーティにまぎれこんでいた黄色い毛をしたミックスが、興奮したようすで叫びました。

「そのトムって子、黒い髪で、おでこに小さな赤い傷あとがありませんか? ありますか? 知ってます! 今は雑貨屋さんでお使いをしている、ぼくのご主人さまです!」

 ネルソンは飛び上がってミックスに詰め寄ります。

「つれていってくれ! またトムに会えるなら、一緒に暮らせるなら、どこへだって行くぞ!」

 ミックスはぶるっと小さな体を震わせました。ネルソンの勢いに驚いたというより、不安があったのです。

「ま、まってください。ぼく、追い出されたりしないですよね……? ぼくには初めての家で、初めてのご主人さまなんです。あなたはぼくよりたくましいし、ハンサムだし、ご主人さまにぼくとあなたを一緒に飼える余裕はないだろうし……」
「──そうか、……そうだよな……」

 ネルソンの茶色の瞳に涙があふれました。がっくりうつむいて、静かに言葉をつぎます。

「そうだな、心配いらないぞ。おまえは追い出されたりなんかしない」

 言いきると、ミックスは嬉しそうに頭を下げました。

「やっぱりきみは英雄だよ、ネルソン」

 ジェフリーが言いました。

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