第2話 コリーのおはなし

文字数 2,528文字

 つづいてニッパーはコリーにおはなしを頼みました。コリーは夢を見ているような声色で話し始めます。

「わたしは子いぬのころ、厩舎で暮らしていた。かなり昔のことだから忘れてしまったことも多いけれど、有名な競走馬と一緒だったのは覚えている。グリーンカラーという名前で、いつもおもしろい話を聞かせてくれたものだ。優勝したレースのこと、風よりも早く走れること、一着でゴールした瞬間のこと、などなどをな。

 ある日わたしは馬主に捕まえられて、新しい飼い主のもとへつれていかれた。気に入らない家だったよ。主人は美しかったから見るぶんには飽きなかったが、自分にしか興味がない人間で、自分以外がちやほやされることに我慢がならないらしい、とすぐに気づいた。そういう飼い主のもとで暮らしてもいぬは幸せになれないものだ。やはり、主人の気分を害さないようにと、だれもわたしを構ってくれはしなかった。

 一人だけ、やさしい言葉をかけてくれる男がいた。ときどき主人に会いにきては、革の箱入りの光りものを贈っていた若者だ。彼もいぬと暮らしていることは服を嗅いだらわかった。

 あるとき彼がやってきたので、いつものようにその手を舐めていたら、主人が言った。

『ずいぶんなつかれたものね、ジェラルド。どうせならそれ(﹅﹅)、つれて帰ってくれないかしら? うちにいても邪魔なだけなのよ』
『もちろんですよ。お返しはいずれ』

 その夜から、わたしは新しいご主人ジェラルドと暮らすことになった。

 ご主人の邸宅は海に近い田園地帯にあったから、狭苦しい都会よりよほど心地がよかった。ご主人も室内より野外にいるのを好むタイプで、わたしの他にもいぬと馬をたくさん飼っていた。

『ご主人があの人と結婚されたら、どんなダンスを踊るんだろうなあ』

 あるとき馬のブラウントーがつぶやいたら、老犬ローヴァーがゆうゆうと答えた。

『ご主人は、あの人とは結婚せんじゃろう』

 ローヴァーの言ったとおり、ご主人はあの人と、つまりわたしの前の飼い主と、結婚しなかった。あの人が他のだれかに嫁いだと聞いたときは、ご主人のためにも、わたし自身としても、よろこばしかったものだ。

 さて、ご主人は狩りが好きだった。しかし乗馬の方はあまり上手ではなかった。というのは、乗りこなし方に癖があったんだよ。

『おれが乗せているときならなんとかしてやれるんだが、最近かわいがられてる栗毛のメスの新入りなんか、もう二回もつまずいてるんだ。なのに反省するそぶりもなくてよ、いつか怪我させちまうんじゃないかなあ』

 ご主人の愛馬シルヴァメインの予言は、二週間もしないうちに当たってしまった。その栗毛のメスが柵を越えそこねて、ご主人にひどい怪我を負わせたんだ。

 みんな厩舎に閉じこめられたから、容態もなにもわからなかった。ようやく外に出されたら、ご主人の気配はもうどこにもなかった。

 弔問にやってきた親族が、それぞれいぬを引き取ることになった。わたしの新しい主人はアイヴァンといって、青い目をした男の子だ。

『もうちょっと落ち着いてくれてもいいんだけどねえ』

 乳母のぼやきのとおり、アイヴァンはいつも元気いっぱいだった。一緒にあちこち遊びまわって、いたずらをしてはよく叱られたものだ。特に『義賊ごっこ』は今でも忘れられない。

 家から数マイル離れたところに、荒れ果てた城があった。かなり昔に打ち捨てられたらしく今にも崩れそうで、子どもたちは遊びに行かないよう言いつけられていた。しかしアイヴァンがそれを守るはずはない。ある朝早く、乳母が外出したすきに、ふたりでこっそりその城をめざして歩き出した。

『ダイナス・リンみたいになりたいんだ』

 道中あの子は、尊敬する義賊について、どうやって城を剣一本で落とすかについて、愉快そうにしゃべっていた。どうやって落とすかと言われても、アイヴァンの剣はただの木の枝だし、その城はすでにぼろぼろの埃まみれだったのだけれどね。

 義賊ごっこは、まあ、あまりおもしろいものではなかった。わたしはずっと囚人役をさせられていたし、与えられる食物も偽物だったから、『義賊ごっこはおしまい』と宣言があったときはほっとしたよ。

『帰る前に、あの塔を探検しよう』

 アイヴァンが言うので、半開きの鉄扉から忍び込んだ。大きな鐘がまだ架かっていて、アイヴァンは歓声をあげた。上ばかり見ながら、わたしが注意するのも聞かずにふらふらと、あちこちひび割れた階段に足をかけた、その瞬間、ガラガラッ──!

 階段が崩れ落ちた。アイヴァンとわたしは宙に浮いたかと思いきや後ろへ吹き飛ばされて、入口まで転がされた。ドシン、とぶつかった勢いで鉄扉は閉じてしまった。

 アイヴァンが倒れている。顔は蒼白の一色で、両膝を曲げたまま動かない。しばらくしてうっすら目を開けたが、動けそうにはない。わたしは必死で鉄扉をひっかき押してみた。びくともしない。だんだん一分が一時間にも感じられてきて、ほとんど絶望していたよ。

 石壁の上方に、ツタの絡んだ小窓がくり抜かれてあった。外から見ていた限りでは、あちら側はかなりの高さだろう。でも迷っているひまはない。わたしは決死の思いでジャンプした、その小さな窓をめがけて……

 なんとか届いて、窓をくぐり抜けて、着地もうまくいった。だが前足を切ってしまっていて、痛かった。しかしすぐに駆け出した。全速力で走った。

『よもや沼に足を取られたのでは──』
『ああ、なんてこと!』
『アイヴァン! アイヴァーン!』

 家じゅう大騒ぎだった。傷ついた足でまた城まで戻れるか不安だったけれど、ありがたいことに家の者たちが馬車を呼んで、わたしも乗せてくれた。

 夜、やっと寝床に落ち着けたときの安堵を想像してみてくれ。大変な一日だった!

 すぐにアイヴァンは元気になった。やがて学校に上がって家にいられる時間が減ってしまったときは、さびしくてならなかったよ。今はこの街の大学に通っている。

 あの日からずいぶん経つけれど、わたしとアイヴァンは今も親友だ。学期中わたしは、彼に付き添ってこの街で暮らすお母さんのそばにいて、休暇になれば、二人と一緒にあの古城から数マイルの田舎に戻る、そんな暮らしなんだ」

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