訳者あとがき

文字数 1,475文字

 イヴァン・ブーニンの『田舎にて』をお読みいただき、ありがとうございました。
 本作品の翻訳に当たっては、わたしが2012年から指導を受けている、ドミトリ・コロボフ先生にご教示いただきました。心から感謝申し上げます。

 わたしは2012年2月からロシア語を学び始めましたが、その前年に起こった東日本大震災によって価値観が大きく揺さぶられたことがきっかけです。知り合いが何人か亡くなり、わたし自身も震災直後から避難所が閉所となる夏頃まで、仲間たちと一緒に炊き出しに通い、仮設住宅に移ってからは傾聴の活動をお手伝いしました。矢のように過ぎた一年を通して、自分のやりたいことを後回しにせず、今やることが大切だ、という気持ちを持つようになりました。
 その後、ドミトリ先生との貴重な出会いがあり、もともとドストエフスキーやトルストイが大好きで、いつか原文でロシア文学を読んでみたいという夢に、本気で取り組み始めました。
 そのため、わたしは大学の授業でロシア語を学んだわけではなく、キリル文字のアルファベットを覚えるところから、ペテルブルク出身のネイティブである先生の教えをうけました。初級の教科書はソ連時代につくられたもの!(ソ連圏内の外国語話者向け)で、中級の教科書は最近のものでしたが、英語話者向けのものでした。なので、一般的なロシア語を学ぶ日本の学生とはかなり違ったスタイルで学んだかもしれないです。2015年にモスクワとペテルブルクを旅し、2016年頃からついにロシア語で小説が読めるようになりました。機会があれば、このロシア語習得のちょっと変わった道程について書きたいですね。

 そのおかげで、本作品の翻訳においても、ネイティブの読者の感覚に近いニュアンスで読めているのではないかと思います。ロシア語には、執筆された当時と現在では意味が変わっている言葉が多くあります。そういった言葉は、翻訳ノートで書きましたので、みなさまの参考になればうれしいです。
 『田舎にて』は、少年時代のクリスマス休暇の思い出を描いた短編で、特に大きな事件が起きるわけではないですが、ブーニンの風景描写の名手が存分に発揮されています。ロシアの冬の特別な美しさがきらきらした比喩で表現されていますね。
 ブーニンは、口語やスラングを全く使わず、教科書のようなきれいなロシア語で書いています。現在でも、本作品はロシアの学校で読まれているそうです。わたしがブーニンをはじめて読んだのは、2017年の春です。本作の前に、マフィア独特のスラングを多用したペレーヴィンの作品を読んでいたので、ブーニンの美文にふれて心底驚き、お手本にしたいと心から思いました。さすがノーベル文学賞作家だと納得の筆力を感じます。

 最後に、本編の解説で引用したアレクセイ・サヴラーソフについて、少しご紹介します。日本ではあまり知られていませんが、サヴラーソフはロシアの抒情的風景画の創始者です。彼の写実的な風景画は、自然の美しさとふるさとへの愛に満ちています。
 サヴラーソフは、24歳の若さでアカデミーの会員となり、同時代の人々から高く評価されていました。しかし悲しいことに、晩年はアルコール依存症に苦しみ、大学から解雇され、ホームレス同然となり、67歳で貧民病院で亡くなりました。現在では、彼の作品がトレチャコフ美術館をはじめ多くの美術館で飾られ、ロシア人には子供の頃から親しまれているそうです。

 あとがきまでおつきあいいただき、本当にありがとうございました。みなさまに、イヴァン・ブーニンの魅力が伝わりますように。
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