親愛なる友よ

文字数 1,791文字

大切な人がいるから、たくさん傷ついた。
そんな経験はなかろうか。
もうこんなに傷ついたからこの人間関係を終わらせたい、と思ったことはないだろうか。

私にとって友は私をひそかに傷つける脅威であり、そして大切であることを知りながらも心はどんどん友から離れていく。

「あなたは友に対していつも誠実であったか?」と尋ねると「私は友達を大切にしているし、友達は私の宝であり...」云々と友を努めてよく言う言葉の美辞麗句が続く。それらは本当にそう思っているのか分からない。自分をよく思われるためにしばし友の存在を散らつかせ、大切にしている自分を表現する。そして自分こそ最も重要な存在であることへの証明である。

何かいくぶん友に対して卑屈に感じている自分がいるから、ここで言っておきたい。
誰でも自分という存在を認識してほしい、という欲求がある。だから他人と自分を比べてしまって自己嫌悪に陥ってしまったり、または、変によい関係に対しては舞い上がってしまったりする。そして悪い関係に対して傷ついてしまう。

私は心を開いて、そして問いたい。友となる残酷な存在について。

私は思う。自分の期待する言葉や行動を他人に、特に友に求めてはならない。友に求めるのは楽しさの共有、孤独の回避で十分だ、と先ず第一に辛い経験からひねくれた自分、という存在は言っておく。自分の苦しみや辛い出来事は大変残念なことではあるが友にはひとつの興奮する興味深い出来事である。過剰に何かを友に期待してはいけない。人間は思っている以上に予想つかない者であり、行動をとる。受け取る感情としては過度に期待したり、自分が充実するような満足感を得ようと思うことは避けるべきである。

自分という者を角に追いやって、ひたすら友に尽くしたと思っても、何ら得るものがなく、孤独な感情が支配していくのは何故なのか。

いっそのこと、「あんな言葉かけなかったほうがよかった」とか、「こんな贈り物あげなければよかった」「この間送った手紙やカード、少しも喜ばれなかったから要らぬ物だった」とか自分の中で、よかれと思ったこと、喜ばれると思った言葉掛け、贈り物、手紙やカードすら送った自分が残念というより、何かを期待した自分が残念だった、と。何を期待したのだろう?

おそらく孤独な私が期待したのは友からの何かしらの私がしたこと、返礼の物質的なものや友に対して何かをしてやった、ことへの見返りだけではない。ただただ自分を受け入れてもらいたかったのだ。私を好意的に受け入れてほしい、という強い気持ちである。私は自分を承認してもらいたいし、私は自分が無視されることが辛いのだ。

ところが期待すればするほど上手くいかない現実に容赦なく直面する。

友は先ず、自分が尊重されることを望み、自分を大切に誠実にひたむきに尊重している影なる存在の友には気づかない。

ぱっと見からして、自分の利益になる友、自分を褒めそやす友に吸い寄せられる。それは実に自分の経験値の浅はかさを目の当たりにせざるを得ない。それらの友はいずれ自分から簡単に離れる友であり、真実の友とは言い難いだろう。自分を過度に褒めて、快くさせ、仲間意識を持たせて、時には友達グループとして群れをなす。
それに心地よくなった自分がいれば、どこかで何かを失った自分がいるはずである。
自分の知らないどこかで、自分を支えてくれる友がいた。しかし、その友は話題がつまらない、社会的立場がない、自分の脅威になる、などの理由で切り捨てたことはなかったか。

自分より何か秀でている、調子よく何か上手くいっている、自分の誘ったイベントを断るから面白くない、など細かい理由で大切な友を避けるようになったことはないだろうか。

友という存在は複雑だ。いないと寂しいが、あれやこれやと構ってくるのも煩わしい。しかし自分の存在を否定する友は最悪だ。

私は友を試していないが友は私を試す。
無意識のようで意識的に私の心を引き裂く。

私の経験で友がいてよかったことは、喜んだり、悲しんだり、感動したことを共有できた時である。また、思いがけなく優しい言葉やその友ができる範囲の自分に対する見返りのない行為をしてくれたときである。

さて、私は何を友にしてきたか。たくさん気遣い言葉をかけてきた。優しい言葉をできるだけかけてきた。
何故だか一抹の虚無感が私を支配する。
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登場人物紹介

思索することで自分を慰める孤独な少女

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