友とよく付き合うこと

文字数 943文字

ほどほどの距離感があり、必要だとお互いが思える時に連絡が取り合える友は大変私にとっても居心地がよい。

自分の中で過剰に評価していた友が実は友人関係を目先の、自分にとっての利益になることしか考えていなかったり、そろばん勘定で、リスクを回避するためにその友をないがしろにしていた事を気付くと、傷つくというより、むしろ、「ああ、やっぱりね」と諦めの境地になる。

そして、友は私の本質的なもの、よい部分を全く理解してくれていないのだ、といつも思う。

誰かの行為や、この残念さ、私の心をキュッと絞って孤独なスペースを増殖させていく。

こんな私には思いあたる友はいるが全員が全員かみ合っているわけではない。幸いなことに心の優しい友が数人いる。それは大変嬉しい。それは貴重な財産である。

私にとって残酷な存在だと思う友は、ひたすら声をかけても、手紙を書いても、贈り物をしても、相手の状況になんの反応もないときである。自分の言い訳になるが、私のそれらの行為には友に対する気遣いの気持ちや、自分の大切な時間を割いて、やったこと、金銭的な代償があるからだ。金銭的代償というと、それは大変ひとりよがりだ、とか自分の自発的行為を押し付けないでほしい、と思われるかもしれない。
ただ率直に私が思ったことである。

別の友より頂いたアドバイスは、「大切な友達で、自分の行為に呼応してくれる友だけ選別してね。」

ということだ。ところが私は広く深く大切に友情関係を築きたいので、この「選別」という概念が存在しない。むしろ公平さを選ぶ。それゆえに一般的には期待値が高すぎて、友という残酷さを感じてしまうのである。

「友とよく付き合うこと」は自分を大切にし、自分の周りの配偶者やパートナー、家族を先ずは大切にすることである。たくさんのお誘いに自分の予定とにらめっこして、あっちを削り、こっちを加え、更に全ての予定を入れこみ、なんてしていると体力も気力もついていかなくなる。ここでのポイントは、会うための交通費や交際費をケチらないことである。なぜなら楽しい場所には参加して行くだけで、実り豊かな時間を共有し、新しいいぶきを享受できるからである。これは私なる人物の経験から得た友と付き合うひとつのポイントである。
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登場人物紹介

思索することで自分を慰める孤独な少女

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