第2話 進路相談

文字数 3,015文字

 高校3年生になり、担任と進路の話をすることになった。本来ならば親代わりの伯父が同席すべきなのだが、彼は「おまえを大学にやる気はない。おまえはおまえの父親の分まで働くんだ」と言い捨てて、三者面談の日取りが記されたプリントを手に取ることすらしなかった。
 僕と担任、一対一の教室で、
「大学には行けません。仕事がありますので」
 と言った。僕が所属している書道部の顧問でもある50代の男性教師は困ったように太い眉を下げ、もったいない……とか、やりたいことが他にあるのでは……といった意味合いの言葉をぼそぼそと口にしたが、はっきりとは言わなかった。それで正しいのだと思う。死んだ父の兄である僕の伯父、光臣(みつおみ)は邪悪で凶暴な性格の人間だ。僕を進学の方向に導く教師の存在を知ったら、文字通り抹殺しかねない。彼がそういうことを迷わず行う人間なのだと、目の前にいる担任も、それに学校関係者も、同級生の親や親族も、みんな知っている。光臣はいわゆる反社会的勢力に所属しているわけではない。だから余計に厄介なのだ。
 気持ちが変わったらいつでも教えてほしい、と担任は悲しそうな顔で言った。僕は彼の気持ちがなんとなく分かるような気がして、はい、そうします、部活にはできるだけ出ます、とだけ返事をして帰宅した。

 自宅マンションに帰ると、部屋には菅原(すがわら)がいた。菅原は昨年、僕が17歳の頃に突然現れた男で、当初は光臣の会社で経理の職に就く予定だったのが、他に向いている業務があるということで今は

という肩書きで僕と一緒に暮らして一緒に仕事をして過ごしている。

 向いている仕事。
 すなわち拝み屋。
 僕と菅原は、この世のものではない悪しき存在を消し去ることができる。

 一応光臣とその周りの連中もそういうことができるということになっているんだけど、彼らは全員

だ。能力を持つ者など誰ひとりとしていない。けれど、できる、ということになっている。特に光臣は。彼が偽物だということを知っているのは、僕と、それに亡くなった僕の実の父親ぐらいのものだろう。父が亡くなり僕の保護者という立場になった光臣は、僕の持つ力をまるで道具のようにこき使う。だから僕は大学に進学することができない。学校で真面目に勉強して、成績だって悪くないし、部活も楽しい。書道のコンクールで賞だってもらった。去年より前まではそんなことをしても誰も褒めてくれなかったけど、今は菅原がいる。菅原は僕がこれまでに貰った表彰状や小さなメダルなんかを壁に綺麗に飾って嬉しそうにしている。
「ただいまぁ」
「坊ちゃん、おかえりなさい」
 身長が2メートルぐらいあって黒髪が腰の辺りまで伸びててその一部を後頭部でお団子にまとめている菅原が、キッチンから声をかけてくれる。今夜の夕食は何か、肉料理だ。そういう匂いがする。
 玄関で靴を脱ぐ僕の足元に纏わり付いてくる黒い影。この部屋に移動してきた時にはなんとなくぼんやりと影だなとしか思っていなかったが、今ではそれが『手』であるとはっきり分かる。骨張って筋張った大きな手。持ち主は男だろう。それが僕の足首を掴もうとするのを、脱いだ靴を振り回して追い払う。こうやって何度も何度も追い払っていると、次第に『手』は力を失っていく。黒い影から人間の手に姿を変え、次第に肌の色が悪くなり、骨と皮だけになり、そして骨だけになったら、本格的に叩く。玄関以外にも幾つか『手』が発生していたが、それらは菅原が始末してくれた。菅原の拝み屋としての能力は、おそらく僕よりもずっと強い。菅原と組んでから仕事がやりやすくなった。やりやすくなったから……僕は絶対に大学に行けない。

 少し悲しい。

「坊ちゃん?」
 夕食の席で、気付いたらぼろぼろと涙を流していた。そんなつもりじゃなかったのに。
「何かあったんですか」
 ご飯が美味しくなかったかとか、学校で嫌なことがあったのかとか、菅原はそういうしょうもない質問の仕方をしない。何か、あった。そう。あったんだ。
 菅原が焼いてくれた肉を食べながら、僕は今日、担任と交わした会話を訥々と再現した。菅原の眉間に皺が寄っている。
「坊ちゃんは、行きたい大学があるんですか」
 肯く。
 それから食事を終えて、風呂に入って寝るまで、僕と菅原は特に言葉を交わさなかった。
 翌朝、菅原のハーレーで高校まで送ってもらって「いってきます」「いってらっしゃい」「今日部活だから」「はい」という会話をして、それきりだった。

 バスケ部のミーティングルームに白い服を着た女の幽霊が出るというので様子を見に行ったら、昔この学校に通っていた生徒の霊だと分かった。もうあなたの憧れの先輩はここにはいないよと説明したら理解して立ち去ってくれたので、話が早くてほっとした。それから書道部に顔を出し、次のコンクールの課題を確認して、家に帰ろうとしたらスマホが震えた。

 光臣からだった。

 なんだろう、また拝み屋の依頼かな、と思って通話ボタンを押したら、光臣、伯父は、ものすごい剣幕で何かを怒鳴り散らしていて、言葉が半分も聞き取れない。なんだよ、切りますよ、とうんざりした気持ちで唸った僕の耳に「学費だけは出す、勝手にしろ」という喚き声が響いた。

 学費?

 電車とバスを乗り継いで帰宅する。
「ただいまぁ」
「坊ちゃん、おかえりなさい」
 今日はカレーだ。いい匂いがする。足首を掴もうとする手はもうすぐ骨になる、そういう色をしている。ぱぱっと振り払って部屋に入り、キッチンを覗く。
 菅原は上機嫌で、黄色いエプロンをつけ、髪の毛を頭の高い位置でポニーテールにして、寸胴鍋をかき回している。
「坊ちゃん、大学の資料、貰ってきましたよ」
「は?」
 何言ってんだ菅原。僕は大学に行けないって話を昨日したとこなのに。
「今日、光臣さんに

しに行ったんです。坊ちゃんの進学を認めてくださいって」
 菅原の声は浮かれている。ふと、光臣からかかってきた不審な電話が脳裏を過ぎる。学費だけは出すって、学費って、つまり。
 リビングの丸テーブルの上には──僕の志望校の名前が印刷された大きな封筒が置かれている。え。うそ。
「菅原!?」
「はい、菅原です」
「……なんでもない。カレー早く」
「はい。あ、ご飯炊けましたね」
 炊飯器がピーピー鳴っている。僕は震える手で封筒の中身をテーブルの上に広げる。
「他に気になる学校ってありますか? 私、受験ってしたことがないので良く分からないんですが、滑り止めとか……」
「あ、ある……」
 行ってみたい大学。気になる専門学校。そんなのいっぱいある。あるに決まっている。でも僕には叶わない夢だった。
 菅原。おまえ。
「ご飯を食べたら学校の名前教えてくださいね。資料をもらいに行ってきます」
 ありがとう、菅原、と言えば、いいんですよ、菅原は坊ちゃんの秘書ですからね、と彼は優しく笑った。

 でもさ菅原。僕には分からないんだ。おまえ、あの光臣相手にいったいどういう交渉をしたんだよ? 菅原が何かを差し出したり、土下座とかをしたとは思えない。電話口の光臣は怯えていた。僕と菅原にこれ以上(少なくとも進学の件では)関わり合いになりたくない、そんな口調で喚き散らしていた。

 なあ、菅原、おまえ僕のために──何をしでかしたんだ?

「今日のカレーにはきのこがいっぱい入ってますよ! 栄養がありますからね!」

 菅原は、寸胴鍋の前でニコニコと笑っている。
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