第2話

文字数 983文字

 彼女の名は静と言った。「静」という字面や、国立女子大附属の小中高一貫校出身という経歴から、僕らは彼女を「お嬢」と呼んでいた。但し、中身はお嬢というにはあまりに遠かった。
 今でも覚えている。大学のボランティアサークルのみんなで、小学校に行った帰り道のことだ。僕たちは、通りかかった公園で、桜の木の上にいる子猫を見つけた。登ったはいいが、降りられなくなったらしい。それほど高い木ではなかったから、落ちても死にはしないだろうが、それでも猫をどうやって助けるか、僕らで話し合おうとした時だった。突然、お嬢は何の躊躇いもなく、自身のポニーテールを解いた。そして、その髪ゴムでスカートの裾を絞ったかと思うと、そのまま一気に木を登り始めた。
 僕らは呆気に取られ、それをただ眺めていた。
 お嬢は木登りが抜群に上手かった。最初の一登りは勢いをつけ、大きく手を伸ばし、太い枝を掴んだ。と思ううちに、後はバランスを取りながら、少しずつ上へ登り、猫の方に近づいていった。無駄のない鮮やかな動きで、スカートの中身が見えるなんてこともない。あっという間に枝先に猫がいる枝のその一番太いところに腰掛けた。
「おいで、子猫ちゃん」お嬢の涼やかな声が辺りに響く。
ー悪いジブリだー俺の側で誰かがそう呟くのを聞いた。
 見ると、猫は文字通り、目を丸くして、恐怖に震えている。いきなり木を登って大きな人間が自分に向かってやって来たら、そりゃ、猫にしてみたら怖いだろう。そんな猫の様子には、頓着せず、お嬢はにじり寄って行く。
「おいで、子猫ちゃん。怖くないよ」
 お嬢はそう言うが、少しずつ伸ばされるお嬢の手に、猫は後退りした。そしてある時、耐えられなくなった子猫は一気に踵を返し、枝の先まで走り切り、そして木からそのまま飛び降りた。
 と、同時に「圭!」とお嬢が叫んだ。
 猫が跳んだ先に圭がいた。圭は咄嗟に頭を手で覆ったが、子猫はそこに着地し、そしてそのまま跳ね上がり、一目散にこの場から逃げ出した。
 みんなが圭に駆け寄る。残念なことに、圭の腕には子猫の爪痕がしっかりと残っていた。
 そしてその様子を、お嬢は木の上でゲラゲラ笑いながら見ていた。白い八重歯を覗かせながら。
 たぶん、その時だったと思う。僕が、お嬢を好きだと気がついたのは。
 関われば関わるほど、真っ直ぐで、ちょっぴり意地悪な彼女のことが好きになった。
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