第3話 自己満足の偽善

文字数 1,312文字

「寄付かぁ……」

確かに寄付というのは
有りかもしれない……

とんでもない大金が
転がり込んで来たというのに、

まったく使い途が思いつかないぐらいには
無欲な人間ではあるのだが……

せっかく
この世に生まれて来たのだから、

生涯に一度くらいは
多勢の人の役に立つようなことがしたいとか

生きた証的な何かを
この世に残したいとか

そんな気持ちは無くもない。


私には子も無いことであるし……

どうせ、この先の残りの人生で
何かを残せそうな気はまったくしない。

そんなことが今から出来るぐらいなら、
とっくに何かを成しているだろう。


寄付もいいのだが……

それは誰かの為というよりも、
自己満足の偽善ではないのか?
と問われたのならば、否定は出来ない。

恵まれない子供達がいたとして、
もちろん可哀想だとは思うのだけれど……

寄付をするのが、
助けたいと思う気持ちが強いからか?
と問われれば、
おそらく私はそうではないだろう。

やはりどこかで
良い事をしている自分に
酔っているのだろうとも思う。

それを世間に見透かされて
偽善者だと思われるのも理不尽だ。

そんな偽善者が
良い気分になりたいだけの寄付であっても、

本当に恵まれない子供達からすれば
助かるのなら、そんなことは
本当にどうでよいことなのだろうが……。



あとこれは、本当に
個人的な偏見で申し訳ないのだが、

団体に寄付した場合、
お金を団体の運営資金に使われて、
本当に困っている子供達に
支援が届いていないのではないかと心配になる。

このお金でこれだけの子供達に
これだけの物が届いて
これだけ助かりましたという、

目に見えて分かる結果を
求めたくなってしまう。


自分では何もせずに
お前は六億円当たっただけなのだから、

五月蝿いことを言わずに
黙って寄付しろと言われれば
返す言葉も無いのだが、

せっかく夢を見られる機会があるのなら、
それぐらいのは夢は
見させて欲しいもという気がしなくもない。


そうやって、細かい事を考えると、
もっといろいろと諸問題が出て来る。

自分は無欲な人間だと言ったが、
世に何かを残すということは、
むしろこの世で一番の贅沢なのではないか
という気すらして来る。


例えば、このお金で
何千人なのか、何万人なのかは分からないが、

子供達の一日分の食糧が
調達出来ましたとなった場合、
それはそれで素晴らしいことなのだが、

それで明日は
生き抜くことが出来たとしても、
明後日はどうなっているのか分からない。

それでもし明後日助からなかった、
その先も助からなかった子供がいたら、
なんだかかえって
虚しさすら感じてしまう……。

せめて自分が死ぬくらいまでは、
自分の寄付で助かった子が
何不自由無く暮らしている、
そんな姿を見届けたいという気持ちがある。


多勢でなくてもいいので
一人だけでもいいので、

短期的にではなく、長期的に、
子供の生存や幸福を確認出来る支援……

…………

もうそうなると
養子ぐらいしかないのではないだろうか?


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み