文字数 3,719文字

 週明けの月曜日。『物理学概論』に挟まっていたメモは、もはやメモではなく、手紙だった。しかも、割と長めの。
 紙は千代紙からさらに進化し、罫線入りの便せん三枚となり、糊付けされた茶封筒に封入されていた。ご丁寧にも、封筒の宛先欄には『スカーレットへ』、差出人欄には『ジョージより』とジョージの繊細な筆跡で記載されていた。


『スカーレットへ

 お返事ありがとう。貰った全ての質問に答えるのは、制約があってできないのですが、答えられるものについては、お話したいと思います。少し長くなってしまうし、信じて貰えるか分からないけど、最後までお付き合いして貰えたら、信じて貰えたら嬉しいです。
 まず、百年後の世界についてですが、一言で言うと、便利で暮らしやすいです。何もかもが、昭和十五年より発展しています。百年も経っているので、当たり前ですね。
 例えば、僕たちは、電話と百科事典を合体させたような小さな端末をほぼ全員が持っていて、いつでも、どこにいても、家族や友達と話をできますし、世界中の人と話をすることも可能です。その端末があるので、こうして紙にペンで手紙を書くことを、僕たちはあまりしません。また、手紙を書く時も、話す時と同じような仮名遣いで書きます。
 分からない言葉があった時は、その端末を使って、一瞬のうちに調べることができますので、紙の辞書を使う機会は殆どありません。
 交通網も発達し、一部の紛争地域を除いては、自由にどこまででも旅行ができます。お金はかかりますが、宇宙にだって行けるのです。僕もいつか宇宙に行ってみたいものです。
 そして何より、タイムマシンが開発・実用化されているので、時間旅行が可能になっています。
 タイムマシンの仕組みについては、守秘義務があるので、詳しく書けませんが、乗り心地はあまり良くありません。間違いなく酔います。しかし、仕事なので、酔い止めの薬を飲んで、えいやで乗っています。上司に許可が取れたので、別の紙に外観のスケッチだけ描いておきます。
 僕がこの時代に来た理由は、これまた守秘義務があるので、詳細は割愛しますが、端的に言うと、仕事で出張の命令を受けたからです。
 僕は中央省庁に勤める役人ですが、現在、タイムマシンを使い、過去に飛んで、歴史的な資料の収集をしたり、歴史の闇に埋もれた事実を調査する仕事をしています。ただ、活動には、禁止事項も多く、あまり自由に行動はできません。
 歴史を揺るがすような大事件に関することを、過去の人たちには教えられませんし、歴史にはあまり関係なくても、賭け事や株式市場の結果みたいなお金儲けに繋がる情報を教えることもできません。
 ようは、僕たちタイムトラベラー(時間旅行者という意味です)は、あくまで観察者の姿勢を貫かなければならず、元の歴史を変えるようなことは法度とされているのです。
 歴史を変えてしまうと、それ自体はさほどの影響はない程度の綻びであっても、全世界的な視点で見た時に、とんでもなく大きな影響が発生してしまうことがあるのです。
 例えば、事故で死ぬはずだった名もなき女の子を助けたせいで、彼女が長じて生んだ子供が独裁者になり、戦争を起こし、僕たちの暮らす未来の世界の平和が脅かされる、という事態も想定できるのです。
 だから、時間旅行先での振る舞いや現地の人たちとの接触は、とにかく慎重にするよう、僕たちは口酸っぱく言い聞かせられています。調査目的とはいえ、実際には、ある程度、過去に生きる人たちとの接触はやむを得ないのに、上は現場の状況をまるで分からず、無理難題を押し付けてきます。
 そんな訳で、僕自身も今、思うように身動きが取れずに困っています。
 そこで、誰か僕に協力してくれる人はいないものかと考え、最初のメモを本に挟みました。因みに、物理学の本を選んだ理由は、タイムマシンと物理学は切っても切れない関係があるからです。物理学に興味があり、僕の書くことを信じてくれ、秘密を守り、理由は追及せず、仕事を手伝ってくれる人を探しています。
 単刀直入に言います。スカーレット、僕の仕事を手伝っては貰えないでしょうか。
 誰も見向きもしない、埃を被った専門書を手に取り、奇妙なメモに反応して返事をくれる君なら、きっと良い相棒になってくれると思うのです。姿さえも見せずお願いするなんて、図々しいですが、秘密や機密の多い僕の立場を察してくれると幸いです。
 君を危険な目に遭わせることは絶対にありません。僕の命に代えて誓います。
 どうか検討の程、よろしくお願いします。
              
 追伸 焼却炉の裏によくいるようですが、止めた方がいいです。理由は言えませんが危険です。
 ジョージ』


 ジョージからの長い手紙を読み終えた私は、嬉しさや恥ずかしさ、様々な疑問等とにかく、ありとあらゆる感情が入り乱れ、頭の中がごっちゃになってしまった。顔が火照ったと思えば、青ざめたり、忙しすぎて自分でも訳が分からなくなった。

 深呼吸をし、頭を整理する。

 まず、ジョージから、仕事の相棒に勧誘された件。信頼できる相棒として見出されたことは光栄だが、やたら詳細な設定の未来人ジョージという妄想に深入りするのは、少し怖い気もした。ジョージは、自分が未来人であると信じて疑っていない、ちょっぴり危ない人なのではないかという気がしてきたからだ。彼の文面は、お遊びで書いているにしては、丁寧で、真摯な思いが伝わってきた。妄想と現実の区別がつかなくなっているのかもしれない。

 次に、私が毎日焼却炉の裏で昼ごはんを食べていることをジョージが知っていたという件。これはもう、恥ずかしいし、情けないし、惨めだし、今すぐ図書室の窓を蹴破り、身投げしてしまいたいと思うくらいに、私の気持ちをかき乱した。誰もいないのがデフォルトの焼却炉裏だが、一応自分なりに、毎日人の気配がないことは確かめていたつもりなのに。どこからジョージは見ていたのだろう。
 腐ったゴミの臭いの立ち込める焼却炉の裏で、弁当をかきこんでいる姿なんて、みっともなくて誰にも見られたくなかったのに。もしかして、自分が気づいていなかっただけで、彼以外の誰かにも目撃されていたのかもしれない。そんなところまで考えると、窓から飛び降りるだけでは済まない程の羞恥心に苛まれた。
 焼却炉の裏で食事をすることが、衛生的な面だけでなく、危険だとは言われなくても分かっている。『理由は言えませんが』なんて勿体ぶらなくたっていいのに。未来人らしさを演出するための一節のつもりなのだろうが、そんなこと言われなくても、もう二度とあそこで弁当は食べない。誰かに見られている可能性が出てしまった時点で、焼却炉裏は、食事場所候補としての地位を喪失した。
 明日から、また別の場所を探さなければと思うと、憂鬱になった。

 気を取り直し、手紙に添付されたタイムマシンのスケッチを見てみたが、物凄く緻密に模写された飯炊き釜のようだった。
 絵は上手いが、想像力が残念だ。申し訳程度に、乗車口と思しきドアや円形の窓が窯の下半分に描き込まれていたが、どう見ても飯炊き釜である。屋根部分の蓋を開けたら、ほかほかの白飯が湯気を上げていそうだ。


「これ、どう返事をすれば良いの」


 ジョージの言葉を信じ、彼の仕事の手伝いをする気にまではなれなかったし、自分の隠したい秘密がばれていたせいで気分が沈んだ。
 加えて、手紙に書かれた百年後の未来の描写には心惹かれるものがあったが、巨大飯炊き釜なタイムマシンのスケッチには、落胆を禁じえなかった。
 ジョージは、すぐに結論を出さなくて良いと書いてくれているし、手伝いの件は保留にして貰おう。私は、手紙をスカートのポケットにしまうと、予め持って来ていた一筆箋に返事を書き込んだ。


『ジョージへ

 詳しいお話を聞かせてくれてありがとうございます。未来の世界は楽しさうですね。
 ところで、お手伝いの件ですが、申し訳ありませんが、少し考へさせてください。突然のことで、混乱してゐます。ごめんなさい。
 それから、焼却炉には近づかないやうにします。でもそうなると、別にお昼を食べられる場所を探さなくてはなりません。自分の教室以外で、一人でご飯の食べられる場所、ジョージは知ってゐますか。もし、知ってゐたら教へてください。

                                  
 追伸 タイムマシンってお釜みたいですね。もっと格好良い形だと思ってゐました。
 スカーレット』


 教室にいられない事情があり、一人で隠れて昼食を摂らなければならない状況は、ジョージに知られてしまっている。破れかぶれの開き直りで、私はジョージに新しい食事場所の情報提供を求めた。
 自分は彼の仕事を手伝うか保留にしているくせに、図々しいと非難されるかもしれないが、そのとおりだ。私は、自分のことしか考えない図々しい女だ。だからこそ、友達を失ったままだったのだ。
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  • 第1章 序章

  • 1
  • 第2章 出会い

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 第3章 つのる恋心

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 第4章 あの日、あなたと見た星空を私は一生忘れない

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 第5章 未来を変える

  • 1
  • 第6章 やっと会えたね

  • 1

登場人物紹介

櫻内朱。

昭和25年当時、大学の研究室に所属する女性物理学者の卵。

タイムマシンの開発に情熱を燃やしている。

女学校4年生だった昭和15年に、不可思議な初恋を経験している。

時任航。

朱の通っていた女学校の物理教師。

柔らかい物腰と王子様のような華奢で繊細な容姿で、学園の人気者だった。

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