文字数 1,754文字

『スカーレットへ

 返事ありがとう。こちらこそ、希望に答えられなくてごめんなさい。
 それでも、君が戻ってきてくれたこと、僕の仕事を引き続き手伝ってくれると決断してくれたこと、とても嬉しかったです。
 僕は今、とあるビルヂングの屋上で、この手紙を書いています。
 昭和十五年の人たちは、帝都は家も繁華街も多く、星があまり見えないと言います。けれども、僕は初めてこの街に降り立った時、零れ落ちてきそうな星空にただただ圧倒されました。知らず知らずのうちに、涙が出ていたくらいです。
 観測者としての立場を忘れ、この美しい星空の下、人々が永遠に幸せに暮らせれば良いのにと祈ってしまいます。
 実は、詳しいことは書けませんが、僕が昭和十五年で過ごす時間は限られています。遠くない将来、任務が終われば、僕は自分の時代に帰らなければならないのです。
 ずっと君とこうして文通ができないことは、残念でなりませんが、せめて残された時間は悔いのないよう、大事に使いたいです。


ジョージ』


『ジョージへ

 また文通ができ、任務のお手伝ひをできるなんて嬉しいです。
 でも、もうすぐお別れなんて辛いです。折角、仲良くなれたのに。
 ジョージのおかげで、私はニキビが治りました。一緒にお昼を食べる友達ができました。苦手だと感じてゐた理科が好きになりました。退屈だった毎日が楽しくなり、自分に少しだけ自信を持てるやうになりました。
 私は帝都で生まれ育つたので、他の街の星空を知りません。ネオンや密集した家々の灯りに邪魔されない星空を知りません。
 だけど、例え田舎の美しい空を知つたとしても、私はこの街の空が好きです。この空の下に暮らす人々の息遣ひが聞こえる、帝都の夜空を美しいと感じます。だから、ジョージに気に入って貰へて嬉しいです。いつか、二人でこの街の星空を見たいなんて言つたら、また困らせてしまひますよね。
 ところで、弟の読んでゐる雑誌に、タイムトラベラーと関わつた人は、タイムトラベラーが去つた後、次第にその時の記憶を失つてしまふとありました。
 子供向けの空想科学特集記事ですので、あまり真に受けてはゐませんが、それは本当なのでせうか。
 近い将来、ジョージが未来に帰つてしまった後、私はあなたとの思い出を忘れてしまうのでせうか。そんなの絶対に嫌です。


スカーレット』


『スカーレットへ

 君もこの街の空が好きなのですね。
 今、当たり前のようにあるものの良さを発見できる感性を持っている人を、僕は尊敬します。失ってから初めて、大事だったと気づく人が世の中の大半ですからね。どうか、その純粋な心をこれからも大事にしていってください。
 質問の件ですが、そういった事例もある、としか答えられません。タイムトラベラーが去った後の事後処理は、別の組織の人間がするので、詳しい基準は、僕も分かりません。
 聞いた話ですが、彼等の裁量で、現地の人たちの記憶を操作したり、歴史が大きく変わらないよう修正することはあるそうです。ただ、全ての事例でそのような処理が行われる訳ではありません。
 僕が去った後、君の記憶がどうなるかは分かりません。ごめんなさい。
 でも、僕との思い出を忘れたくないと思ってくれる気持ちは嬉しいですし、忘れたくないと強く願えば、ひょっとしたら、と考えてしまいます。
 だけど、万が一君が僕のことを忘れてしまったとしても、僕の記憶は消えません。僕は、未来に帰っても、一生君のことを忘れません。


ジョージ』


 ジョージは例え私の記憶が消えてしまっても、私のことを忘れずにいてくれる。
 最後の一文を読んだ時、私は不覚にもその場で泣き崩れそうになった。幸い、図書室は無人だったので、誰にも見られず、滲んだ涙をセーラー服の袖で拭えた。


「忘れない。私だって、あなたのことは絶対に忘れない。誰に何をされようと、死ぬまで忘れないのだから」


 何度も何度も穴が開く程、手紙を読み返していると、ふと、最後の一文と署名の間に、小さく薄いインクの染みが出来ているのを発見した。その染みは、何か書きかけてやめたようにも見えたし、単にインクを垂らしてしまい、インク消しで消しただけにも見えた。
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  • 第1章 序章

  • 1
  • 第2章 出会い

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 第3章 つのる恋心

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 第4章 あの日、あなたと見た星空を私は一生忘れない

  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 第5章 未来を変える

  • 1
  • 第6章 やっと会えたね

  • 1

登場人物紹介

櫻内朱。

昭和25年当時、大学の研究室に所属する女性物理学者の卵。

タイムマシンの開発に情熱を燃やしている。

女学校4年生だった昭和15年に、不可思議な初恋を経験している。

時任航。

朱の通っていた女学校の物理教師。

柔らかい物腰と王子様のような華奢で繊細な容姿で、学園の人気者だった。

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