第3話 6
文字数 2,039文字
※※※
後半、ほとんど会話のないまま食事をしていた俺達はあっという間に全ての料理を平らげてしまう。
華丸が食後のお茶を飲みきった後すぐに店員に会計を頼んだので、そのまま会はお開きになった。
個室に入ってから1時間程しか経っていなかったが、俺の精神はすっかり疲弊している。加えて寝不足もあるので、心身共にボロボロだ。
コートを羽織り店員の快活な声を背に店の引戸を開けると、外はいつの間にか雨が降っており道行く人々は皆傘をさして歩いている。
今朝のテレビでは夜更けになってから降りだす予報だったので、俺は折り畳み傘すら持っていなかった。
財布事情で帰りは駅まで歩いて電車のつもりだったのに。まさに泣きっ面に蜂である。
暖簾の端を押し上げ苦々しく空を見上げる俺の後ろから、華丸がおい、と声をかける。
「何してんだ、早く出ろよ。」
「雨降ってんだよ。俺、今日傘ねぇの。」
「ったく…しっかりしなよ、営業マン。」
呆れたようにため息をついて、華丸は肩にかけたビジネスバックから折り畳み傘を出し、ほら、と言って手渡した。
傘を開きながら店の外に出ると華丸がすぐ後に続き、自然と俺の左隣に立つ。
「タクシー拾うから、開けたとこまで少し歩くぞ。」
そう言って今度は華丸が先に歩き出すので、俺は慌てて足を進めた。
折り畳み傘は男二人が収まるには狭すぎて、華丸が俺に肩を寄せてくる。腕から微かに伝わるその体温を嫌でも意識してしまうので、俺は傘を華丸側に傾けながらさりげなく遠ざかった。右肩に雨粒が容赦なく注がれたが、背に腹はかえられない。
その後一分も歩かないうちに広い道路に出るが、急な雨で盛況しているのか路駐しているタクシーは一台もなかった。
仕方なく俺たちは歩道の端に立ってタクシーが通るのを待つ。
雨が傘を打つ音とタイヤが水を纏って次々と走り去っていく音を聞きながら、俺は覗き込むようにして遠くのタクシーの姿を探した。
「大和、」
すると、華丸がようやく聞き取れるような音量で俺を呼ぶ。
俺はそれに振り向くが、華丸は視線を合わさず道路の方を見ていた。
身長差のせいで顔もまともに見えないので、訝しく思い首を傾げる。
「そんなに、僕を警戒しなくても良い。いくら僕がゲイでも、友達としての距離感は弁えてるよ。」
「…は?別に、警戒なんかしてねぇけど。」
「嘘つけ。さっきからお前妙に大人しいし、そっちの肩、びしょ濡れだろ。」
華丸は頑なに視線を逸らしたまま話すが、まるでこちらを俯瞰して見ているかのような洞察力だった。
何もかも見透かされているのではないかと錯覚してしまいそうだが、今回ばかりは華丸の分析が誤っているので、俺は少しムキになる。
「だから警戒とかしてねえって。」
「なに熱くなってるんだよ。」
「別に…」
「まあ、何だっていいけど…。」
俺が言い淀むと、華丸は投げ遣りな調子で返し小さくため息をついた。
「…とにかく、安心しなよ。酔ってさえいなきゃ、お前とあんなことになるなんて絶対ないから。」
華丸はそう吐き捨て、口を閉ざす。
その棘がある物言いにつむじの辺りがじんと痺れて熱くなり、反射的に眼下にある頭を睨みつけた。
しかし、これに何か言い返したところで子供じみた喧嘩になるだけなのは分かりきっている。
俺は静かに沸騰する感情と共に言葉を飲み込み、華丸から顔を背けた。
単調な雨音が、束の間の沈黙を埋める。
傘からはみ出た右肩が冷えてきたが、今更どうしようもない。
少しすると、向こうから表示灯がついた車が近づいてくるのが見えた。
華丸が車道に身を乗り出して手を挙げるのが目端に映り、その後タクシーがウインカーを点滅させながらゆっくりと俺達の前に止まる。
華丸は傘を抜け出し車に乗り込んだが、俺はそれに続く気になれず歩道に立ち尽くした。
「早く乗れば?」
「…俺はいい。お前ん家と逆方向だし。電車で帰るわ。」
「は?ずぶ濡れで電車に乗る気?」
「コンビニで傘買うし。」
疑うような目で俺を見上げる華丸に構わず、俺は傘を閉じて差し出した。
雨避けがなくなった途端、頭から冷水のシャワーを浴びせられ、思わず肩が竦む。
華丸は暫し傘を見つめたが、それに手を伸ばすことなく運転手にドアを閉めるよう促した。
「おい、傘!」
「貸してやる。次会う時に、返してくれればいいから。」
華丸が僅かに語気を強めて言い放ち再び運転手に声をかけると、バタンと素っ気なくドアが閉まる。
車はすぐにウインカーを灯して動きだし、あっという間に雨夜に滲んで見えなくなってしまった。
俺は暫くその方向を見て黙って雨に打たれていたが、濡れた頭にそよ風を受けて出たくしゃみで我に返る。
「…くそっ。」
手で鼻を拭いながら悪態をつき、華丸の傘を乱暴に開いて俺は歩きだした。
ぶつけ所のない憤りと、名前も分からない感情で胸が一杯になり、吐きそうな程の不快感が襲う。
大降りでもなく小雨でもない、しとしとと漏れ水のように泣き続ける空がそれを増長させる気がして、いっそ嵐になってしまえなどと、大人げないことを頭の隅で考えた。
next...
後半、ほとんど会話のないまま食事をしていた俺達はあっという間に全ての料理を平らげてしまう。
華丸が食後のお茶を飲みきった後すぐに店員に会計を頼んだので、そのまま会はお開きになった。
個室に入ってから1時間程しか経っていなかったが、俺の精神はすっかり疲弊している。加えて寝不足もあるので、心身共にボロボロだ。
コートを羽織り店員の快活な声を背に店の引戸を開けると、外はいつの間にか雨が降っており道行く人々は皆傘をさして歩いている。
今朝のテレビでは夜更けになってから降りだす予報だったので、俺は折り畳み傘すら持っていなかった。
財布事情で帰りは駅まで歩いて電車のつもりだったのに。まさに泣きっ面に蜂である。
暖簾の端を押し上げ苦々しく空を見上げる俺の後ろから、華丸がおい、と声をかける。
「何してんだ、早く出ろよ。」
「雨降ってんだよ。俺、今日傘ねぇの。」
「ったく…しっかりしなよ、営業マン。」
呆れたようにため息をついて、華丸は肩にかけたビジネスバックから折り畳み傘を出し、ほら、と言って手渡した。
傘を開きながら店の外に出ると華丸がすぐ後に続き、自然と俺の左隣に立つ。
「タクシー拾うから、開けたとこまで少し歩くぞ。」
そう言って今度は華丸が先に歩き出すので、俺は慌てて足を進めた。
折り畳み傘は男二人が収まるには狭すぎて、華丸が俺に肩を寄せてくる。腕から微かに伝わるその体温を嫌でも意識してしまうので、俺は傘を華丸側に傾けながらさりげなく遠ざかった。右肩に雨粒が容赦なく注がれたが、背に腹はかえられない。
その後一分も歩かないうちに広い道路に出るが、急な雨で盛況しているのか路駐しているタクシーは一台もなかった。
仕方なく俺たちは歩道の端に立ってタクシーが通るのを待つ。
雨が傘を打つ音とタイヤが水を纏って次々と走り去っていく音を聞きながら、俺は覗き込むようにして遠くのタクシーの姿を探した。
「大和、」
すると、華丸がようやく聞き取れるような音量で俺を呼ぶ。
俺はそれに振り向くが、華丸は視線を合わさず道路の方を見ていた。
身長差のせいで顔もまともに見えないので、訝しく思い首を傾げる。
「そんなに、僕を警戒しなくても良い。いくら僕がゲイでも、友達としての距離感は弁えてるよ。」
「…は?別に、警戒なんかしてねぇけど。」
「嘘つけ。さっきからお前妙に大人しいし、そっちの肩、びしょ濡れだろ。」
華丸は頑なに視線を逸らしたまま話すが、まるでこちらを俯瞰して見ているかのような洞察力だった。
何もかも見透かされているのではないかと錯覚してしまいそうだが、今回ばかりは華丸の分析が誤っているので、俺は少しムキになる。
「だから警戒とかしてねえって。」
「なに熱くなってるんだよ。」
「別に…」
「まあ、何だっていいけど…。」
俺が言い淀むと、華丸は投げ遣りな調子で返し小さくため息をついた。
「…とにかく、安心しなよ。酔ってさえいなきゃ、お前とあんなことになるなんて絶対ないから。」
華丸はそう吐き捨て、口を閉ざす。
その棘がある物言いにつむじの辺りがじんと痺れて熱くなり、反射的に眼下にある頭を睨みつけた。
しかし、これに何か言い返したところで子供じみた喧嘩になるだけなのは分かりきっている。
俺は静かに沸騰する感情と共に言葉を飲み込み、華丸から顔を背けた。
単調な雨音が、束の間の沈黙を埋める。
傘からはみ出た右肩が冷えてきたが、今更どうしようもない。
少しすると、向こうから表示灯がついた車が近づいてくるのが見えた。
華丸が車道に身を乗り出して手を挙げるのが目端に映り、その後タクシーがウインカーを点滅させながらゆっくりと俺達の前に止まる。
華丸は傘を抜け出し車に乗り込んだが、俺はそれに続く気になれず歩道に立ち尽くした。
「早く乗れば?」
「…俺はいい。お前ん家と逆方向だし。電車で帰るわ。」
「は?ずぶ濡れで電車に乗る気?」
「コンビニで傘買うし。」
疑うような目で俺を見上げる華丸に構わず、俺は傘を閉じて差し出した。
雨避けがなくなった途端、頭から冷水のシャワーを浴びせられ、思わず肩が竦む。
華丸は暫し傘を見つめたが、それに手を伸ばすことなく運転手にドアを閉めるよう促した。
「おい、傘!」
「貸してやる。次会う時に、返してくれればいいから。」
華丸が僅かに語気を強めて言い放ち再び運転手に声をかけると、バタンと素っ気なくドアが閉まる。
車はすぐにウインカーを灯して動きだし、あっという間に雨夜に滲んで見えなくなってしまった。
俺は暫くその方向を見て黙って雨に打たれていたが、濡れた頭にそよ風を受けて出たくしゃみで我に返る。
「…くそっ。」
手で鼻を拭いながら悪態をつき、華丸の傘を乱暴に開いて俺は歩きだした。
ぶつけ所のない憤りと、名前も分からない感情で胸が一杯になり、吐きそうな程の不快感が襲う。
大降りでもなく小雨でもない、しとしとと漏れ水のように泣き続ける空がそれを増長させる気がして、いっそ嵐になってしまえなどと、大人げないことを頭の隅で考えた。
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