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文字数 3,534文字

 未だの暑熱に一見馴染んだような体で戦ぐ秋風の凛冽は、文化祭に彼女からの昵懇、それから相愛をはじめ、何かしらの出来事を想うには適していた。
 それによれば私は文化祭の実行委員に存していた。必然にも実行委員には彼女も在籍していて、一足飛びに語るとすれば、私と彼女は極めて先輩と後輩らしい言葉の交え方や皮相を思わせる言葉遣いで慇懃を重ね、少し前までの径庭の瓦解を涵養していた為に、実行委員としての接触というものは親睦と称しても遜色ないはずであった。もっとも、彼女の挙措は至って奇矯無い一人の女子生徒に過ぎなかったであろうが、しかるに私にどぎつく青春を匂わせた。
 例えば齷齪と作業に勤しむ彼女と気乗り薄な私との対比という極めてロマネスクな有り触れた一齣の情景に私は青春の香りを見た。中でも私の無聊を託つような場違いに向けられた叱責とも言えぬ言葉の、それも悪態のように犀利であった言い草は、私には好きな子を虐める男児の要領の云わば嘱目してもらう手管であるように感じられ、すると私はその甘美と馥郁に恍惚さえした。その曲解は、やがて自らへ阿るようにして虚構した文化祭当日の一齣を、とても価値のある物に仕立て上げた。
 文化祭当日の朝、私が夢精していた事実には何かしらの予兆を思うに容易かった。むしろ、夢で絡んだ異性は彼女のように思えたのだから、何かしらの関りがある事を信じるのは至当なはずである。とかくまれ私の欠落は夢での接吻や愛撫、その先の快楽を伴わせていたものの相変わらず潮垂れていたものだから、必ずしも吉兆に結びつけられた訳ではなかった。むしろ漠とした予感であったので、故にそれが最大限で報いたのは勿怪の幸いであって、また晴れがましくもあり、密かに高鳴った。附会を演じる独り芝居は首尾よく舞台が整えられていた。
 さりとて僥倖が訪れたのは文化祭が終了し帰路に就く際の深まった暮色であった。そこはかとなく感傷を添える色彩は野分の推力で茜雲を浮動させ、伴ったある種野放図の揺蕩いは私を感化した。すると私の不逞が矛盾や撞着の類にまで及んだのは、思えば野分の影響であっても可笑しくはなかった。
 私には彼女が校門前にて佇立している影像があった。しかしながらそれは露骨な撞着であって、なぜといえ互いに実行委員という役柄を担っており、取り分け私以上に委員会を全うしていたはずの彼女であるのだから先に帰路に就いているはずがないからである。しかるに私の脳裏には閑散とした校門前で凝立し、やがて私の帰宅を拒むように舌たるく振舞う彼女が生動していたのだ。また、彼女の佇まいを劇的に縁取る面映ゆい空の色彩はいつか彼女の両頬に紅潮を魅せ、感傷的でもある鳶色の明媚が彼女に辛酸甘苦を嗾ける程の肉感さえ宿していた。
 夜寒を連想させる秋風に切れ切れになってしまいそうな、その実一本気に耳朶を叩く彼女の発言を私は求め仮構し、如何に脈絡の皆無を以てしても私は未だ、彼女の含羞に震わす身躯や堪えるように噛む唇、ややあって解かれた伏し目と、それから凛然たる人間の精悍にも似た面差しの柔靭さを脳裏に鮮明に刻んでいた。
「今ここで好きだって言ったら、先輩は応えてくれますか?」
 爾来はと言えば、無論一入の親密であった。何気ない挨拶は心持ち温暖になり、いつか婀娜な湿っぽさも帯びるようになってからというもの、私達の昵懇は快速力で昇った。私達が情交に向かったのは卒業を間近に控えた冬の日であった。
 図書室には図書委員さえ存在していなかった。授業の間隙のこの逢瀬は、無論追従による雑踏の皆無に過ぎないけれども、私たちは暖房の届きが緩慢な死角で恋情を確かめていた。未だ手弱女が宿る凛冽には呼気の猛り立ちが白く淡く咲き、黴の香りに纏わる安香水と彼女の体の柔和な馥郁が、追って一つ二つと呼気を咲かせた。窓外には予兆のような綿雪が揺蕩うていた。
 彼女の挙止は娼婦を宛らに手慣れていた。誘うような伏し目で、それでも仕草は淑やかに制服を脱ぎ微かな衣擦れを床で鳴らすと、次は幼弱な指で弄ぶようにリボンを解いてみせ、今度は丁寧に釦を二、三個外すと、まるで私を試すように静かに視線をよこした。その際に瞳を見合った事を彼女がどう解釈したかは明瞭でないけれども、おそらくはスクールブラウスを手づからはだけて俄かに微笑する点に如実であった。それから彼女はスカートのアジャスターを緩めファスナーを下げては、床で撓んだスカートを艶めかしい黒紅色を脱ぎながら跨ぎ、健康的な妙麗の脚を以って私の劣情に哀訴するように、また淫魔を匂わせて再度微笑むのであった。
 彼女の界隈に今しがた佩していた衣服が不躾に累積する様は淫猥を極めた。それでいて、目交いに錯雑する婀娜を何度目撃しても確かに存在している濃密な艶冶が意味をなさぬ、不能という現実が私に報いていた。それは無論にも彼女には既に瑰麗に似ていた叶わぬ優性ともいえよう美が存在していなかったからであった。適切だった双の乳房は溌溂と曲線を描く発育を遂げ、瑰麗と酷似していた腰部は青鞜を宛らの怜悧と成人を見据えた肉欲的な柔靭とを涵養しているのである。いつの間にか極めて人間的に成長を遂げた彼女の身躯は、得てして私の不能を是認するに至った。
 しかるに現実を知らぬ彼女は積極的に振舞うのである。瞳を見合う回数を不自然な程数えても、私が彼女の身躯に不興気である可能性には瞑目し、淡々と、それでいて劣情を高めるように、性的動画を宛らの前戯――私の持ち合わせの性知識を継ぎ接いだ前戯に於いて彼女は積極的であった。
 柔らかな腕が私の首筋に纏わり始まったそれは、瞑る彼女の面輪が接近し、青春のような颯爽と緩慢な苦味の隠顕を唇に味わった事で、ようやく私は接吻を交えたのだと知った。数秒間重ねていた彼女の唇は時に堅固にそれから繊弱に様子を変えて絶えず顫動していた。途中で私が彼女の肩を押し返すと、それでも一息だけ吸い直して唇を打ち、剰え意識的な攻撃性で口腔を刺激しながら息巻く呼気を互いにぶつけ合った。ややそうしていてから瘧が落ちたように自然と体が離れると、肩で息をしながら面映ゆげにしている彼女の肉感と匂いとが余韻を滲ませ、それは鼻孔から脳を犯し私に彼女を求めるように嗾けるに至った。……惜しむらくは私は手管に乗らなかった。よって私達の前戯は数分で緞帳が下り、勿論その先へ進む権利も失していた。
 彼女は一再ならず唇を求め合って、あまりにも甘美な言葉で意思疎通を図りながら出し抜けに決定された優劣に則って押し倒し、あるいは押し倒され、それから恥部に触れ始めようやく交わるような、長く、そして濃密に愛を交える前戯を求めていたはずであった。私はと言えば、たった今まで接吻に応じていたとは考えられないような不精さの不能であったものだから、彼女が望むところの一割にも満たぬ前戯をしか提供することは叶わなかった。せめて私が可能であれば身躯の正常な反応を逆手にとって彼女は淫行を続けられていたのかもしれなかった。
 彼女が私を理解したのは――実のところ接吻以前に疾うに理解を得ていたのであろうが、前戯の献立に準えるとすれば、私としては肩を押し返した際に理解されるのが好もしかった。なぜといえ、その後の接吻がまるで拒むようにした私を求めるような彼女の必死という意味を持つように思われ、それは私としては欠落を肯うような優越を覚えるからである。すると私は彼女に必死になってもらいたいと思う程に変わってしまっていたのだろうか? 思えばトルソーという瑰麗には、私はそのような事を思ってなどいなかった。一方的な相似性を想っていたばかりであるはずであった。
 私の脳裏にはどぎつい表情の彼女があった。一度哀切な眉宇を湛えてから今度は悲憤に表情を強張らせ、挙句には舌打ちの末に不能を蔑視し嘲罵する眼差しで報いたのである。溜息を半ば発声のように誇大に施しながら床に撓む衣類に手を伸ばす気怠さの僅かな柔らかさが却って酷薄であった。全ては私の保身が彼女にそうさせるのであった。
 彼女は敏速にスクールブラウスの釦を留めスカートを履き終えると制服やタイツは掠めるように拾って、極めて哀艶な表情の、それでいて何物をも期待しない暗澹たる瞳を残して擦れ違った。去り際に、
「やっぱり人間じゃ勃たないんですね」
 彼女に『やっぱり』と発言させた以上、私は変化などしていないはずであった。故に彼女がいつかの絶対的な美を未だ保持していたらと考えても、私が可能であるような景色には煙のような白濁が棚引いていた。
 ……変わっていないのであれば、絶対的な美を宛らであった彼女には可能でなければならなかった。
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