第3話 操り人形にはならない

文字数 2,482文字

「いまの、なに?」
 荒い呼吸のあいまに旭は尋ねる。
「手荒な真似をしました。すみません。負傷した部分を修復したのです」
 相変わらず淡々と夜鷹は答える。
「我々は、人間の神経に直接はたらきかけることができます」
 蹂躙(じゅうりん)ということばがぴったりくるおぞましい感触に身震いしながら、旭はおそるおそる手首を動かす。痛みはない。自由に動かすことができる。
 しばらくぼんやりと手首を眺めていた旭は、自分が夜鷹の身体に寄りかかっていたこと、そして彼の手が旭の額に浮かんだ汗を拭っていることに気づき、あわてて離れようとした。

「離して」
「いやです」
「えっ」
動かないでください

 身じろぎすらできない。
「ちょっと」
 なんとか指先を動かそうとすると、ほんのわずかながらも反応があった。その指で夜鷹のネクタイを掴んでひっぱる。
「わたしに命令しないで」
 ネクタイをひっぱっているせいで、すぐ目のまえに夜鷹の顔があった。彼は驚いたような顔をしている。
 ふっと、身体が自由になる。
 今度こそ、ようやく旭は夜鷹から離れることができた。

「旭さん、あなたはほんとうに興味深い」
「は?」
「私の力をはねかえすことができるのですね」
 旭は怪訝(けげん)な顔をする。
「ふつうの人間ならば、抵抗など不可能なはずです」
 そうだ、この男は旭を意のままに操ろうとしていた。逆らうことがうまくできなかったのはそのせいだろう。
「あんた、わたしを操ろうとしたでしょ。やめてよ。勝手に身体のなかに入ってくるのもやめて。気持ち悪い」
 ずけずけと旭は不満をぶちまける。
 正体を知るまでは恐怖しかなかった。その正体を知ったいま、そしてどうやらことばが通じる相手であるとわかったいま、旭のなかにわきあがるのは怒りだけだ。

「一方的に侵略しておいて、交渉のテーブルにつけだなんて、よくいえるわね」
「侵略というのはそういうものでしょう。交渉の余地があるだけ、まだましだとは思いませんか」
 よくもまあ、いけしゃあしゃあと。
「問答無用であなたを支配下に置くこともできるのですよ」
「なにそれ、脅しのつもり?」
「脅しではありません。ただの事実です」
「じゃあ、やってみたら?」
 完全に、売り言葉に買い言葉である。
 夜鷹は真顔で旭を見つめたかと思うと、やがてふっと息を吐くようにして笑った。
「暴力的なのは私の趣味ではありませんが、致し方ない」
 そういうと旭へと手を伸ばしてくる。
「なに」
「あなたが望んだことでしょう」
 引き寄せられ、腕のなかに抱き込まれる。
「ちょっと、離して」
「いやです」
「なんなの」
「身体があるというのは、悪くないですね」
「は?」

「我々はもとの宿主(やどぬし)が絶滅の危機に(ひん)するにあたり、この地球(ほし)に移住することにしたのです。人間の身体はなかなか居心地がよくて、使い勝手もいい。これほどの器を持っていながら、欲望にまみれた怠惰な生活を送り、このうつくしい地球(ほし)の限られた資源をいたずらに浪費するばかりとは。宝の持ち腐れとはよくいったものです」

 旭はポカンとした。
 地球に移住?

「あんた、よその惑星から来たの?」
「そうです」
「じゃあ、ウイルスというより、異星人(エイリアン)?」
「そうともいいますね」
「ほんとうに地球侵略じゃないの」
「最初からそういっているつもりですが」

「私たちは、この地球(ほし)でいうところの地球外生命体です。人間と同等の、あるいはそれ以上の知識や能力があります。宿主の神経に作用することでその器を支配するのです。この地球(ほし)のほとんどの人間はすでに我々の支配下にあります。おそらく宿主自身も気づかぬうちに。ですから旭さん、あなたのような人間は珍しいのです。我々の支配を受けないでいられる人間は」

 それがほんとうなら、旭の家族以外の人間たちもみんな人格を乗っ取られていることになる。ぞっとする。
 夜鷹のことばをすべて鵜呑(うの)みにはできないけれど、この数年の家族の豹変(ひょうへん)ぶりを()のあたりにしてきた旭には、家族みんながいっせいに改心したといわれるより、異星人(エイリアン)に人格を乗っ取られたせいといわれたほうが、まだ納得がいくのも事実である。
「わたしみたいなひとが、ほかにもいるの?」
「ごくわずかですが、その報告があります」
「そのひとは、どう、なるの」
「どう、とは?」
「支配できないんでしょ?」
「ああ、待遇のことをいっているのですか。はじめにいいませんでしたか。観察対象として我々の保護下にあると」
「観察対象」
「あなたもそうですよ。私の保護下にあります」
 保護というより監視下だろう、と旭は思う。
「そのひとに会ってみたい」
「それはできません」
「どうして」
「旭さん、あなたがいったのですよ。交渉の余地はないと」
 ぐっと、ことばに詰まる。そうだった。それでこの状況なのだった、と旭は思い出す。
 なぜかがっちりと夜鷹の腕に拘束(こうそく)されている。

「いつまで、この状態なの」
「しばらくは。最初は人間に触れることに対して抵抗がありましたが、慣れてくると悪くないですね。不思議な感触です。柔らかくて温かい。それに(もろ)くて、すこし乱暴にしたら、すぐに壊れてしまいそうだ。首だって、ほら、こんなに細い」
 そういって夜鷹は旭の首筋に指先を這わせる。
「皮膚も、わずかな接触ですぐに傷ついてしまう。こんなにも無防備なのに、進化することなく、この形態を維持してきたのはとても興味深い。おそらく、道具を扱うことで、人間は種族の弱さを克服してきたのでしょう」
 まるで解剖(かいぼう)されているような気分になる。拘束されているものの、じりじりと身をひく旭をたやすく引き戻すと、夜鷹は淡々と続ける。
「この地球(ほし)では、侵略された側は(なぐさ)みものにされるのでしょう。野蛮な文化です。安心してください。我々はそんなことはしません」
 首に手をかけながらそんなことをいわれても、と旭は思う。

「あなたには私の(つが)いとなっていただきます」
「……は?」
「残念ながら、あなたに拒否権はありません。私の支配下に甘んじることを望んだのはあなたです」
「そんなこと望んでない」
「いいえ、選んだのは旭さん、あなたです。暴力的なのは私の趣味ではないといったでしょう。ですが致し方ない」
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