最終話 死がふたりを分かつまで

文字数 2,668文字

 ひさしぶりに家から出た旭は、なにもないところでつまずいて派手に転んだ。なんとか起きあがると、アスファルトに両手をついたまま、しくしくと泣く。
 頭のなかがぐちゃぐちゃだった。
 そうして泣いていると、ふいに視線を感じて顔をあげる。
 道行くひとが、だれも彼も、旭を見ていた。
 転んでうずくまって泣いている人間がいれば、だれだってそちらを見るだろう。けれど、そういう視線ではない。
 


 旭は気づく。



 怖い、と思う。やっぱり、おかしくなったのは旭の家族だけではなかったのだ。外へ出るべきではなかった。かといって、あの家に戻るのか。ほかに身を寄せる場所などない。
 うずくまる旭のまえに、だれかが立つ気配がした。びくびくと視線を上に向けると、スーツ姿の夜鷹が旭を見下ろしている。彼は膝を折り、目線を合わせると、問答無用で旭の手を取る。
「壊れやすい身体で、無茶をしますね」
 左右のてのひらと両足の膝を擦りむいていた。血がにじんでいる。
「治療しましょう」
「いやっ」
 またあの得体の知れないなにかが身体のなかを()いまわるのかと思うとぞっとして手を振り払おうとする。けれど夜鷹はそれを許さない。

は、いや」
 かたくなに首を振る旭をじっと見つめていた夜鷹は、まるで人間がするようにため息をつくと、立ちあがり、荷物のように旭の身体を抱きあげた。とつぜんのできごとに、あわてて夜鷹の肩にしがみつく。
「このままおとなしく家に帰るなら、あなたたちの流儀(りゅうぎ)で手当てをしましょう。もし抵抗するなら、私のやり方で治療します」
「お、おろして」
「いやです。その足では歩けないでしょう」
 そういうと夜鷹は家の方向へ歩き出す。血のにじんだ手で彼の肩にしがみついたため、スーツに血がついていた。
「あの、服に、血が」
「かまいません」
 あっさりと返されて旭は黙る。幼いころ、旭にはやさしかったが根が神経質な兄の夜鷹は、汚れた手で旭が触ると怒ってその手を振り払った。旭は兄と母親、両方からこっぴどく叱られた記憶がある。
「……お兄ちゃん」
 思わず、ぽつりと声がこぼれた。
 違う。これはお兄ちゃんじゃない。
 ほんものの夜鷹なら、怪我をした旭をこんなふうに介抱(かいほう)したりはしない。きっと無視して放っておくだろう。

「旭さん、我々は決して、あなたの家族がそうであったように、あなたを不当(ふとう)に扱いはしません。何度もいいますが、危害を加えるつもりはありません。約束します」
 辛抱(しんぼう)強く、そう繰り返す夜鷹に、旭は尋ねる。
「じゃあ、さっきいっていた、あの、(つが)いになるっていうのも、なしだよね?」
「それはまたべつの話です」
「なんでよ」
「私があなたを好ましく思っているからです」
 旭はふたたび口をつぐむ。あまり考えたくはないし、信じたくもないが、どうやら旭は夜鷹を乗っ取ったこの異星人から好意を持たれているらしい。そのいっぽうで、それはただの建前(たてまえ)で、彼の本心はべつのところにあるのかもしれない、とぼんやりと思う。

「兄妹で、番いにはなれないよ」
「なぜですか」
「なぜって、血が繋がっているから」
 夜鷹はつかの間なにかを考えるように沈黙したあと、ああ、と合点(がってん)がいったようにつぶやく。
「血が濃すぎると引き継がれる遺伝子に影響がある、ということですか。もしそれが問題だというなら、この身体で子孫をつくらなければいいだけのこと」
「そういう問題じゃ」
「ほかにまだなにか?」
 あらためてそう訊かれると、うまく説明できない。理屈ではない。近親婚は禁忌(タブー)として()り込まれているのだ。それに、そもそも、兄である夜鷹をそういう対象として見ることはできない。ましてや、兄の身体を乗っ取った異星人が相手ならなおさらのこと。
 どう考えてもありえない。生理的に無理だ。
 拒んだら、どうなるのだろう。旭に危害は加えないというが、それを信用できるとは思えない。人体実験のための道具として扱われたりするのだろうか。人間の身体に興味を持っているような発言を聞いているので、その可能性は大いにあり得る。ぞっとする。

 唯一、旭にとって不幸中の幸いといえるのは、そのときまでにしばらくの猶予(ゆうよ)がある、ということだ。どうやら、夜鷹から見ても旭はまだ保護されるべき年齢らしい。未成年なので、この国の法律でもそうなのだが、実際は保護されるどころか、こどもが労働力や性的な目的でおとなから搾取(さくしゅ)される話は珍しくもない。
 すくなくとも、夜鷹にそのつもりはないようだ。信じられるかどうかはわからないけれど、いまは信じるしかない。そうでなければ困る。
 それに、もしほんとうに夜鷹が旭に好意を抱いているのなら、旭にしかできないことがあるかもしれない、と思う。
 彼らの弱味を見つけられたら。
 取りついた身体が死なない限り離れることはできないといっていたが、それがほんとうかどうかはわからない。支配できない旭を相手に、あっさりと手のうちを明かすとは思えない。ほかになにか、彼らを身体から追い出す方法があるかもしれない。
 それを探るのは、きっと旭にしかできない。
 夜鷹の好意を利用するのだ。
 怖がって泣いているばかりではなにも変わらない。永遠に悪夢は終わらない。わずかでも可能性があるなら、いまの自分にできることをするしかない。

 夜鷹に(かつ)がれてそんなことを考えているうちに、家に着いた。玄関のドアが内側から開く。
「お帰りなさい」
 

が旭と夜鷹を出迎える。無意識のうちに、旭はぎゅっと夜鷹の肩にすがりつく。
 


「旭さん、大丈夫です。怖がる必要はありません」
 そういって夜鷹はゆっくりと旭を玄関に降ろす。旭がふらつかないよう、背中を支えたまま。
「私たちはあなたの家族です。旭さんを保護するためにここにいるのです」
「そうです。可能な限り、快適に暮らしていただけるよう、尽力します」
 そういう母親も今朝とは口調が変わっている。母親のふりをする必要がなくなったためだろう。
「さあ、傷の手当てをしましょう」
「お腹がすいたでしょう。手当てがすんだら、食事にしましょうね」
 夜鷹と母親は口々にそういって旭をうながす。
 旭はぼんやりとしたまま彼らに従う。

 

からこんなふうに気遣われた記憶はない。旭はいつも身の置き場がなくて縮こまっていた。
 なんて皮肉なんだろう、と旭は思う。
 人間の家族よりも、侵略者である彼らのほうが旭にやさしいだなんて。たとえそれが旭を懐柔(かいじゅう)するための、(いつわ)りのやさしさであったとしても。
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