第1話

文字数 1,952文字

劇団の公演日まであと20日と迫った稽古場。
僕、裕一郎と浩二はスタッフ仕事に追われる日々を送っている。
劇団といっても、わずか10名程度の弱小劇団。
衣装、小道具,大道具、そしてチケット売りからチラシ配りまで、全て自分達で賄わなければならない。
公演初日まであと20日となり、資金の調達から劇場費の支払いまではなんとか目処はついたものの、肝心な舞台の段取りがまったく進んでいない。
入団まもない僕と浩二は、舞台セットの転換スタッフとして本番中は舞台裏を走りまわる事になる。
舞台転換とは、劇中で行われるセット変えの事だ。これら全てを僕と浩二、それに山本を中心とする後輩たち3名を加えた5人で行う。
役者は、この劇団の主宰兼、今回の演出の山下さんだ。山下さんは、僕らの大学時代の演劇研究会、通称劇研のOBで僕らより8歳年上の30歳。
他に、山下さんの友人の2名の役者がいる。
女優は、僕の元カノのケイちゃんこと栗原恵。その友達の女性がもう一人。
計10名の劇団員でこの公演の初日を目指す日々が続いている。

今日はいつもの芝居稽古が終った後に、山下さん立ち合いのもと、スタッフだけの舞台転換の練習をする事になり、僕らスタッフ全員が稽古場に居残っている。
山下さんが口を開く。
「おい、裕一郎。まず、誰がどの道具をハケて、誰が入れるかの段取りは決まっているのか?」
『ハケ』とは道具を舞台から撤収する事で『入れ』はセットする事である。
「はい、僕がハケて、浩二がいれます。そこに山本たちが各1名ないし2名付きます」
「わかった。とりあえず見てるから、やってみてくれよ」
稽古を終えて帰り支度の役者連も心配そうに見に来ている。
僕らは言われるままに、山下さんの目の前で転換稽古を始めた。
山下さんの声が掛かるまで何度か、同じ事を繰り返えす。
山下さんの後ろで見ている役者の視線が気になる。何度かケイちゃんと目が合った。
「はい、そこで止めて。一回集まって下さい」
声がかかり、山下さんの周りに集まりダメ出しを聞く。
「今、計ったところでは、この転換にかかる時間は1分30秒だ!浩二、これどう思う」
「時間かけすぎだと思います」
「そうだな。この半分以下の時間でやる事が目標だ。
だいたい今の作業は明るい中でやってもらったが、本番は真暗な中だぞ、
暗転中の舞台転換は、暗い中でスタッフがやるという事はお客も周知の上だが、芝居より長い時間を掛けるな。お客に長いと思わせたら駄目だ。
客も最初の20~30秒は目が慣れずよく見えないが。30秒も過ぎれば目も慣れて君らの動きもわかる‥‥
最初の30秒が勝負だ。
次に「ドタドタ」音を立てるな。静かにやる事。
次、無駄な動きが多すぎる。何度も位置を確認し過ぎ、一発で決める事。
以上のダメ出し検討の上、修正して稽古をする事」
と言い放つと山下さんは稽古場を後にした。

「浩二、どう思う」
「どうもこうもないよ、山下さんの言う通りだろう」
「ただ、僕たちだって少しでも早く終わらせて、次の場に繋げようとしてるんだぜ」
「確かにその通りだが、それは観ている人には、言い訳に過ぎないだろう」
「……」
「とりあえず、言われたところを修正しながらやって見よう」
「ああ」

その後、修正事項を確認しつつ稽古を続ける。
大小道具の入れ替えは約20点はある。これを5人で行う事を考えると、単純に一人4~5回は舞台と袖を往復することになる。なおかつ30~40秒内で完了する為にはほとんどイリュージョンか神業だろう‥‥!

2時間ほどの稽古の結果、そこそこ改善された手応えは感じたものの、山下さんのリクエストにはほど遠い。
「裕一郎、今日はこの辺までにしよう」
「ああ、そうだな。」
「一応、時間も多少短縮できただろう。明日、また見て貰おう。どうだ裕」
「わかった。ただ、山下さんの指摘はだいぶ改善されたと思うけど、求められている結果にはまだ遠いよな!」
「おれ思うんだけど、これは山下さんのリクエストじゃなくて、お客さんの求めるリクエストだよな」
「そうだな、浩二の言う通り。僕らも頭の中を少し整理して、明日からまた
頑張ろう」

その夜、布団に入ってからも転換稽古とケイちゃんの事が頭の中から離れない。
ケイちゃんとは2年付き合って昨年暮れに別れた。
なんでも他の劇団に彼氏ができたそうだ。今回の公演が終わればそちらの劇団に移るらしい。
もう半年も経つのだが、僕にとってはまだ半年という感覚だ。
何をしていても彼女の事が気になってしまう。気が付けば横目で彼女の事ばかり見ている自分がいる。
ただ今は、夢中になれる事がある場所に自分を置いて、時間が経つのを静かに待ち続けていたい。

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