第2話

文字数 1,784文字

翌日、僕と浩二の呼びかけで、稽古時間の2時間前にスタッフは稽古場に集合していた。
もちろん転換稽古のためだ。
皆の前で浩二が語りはじめる。
「稽古をする前に、皆も考えてほしい事がある。暗転中の俺らの作業についてだ。
まず、俺らの姿は暗転中は客席からは何も見えない。しかし次に明かりが入った時には、先程とまったく違うセットがそこに現れる。これは僕らスタッフの見せ場だ。
客席が驚きの声を上げるかもしれない。しかし今の俺らの仕事はどうだ?
まだまだ作業の範囲だ。想像以上の神業があって、初めて観客は感動するのだろうと思う。皆は、そこのところどう思う?裕、どうだ」
「浩二の言う通りだ、僕らの求められているものはそこだと思う」
「僕も出来る事なら、そんな仕事をしてみたいです」
普段はふざけてばかりいる山本もいつになく真剣だ。
しかし、皆がそう思ったところで何をすればよいのか見えてこない。
やはり時間を掛けて何度も繰り返し稽古するしかないのだろう。
暗転中の暗闇の中でも今と同じ様に動ける為に、目をつぶってでも出来るよう体に覚えさせるしかない。
そして僕らは、芝居の稽古が始まる前までの時間、ひたすら繰り返しスタッフ稽古をしている。
それから一時間後、まだ集合には早い時間なのに、ひとりふたりと役者が集ま
りだしている。皆は黙って僕らの動きを眺めているのがわかる。
山下さんもやって来た。
僕らは山下さんを見て一旦手を止める。
「いいから続けてみて」
「じゃあ、みんな最後の一回にします」僕が声をかけた。
「よーい はい」
『はい』の声で手を叩き『パーン』と音が響くと、皆、黙々と動き出す。
『ハケ』と『入れ』の人間がぶつかることもなく、静かに流れる様に移動する。
途中、椅子に座って観ていた山下さんが立ち上がっている。
全てのセッテイングが完了したところで、浩二の合図で『パーン』と手を叩く音が響いた。
ケイちゃんが拍手を送って来た。他の役者さん達も続いて拍手をしている。
山下さんが口を開く。「よくなったなぁー。あれからずいぶん稽古したんだろう!」
確かに今の回は一番上手く出来た感触はある。
今度はケイちゃんだ。「今の40秒だよ。昨日より断然いいよ」
一瞬、僕らも熱くなるものを感じた…

その日の帰りは珍しくケイちゃんを含めた、僕、浩二、山本の4人で駅へ向かう帰り道を歩いている。大学時代の劇研メンバーだ。
ケイちゃんはしきりに今日のスタッフの稽古を褒めている。
「転換、すごくよくなったよネ。昨日は少し心配だったけど、今日は随分変わったよね。あれから随分練習したんでしょ」
「と、言うより、皆の意識がだいぶ変わったと思う」
僕が今感じている事だ‥‥
「ふーん、そうなんだ。なんか羨ましいよ。山本くんなんか顔つきが違ってたもん」
「本当ですか?それっていい意味にですよね」
「当たり前じゃない」
今日の稽古は役者陣の芝居にも気合が入っていた。たぶん皆の意識がモチベーションを上げたのだと思う。
しかし僕らスタッフは問題を抱えている。本番中の暗転の中で、今日の動きが無事に出来る自信はまったくない。
浩二は、明日から稽古場の電気を消してやってみようと提案している。
山下さんやケイちゃんから評価して貰えるのは嬉しいが、その分プレッシャー
がすごくかかって来ている。
[みんなは、来週の月曜日の昼間は空いてませんか?」
ケイちゃんの話にはいつもドキドキしてしまう。
「僕は大丈夫ですけど」山本がすぐに答える。
浩二も「おれも大丈夫だけど」
「裕くんは」
名前を呼ばれただけでもドキっとする。
「平気だよ」そう言うのが精一杯だ。
「私の知り合いの人の劇団の公演があって、マチネの招待券が4枚あるんだ」
たぶん彼氏の劇団だろう。今回の公演後に移籍予定のとこだ。
浩二も気付いているであろう。「行こう、何か勉強になるかも知れない」
そして山本も乗り気だ「賛成」
「じゃあ決まりね。昼間のチケットでお客の入りが少ないので大歓迎みたいらしいの。ついでに私たちのチラシも置かせてもらいましょう」
そんな訳で、ケイちゃんの彼氏の芝居を4人で観に行く事になった。
今の僕は、何だかわからない不安を抱えて夜道を歩いている。
今は梅雨の真っ只中、今にも雨が降り出しそうな風が吹いて来た。
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