第二十七話 脳筋野郎と根暗野郎

文字数 3,283文字

 六はこの頃、トレーニング場に行く度に侭を見かける。特異課に参加してからまだ日が浅く機密性の高いデスクワークが任されていないのか、六達より退勤時間が早い侭は仕事が終わってからトレーニング場が閉まるまでの時間を全て鍛錬に費やしているらしかった。

 どこからか螺神という名前を知り組手を申し出る者も何人か居たが、全て断っているのか相手をしているのを見たことは無い。周囲の人間が非常時に体が痛まないことが大切だからと適度な汗をかいてトレーニングを終える中、彫像のように峻厳な背筋を露わにさせながら何時間も両腕だけでバランスを保っているその常軌を逸した様子は、普段希海以外の他人に興味の無い六の目にすらも強く焼きつけられた。
 
「奇遇だな、羽宮と…………そこの根暗。まあ座れや。この間の事はもう怒ってねえぞ」
「誰が根暗だよ、脳筋野郎…………!」
 六は侭から目を逸らし舌打ちと共にそう言い放ったが、ここの他に空席が無いのは重々分かっていたので、希海に確認を取った後渋々腰を下ろした。
 
 ────あーあ…………仲直りのプランが台無しになっちゃった。

 この場で最も落胆したのは希海だったのかも知れない。
 二人の心の間が再び離れたあの日以降、いつにもまして顔が険しくなった六から今日は暇な時間があるという旨を聞いて、希海は思わず大きな声を出してしまった。これは仲直りの好機だと。

 六もそうであるが、希海だってまだ自分のした選択が正しかったという確信を得たわけではない。それどころか、もう一度議論をすれば何も主張できずに直ちに言い負かされてしまうだろうと思っていた。
 恐らくこの議論に正解は無いのだろう。それだけは議論や理詰めで話す事が苦手な希海にだって分かる。確かに、幾らでも反駁のしようはある。「人を殺すのは倫理的にダメで、そういう法律だってあるから、ダメ」なんて言えばそれまでだが、目の前の人間に今まで何が起こって、何を考えて生きてきたかを無視した無機質で殺人的な理屈を六や小野寺に振りかざすのは、本当に道徳的なのだろうかと疑問が残る。もし軽々しくそんな事を言ってしまえば、六が言った通り、この世の人々に大手を振りながら、足では小野寺がかけた唯一の梯子を蹴落としてしまうことになるかも知れない……希海はそう考えていたのだ。

 議論の続きをしたいのではない。ただ仲直りして、前のような喧しくも明るい、少しだけ楽しい六との日々に戻りたかった。人間は幸福の為に死ぬことが許されるかなんて、この先何十年も生きていればいずれ分かるだろう。まだ十八歳の春に住む自分達が結論を出すには大変すぎる問題だ。そんな議論をするよりも、二人でくだらない番組を観たり、まだ作っていなかった唐揚げを一緒に作ったり、この残酷な世界を孤独に生きてきた六と、色んな楽しい事をしたかった。

 とりあえず一緒に他愛ない話でもしながら夕食を食べて、その後謝罪を…………なんて計画を立てていたが、この雰囲気では平和な食事すら不可能そうだ。

 
「そういや、ずっと疑問に思ってたんだが」
 向かいに座った希海と言葉も交わさず、所在無さげに調理場を眺めながら生姜焼き定食を待つ六に、食事を終えた侭が紙ナプキンで口を拭いながら言った。
「うちの局長ってさ、どんな厄災持ってんだ? 桁違いに強いって話、散々聞くけど。お前ら知ってる?」 

 六ははじめ無視を決め込んでいたが、この軋轢に希海を巻き込むのも悪い気がしたので、一応会話らしい会話は続けてやることにした。
「まず俺から一つアドバイスしてやる。パンドラじゃないお前が特異課の人間に、厄災について不用意に話そうとするな。ここの人達は皆厄災のせいでロクでもない過去を持ってる。舐めた態度を取る相手が俺ならまだ良いが、これから特異課で働くなら他人を尊重することを覚えろ」
「…………ったく、だからお前は根暗なんだよ」
 侭が溜息と共に頬杖をつく。
「良いか、厄災は平凡な人間がどれだけ願おうが、鍛錬しようが絶対に手に入らない才能そのものだ。文明すら制御できない強大な力を持って生まれるか、それとは無縁に生きていくかの二択。お前らパンドラは強者になる権利を持ってんだよ。それをロクに鍛錬もせず、過去だ人生だとか気にして殻に籠りやがって…………まあ俺はそんな物持ってなくても誰よりもつえーことを証明しに来たんだけどよ。だからお前みたいなうじうじした雑魚には興味ねぇ」

 こんな思想を持った人間が一応冥対の規則を守り、仲間として働いていることに希海は言い知れぬ安堵を覚えた。侭が一歩でも道を踏み外し猟犬のような犯罪者になっていたら、という恐ろしい想像は容易に進む。

 希海がここへ来てもうすぐ一カ月、特異課の職員達と接し、彼ら彼女らについて分かったことがある。
 ここは非常に雰囲気が良く、任務中など緊迫した場面以外では笑顔が絶えないし、特異課全員にいじられたりツッコミを入れられるフランが例であるように、上下関係もかなり柔らかい。だが大きな夢や目標を持った人間が居ないのだ。皆ここで働くのが当たり前であるかのように命を懸け、仕事をこなす。
 この前瞬に特異課を志望した理由を聞いてみると、「う~ん、俺にはここしか道が無かったからなー……ここに入れてなかったら今頃ホームレスだったかもね、ははは!」なんて意味不明な言葉だけが返って来た。

 そんな特異課の中で、侭は明らかに異質な存在だった。大成するという確かな目標の為に大胆な所業をやってのけた侭を見ていると、ある種胸がすくような思いがしないでもない。しかしその奔馬が自分達の理解の向こうを目指して疾走する様は、どこか遠雷のように心の隅で叫びを上げる危険の予兆を感じさせた。

「…………お前には何言っても無駄だわ。もう気まぐれでまともな人間を殺そうとしなきゃ何でもいいよ」
 六は完全に諦めの境地に達し、普段の冷静さを取り戻す。そして今度は希海が侭との衝突を覚悟する番になった。
「あのさ、君に訊きたい事があるの」
「ん?」
「六から聞いたんだけど……私達を助けてくれたあの日、小野寺さんの通信機から連絡取ってたんだよね?」
「おう」
 侭はコップ一杯の水を口に運び、答える。
「なんで生きてた小野寺さんをあそこに放っておいたの?」

 小野寺に関する話を持ち出さないのが六と希海の中で暗黙の了解となっていたが、希海は侭の不遜な態度を前に、どうしても直ちにこの質問を突きつけずにはいられなかった。
 はっとした六は移した視線を一瞬で侭に戻す。確かに、侭があの時小野寺の通信機を使用していたという事は、隣には生死を彷徨っていた彼が居た筈だ。
「なんとか命だけは助かったけど、もしあの時に本部に報告していたら、今頃意識は戻ってたかも知れないじゃん…………!」
「は? あの人生きてたのかよ?」
 自らに向けられた非難の籠った視線に、侭はきょとんとした目で返した。
「最初意識があるのか何度か呼びかけたんだが……何も反応無かったし、どうみても生きた人間のナリしてなかったからよ、流石に死んだと思ってたぜ。ま良かったじゃねえか」
 何も良くない。小野寺はか細いながらもずっと呼吸はしていたのだ、口に耳を近づけさえすれば確認出来ただろう。しかも、自分が気づきさえすれば未だ昏睡状態から醒めない小野寺と彼の娘は今頃言葉を交わせていたかもしれないのに、この態度。希海は喉に急速にこみ上げる烈火を感じ、かえって落ち着いて次の言葉を紡ごうとした。



 その時である。



 短いアラートの音に続くアナウンスが喧騒をかき分け、食堂内だけでなく、冥対本部内の者全員の耳に入った。
「冥事対策機構本部のアカデミー第一訓練場内に侵入者。現在施設内には立ち入りが不可能となっており、侵入者の人数や詳細は不明。特異課所属の職員宵河六と羽宮希海は、本部ビル三階、第一会議室に急行する事。機動局局員は総員戦闘態勢、アカデミー第一訓練場に集合。その他職員は本部ビル一階のロビーへ避難。繰り返します。冥事対策機構本部のアカデミー第一訓練場内に…………」
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