第二十九話 帰冥体

文字数 3,236文字

 六達が飛ばされた先は、ビル街から少し離れた無人の作業所だった。

 二人の体は銃弾のような速度を保ったまま倉庫のトタン屋根を突き破り、コンクリートの床に激突する。希海を包んだ白青の塊は着地後ボールのように幾度も高く跳ね衝撃をいなしながら、六の視界外へ消えた。
 幸い六の体は山積みにされた段ボールが受け止め、着地の直前に斥冥力を背中に込めた事も相まって重症には至らなかった。しかし自分の身など最早どうだっていい。やっと体を動かせるようになってすぐに、六は希海を探してだだっ広い倉庫の中を走り回る。
 明日の業務時間まで静かに眠る室内には照明が無く、代わりに天井の穴から漏れる月光が、僅かではあるが灯の役割を担っている。

 工業製品の匂いが充満するこの薄暗い空間の隅に横たわる蒼白の体は、目を閉じたまますーすーという穏やかな息の音だけを立てていた。
「希海!! おい大丈夫か、希海! 希海!!」
 何度も名前を呼ぶ。意識はまだ戻っていないが、どうやら咄嗟のアイデアは上手く機能したらしい。

 暫くして希海の意識が戻る。瞼の下から現れた栗色の宝石は潤み、短い逍遥の後に六の瞳と真っすぐ対峙した。
「良かった…………怪我は!? 起き上がれるか!」 
「だい……っじょぶ…………ねぇここ、どこ……?」
 素っ頓狂な声でそう訊く希海を前に、六の肺に張り詰めた薄氷は溶けていく。最優先の警護対象だというのもあるが、あの日の選択を不確かにしたまま、こんな所で死なれては困る。六はそんな事を考えながら、希海の手を引いて体を起こしてやった。

 その時、入り口のシャッターが開く無機質な音が響いた。

「おい、こいつが死んだらどうするつもりだったんだよ、馬鹿が…………!」
「お前を信じたのさ、宵河六」
 明るすぎる街の光を背に受けてそこに立っているのはヴェロニカ。冥対敷地内で遭遇した時もそうであったのだが、武器は何も手にしていない。
「ちッ……今日はあの馬鹿でかいライフルはどうした。重すぎて捨てたか?」
 二人の会話を聞いて希海はふと、普段寡黙な六は戦闘の間だけ饒舌になることに気づいた。
「馬鹿馬鹿と五月蠅いな、全く。武器などもう要らん。お前が資格を持つか試す為に、本気で相手をしてやると決めた」
「…………お前は何かの師匠かよ、気持ち悪ィ」

 ドク、ドク、ドク。心臓の逸る音が聞こえる。

 逃げ道は無い。この前は厄災の全貌を知らぬまま瞬時に行動不能にまで追い込まれた──そんな相手に最後まで殺し合う覚悟を、六は決めた。

「なぁヴェロニカ・ロウエ。闘る前に、お前に一つ訊いて良いか?」
 六は希海を倉庫の端に下がらせて、手首をぐるぐると回し体の準備を整えるヴェロニカに言う。
「何だ」
「人は……人は幸福の為に自死することが許されると思うか? お前の仲間のせいで意識が戻らない俺の上司は、病気の娘に迷惑をかけないよう自殺する意思がある。現代の医療じゃどうにも出来そうにない。自分と娘の為の行動ならそれを止めないというのが俺の選択なんだが」
 二人を暗黙のうちに雁字搦めに繋いでいた鎖が何の脈絡もなく六の口から飛び出たことに、希海は目を丸くした。やはり六もこの問いに苦しんでいたのだ、と。
「……いきなり気味の悪い事を言う」
「頼むぜ。ずっと考えてるんだが答えが出せなくてここ数日夜も眠れないんだ。そのせいで同居人とも上手くいってないし、最近面白くねえ」
「え?」

 今なんて言った? 同居人────私のこと? 最近面白くない、という事は私達が今より会話してた時は面白かったって意味?
 
 希海は六の言葉を単語一つひとつに分解し、それらを離したり繋げたりしながら執拗に吟味してみた。

 ヴェロニカはしばしの間俯いて思考した後、こう語った。
「呆れる程自分勝手な価値観だ…………だが自分勝手なのは悪くない。お前の問題は

を敵に回している点にある」
「時間?」
「そうだ。厳密に言えば時間の流れ。因果を結ぶのは時間……時間が流れる限り『果』が永遠に固定される事はなく、転変し続ける。生きている限り、永遠の幸福はあり得ない。永遠の不幸もな」

 ────あ、もう話についてけない。ヴェロニカが口を開いてからものの数秒で、希海は集中を手放した。

「どうせ自らの手で変えられない運命があるのだから楽になるべきだ、とでも思っているんだろう? それは思い上がりだ。元から運命を変えるのは人間ではない、時間だよ。我々はそこに手出しは出来ない。だが死ねばその人間にとって時間は止まる。『果』は固定されるのさ。時間と対峙するのではなく、生きたまま時間の流れを観測することによってのみ、人間はいつか望みを叶え得るのだ」
「じゃお前らが世界中で人を殺しまくってるのは何の為だ? パンドラが虐げられる社会、それこそ運命を自分で変える為じゃないのか?」
「私達が行動したところで運命が変わる保証はなんてないが、時間の流れに関わる事は誰だって出来る。大切なのは『時間に関わろうとする意志』なんだよ。達成できるかどうかなんて二の次…………命が尽きる最期の瞬間、この身を燃やして時間に関わったという確信を抱いて眠るのさ。そして先に待つ者に土産話を持っていく。それが人の正しい生き方だ。運命を支配するのは人間ではない。だが身の程を弁えたつもりで何も行動せず、運命を終わらせるのも人間ではない」
「っはは、無駄に小難しく話してるけど結局『人生何とかなる』って言いたいだけだろ?」
「お前も年を取ると分かるさ…………随分と喋ってしまった、私らしくもない。さあ、私の『時間に関わろうとする意志』の形を見せてやろう」

 ヴェロニカの言葉に、六は右腕を大きな結晶の刃で覆う。最後の意味を理解する事に思考を割く余裕など無かった。中央公園での急襲時とは違い、冥力・斥冥力の蓄えは十分にある。暗器や銃ではまともに渡り合えない事も知っている──六は最初から徒手と厄災で挑むつもりだった。
 与えられた僅かな情報の中で六が最優先に警戒したのはあの日鳩尾に喰らった、竜巻そのもののような暴風の球。あの時の一撃は恐らく遊びで、次に直撃してしまうと腹に文字通り「風穴」が開いてしまうかも知れない。

 しかしヴェロニカが二人に見せたものは、そんな児戯に等しい想像を六の頭から瞬時に吹き飛ばした。
 


 ────それは、変身。いや、進化と形容すべきか。



 右手を広げたヴェロニカを中心に、竜巻が吹き荒れる。乱れる気流はやがて外へ発散され、暴風が六と希海の体を壁に打ちつけた。
「────っ!」
 倉庫の壁の素材であるスレートは耳を劈くようなガシャン、という衝突音を立てる筈だが、荒れ狂う風の爆音に敢え無くかき消される。
 
 風が止んだ。そこに

は居なかった。
 代わりに立っていたのは────純白の甲冑と襟の立ったマントを全身に纏った騎士。
  
 アーマープレートのように見えるその皮膚は光沢が艶やかではあるが、金属と見なすには少し有機的で、甲殻類が身に纏う外骨格に近い。腰には(くるぶし)まで到達する程長いスカートが、その銀灰の裏地をひらめかせている。新雪のように柔らかなプルームが肩まで下がった兜のバイザーには三本の溝が走り、頬当てに穿たれた無数の穴から煙のように白い息が排出され続けている。

「何かめっちゃ怖いオバケ出てきたんですけど! 何こいつ!?」
「俺もあんなん知らねえよ。見たこともねえ…………!」
 驚きのあまり倉庫内に響き渡る大声を出す希海。六は目の前で剣を構える未知の生命体が放つ規格外の危険性を感じ取り、反射的に希海の前に結晶の壁を展開した。
「おい、お前は一体何者だ? ただ鎧を着ている訳じゃないだろ」
「おや、何が起こったか分からないか? 冥対(そっち)はまだ何の情報も持っていないようだな」
 騎士が答える。空気に沈殿した灰のように低く、重たいその女性の声は、確かにヴェロニカ・ロウエのものだった。

「この姿は『帰冥体』。私達はこの力で門の向こう側へ到達する」
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