第二十一話 特務順位二位

文字数 3,983文字

 新幹線の窓を過ぎ去っていく景色を目で追いながら、フランは本部からのさらなる状況報告を待った。
 ノートパソコンから通知音が鳴る。急いで確認すると、それは本部との連絡ツールではなく、メールを通して発せられたものだった。怪訝な表情でそれを開いたフランは、差出人の名前とメールの内容を見て絶句した。
 
 記録 57秒(お喋りが楽しくなって少しタイムロスしたが)
 これをあんたに捧げる。

俺を採る気になったか?
 連絡待ってるぜ

 
 添付されているのは、切断された伊田俊樹の頭を、上半身裸の侭が髪を掴んで持っている自撮り画像。手首の時計には0:57と表示されている。
 フランは少しの間思考に浸った後、連絡ツールのリストから人事部の担当者を探し出し、電話を掛けた。
「もしもし。この間の入局試験の受験者一覧から『螺神侭』って子のデータ、探してもらえる? …………いや、現在の件については大丈夫。私が現場に向かってるから。とにかく、その子の情報をこっちに送ってほしいの……よろしくね」
 通話を切ると、フランは再び画像に目を移した。
 まるで漁師が釣り上げた大魚と記念写真を撮るように、伊田の首を掲げる侭の肉体には、血どころか傷一つ付いていない。
 フランはペットボトル飲料のキャップを指先でくるくると回しながら、窓を眺めて呟いた。
「『選ばれた人間』ね…………私以外にも居るのかな、ママ?」



 再び新宿ビジネス街の超高層ビル、地下駐車場。

 至出上に両断された頭蓋の残骸を一瞥して、イゾルデは言った。
「う~ん、分かんねェな…………どういう理屈があって衛星が反応出来なかった? てめェ、幻術でも仕掛けたか?」
 次の瞬間には背後からまた新しい一双の頭蓋が出現する。すると、イゾルデは咳と共に吐血した。勢いよく飛び出し、だらりと口から流れる血を手の甲で軽く拭く。綺麗には拭いきれず、口元と人中には左耳へと続く口紅のような血の跡が残った。

「やはりそうか」
 今度は至出上が呟いた。
「貴様のその頭蓋────攻撃には冥力を殆ど使っていないが、出現に相当な冥力と身体的な代償が要るな。じゃないと能力のバランスが取れない。壊し続ければいずれ出せなくなる訳だ」
 本当に俺を助けずに観察してたんだこの人……瞬は目を閉じたまま心でそう呟いた。
「うるッせェな……!」

 威嚇するように低い声で返したイゾルデだったが、内心では至出上の妙な能力の正体を暴けずにいた。
 あいつの動きは全く見えなかった。速い。速いが、衛星すら動きを追いきれなかったのは明らかに不自然だ。アタシの衛星は動く物体全てに反応できる自立型……それを欺いたのは、身のこなしというより、衛星を何かの力で狂わせたからとしか考えられない。
 
 至出上が刀を構えると同時に、また消えた────そう、「消えた」のだ。
 
 斬撃を避けきることは無理だとすぐ確信したイゾルデは、全身に暗黒の帳を纏い、防御に徹する。
 イゾルデが体を預ける全能感の大部分を担っていた衛星は、至出上の前では全くと言っていい程存在価値を失っていた。光線を当てる事は勿論、楯にすらならない。
 
 至出上の刀はイゾルデの体ではなく、それを取り巻く衛星を断った。頭蓋に攻撃の手段の大部分を頼るイゾルデは、大量の冥力と吐血という命の代償を払ってでもそれらを召喚し続けなければならなかった。
 
 ふと、イゾルデの頭に一つの仮説が浮かんだ。これはあくまで推測。だが、今の彼女にとって、この仮説を証明しない選択肢は無い。

 イゾルデは地面にうっすらと堆積した瓦礫から埃や砂を手に集め、距離を取り態勢を整える至出上が再び動き出す直前、彼女に向かって投げた。
 粒は食卓にかけるテーブルクロスのように、ゆっくりと宙を舞って至出上に降りかかった。攻撃とは思えないほどの遅さから、至出上の反射神経はそれを警戒しなかった。
 砂埃の中の至出上がイゾルデの視界から消える。ほぼ同時に、イゾルデの胸元に刀を突きたてた至出上が出現した。
 攻撃の直前に闇の衣を纏っておいたイゾルデは後ろに下がりながら裂傷を防いだが、衣越しに自動車が衝突したかのような衝撃が伝わる。
 
 しかし、今意識の大部分を割かなければならないのはこの鉛のような痛みではなく、自らが振り撒いた砂埃の行方だった。
 イゾルデは痛みに目を細めながらも、至出上が居た地点から視線を外していなかった。
 砂埃は投げられた瞬間の揺らめきを完璧に保ちながら、そこに立ち込めていた。やがて全ての粒が地面に落下するのを、イゾルデは見届けた。

「お前の妙な芸当、漸く分かったぜ」
 イゾルデは眦を落とし、舌を出しながら口角を吊り上げた。
「テレポートしてるな、お前。光の速さまで加速とかそんなんじゃねェ。開始地点と到達地点の二つだけを結んで移動してる。どうだ?」
「ご名答」
 至出上はイゾルデの明察に敵ながら感心し、律儀に答え合わせの返答をしてやった。

 至出上が高速で移動しているなら、体に衝突した粒は空中で運動の仕方を変え、至出上の動きは砂埃の揺らめきを乱す筈である。その様子が見られないことを考え、イゾルデは至出上がそもそもこの空間上において動き出してすらいないという結論に達したのだった。

 厄災の脅威の評価における大きな軸の一つに、使用した際の消費冥力、即ちコストパフォーマンスがある。至出上の厄災は「空間」。この「転移」は、二地点を隔てる距離と消費冥力が比例するという制約はあれど、戦闘に使う程度なら一度の能力使用で支払う冥力は極めて少ない。至出上は冥力の消費が激しく、「長期戦が不得手である」というパンドラの弱点を克服していた。
 また単純な身体能力も、至出上が「人類最強」に次ぐ特務順位二位である所以の一つだった。十八歳で陸上自衛隊に入隊した至出上は、二年という異例の早さで准尉にまで昇進、その後優秀な自衛官のみが入隊できるとされる陸上自衛隊所属の特殊部隊、特殊作戦群に一年間在籍したエリートである。「転移」は回避に使えるだけでなく、移動中に態勢を変えられる為、相手に武器を当てるまでの動作を極限まで排し、体に刃を突き立てた状態で出現することが出来る。これにより、相手が気づいた時には攻撃を当てた後に刀を払う至出上の姿だけが目に映るのである。
 最もシンプルにして強力な厄災。相手の予備動作から動きを予測して立ち回る白兵戦において、自衛隊と機動局どちらの組織内でも、フラン以外に至出上に勝る人間は存在しなかった。

 能力を理解したとしても、それだけでは対策を為したことを意味しない。このまま衛星の破壊と生成を繰り返していると先に冥力が尽きるのは自分の方だとイゾルデは確信していた。単純な肉弾戦では至出上に勝つことは不可能。

 ────なら「あれ」を使う以外の選択肢は無い。

 イゾルデは背後をちらと見た。そこには瞬がこの地下駐車場に戻って来る前に殺しておいた、一般人十七名の死体。血の池に浸かる屍の山の存在をこの目で確かめ、視線を前に戻して至出上に言う。
「もしかしてアタシ、舐められてンのか? 蚊みたいにピュンピュン動き回って剣を振り回す女に負けそうだと?」
「ああ。実際そうだろう? 自分から戦いたいと言っていた相手にこうも簡単に圧倒されているんだからな。私の能力を当てられたのは褒めてやる。たが貴様は弱い」
 至出上は薄氷の張ったような冷徹な表情と声で淡々と言った。自分より頭一つ分程背の高い至出上に見下され、怒りをぶちまけそうになったイゾルデは、次に至出上が口にした言葉に頭から冷水をかけられたかの如く冷静さを取り戻した。
「数分以内にうちの局長がここに到着する。これから奥の手を使うのか何だか知らんが、ここでぐだぐだやっていても良いのか?」

 それを聞いたイゾルデは、チッと舌打ちした後、黒のフードのついたダウンジャケットのポケットに手を入れ、中の通信機のような物を握った。
「ここでてめェら二人と最後まで闘りたかったが、計画が変わった。次は手加減ナシだ…………また遊ぼうぜ」
 イゾルデがまた不気味な笑みを浮かべ、通信機のボタンを押した。
 「ばいちゃ」 

 地下駐車場の全ての柱からピッという短いアラーム音が次々と鳴ったかと思えば、次の瞬間には場内に大きな爆発が広がった。
 爆発の勢いは駐車場を地下に持つこの高層ビル全てに及び、鼓膜を破壊する轟音と吹き荒れる爆風は地下駐車場を倒壊させた。



 ビジネス街の景色の一部分をなす高層ビルが突如としてそこから消え去った一部始終は、周囲の人々どころか遠方の人間までをも愕然とさせた。

 事故現場一帯を包む砂埃と煙、そしてビル跡に立ち昇る炎。その光景を撮影しようとスマホを掲げる野次馬の一群から少し離れた「閉店中」の看板が下げてある料理店の前に、能楽の小鼓のように瞬を肩に担いだ至出上が姿を現した。

「あの女、私がフランの到着を口にした途端に逃げたな。やはり不在を狙って襲撃に及んだか…………それにしても、何かしらの術を使いそうな素振りを見せていた。あのまま戦闘が続いていればさらなる犠牲が────」
「至出上さーん……早く下ろしてくださいよ。一応これでも結構な重症なんだから……その持ち方……いてっ!」
 至出上は言葉を発する顔の横の尻を小鼓のように軽く叩いた。
「お前には鍛錬が足りん。第一そのくらいの傷、お前の斥冥力なら数日で完治するだろう。問題は宵河達だ。おそらくあの女の狙いは、宵河の増援に来ると予想した私達の牽制。だとすれば、あちらにはその何倍も強い人間が回っていてもおかしくはない」
 倒壊したビルの跡にはすでに通報を受けた消防隊が到着し、消火活動を開始している。勢いよく燃え上がる炎の柱に向けてホースから水が放出される様子を眺める二人に本部からの通信が入った。
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