文字数 12,824文字



「先ほど西南西の方角にのぼりましたる黒煙は、やはりそのヒコーキとかいう空飛ぶ乗り物の墜落による、との報告がございました」
「して、その乗員は?」
「乗員は計三名、全員無事とのことであります」
「無事、とは?」
(こと)()きを得た、ということでございまして。あちらの窓からご覧になられますとおり……」
 侍従長(じじゅうちょう)エンヤ・トットにうながされ、若き国王チョイナ・チョイナ十四世が高楼(こうろう)からのぞむと、通りの片隅に子供たちが群れているのが見えます。
 |われ先にと手を伸ばして押し固まるその一団の中心に、見慣れぬ装束(しょうぞく)の男が三人。にこやかに子供たちを相手しています。
 なかでもパイプをくわえたひと(きわ)長身の男が、どうやら一行(いっこう)のリーダーのようで。
「何者だ?」
「ガクシャ、とか申しております。なんでもケンキュウのために西方を目指しているのだとか」
 赤服に白髭の助手二人が、差し伸べられる子供たちの手に小さな包みを分け与えています。
「騒々しい」
「チヨコ、だそうで」
「女には見えぬな」
「いえいえ、あの者たちが与えている異国の菓子の名でございます」
「菓子なら我が国にもあるではないか。なにをあんなに血相(けっそう)を変えてまで群がる必要がある。我が(たみ)ながらみっともないったらありゃしゃない。だいたい当て付けも(はなは)だしいではないか。城の前で、ああまでして」
「お言葉ながら。いつの時代でも子供という生きものは珍奇(ちんき)なものに()がないものでございまして。あのチヨコなる異国の菓子、口に(ふく)むやたちまちとろけて柔らかに舌を抱き、味覚いっぱいにひろがる芳醇(ほうじゅん)な甘みは、さながら女神の口づけを思わせるほどでございます。恋は盲()などともうしますが、子供とはいえ目がないのも無理もないと、まことにもって目を見張る思いでございます。ましてや我が国の菓子などと比べては、もうとてもとても……」
「おほんっ」
「あっ、いやいや、そのぉ。じ、滋養(じよう)です。滋養の点にはぜひとも国王として、民のために着()しておくべかと」
「なに、滋養(ジヨウ)?」
「さよう。滋養(ジヨウ)重要(ジュウヨウ)ですぞ、国王さま。一粒チヨコを味わえば国王さまとて思わず数百メートル走り出したくなるほどでしょう。そしてつくづくと思い知らされるに違いありません。我が国の食の貧弱(ひんじゃく)さを。そして我々砂漠で生きる民がいかに不滋養(フジヨウ)な暮らしを()いられてきたかを」
「うちはそんなに不浄(フジョウ)か?」
「それはもうチヨコに比べれば無滋養(ムジヨウ)と申してもよろしいかと」
「なに無情(ムジョウ)とな」
「ひょっとしますとあのチヨコ、この慢性的な不滋養、無滋養の苦しみから我々を解き放つ恵み(、、)となるやもしれません」
「滋養の恵み(、、)、と」
「お言葉ですが、そこはあえて滋養の女神(、、)と呼ぶべきかと。民はみな、こぞってチヨコを(ほっ)することになりましょう」
需要(ジュヨウ)の女神とな」
「は」
侍従(ジジュウ)の女神でなければよいがな」
「これはまた……」
「まるでもう食べてきたかの物言いだぞ、侍従長」
「これまた御冗談を、ハーッハッハッハッ!」
 と笑うその歯がチヨコで黒く汚れています。
「下がってよろしい」と国王さま。
「あいや、しばし。あの者たち、国内での滞在許可を申し出ておりますが」
「許可も何も、ほかに行くところなどなかろうが」
「それが、ヒコーキの修理が完了するまででよいとか」
「なに? ではその空飛ぶ乗り物は使い捨てではなく、修理さえすればまた飛べるというのか」
「そのようで」
 ならばいったい何人まで乗せることができるのか。はたまた、そのヒコーキならば確実に他国へたどり着くことができるのか、国王チョイナは噴き出そうとする疑問を懸命にこらえました。
 なぜなら国王(みずか)らが国外へ脱出したがっている、などと噂にでもなれば、国内にどんな混乱が巻き起こるか知れたものではないからです。
 これまで漂着した旅人はすべて、広大な砂漠をラクダなどの家畜に乗って、あるいは徒歩でたどり着きました。その誰もが方角を失い、迷い、(まど)わされてのことでしたので、帰る(すべ)を知りません。
 外の世界とのつながりを持とうと、見当(けんとう)をつけて送り出した探検隊も、これまで一人として戻ることがありませんでした。
 そんな風ですから、外の世界へ確実に到達する方法を知る者は、この国には一人もいないのです。
 けれども、時折流れ着く漂着者たちの話から、外の様子が断片的に伝えられることがままあります。この国で生まれ育った国王チョイナも、他の多くの民と同様に、そんな話を(むさぼ)っては外の世界への妄想(もうそう)をふくらませているくちでした。
 ただ国王チョイナが民と大きく異なるのは、国内の誰よりも膨大な退屈をもてあましているということ。
 妄想という名の寄生虫は退屈が好物です。宿主が暇なぶんだけ大きく(ふと)ります。民が外の世界を絵空事としてあきらめても、国王チョイナだけはその膨大な退屈をよりどころとして妄想を希望と錯覚するほどに(ふく)らませているのでした。
 かてて加えて国王チョイナの執着心といったらありません。
 なにしろ数年前にミーファが例の赤い風船で流れついたとき、ひそかにこれを取り上げて、身ひとつでの逃亡をたくらんだほどなのですから。
 このまったく風まかせな(くわだ)てのあまりの無謀さに気がついたのは、お城の楼閣(ろうかく)のてっぺんで、盗み出した風船を(くわ)えていきみかけたその時でした。すんでのところでこれを自殺行為と思いとどまったのです。
 それほどまでに国王チョイナは外の世界に(あこが)れている、とは言えるのでしょうが。  
 風船をこっそりと返すために、月夜の城下をお忍びで歩いたときは、あまりにも情けなくて、またくやしくて涙があふれ出たほどでした。
 そんな国王です。
 未知の国からのヒコーキに期待を寄せないわけがありません。
 報告によればミーファの赤い風船とは異なってヒコーキには(かじ)があり、自在に進行方向を決めることができるといいます。
 乗っていたのは三人。
 もし仮にそれに四人乗れるとするならば、こっそり彼らに頼んで、旅立ちの日に同乗させてもらうという手があります。
 乗り込んでしまえばこっちのもの。
 ヒコーキを発明したほどの進んだ文明の彼らですから、きっと砂漠の外に連れ出してくれることでしょう。
 ともかく、一生に一度だけでも外の世界を見てみたい。いや、あわよくばそこに腰を落ち着け、二度とこの国には戻りたくない。
 それが国王チョイナの夢なのでした。
 ならば、このたび飛来したヒコーキこそは、一生に二度あるか無きかの貴重な好機(コーキ)。この()を逃してはなりません。ここはひとつ慎重に、慌てず、(さと)られず、確実に事を運ばなくては。
「そうか。そういえばたしか西門の方に鍛冶屋がおったな」
「はっ、たしか赤い風船で飛来した珍妙(ちんみょう)な男が」
「そうであった、そうであった。その鍛冶屋を紹介してやれ。ヒコーキの修理に何かと役立つことだろう」
「はっ。して、お目通りは」
「あの者たちが願い出ているというのか?」
「あ、いやべつにそのぉ、これまでにない異国の話も聞けるかと」
 子がおねだりするようにエンヤ・トット侍従長が国王チョイナの顔色(かおいろ)をうかがいます。しかし、
「ううん。ま、気が向けばだな。(おり)を見て聞いてやってもよい。あくまで、気が向けばの話だがな」
 と、まずは関心のないそぶりをしてみせて、この件からはしばらく()を置くことにしました。
 ところがその夜、さっそく男たちの方から拝謁(はいえつ)()うてきたではありませんか。
 国王チョイナが胸を(おど)らせたのは言うまでもありません。
 よその国の話、ヒコーキのこと、空の旅のこと……。たずねたいことがいっぺんに込み上げて、鼓動(こどう)が高鳴ります。
 そして何よりも今すぐにでも頼みたいあのこと(、、、、)が頭を駆けめぐり、気のゆるみをついて口から飛び出しそうになりました。
 あのこと。
 それはもちろん国外脱出のことです。
 しかし、臣下(しんか)の手前、さも(わずら)わし()に振舞わなくてはならず。
「こんな夜更けに失敬なやつである。わしは気が向かんのだよ、今は」
 ひとまずは面会を(こば)みました。
 (あわ)ててはいけません。
 どうせヒコーキの修理が済むまでは、彼らはこの国から出ることができないのですから。
 事を急ぐあまり周囲に勘付(かんづ)かれ、取り返しの着かない事態になることだけは避けるべきでしょう。
「し、しかしですな、こんな夜更けにもかかわらずわざわざ訪ねてきてくれたのですぞ」侍従長が珍しく食い下がります。
 そんなやり取りの最中(さなか)、にわかに部屋の外が騒がしくなりました。臣下たちが声を荒げています。
「何ごとだ」
「はっ。ただいま調べてまいります。今しばらく」
 エンヤ・トット侍従長がドアに手をのべたその時、もつれあった一団が部屋の中へとなだれ込んできて、勢いあまって床に積み重なりました。
 その中に、臣下たちに組み伏せられた格好であのチヨコの男がいるではありませんか。
 男は下敷きになったままにっこり笑ってこう言います。
「ご機嫌いかが? 国王さま」
 なんとまあ。
 制する門番を振り切り、組み付く衛兵を引きずって、力ずくでずかずかとここまで来てしまったらしいのです。
 この男の野卑(やひ)な度胸に、国王チョイナはおかしみを感じて笑いを噛み殺しています。 
 よりによって国防の弱点が兵にあることを、こんな闖入者(ちんにゅうしゃ)に教えられようとは。
 尚も男を連れ戻そうともみ合う兵たちに、国王は思わず、
「あ、待て待て待て」と破顔一笑(はがんいっしょう)
 その場の全員がこの玉座(ぎょくざ)の人を注視しました。
 国王チョイナはそう言ってしまってから、さすがにこれは自分らしくも無いと気づきましたが、いったん飛び出た言葉は引っ込みません。開き直って、
「はなはだ型破りではあるが、なかなか面白そうなやつ。なあ、そうは思わんか、侍従長」取ってつけたような寛容な態度を。
「いやあ、しかし。……ですが」ころりと変った国王さまの態度にエンヤ・トット侍従長は戸惑います。
「いや、わしはそう思う。面白い。それにこうまでしてわしに会いたがっているのだ、話ぐらい聞いてやっても。なあ、侍従長」
 エンヤ・トット侍従長は無言で兵たちに下がれの合図をしました。
 兵たちがやや不満気に下がっていきます。
 闖入者は身だしなみを整え、あらためて国王へ挨拶(あいさつ)をします。
「はじめまして国王さま。わたくしはここより(はる)か東方の国より参りました学者、シャープ教授というものです。これにひかえるのは助手のアハハとオホホ。研究のため西方を目指していたのですが、運悪く突然の砂嵐に巻き込まれ」
 はて、今日は朝から微風すらなかったはず。
「不覚にも助手が操縦をあやまりまして。……とはいっても借りたヒコーキが時代遅れの骨董品(こっとうひん)なうえに、まったくの整備不良だったのですが」
 国王さまは話などそっちのけで、シャープ教授たちのその見慣れぬ衣装を観察しています。
 アハハとオホホは上から下までおそろいの赤服。白いポンポンのついた三角帽に、胸までたれた白髭。肩には白い大袋を背負っています。そこにきっとあのチヨコが入っているのに違いありません。
 一方のシャープ教授は上下ともにカーキ色。
 くるぶしまですっぽり包み込む革の靴。
 顔の上だけちょこんと鍔(つば)の突き出した黒い帽子。
 国王さまは特に、両の目を隠している黒いガラスの板がなんとも可笑しいらしく、教授の話を(さえぎ)って、
「シャープ君とかいったね」
「シャープ教授(、、)と」
「ではシャープ教授君。話がしづらいゆえ、わしの顔を見てもよい。特別にゆるそう。それをしていては何も見えんだろうに」
「は?」
「は? ではないっ。その目隠しをはずして拝顔(はいがん)してもよろしいとおっしゃっておられる」とエンヤ・トット侍従長。
「え? これ?」
「そう、それ」
 シャープ教授の後ろでアハハとオホホが「ホーホーホー」目配(めくば)せをして笑っています。
「これ、この国にはありませんか。はあ、そうですか。これはですね、目隠しではございません。なんと言いましょうか、そのぉ、よく見えるようにするためのものでして」
「なんと、よく見るために目隠しを?」
「つまり、砂漠ではあまりに太陽がまぶし過ぎるものですから、これで光を弱めまして」
「では、太陽を見なければよいのではないかな」と国王はしてやったり。
「はあ。しかし、太陽の光線の中にはいろいろと人体に悪いものも含まれておりますので」
「太陽の光に?」
「はい」
「たわけたことを申すな」とエンヤ・トット侍従長。
「これこれ、お前は黙っておれ。シャープ教授君、続けて」
「その悪い成分を取り除く仕掛けがこれに備わっているのです」
「ほほう。がしかし」
 今は真夜中ぞ。
 異国だからといってすべてがすべて素晴らしいとは限らぬようです。なんせシャープ教授の国の太陽は不浄(ふじょう)だというのですから。
 ともかくもこの国とは何から何まで勝手が違っている様子。
 ですから、シャープ教授の話に沸き起こる疑問をいちいち問いただしていては、とてものこときりがありません。
 国王さまはもっとじっくりとシャープ教授の話を聞いてみたいと思いました。
 シャープ教授の国の人々の食べ物や気候、音楽など生活のありとあらゆることを知りたい。
 できることなら二人きりで、体面(たいめん)を気にせずこころゆくまでと願いたいところですが、かといって今ここで侍従長を追い出してしまってはあまりに不自然。
 無論、命じれば忠臣エンヤ・トットは下がることでしょう。
 そうすればシャープ教授にあのことを持ちかけることはできる。
 が、やはりシャープ教授は初対面のいち漂着者に過ぎないのです。近臣を下げてまで国王と初対面の異邦人がふたりきりなどという前例の無い扱いをしてしまっては、周囲が妙な憶測をすることでしょうし、それが当たらずとも遠からぬ噂へと発展してしまうかもしません。
 いいえ、きっとそうです。
 そこで国王チョイナは、今後も日課としてシャープ教授と会えるような口実(こうじつ)を探します。
 面会が習慣となってしまえば、あのことを切り出す機会がいずれ訪れるに違いないのです。
「さて、国王さま」シャープ教授が急にあらたまりました。
「ご存知の通りわたくし、この国へ着きましてからまだ一日と経ってはおりません。救助していただき、そのうえ滞在までお許しいただいたというのに、こんなことを申し上げてよいのかどうか」
「なに、なんなりと申してみよ」
「このご厚意に(むく)いるためにも、まずはわたくしどもが(いだ)きましたこの国の印象から、率直(そっちょく)に述べねばなりません」
「ふむふむ」
 エンヤ・トット侍従長の目が厳しくシャープ教授を見()えます。
 それにかまわずシャープ教授は、
「なんとまあ物騒で野蛮な国だろう。なによりまず治安が悪い」
「な、なんとっ。これ、でたらめを申すな」と侍従長。
「まあ待て。聞こうではないか。おもしろそうだ」
 シャープ教授は続けます。
「民がジョウを掛け合って互いを縛りあっている。これが何よりの証拠です。ジョウなど気休めにしかなりません。現につい先ほどお城の食糧倉庫を荒らしたのは、城下の子供たちだったとの噂が飛びかっております」
「なに、ここの倉庫がやられたのか。侍従長!」と国王さま。
「おや、それすら報告されていないとは。大量に買い込んだ錠も結局は役に立たなかったようで」
 国王さまにとっては寝耳に水。
「そうなのか? 侍従長」
「はっ。……(ジョウ)はすべて叩き割られておりました」
「国王さま。諸悪(しょあく)(ぞく)のみの仕業(しわざ)ならば訳も無いのです。その悪だけを()み取ればいい。しかし、未来を(にな)う子供たちにまで影響している現在、もうジョウなどではとても手には負えないでしょう。いや、かえってジョウが人々の猜疑心(さいぎしん)(あお)りたてているとは言えないでしょうか」
 自国の子供たちにお城を襲われるなんて、それが事実なら世も末です。
 報告を(おこた)っていたエンヤ・トット侍従長は顔を上げることもできません。
「では、どうしたらよいのかな? シャープ教授君」
「それこそがわたくしの専門分野。お時間さえいただければ早急(さっきゅう)にこの事態に対応した薬品を調合いたします」
「ヤクヒン? 薬で治すと申すのか?」
「まず何よりも民に活気がありすぎるのです。早い話が血の気が多いから、ありあまった活気でもって悪さをしてしまう。原因はどうやら貴国の風土にあるかと思われます。詳しくは我々で調査してみるつもりですが、集めたデータをもとに、人々の心に浮かぼうとする()しき考えをあらかじめ封じ込める薬を作るべきかと」
「そんなことができるのか?」
「お安い御用で。なに、多い血の気をほんの少しばかり薄めてさしあげるだけでございます。いえいえ、薬のもとはすでに持ち合わせておりますので。あとはここの風土と人々の体質にあわせて調合をするだけですから、どれほどのお時間もいりません。完成次第、さっそく薬をイド(、、)へ」
井戸(イド)へ?」
「はい。イドなしには誰ひとり、そう、たとえ国王さまであっても生きられない。イドは命の源。つまりは欲望の源泉。民心(みんしん)を根っこから改善するのであれば、このイドを治すことこそ最優先すべきかと」シャープ教授はあらたまります。「つきましては、この国のすべてのイドを治す(、、、、、)お許しをわたくしめに」
井戸を直す(、、、、、)とな?」
「は」
「そんなことならば兵に申し付けておけばよい」
 国王さまにとってはこの国の井戸(、、)のことなどどうでもいいのです。頭の中ではすでにヒコーキが飛んでいますから。
 シャープ教授は(さと)すように「いいえなりません。最先端の専門知識を身につけたわたくしどもでなければ不可能なのです」
「そんなに悪いのか、わが国の井戸(、、)は」
「それはもう、致命的かと」
「なんと……」
「ですが、薬を投じさえすればたちどころにイド(、、)は」
井戸(、、)は」
()ると」
()ると」
「薬を?」
「薬を」
井戸(、、)に?」
イド(、、)に」
「投じるだけで?」
「だけで」
「だけ、とな」
「は」
「だけ、ならばわしの兵たちにもできよう」
「なりません!」
「……」
「決してお手はわずらわせません。どうか一切をわたくしども専門家にお任せください」
 イド(、、)は命の源。
 つまりは欲望の源泉。
 シャープ教授の言うイド(、、)とは人の心の中をみるという彼の国の小難(こむずか)しい学問の用語であって、どうやら国王さまの言う井戸(、、)とはまったくの別物のようです。
 けれども、無用な騒ぎを避けて極秘のうちにイド治し(、、、、)を済ませたいシャープ教授は、直接には投薬せず、井戸(、、)へと薬を投じることでその水を飲む人々それぞれのイド(、、)へと作用させるつもりでいました。ですから、とどのつまりが井戸(、、)への投薬はイド(、、)への投薬にほかならず。またそれ無しでは人は生きられないという意味においても井戸(、、)イド(、、)はこの砂漠において同じ役割を果たしていると言えるのかもしれません。
 そのような訳で、二人はついに互いの井戸(イド)違いに気づけませんでしたが、またそのような訳だからこそ、たとえ気づいたとしても結果は同じであったと言えるでしょう。
 シャープ教授がはつらつとして帰って行き、エンヤ・トット侍従長が下がったあと、国王チョイナは献上品(けんじょうひん)のチヨコを頬張(ほおば)って、何やらとんでもないことになりそうな期待と不安とに、ひとり襲われるのでした。


 翌朝からシャープ教授は目まぐるしく働きます。
 まず、ヒコーキの故障箇所を調べ、修理に必要な部品の設計図を作り、その製作を鍛冶屋へ……もちろんミーファのことです……発注しました。
 その足でお城へ出向き、この国の人口その他の統計を知ろうとしましたが、担当官の要領を得ない対応にお粗末な管理体制を垣間(かいま)見て、早々(そうそう)に退散。
 独自に調査することにしました。
 なあに、チヨコを(えさ)にして子供たちを使えばたやすいことなのです。
「ホーホーホー」
 アハハとオホホにチヨコを撒かせると、たちまち広場には子供たちが群がりました。
 その中にはあのチン、トン、シャンの顔もあります。
「諸君、先日はご苦労、ご苦労。で、どうでしたかな? お城の倉庫には、何かめぼしいものでもありましたかな?」
 シャープ教授が問うと、子供たちは口々に、
「たいしたものなんかひとつも無かったよ」
「どれもこれもボクたちの畑で取れたものばかりさ」
「いつだって街で買えるよ」
「あんなもの、うちで毎日食ってら」
 なんと、お城の倉庫襲撃はシャープ教授の()(がね)だったのです。
 シャープ教授はしたり顔で、
「では、チヨコはあったかな?」
「ううん、ひとっ(つぶ)も!」
「そうでしょう、そうでしょう」と、ことさらに(あわ)れんでみせます。
 シャープ教授は(こわ)した錠の数を子どもたちに(きそ)わせていました。その手柄(てがら)の多い順にチヨコの褒美(ほうび)を与えるという約束で。
 一等賞は太っちょのトンです。
「よくやったね、トン」
 トンはどっさりとチヨコを抱えて次なる仕事、東門の街の調査に向かいます。
 その地区の人口、住人の年齢、性別、そして井戸の数を調べるのです。ひとりではとても手が足りませんから、トンは手に入れた褒美を撒いて仲間を(つの)り、配下として引き連れました。
 二等賞は年長のチン。
「惜しかったな、チン」
 チンへの褒美は、トンへのそれよりはずっと見劣(みおと)りがします。ですが、まあそこそこの量といえましょう。
 チンは南門の調査に向かいます。
 ビリケツはやっぱりあの年少のシャンでした。
「まるで駄目じゃないか、カン(、、)
「ぼくはシャンだよ」
 シャンへの褒美はほんのちょっぴりです。
「これっぽっち?」
「頑張ったぶんしかあげられないんだよ」
「もっとおくれよ」
「欲しければ、欲しいぶんだけ頑張ればいいんだ。カン(、、)
「ちぇっ。シャンだいっ」
 シャンは西門に向かいました。
 調査は、誤差を少なくするためにそれぞれの持ち場を交換させて、三度おこないます。
より早く正確な者には、どっさりとチヨコの褒美が待っているというわけなのです。
 こうしてチン、トン、シャンの三人は、チヨコ欲しさに街を駆けめぐるトン、チン、カン(、、)となりました。
 その間のシャープ教授はというと、それぞれの地域をまわり、井戸の水を採取しては持参の機材で成分をしらべ、なにやら帳面に事細かに書きつけてばかりいるのでした。
 これらの調査が薬の調合にどれだけ役立つのか、まったくもってわかりません。シャープ教授のみが知るところなのです。
 そして夜はお城のお伽衆(とぎしゅう)のひとりとして、東の空が(しら)むまで国王チョイナの夜話(よばなし)の相手をつとめるのでした。
 これはシャープ教授の滞在条件として、国王チョイナからもちかけたことなのです。
 こうしてシャープ教授と面会することが日課となってしまえば、そのうちあのこと(、、、、)をもちかける好機(コーキ)がおとずれようというものです。
 一方、お城を通じてヒコーキの設計図を渡されたミーファ。
 依頼を受けたのはいいのですが、それが何のための部品なのか教えられもせず、見当もつきません。
 なんせミーファですら見たことのない仕掛けなのです。
 ひとまず、そのうちの幾つかは例のキンゾクの遺跡でよく似たものを見つけましたので、それをそのまま使うことにしました。しかし残る他の部品には工夫が要ります。
 それなりに理想に近づけたと思えたらいったん納品して返品されるのを待ちます。そこには必ずシャープ教授の手による注文が付いていますので、それを参考に手を加え、そしてまた納品と。
 これを繰り返して少しずつ完成に近づけていくわけです。
 骨は折れますが、元来(がんらい)が仕事好きですから、ミーファはこの作業に没頭しました。


 シャープ教授がこの国へ来て二度目の満月の夜のこと。
 ひとり、部屋でお月見をしていた国王チョイナのもとへ、ひょっこりとシャープ教授が忍んで来ました。なんでも薬が完成したのでその報告に、とのことですが……。
「さっそく今夜から翌朝にかけて、国中の井戸という井戸に薬品を投げ込みます。つきましては、国王さまにお願いがあります。薬の効果はてき面(、、、)です。人々はことごとく良くなります。ですが、なんせ一人残らず効いてしまうものですから、その変化には誰も気づけないでしょう」
 すべての人がある日を境に異国の言葉で話し、またその異国の言葉で考えるようになったなら、誰ひとりとして自分たちが変ったことに気づけない。それと同じだ、とシャープ教授は説明します。
「しかし、それではわたくしの研究の成果は国王さまに実感していただくことができません」
―別にわからんでもよい。どうせこの国から出るのだ。
「ですから、国王さまだけは薬を服用せず、この国の変化を見届けておいてほしいのです。いいえ、そうするべき。いや、そうしなくてはなりません。なぜならあなたさまはこの国の王なのですから」
「しかし、わしはだな」
「よろしいですね。今宵(こよい)以降、国王さまの飲み水は南門の広場にある……」
「はじまりの井戸か」
「にしてください」
「遠いなぁ」
「どうやらあそこが水源のようでして、噴き出す水の勢いで薬が混ざり合うことがないようなのです。それと、はいコレ」
 シャープ教授が投げてよこしたのは一冊の分厚いノート。
「それを日記だと思って、毎日欠かさず一ページずつ、すべての項目を埋めること」
 ページはすべて表にされており、項目ごとに数字を書き込めばいいようになっています。
 その項目と言うのがまことにもって微細(びさい)でわずらわしい。
 日付、天候、湿度、から始まってその日その日の犯罪件数と内訳。
 それが殺人事件ならばその被害者、加害者および彼らの家族構成とその氏名年齢、性別、体重、身長、生年月日、職業、住所、出生地、また移民ならばこの国での居住年数から平均睡眠時間まで。
 その他にも、犯行に使用された凶器の種類と入手経路、加害者の犯行動機。当日の食事時間とそのメニューなどなどなど。
 とまあ、この調子でその一日におこった事件、事故、トラブルから他愛もない噂まで、とにかくすべてに渡って記録するのです。
「わかった、わかった。では、さっそく家来に申し付けるとしよう」
「だめです。ご自身でなさるのです。もしご家来衆を通じてこのことが民衆に漏れ、噂となって賊にでも知られてごらんなさい。薬が効くより先に彼らの猜疑心(さいぎしん)に火がついて、反乱を招くことになるかもしれません」
「反乱っ」
「それに、結局はご家来衆も薬の入った水を飲むわけですし。ならば、ほっとけ、ほっとけ、知らぬがほっとけ。ここはあくまで内密に」
「しかしだな、家来には薬のことは一切伏せて、調査のみを命ずれば」
「国王さま。妙な噂の立たぬように周囲にはいつも通り、ですぞ」
 なんだか()に落ちません。
「ならばシャープ教授、おぬしがやってくれてもよさそうなものを」
「いやいやいや、国王さま、それはなりません。ええ、なりませんとも。なぜなら、その統計をもとに問題点を見出し、更なる品質の向上のために改良を重ねるのがわたくしの役目」
「なんと、その薬、未完成なのか?」
「そりゃあ、あらゆる創造に完成などありませんから」
 国王さまの面前にもかかわらずシャープ教授はパイプを取り出して火をつけます。国王さまの聞きわけのなさに苛立(いらだ)っているようです。
 しかし、国王さまはそんなシャープ教授の変化に気がつきません。
「ならばそのあいだ、おぬしは何をしているのだ? 我が民のすべてに薬の効果があらわれるまで、いったい何を……。まさか教授、この国から出て行くつもりではあるまいな」
「おやおや、ご名答」
「なんと、直ったのか、ヒコーキが」
「おかげさまでね。ですから、わたくしどもはこの地を離れます。思えば随分と道草を食ってしまった。思わぬ事故がもとで、予定がまるっきり変ってしまった。西方の国にはもう二年も前に、同じ薬を撒いておいたのだが」
「ほおほお。で、どうなったのだ? その国は」
「だから、それを確かめようと西を目指していたのですよ、我々は。さーてさて、鬼が出るか(じゃ)が出るか、開けてびっくり玉手箱ってね」
「そ、そんなぁ」
「うまくいったらお(なぐさ)みだ。安心してわたしの国で使うことにしよう」
 シャープ教授はこの国をまるごと新薬の実験台にしたのでした。
 国そのものを捨てて行こうとしていたくせに、どうしたことでしょう、この国王さまの驚き様といったら。妙な声をもらしながら、穴の開いた風船人形のようにへたり込んでしまったのです。それは(いきどお)りでもない、落胆(らくたん)でもない、ただただ己の愚かさを思い知らされている顔でした。
 しかしそれも(つか)()、やにわに凛々(りり)しい国王の顔にもどるや、
「衛兵っ! 衛兵っ! この者を!」
 しかしシャープ教授は微塵(みじん)も動じず「無駄だよ、坊や。城の中で起きてるのは俺とあんただけだ。連中、ぶん殴ったって起きやしないぜ」
 眠り薬を使ってきたのです。
「それじゃ国王さま、留守の間、宿題をたのみましたよ」
 立ち去ろうとするシャープ教授のズボンに、国王さまはすがり付きました。
「待ってくれ。このわしも連れて行ってくれ。たのむっ」
 (さげす)んだシャープ教授の顔が、国王さまを見おろしています。
「わしは、わしはこの国から出たいのだ。このままではきっと外の世界を知らぬままに一生を終えてしまうことだろう。砂漠に閉ざされたこんなちっぽけな国で、海も河も山も雪も、ヒコーキやデンシャやフネやジドウシャ、それからそれから、えっとえっと、食べたことのないいろんな果物(くだもの)とか、もっともっと沢山のチヨコや氷菓子やケーキやキャンディや。そ、そうだ、コバルトブルーの海辺で赤や黄の酒を、亜麻色の髪の女たちと飲み交わしたり。そんな素敵なことをひとつも知らないで死ぬなんて、ここから一歩も出られないで死ぬなんて」その顔は涙でぐしゃぐしゃです。「やだ!」
 駄々をこねる国王さまを見ているうちに、シャープ教授の目には子を(さと)す親のようなやさしさが生まれました。
「国王さま。もし、本心からこの国を出たいとお思いでしたら、そして帰れなくてもいいと決意されるならば、明朝、日の出の刻に南門の広場の」
「はじまりの井戸か」
「そこに来なさい。くれぐれも他言(たごん)は無用ですよ。もしこのことが露呈(ろてい)して、あの小さなヒコーキに国中の民衆が殺到してごらんなさい。我々さえも永久に帰れなくなってしまう」
「わかっておる。では、乗せてくれるのだな」
「そのかわり、ひとつだけ条件があります」
「申してみよ。なんなりと」
「いっそのことその名前を変えてもらいましょうか」
「わしの名前をか?」
「砂漠の外はとてつもなく広大です。その広大な世界の常識ではあなたの名前はちょいとばかり」
「なんだ」
「はずかしい」
「チョイナ・チョイナがか?」
「ぜひともこれを機にわれわれ流の名前に」
「それで心機一転というわけだな。なあに容易(たやす)いこと。して、どう変えればよいのじゃ?」
「そうですなぁ。これから国王さまは生まれ変わって新たな人生を歩むのですから、はじまりを意味するド・レ・ミ。そう、ド・レ、というのはいかがでしょう」
「ふむふむ、ド・レか。よし、それでよい、それでよい。決めたぞ。これよりわしはド・レじゃ。国王ド・レ。これで連れて行ってくれるのだな? ……な?」
「はい、はい」
「信じるぞ」
「言っておきますが、時間厳守ですからね」
 灯明(とうみょう)のあかりに涙を光らせて、純朴に見つめ返す国王ド・レ。シャープ教授はチヨコを取り出すと国王さまに、
「あーん」
 つられて国王ド・レ、
「あーん」
 その開いた口にシャープ教授はチヨコを押し込んでやりました。
 国王さまのうれしそうなこと。
 滋養(ジヨウ)の女神を噛みしめて、それでようやくシャープ教授のズボンから手を放しました。
 シャープ教授は溜息をひとつ。次いで身だしなみを整えると、
「それまでは、いい子にしてるんだぞ」と窓から去って行きました。
 結局、そのチヨコの中に眠り薬が仕込まれていたのです。
 シャープ教授とその助手アハハとオホホを乗せたヒコーキがこの国を()ったのは、日の出の刻でした。
 そのころ国王ド・レは、綿菓子の降りしきる不思議の国で、五色のキャンドルの林を、チヨコの(そり)で走り抜けているところ。
 夢から覚めたのは、日没からだいぶ経ってのことです。


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