第5話

文字数 2,217文字

俺が振り返ると、そこには兄がいた。
しかし、家にいるときの様な険しい顔つきではない。
穏やかに微笑んでいる。
隣には年配の女性がいた。

「あなたは一体?」
俺が訪ねると、年配の女性が答えた。
「私は障がい者サポートセンターの、鈴木と言います。
本当に、大変な中で待たせてしまい、すみませんでした。
しかし、やっと昇君の支援が整いましたよ。
今日から、お母さんが退院までは、昇君はショートステイに宿泊してもらいます。
そして、デイサービスが週に2日。
作業所が一つ。移動支援。 訪問看護とリハビリが週二回。
これで、ほぼ全ての日程に昇君の為の支援と介助が付きます!
もう、お母さん一人ではありません! 」

サポートセンターの鈴木さんは、声高らかに話した。
母さんは介護の傍ら、固定電話からひたすら市の相談窓口に相談していたのだ。
それも、兄が事故にあった5年前からずっとだと言う。

市は、兄を見捨ててはいなかったのだ。
しかし兄の障害は最重度。
すぐに止めさせられることはないだろうか?

俺は不安になり、鈴木さんに尋ねた。
「兄は最重要ですし、破壊行為も、食事もずっと食べ続けたりします。 徘徊もしますし脱走もします。 トイレも出来ません。ずっと奇声を上げてます。
それで、全て破棄になることにならなければ良いのですが…。」

すると、鈴木さんは不思議な顔をして俺に返した。
「昇君は、本当に良く頑張ってますよ?
私は、特別支援学校とも連携していましたが、昇君は最初は生きているのも奇跡な所から始まり、寝たきり状態もリハビリで克服しました。
食事も食べ過ぎるぐらい、食べることも出来るようになりました。
確かに歩き回るのは、大変かもしれませんが、全く動けないあの時を思えば、本当に努力家ではないですか?
物だって破壊しているのではありませんよ?
「前は破壊行為をしなかった」のではなく、「今は物をどうにか使えるようになりたくて」昇君なりに練習しているんです。
手に力が入りすぎたり、いきなり力が抜けたりするだけで、それでも昇君は頑張っている。
それに、この声は「奇声」なんかじゃありません。
よく聞いてください。上手く言葉にならないだけで、話しているのです。
知能は1歳ではないでしょう。
今の段階を見たら、3歳半まで上がってます。
これからも、きっとまだまだ延びるはずです。
そんな愛されるべき、努力家の昇君を誰が追い出すでしょう?」

鈴木さんは、兄に優しい目を向けて最後に一言付け加えた。
「昇君は、家族に迷惑をかけたくなかったのです。 本人なりに努力して、戦っていたのです。」と。

その後、兄はサポートセンターの鈴木さんに手を引かれて歩いていった。

結局、兄にも愛してくれる人はちゃんといたのだ。

俺は、幸せそうな家族を見た後、病院から家へと帰った。
家の中は真っ暗だったが、いつもとは違い綺麗に片付いていた。
近所の人が騒ぎを聞き付けて、気を利かせて片付けてくれたのだろう。
散らかってない、がらんとした部屋は、寒々しく思えた。

電気を付けても、何故か家の中は真っ暗に感じた。

いつもは兄の叫び声と、物が壊れる音。
兄が歩き回る音。唯一生き残ったラジオの音、母が追いかける音。
24時間ずっと、音、音、音。
昨日まではうるさくて、一人になりたいと思っていたはずなのに、今は静かな家がこんなにも寂しかった。

涙が頰を伝う。
「馬鹿だな、俺は。
ずっと自分だけかわいそうで、ずっと自分だけ不幸だと思っていたんだから。
しかも馬鹿な俺は、俺だけが未来があり、俺だけが好きな人に振り向いてもらえて、愛される資格があると思っていたんだ。」
「でも、真実はどうだろう?
母さんも、父さんも、兄さんも、皆誰かに愛されていたんだから。
当然だな。だって、俺だけが誰も愛してなどいなかったのだから。」

ラジオを付ける。
ラジオから、流星群の話題が流れてきた。

「不思議だな。
ラジオは古いのに、これだけは壊れないんだから。
単純な作りだから壊れないんだな。
きっと、人間も同じなんだ。
複雑な思いを抱いた人間ほど、きっと脆い」

もう、俺には「流星群」も「愛の秘薬」も必要がなくなってしまった。
沢山の人々が家族や大切な人と、星に願いを唱えるなかで、俺は一人何を願うのだろうか?

ベランダに出る。
ベランダは、兄が壊したものを袋に入れた物がびっしり積み上げられていた。
そんな中に、植木鉢がある事に気がついた。

「あれ? この植木鉢は、確か…」
記憶を遡る。
あれはもう5年以上前の事。
兄が俺に花の種を植えようと言い出した。
「護。お前、花やおまじないが好きだろう?
この花はな、育て方で花の色が変わるんだ。 赤なら愛。白なら優しさ、青なら知性を与えてくれる。 面白いだろう?」
兄は、ニコニコしながら花の種を差し出した。
小五のあの日、俺は兄と花の種を植えた。
兄だけは知っていた。
俺の少女趣味。
甘いものが好きで、かわいい物が好きで、赤やピンクが好きで、おまじないや占いが好き。

でも、俺はクラスで苛められたくなくて、ずっとかくしていた。
いつも人に媚びて何も言えず、パシり役だった。

兄は、そんな俺をずっと気にかけてくれていた。
俺が苛められたら、いつもすぐに駆けつけて助けてくれた。

そんな中、俺はクラスメイトからやりたくもないサッカーに誘われた。
断れば苛められる。
それが怖くて参加した。
でも、俺は運動は大の苦手。
蹴り上げたサッカーボールは、ゴールにはほど遠い、高い木の上にひっかかった。
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