第2話

文字数 3,084文字

そんなことをつらつら考えているうちに、下車駅に着いてしまった。斎場の最寄駅なので、あちこちで待ち合わせをしている喪服姿の集団がいる。
 いた。母は、ひときわ鬼気迫る形相で改札口を睨んでいた。私を認めると、歩み寄ってくるかと思いきや、くぃっと顎を振り上げ、ついて来いという合図なのか商店街の方に歩き出してしまう。
「待ってよ、お母さん」
 母の喪服は着物だったから、それも目立つ原因の一つだった。着物ということは、近しい人が亡くなったわけで、あまり駅で待ち合わせる状況にはならないはずである。だから、機嫌が悪いのか。声をかけたのに、どんどん歩いて行き、なかなか追いつけない。駅前の人ごみが邪魔をして、見失いそうになる。
白い暖簾がたなびく立ち食い蕎麦屋の前で立ち止まっている。もう一度くぃっと顎を。
ようやく追いつく。
「お昼食べなきゃ、しょうがないでしょ!」
 と怖い調子で。暖簾をくぐって中に入ってしまう。サラリーマンで埋めつくされた店内は、そばを茹でる湯から立ち上る湯気で暖房など不要。食券の販売機の前で、有無も言わさず
「かけそばでいいわよね!」
 と勝手に決めて、出て来た食券の一枚を私に投げるようにしてよこす。
混んだ店内は、空いているスペースが少なく、隣同士になるのは難しかったので、適当に身体を割り込ませ、高めのカウンターの前に立つ。注文の品が、目の前に置かれた。三、四人離れて立つ母を、チラッと盗み見る。ものすごく怖い顔で、そばをすすっている。今ここでそばをすすらなければならないのは、私の期末テストが今日であったから。そう言われているような気がして。私は、お昼ご飯など、しかも立ち食いそばなど食べなくたって、よかった。これから冷たくなってしまったおばあちゃんと対面しなければならないのに、胸がつまって食事どころではなかった。けれども断ると、
「せっかく頼んでやったのに」
 と嫌味を言われそうで怖くて、義務感だけですすった。なるべく葱を口にいれないようにしながら。悲しみのひとときに、葱の香りはふさわしくないだろう。とても。
 私の両隣りのサラリーマンの男は、時々母を横目で見ている。私も、他人だったら、
「今日立ち食い蕎麦屋ですごい人見たよー。着物の喪服なのに、ものすごいスピードでそばかっこんでんのー」
 と、直美や幸代に言うだろう。私はあんまり急いで食べたので舌を火傷してしまった。
 斎場に着くと、弔問客が集まり始めていた。このところ寒い日が続き、亡くなる人が多いので、斎場が混雑しているらしい。だから、おばあちゃんの式も午後からという運びになったとのこと。普段ならきっと午前中に行われるのだろう。そうだとしたら、私はテストを休めたのか。それとも、母に命令口調で、テストを受けろといわれ最後のお別れさえも出来ないのか。
 まだ十七年しか生きていない私は、大切さの優先順位が良くわかっていないと思われる。それでもあんなに好きなおばあちゃんにさようならを言わないという選択は、ないと思う。でも、テストを休んでまでも行く、と強く母に言えるかどうか、その判断は難しい。
すでに十年前におじいちゃんも他界しているので、専業主婦だったおばあちゃん自身への弔問客は少ない。長男の伯父さんは、大きな会社に勤めているため多くの生花などが届いて、部下たちが受付なども率先してやってくださっているようだ。大勢の人が、集まってきている。その慣れた様子をぼんやり眺めていると、不思議な気持ちにとらわれていく。この人たちは、おばあちゃんと会ったこともなく、人となりも知らないのに、今日という日を仕切っている。本来の仕事ではもちろんないけれど、当番制みたいなものか、自分の役割を手馴れた様子でこなしている。仲間うちの会話がはずみ、つい笑いそうになるのを理性で押さえて頑張る。たとえ上司の実母が亡くなっても、ビジネスライクに動くほかどうすることができるだろうか。
 昨夜のお通夜には、来るなと言われた。
「そんな暇あるなら、勉強しなさい」
 一喝。だから、亡くなってからのおばあちゃんを見るのは、これが初めて。白木の棺の小窓を開けて、顔を見る。ただ眠っているみたいだ。
「長患いじゃなかったから、こんな綺麗な顔のままなのよね」
 背後で知らない親戚の女性が、呟く。これは、突然逝ってしまったことへのなぐさめの言葉? そう思わないと、辛すぎる現実ではある。
 見渡すと十代は、私だけのようだ。二人の伯父には、子供がいない。今更ながら、おばあちゃんにとって、孫は私一人だったのだという事実をかみしめる。だから、あんなにかわいがってもくれたのだ。涙があふれそうになるのを、あわてて止める。いつもの方法で。
「式が始まってもいないのに、泣く人ありますか! みっともない」 
 母が、言いそうだから。
式の最中、私は母の隣りで黙りこくったまま長い読経を聞いていた。見上げる遺影は、おそらく私の七五三の時に撮った記念写真だ。まだ六十代の若々しいおばあちゃんが、少しだけ笑みをたたえてこっちを見ている。あの日を思い出そうとしても、うまくできない。どこか神社に行った気がする。私は、この現実から目を背けるため想像の世界に逃げようとしたが、なかなか困難を極めた。なぜなら、いつ母の暴言が飛んでくるかわからないこんな状況では、びくびくして冷静になれないから。
母の行動を予測して、なるべくことなきを得ようとしても気分次第でどうにでもなるその物差しに、いつも翻弄されてきた。唯一落ち着けるおばあちゃんとの時間。その日々は、今かえって涙を誘うものになってしまっているわけで。
「あんた、涙の一つもこぼさなかったわね、式の間」
 母に、睨まれる。
「あんなに世話になったくせして、薄情ね」
 そうか。涙をこぼすべきだったのか。全てが終わって、家に帰るタクシーの中で、突如攻撃が始まった。棺へのお花入れの時は、皆泣いていたし、ここで泣いても叱られないだろうと大泣きしたけれど。式の最中にも泣くべきだったのか。
 このように私は、泣く泣かないも母にコントロールされている。けれど。もし私が式の最中に泣いたら、
「あんたの鼻をすする音が会場に響いて、赤っ恥かいちゃったわよ。お坊さんだって、お経あげてるのに迷惑だっただろうに」
 とか、やはり責められるのだ。どちらにしても愚痴、文句、罵りを私にぶつけないと気がすまない人。
「まったく今日に限って出張だなんてね。会う人ごとにご主人は? って聞かれて、説明するのにくったびれちゃったわよ」
 父は、今日に限ってではなく三週間の予定ですいすカナダに出張中。しかし、たとえ出席したところで、
「どうしてちゃんと挨拶してくれないの? 山口の伯父さんには子供の頃かわいがってもらったのに。通り一辺倒のことしか言えないでよく社会人としてやっていけるわね」
 などとけなされるに違いない。
 いつも、そうだ。だから、父はあまり家によりつかない。
 私は、母の言葉を先回りして予想することばかりに気持ちを費やし、時折りやるせない疲労感にみまわれる。しかし、いつもこう言うだろうから、と予防策を取ると、必ず真逆の状況が訪れる。
その理由が、最近わかった。要するに、母は。私がやること全てが、気に入らないのだ。どんなことをしても、絶対に褒めないし、認めてはくれない。変な人。頭が、おかしい。そうすると、父の取った対策が一番良いような気がしてくる。
 私の家は。壊れている。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み