第1話

文字数 3,576文字

 傷の目立つ机の上に筆記用具を置き、答案用紙を裏返しにする。終わった。期末テスト三日目の最終科目、現代国語が。
「えー、由香、ジャック&ベティ行かないの? なんでェ? やっと終わったのにさ。信じらんない」
 試験後の楽しく解放的なランチに当然行くと思っていた直美は、思い切り不満顔。ふだんなら、そのわざとらしい作り顔をからかうのだけれど、今日はとてもそんな余裕は、ない。
「ジャック&ベティのあつあつチーズドリア、今年も数量限定で始めるってから楽しみにしてたのにさー」
 直美が、嘆く。十二月から始まった恒例の冬メニュー。私だって、食べたい。
「チーズドリア蹴ってまで行くって、どんな大事な用なんだろうねぇ」
 ありがと、直美。その疑問を私にではなく、幸代にぶつけてくれて。その問いが私にストレートに来たら、私は泣いてしまう。
 私はこれから、大好きだったおばあちゃんの告別式に行くことになっている。私のことを本当にかわいがってくれたおばあちゃん。つい一ヶ月前までは元気だったのに、寒くなってきて体調を崩したのか、肺炎を起こしてあっという間に逝ってしまった。七十二歳といえば、まだ若い部類に入るだろう。
「由香―、次回は絶対に来いよなー」
 直美と幸代が、教室から出て行く。良かった。涙をこぼさないで。本当は。昨日のお通夜から、ずっとおばあちゃんのそばにいたかった。
「高二の二学期の定期テストは、大切だって聞いてるわよ。告別式にはまにあうんだから、行って試験受けてきなさい」
 母の命令。逆らえない。威圧感を持ち、親戚や知り合いに葬儀の段取りを知らせる電話の合間に言い放ち、反論の隙を与えてくれなかった。
 それは、いつものこと。
 学校に連絡もする気はないらしいので、行くしかない。しかし、事実を言ったら直美や幸代は、どんなにかびっくりすることだろう。
「えーっ! おばあちゃん亡くなったのに、学校来るのってすごくない? 普通休むでしょ」
 とか言われそう。全く悪気がないのはわかるけど、そう言われたら私も崩れてしまいそうなので、何もなかったようにふるまったこの二日間。本当は、泣きたかったけれど、泣けば理由を尋ねられるに決まっているのだから、それはできない。流れ落ちそうな涙をせき止め、時には涙で問題が見えなくなっても、暫く他のことを考えてその水分が引いていくのを待つ。この技は、相当に高度だと思うけれど、私は小さい頃からすでに完璧にできていた。
 たとえばおばあちゃんちから、一人自分の家に帰る五分の間。やさしいおばあちゃんと離れるのが寂しくて、そしてこれから帰宅して今日は母がどんな言葉で私を追い込むのか、考えただけで辛くって涙が盛り上がってくる。でもそのままの顔では、家の中に入れないから、無理矢理にリセットをかけるのだ。
 他のクラスメイトにも別れを告げ、一人駅への道を急ぐ。制服は、こういう時は正装扱いだそうだ。着替えずにこのまま行けるのは、助かる。けれども、うちの学校の制服は首まわりに赤いリボンがあしらわれているので、電車の中でそっとはずす。
 こんな気持ちで、実力が出せたとは到底思えない。問題が読めずに勘で書いた答えもいくつもあるし、何より心がそこにいなくて、全く身が入らなかった。
 おばあちゃん。紅茶をいれるのが、上手だった。何種類かの茶葉を自分でブレンドして丸い筒の缶に入れていた。その香りが絶妙で、紅茶のことなど何も知らない私でも、本当においしいと感じることが出来た。
「おばあちゃん、おいしい」
 素直に気持ちを伝えると、本当に嬉しそうに、
「由香ちゃんは良い鼻と良い舌を持っているね」
 と褒めてくれた。小説の中に出て来たので真似をした、とおばあちゃんは言うけれど、その題名はついに教えてくれなかった。
「いつか由香ちゃんが、そのお話を読んで、このことだったのね! と驚いて欲しいから秘密」
「でも見つけられなかったら、どうするの?」
「じゃ由香ちゃんが、二十歳になっても探せなかったら、その時は教えてあげるわね」
 叶わなかった。私は、まだ十七歳。おばあちゃんもこんなに早くこの日が来るとは、思わなかったのだろう。
 私が熱を出して学校を休んだ時は、看病をしてくれた。熱にうなされて、ふと目が覚めるといつもおばあちゃんがそばにいてくれた。目が合うとまず微笑み、次に汗の量を調べる。着替えた方が良い時には、すばやく脱がせ、寒くないように新しい服を着せてくれる。節度をわきまえているおばあちゃんは、私の家のことに必要以上に踏み込んでこない。私が眠っている間に洗濯をしたり、夜のご飯を作ったりといったこと。私の看病だけに徹し、だから必ず小説を持ち込んで、静かに文字を追っていた。
 このやさしい女性から、どうしてあんな鬼のような母が生まれたのか。本当に、謎である。母には、兄が二人いるが、私の知る限りどちらの伯父も良い人だ。母だけが何がきっかけでこんな性格になってしまったのだろうか。
 看病の件だって。小学校四年の時、
「今日はおばあちゃんが来てくれたから安心だった」
 と私が言った。事実を言っただけだ。
 カチッ。
 母の逆鱗スィッチが入った音を聞いたような気がした。
「なにぃ? 私の身にもなってみろ! 娘を置いて仕事に行かなくてはならず、どんなに辛かったことか!」
 何に対して怒っているのか。わからない。私が暗に母の不在を責めている、と取ったのだろう。看病したのは自分にとって実母であるにも関わらず。そもそも私の病状を心配していたのだろうか。その日も、帰宅して昼間の様子を聞かれた記憶は、ない。
 少しでも他の誰かが優しくしてくれたことを報告すると、
「それは私が日ごろからお中元をやったりして、世話を焼いてやってるから。その恩返しのつもりなんでしょ」
 と得意げに。「やってる」って。ひどい言葉。人の善意を、素直に受け取れずに、
「本来ならあんたにはそんな親切にされる筋合いはなく、全部私のお陰」
 といういつもの結論に落としこんでくる。
 そのモードになるのを見るのも嫌だし、暗くなってしまうので、それ以降熱を出しても、
「大丈夫だから。一人で寝ているよ」
 と申し出るようになった。
「あ、そ」
 後ろ髪引かれるのではなかったか。残り少ない有給休暇は、自分のために使いたい。だから、私は、一人で寝ているのが正しいのだ。たとえ、インフルエンザであっても。
 母には、引かれる後ろ髪があったが、私にはなかった。小さい頃からずっと。いつも恥ずかしいくらいのショート。頻繁にカットに行かなくてもすむように、
「できるだけ短く」
 と美容師に頼んでいた。
「長いと結ったりしないといけなくて面倒くさいから」
 投げやりな母の、注文。私は、知っている。シニヨンにしたり編み込んだりと言ったことは一切出来ない。娘を持つ母親なら、たとえ不器用でも練習したりして、なんとかかわいらしく見せてあげたいと思うのが普通ではないのか。現に私みたいなひどいスタイルの女の子は、一人もいなかった。その反動で今私の髪は、長い。肩甲骨の下に届くほど。学校へ行く時は、自分で編み込むことも出来る。
 熱を出して眠っていると、時折り幻覚のようなものを見た。二時間くらい眠った気がするのに、時計を見るとたったの五分しか経っていない。自分のうなり声で、目を覚ました事もある。汗をかいたら、自分で着替えた。着替えは、用意されてはいない。
 そんな時、母は帰ってきても、まず台所に立って、買って来た物を冷蔵庫に入れる。娘の体調より、食物が腐る方が心配だから。
 最初にかける言葉。
「明日は学校に行けそう?」
 である。違うだろ。
「ごめんね、一人にして。心細かったでしょ。会社休めなくて、本当にごめん」
 こんなようなことを言うのが、普通ではない? 言葉には出していないけど、明らかに、
「私の方が辛かった」
 と思っている感じ。
 何を張り合うのか。娘の私が、
「子供を置いて仕事に行かなくてはならないなんて、辛かったね」
 と労えとでも?
「よしよし」
 と頭を撫でろとでも? 
心の中で、
「冗談も休み休み言いなさい!」
いつもの母の口癖を、そのまま投げつける。
 多分。私がそのような言葉をかけないから、ますます機嫌が悪くなり、私のことが気に食わなくなるのだ。
けれども。そんな理不尽な要求を満たしてあげられるほど、私は成熟していないし、気が狂ってもいない。
 特にここ二、三年私と母の仲はぎくしゃくしていて、私が言うことを聞いているのは、母があの変なモードに入り、全く理にかなわない事を喚き散らすのを聞きたくないだけ。ただ、それだけ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み