【1話】だから許されなかった

文字数 10,017文字

 ──────⬛︎⬛︎、かあさんの言うこと聞けるよね?

 強い、強いと思っていた母の、その声は震えていた。力強く肩を抱かれて、僕は何もわからないまま、ただ何度も頷いた。遠くから、大人の男の声が聞こえた。一人や二人ではない。声はどんどんと大きくなる。きっと近づいてきているんだ。走っているんじゃない。声の近づき方がおかしい。何か、とても早いもので移動している。

「おまえはここへ隠れて、決して声を出してはいけない。かあさんが何を言っても、絶対に、おまえがここにいると知られてはいけない。耳を塞いで、静かになるのをじっと待つんだ。できるね?」

 僕は、わかりたくなかったけど、わかってしまった。母が何をしようとしているのか。でも、僕に嫌という権利はなかった。母が、僕を守ろうとしているのだとわかってしまったから、頷くしか無かった。父がいなくなったときから、母を守るのは僕がよかったのに、結局僕は、母に守られてばかりだったんだ。
 母が、僕の首の後ろを掴みあげて、櫃の中に入れた。ガコン、と蓋が閉まる音がして幾らもしないうちに、騒がしい足音と共に、声がたくさんやってきた。
 怒鳴っているのはわかる。でも、言葉が聞き取れないし、わからない。きっとあちらとは扱う言語が違うのだ。
 劈くような悲鳴が聞こえた。きっと、母だ。耳を塞ごうとした。いくら塞いでも、僕の鋭い聴覚は、その場で起きていることを細かに僕に知らせている。頭を掻きむしる。詰めた息が震える。全身が燃えるようにあつく、熱く、暑く。
 焼けるような暑さの中で、僕は意識を手放した。



 ✣



 そよそよと穏やかな風が揺れる、静かな森の中だった。踏み歩く足元の草は少し湿っていて、風の中にはほのかに雨の香りが混ざっている。きっと雨が降ったばかりなのだろう。

 浮宙(うきそら)の雨は厄介だ。ゼリーのようなゲル状の塊で一気に空から降ってきて、地面にぶつかると液状になる。当たるとふつうに痛いし、短時間でも降られると家の足元が浸水しかねない。だから浮宙の人間は雨の匂いに敏感だし、大抵の家には水かき用の箒が置いてある。
 浸水防止に、四本の柱を立てたその上に住居を造って、家の床そのものを高くする方法もあるけど、多くの人はそうしない。なぜなら、大抵の人は同じの家に六十年も住まないからだ。雨が降るのは多くても百年に一回くらいだから、家をそこまで大切にする必要もない。
 背中に担いだ翼馬を背負い直して、僕は今日の拠点を設置することに決めた。森の中だと湿度が高いから、まず森を抜ける。森の先にはしばらく乾いた道が続いていたはずだ。そこにテントを立てよう。

「……えっ」

 ふと、目の端に人型を捉えた。観察する。迂闊に近づいてはならない。こちらは海の話だけど、人に化けて狩りをする魔獣も存在すると聞く。その場に翼馬と弓を下ろす。腰に括っていたナイフを取り出し、慎重にその人型に近づいた。
 ……魔獣に変化する様子はない。呼吸もあり、目立った外傷もない。脈拍も安定していて、外的要因で目覚められない状況とは思えない。服や髪が濡れていないから、この人も雨が上がったあとに森に入ったのだろう。

「いや、信じらんない……ちょっと、起きて」

 肩を揺さぶってみる。それでも少しも反応を示さないから、思わず少し力を込めた。

「ねえ、ちょっと!お兄さんってば」

 う、と唸って、ようやくそのひとは目を開いた。深く青い、銀河をそのまま凝縮したような目をしている。どうやら星宇人( せいうじん)のようだ。

「大丈夫? ここで何をしていたの」
「………、おれは……」

 彼の声は掠れていた。見た目に影響するまでには及んでないけれど、もしかしたら衰弱しているのかもしれない。

「動ける?肩を貸そうか」
「…………すまない、世話をかける」

 まだ朦朧としているようすの彼に肩を貸して、ゆっくり歩きながら森を抜ける。そこらの木に寄りかからせて座らせて、僕はテントの用意をした。ひとりでも組み立てられる簡素なものだけど、僕は小柄だから客人が増えたって狭くはないはずだ。

「ねえ、テント張ったから横になって」

 少し歩けるようになったらしい彼に、手を貸しながらテントへ誘導する。横になった彼に毛布を掛けて、もう一度体温と脈拍を確認した。やっぱり異常はない。

「食事を用意するけど、アレルギーはある?」
「ない……」
「わかった。大人しくしといてね」

 テントを閉めて、天蓋を広げる。僕は明るくても眠れるからいつもは使わないけど、星宇人は暗い方が眠れるはずだ。テントの上にそれを被せると、何を掛けるよりも星空に近い暗さになる。あとは鎮痛とリラックス効果のある香を焚いた。これで少しは落ち着くだろう。
 次は食事の用意だ。星宇人は口から栄養を摂取する必要がなく、基本的に太陽の光と星の光を浴びていれば充分である。ただし、きちんと排泄機能は備わっているので好き好んで食事を摂る個体も存在している。彼がどちらかはわからないけど、まあ作っておいて損はないだろう。いらないと言われたら明日の僕の朝食になるだけだ。
 さっき狩った翼馬の皮を剥ぐ。始めは慣れなくて貴重な肉を無駄にしてばかりだったけれど、最近は捌くのが上手くなったものだと自分でも思う。ただし、未だにえらく返り血を浴びるので、極力服は身につけずに、水場の近くで行っている。

「よし」

 切り分けた腹の肉と森で採った植物を一緒に煮込む。味付けは簡単に塩を振ったり、星苺の汁を入れたりする。ほとんど切って鍋に入れて放っておくだけなので、結構楽でありがたい。

「…………水浴びてくるか」

 テントと近くの木を、鳴り子の付いた紐で繋ぐ。鳴り子と言っても、金持ちが持っているようなチリンチリンと鳴るあれではなくて、木で造った簡素なものだ。ガラガラガラ、と品のない音がするので、貴族には好まれないらしい。こうして紐がぴんと張るように繋いでおくと、なにかが触れたときにけたたましく鳴り子が音を立てる仕組みになっている。僕が少しここを離れても、誰か来ればすぐに気づける。
 脱いでいた服を持って水辺に向かう。浮宙の水はいつも光っているから、水場が見つけやすくて良い。
 手早く翼馬の返り血を洗い流して服を着直す。服と言っても布面積の少ない簡素なものだ。僕らの種族は身体のほとんどが毛で覆われているから、別に服をまとって隠す必要もない。むしろ着ていると体温調節が上手くできないから、局部を隠すためとはいえ、服を着るのは随分譲歩しているほうなのだ。
 足早に拠点に戻ると、既に太陽が隠れて空は星まみれになっていた。テントの中を覗いて、お兄さんの様子を確認して、彼の肩を何度か揺さぶる。少し呻いて目を開けた彼に、「星が出ているよ」と声をかけた。

「少しは星を浴びた方がいい。あなた、星宇人でしょう?」
「……ああ」

 曖昧な返事をして、彼はのそのそとテントを出た。立ったまま目を閉じて天を仰ぐ彼の横で、僕は温めた翼馬のスープを器によそぐ。

「お兄さん、食事を用意したけど食べる?」
「……いいのかい」
「いいよ。久しぶりに翼馬が一頭手に入ったんだ。どうせ僕一人じゃ食いきれない」
「じゃあ、いただこうかな」

 彼は大人しく僕の向かい側に座って、スープが器に注がれていくのをぼうっと見ていた。意識がはっきりしないせいでそう見えるんだと思っていたけど、もしかしたら元々こんな顔なのかもしれない。
 器とスプーンを彼に手渡すと、すぐに食べようとせずに僕のことをじっと見つめた。待ってくれているのかと思ったがそうではなく、食べ方がわからないらしい。

「食事、初めて?」
「ああ。作法は一応知っているけど、失礼があったらいけないから」

 つまり、僕が食べるのを見て習おうとしているのだ。星宇人の人柄はよく知らないけど、こんなに作法を気にする種族だとは思わなかった。
 浮宙に生きる種族は、基本的に他人を気にせず生きている。生きる上で誰かと共に生活することがとても少ないからだ。だから、もしかしたらこの御仁は、誰か他のひとと過ごした期間が長かったのかもしれない。そうじゃないと、他人のことを気遣うのを当たり前にするのは難しい。
 少し食べて見せると、彼はそれを控えめな視線で見て取って、同じように匙でスープを掬った。手を使うことには慣れているのだろう。幼い子どものような、不格好な握り方ではなかった。

「上手だよ」
「そうか? ありがとう」

 黙々と咀嚼する姿を見ていて、ふと聞いていないことがあったと気づいた。これだから、ひとりの期間が長いといけない。

「おいしい?」

 誰かのために食事を作るなんて、僕が覚えている限りでは、これが初めてのことだ。
 彼はしばし逡巡して、素直に「ごめんなさい」と言った。星宇人の口には合わなかったかと思えば、彼は言葉を選ぶような沈黙を挟んで言った。

「実は、善し悪しがわからないんだ。美味しいというのも、美味しくないというのもわからない。でも、こうして誰かと卓を囲むのはけっこう好きだ」

 なるほど、今まで食べたものが比べられるほど多くないなら、善し悪しがわからないというのもそうかもしれない。それでも、「わからない」と言うだけじゃなくて、食事は楽しいものだと言ってくれた。そういうところが、僕には随分好ましく思えた。
 かく言う僕も、誰かに食事を振る舞うというのは初めてだったし、僕ひとりが食べるだけなら見た目や味を気にしたことはなかった。美味いものを食べたいと思わないわけじゃないけど、そこまで強いこだわりがあるわけでもない。僕はただひたすら僕の知っている正解を、母の味を再現しているだけなのだ。それが、僕にとってはいちばん美味いから。

「……なに?」

 すごく視線を感じたので、尋ねてみた。僕の食べ方を見ているものだと思って気にしないようにしていたけど、身体中を舐めるように見られている感じがして我慢ならなくなってしまった。元々僕は、ひとの足音や視線にとても敏感なのだ。

「いや、ごめんなさい。ノラビト(迷人)に会うのは初めてだから、珍しくて」

 僕らの種族は、迷人という。その名の由来は、とても希少な種だということにある。隠れて暮らしているせいで迷人がどのように生まれて何を食べて、どのような場所を住処とするのか、あらゆることが明らかになっていないから。身体中が毛皮に覆われ、月兎のような大きな耳を持ち、草も肉も好み、五感が鋭い。姿のせいで種族を偽ることはできず、悪いひとに捕まればきっといろいろ調べられる。だから余計に隠れている。基本的に一頭でひっそりと暮らしているせいで、交配の機会も少ないために種族は増えない。でも、それでいい。僕は別に、自分の種族が栄えることを願ってはいない。

「僕も星宇人に会うのは初めてだよ」

 スープを啜りながら返すと、彼も同じようにしてスープを飲んで、無感動な瞳で僕を見た。

「なぜ俺が星宇人だとわかった?」
「瞳の色さ、有名な話だよ。君たち星宇人は、星空をそのまま凝縮したような瞳の色をしている」

 彼は目を伏せて、何か考えているようだった。それは言葉を組み立てていると言うよりは、記憶を呼び起こしている沈黙のように見えた。

「星宇人は、そればかりではない。俺の……姉は、朝焼けの星を宿していた」
「へえ、それは素敵だ」
「俺も、そう思う。とても綺麗だった」
「綺麗っていうのもそうだけどさ」

 空になった木製の食器がぶつかって、かちゃんと音を立てた。空を仰ぎ見る。相変わらず、吐き気がするほど綺麗な空だ。

「朝焼けの星を持つ星宇人は、命を落としたあとに一等星になるって言われてるでしょう?」

 息を呑む、ような、そんな音がした。彼を見る。夜空を見開いて、彼は喘ぐような息を漏らす。

「それだ」
「……え?」
「俺は、一等星を探しているんだ」


 ✣


 この銀河には、四種類の人種が存在する。迷人(ノラビト)空人(カラビト)天流人(てんりゅうじん)、そして星宇人(せいうじん)。迷人は僕のような、人型でありながら獣の特徴を持つ種族。空人はどこから来たのか自分でもわからない流浪人。天流人というのは種族で言えば星宇人と変わりはないけど、生まれたときから身分の高い種族を指す。そして星宇人というのは彼のような、特別な造りをした人間のことを言う。彼らは命を落としたのちに星となり、いずれ地上に堕ちてそのまま地上に生まれ直すと言われている。

「……きみは、俺の名前を聞かないのか?」

 不意に、彼が言った。僕は使った食器の後片付けをしながら、手を動かすついでに答えた。

「どうして? 聞いてほしいの?」
「いや……」

 語尾をすぼませて、彼はまた考えるような間を置いた。相変わらず眠そうな顔だ。

「聞かれたら、むしろ困る。実は、きみに会うまで何をしていたか、上手く思い出せないんだ」
「記憶が混濁してるの? それで名前も忘れたから言えないってこと?」

 思わず手を止めて聞き返すと、彼はバツの悪そうな顔で頷いた。なるほど、身分を証明できないから怪しまれると思ったわけだ。
 浮宙では、身分なんて特に重要ではない。一生が長いくせに人と関わることを滅多にしないから、偶然出会った相手が何者であろうが、特に気にするほどのことではないのだ。会う人にむしろ心配されそうな度合いのお人好しでも、はたまた無差別に人に危害を加える危険人物でも、関係はない。浮宙の人間は、浮宙の人間を殺すことができないから。これは古くから言い伝えられてきた常識である。明確な証拠はないが、語り継がれているということは、星宇人を殺したことのある人間は存在しないのだろう。

「別に、身分なんて構いやしないよ。君が乞食でも大富豪でも、僕の対応は変わらない」

 返事がなかったから見上げると、彼は驚いたような顔で僕を見ていた。瞳でなぜだと問いかけてきたので、なぜだろうと、僕もちゃんと考えた。

「助けるとか助けないとか、親切にするとかしないとか。そういうのに身分は関係ないんだよ。見返りを求めているわけじゃないし。助けるなんて、施す側の身勝手だし。ただ、獣だっている森でぐーすか眠っている人間を放っておいて、またいずれ同じ道を通ったときにあなたの残骸が残っていたら目覚めが悪くなるでしょう? それだけだよ」

 言いながら、僕にしてはずいぶん子どもじみた言い訳になってしまったと思って少し恥ずかしくなった。彼が笑ったのが伝わってきて、僕はもっと顔を合わせたくなくなった。それを察したのか、「ごめん」と言って彼は続けた。

「きみは優しいんだな。俺はさ、人が他人のためにできることは、その人がそれまでに誰かにしてもらったことだけだと思うんだ。してもらったとか、教えてもらったとかさ」

 思っていたよりずっと優しい言葉に、咄嗟に僕の中に母の顔がよぎった。もうずっと、ずっと前の記憶だ。

「だから、きみは少なくとも一度は、優しいひとと時間を共にしたことがあるんだろうと思って。きみに『人間への親切』を教えたひとは、きっととても良いひとだったんだろう」

 言葉が出てこなかった。言うべきことも、言いたいことも、山ほどあった。でもそのどれが適切なのか、僕は本当は何を伝えたいのか、わからなかった。僕のその沈黙をどう捉えたのか、彼の表情がまた不安げになる。

「ごめん、おかしなことを言ったか? 気を悪くしたなら謝る」
「ちがう、違うんだ」

 僕はとにかく首を振った。逆なんだ。怒ったんじゃない。僕は嬉しかった。もう、もう会えないのに、僕の中には母がくれたものがたくさん詰まっているんだと気づけて嬉しかった。ひとりでは絶対に気づけなかったことなんだ。

「僕は……僕がしていることは、ほとんどが母の真似なんだ」

 明るい話ではないことを悟ったのか、彼は僕の隣に座った。僕の顔は見ないで、空いっぱいに広がる星を見あげていた。僕の話を聞いているのかいないのか、そういう距離感がむしろありがたかった。

「僕が生まれてすぐに父が死んで、母はひとりで僕を育ててくれた。迷人は狩りをして生きていくんだけど、僕は外に出ないで本ばかり読んでいたんだ。でも、母は一度も僕の読書を咎めたことはなかった。最低限生きていくための基礎は叩き込まれたけど、それ以外は好きなことをさせてくれたんだ」

 母のことを思い出すとき、僕はいつも、気づけば胸元のネックレスを握っている。狩りの最中、人の住んでいたらしい空き家で拾ったものだ。

「……それは?」

 僕の手元に気づいた彼が、遠慮がちに訊いた。

「遺髪入れと言うらしい。亡くなった人の髪を入れるんだ。これには何も入っていないけど……母と会えなくなって間もない頃に拾ったものだから、触れると母を思い出すんだ」

 母のものでもないのに、大切に持っている僕はずいぶん馬鹿だろう。でも、何かに縋らなくては生きていけなかった。僕にとっては、手放せないものなのだ。僕を愛してくれた家族がいたことを思い出すためではなく、愛してくれた家族はもういないのだと忘れないために。

「きみは、ずっとひとりなのか?」
「うん。でも、寂しいと思ったことはないよ。不幸だと思ったこともない。そう思うことすら、僕の人生には罪だから」
「…………罪」

 誰にも、内緒にしてきた。人に会わなかったから、話す機会に恵まれなかっただけだけれど。仮に、僕が今までの人生を、人に囲まれて生きていたとしても。このひと以外には、きっと話そうとは思わなかっただろう。

「僕は元々月に住んでいた。500年前、とある重罪を犯したんだ。だから追放された。この、広大で逃げ場のない浮宙にね」


 ✣


 母の悲鳴が聞こえた。男の怒鳴り声が聞こえた。耳を塞いだ。声を抑えた。呼吸を詰めた。頭を掻きむしって、何か大きな音がして、僕は気を失った。



 ────気がついたら、足元に血の海ができていた。さっきまで僕が入っていたはずの櫃はバキバキに折れて壊れ、皮膚に毛皮のない男たちが床に転がって赤い汁で床を汚していた。
 どこかで、すすり泣く声が聞こえた。それが僕の背後から聴こえているのだと認めて振り返ると、同時に僕のだいすきな母の手が、僕を抱きしめた。
 母はしきりに、僕に謝っていた。どうしたの、母の手に自分の手を重ねようとして、気づいた。
 僕の毛皮は全身が真っ赤な血にまみれていた。


 人を殺した。僕は流刑になった。禁固刑にならなかったのは、人殺しを自分の星に置いておきたくなかったからだろう。死罪にならなかった理由はもっと簡単だ。僕を裁いた者たちは、人の殺し方を知らなかった。
 浮宙で生まれる人間は、死期がある程度定まっている。生まれたその日から約600年後だ。こんなに正確に決まっているというのに、みんな生きているうちに年齢を数えることに飽きて、そのまま身を任せる者が多いと聞く。なんとも自由なものだ。特に天流人や星宇人は命を落としたら星になるから、死後に行き着く先がわかっている分また幾らか死に無頓着である。
 僕が死罪にされなかったのは、僕を裁いた人間が星宇人だったからだ。死期が定まっている彼らは、人の命を侵さない。ゆえに、どうやったら僕が死ぬのか知らなかった。知りたくもなかったのだろう。
 浮宙というのは、罪人を流すには非常に都合のいい場所だ。広大で人口が少ない。「普通」の人間はよほどの理由がない限り、浮宙ではなく月に住む。浮宙で過ごしているのは僕のような罪人か、相当な物好きだけなのだ。

「……きみも苦労してきたんだな」
「聞かないの?なんで僕が殺しなんてしたのか」
「殺しの理由なんて、ほとんどがまっとうじゃない。きみが刑罰を下されたってことは、少なくともお偉方はまっとうだと判断しなかったんだろ」

 まあ、確かに。確かに、殺しにまっとうな理由なんてものはない。僕だって、人殺しに対してそう思っていた。でも、それなら、僕は黙って見ていれば良かったっていうのか?珍しい種族というだけで珍しがられて貴族や研究者のオモチャになる母を、ただ黙って見送れば良かったっていうのか?

「……俺は、人を殺したいとか、憎いとか、思ったことがない。今まで俺が関わったひとは、皆好いひとだった」

 静かに、彼が言った。彼の声は、星空によく似合うと思った。

「そういう意味で言えば、きみの方がずっと人間らしいとおもう。多くの場合、星宇人の行動理由は感情に由来しない。まるで機械のようだと、俺はずっと思ってる」
「そうだね。あなたの言う通り、人間らしいから殺しができたのかもね」
「……怒ってるよね」
「そう見えるなら、そうなんじゃない?」

 唸るような声を出して、彼は頭を搔いた。正直このひとは口下手なんだなというのは薄々わかっている。でも、僕が少し怒っているのは事実だし、おもしろいので何をいうのか待ってみることにした。

「えっと……これは俺の感覚だけど、きみの場合、たぶんまっとうじゃなかったのはきみを裁いた人間だ」
「へえ?」
「さっきも言ったように、星宇人は冷たいから……立場とか、身分とか、そういうところでしか人を判断できない。感情の動きが鈍いから……特別な理由だから許してあげようとか、そういうのもない。つまり何が言いたいかっていうと、俺は、きみが快楽で人を殺めるとは思ってないってことだ。俺はきみを好い人だと思ってる」
「……ふぅん」

 ずいぶん淡白な返事になってしまった。でも、心の内ではもっとたくさんのことを思った。僕の罪について言及したのは、僕を裁いた星宇人だけだったから、誰かから見て僕がどう見えるのかの見解を聞けたのは初めてだったのだ。
 誰かに、良く思ってもらえた。あなたは他と比べて、まともなほうだと言ってもらえたような気がした。僕は、母以外に初めて、僕を好いと言ってくれる人に出会えたんだ。

「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど」

 慌てたように彼が言った。わざとらしい急な話題転換だ。

「なに?」
「名前……聞いてもいいか? 種族で呼ぶのは抵抗がある」

 僕と彼は今まで二人称代名詞でしかお互いを呼んでいなかった。僕が彼の名前を聞かなかったのは、ほんとうは、僕は名前を言いたくなかったからだった。

「センカ」
「…………センカ」

 何度か、彼が僕の名前を繰り返す。何かを思い出すような顔色だったから、僕は、ああ知っているんだと察した。

「千に花と書いて、センカだ。別に珍しい名前じゃない」
「いや、……どこかで、その名を聞いた」
「どこだと思う?」

 彼は再び黙り込んで、記憶を掘り起こしているようだった。それでも思い出せないのか、彼の表情は明るくならない。

「思い出せたら教えてあげるよ」

 切れたお香を焚きなおして、テントに掛けていた天蓋を外す。今は星空が出ているから必要ないだろう。

「さ、もう寝よう。迷人の朝は早いんだ」
「せ……センカ、明日もどこか行くのか?」

 慣れないようすで僕を呼んだのかおかしくて、思わず少し笑ってしまった。

「さあ。行こうと思い立てば行くし、あなたが望むならここに留まる。幸い、翼馬が困るほどあるからね。狩りにでる必要はしばらくないかな」

 そうか、と小さく彼が言った。何を思っているのか観察しようとしたけれど、俯いてしまったので表情が見えない。
 ふと、僕は、彼のことでひとつだけ知っていることがあったのを思い出した。思えば、誰かに手を貸すなんて、今まで無かった。ほんとうに、母としか生きたことがなかったから。

「…………さ、」

 彼が僕を見あげたのが気配でわかった。僕は彼を見なかった。どんな顔をしていいかわからなかったから。

「捜してもいいよ、一等星」

 声が少し裏返ってしまった。僕は余計に彼の顔を見られなくなって下を向く。

「……ふっ、」
「あっ、な、なんで笑うの!?」
「いや、ごめん」

 謝りながらも、彼は肩を震わせて笑っている。しばらくそうしてやっと落ち着いた頃、もう一度「ごめん」と繰り返して彼は笑いすぎて滲んだ涙を拭った。

「変なとこで照れるんだな、笑ってごめん。手伝ってくれるならありがたいけど、手がかりがないんだ。記憶がないから……きみにしてみれば相当な手間だろ?」
「別に、今更だよ。ほかにやることもないし、乗りかかった船だし。それに……」

 少し考える。昔、地球という星から見た銀河の本を読んだことがあった。

「……心当たりがあるのか?」
「ある、といえばある。でも確実なものじゃないし、長旅になるかも」

 それでもいい?
 そう聞くと、彼は八重歯を覗かせて笑った。笑うとずいぶん幼くなるようだ。

「いいさ、俺はどこまででも行くよ。どうしても、会いたいひとがいるんだ」

 それが誰なのか、気にならなくもなかったけれど、今聞くことではないだろう。聞く時間ならこれからの旅路で、いくらでもある。

「わかった、いいよ。明日からはちょっと過酷になるからよく寝ておいて。僕らが目指すは──────浮宙の果てだ」
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