第二話 選んだ道

文字数 1,956文字

 
 村の惨劇から二日。ミケーレはマリアをヴァチカンに連れて来た。
 ミケーレは昵懇のエルコラーニ枢機卿に村での経緯(いきさつ)を話し、マリアは枢機卿が預かることとなった。エルコラーニ枢機卿は五十歳過ぎの物腰柔らかな雰囲気を持つ人物で、このヴァチカンに於いて、ミケーレの数少ない理解者だった。

 ミケーレはしゃがみ込んで、マリアと

、語り聞かせるように言った。

「そこのおじさん……エルコラーニ枢機卿が、お前さん――マリアの面倒を見てくれる」
「面倒?」
「ああ。でも、ずっと……って訳じゃない。二、三ヶ月だけだ。その後もここに居たけりゃ、修道女――〝モナカ〟にならなきゃいけないんだ」
「モナカ?」
「知らないか? 隣の村に教会があっただろ? そこにいた神父さんの役目をやってる女の人のことさ」
「……」

 ミケーレの説明を、マリアは噛み締めるように聞いていた。その様子を見ていたミケーレは、さらに付け加えて、

「何も、今すぐに決めなくていい。二、三ヶ月の間に、ここでの生活を見て、それから決めればいい」
「……うん」

 ミケーレは穏やかに微笑んで、マリアの頭を撫でた。それから立ち上がって、エルコラーニ枢機卿を見た。

「それじゃあ、エルコラーニ卿。マリアのことをよろしく頼むよ」
「ええ。安心してください」

 エルコラーニ枢機卿はそう言って、ミケーレに頭を垂れた。彼の、ミケーレへの言葉使いや態度は、年長の者に対する

であった。
 ミケーレはマリアに向き直って、

「それじゃあ、マリア。また来るよ。様子を見に――ね」

と言った。それを聞いたマリアは、一人にされる――と不安になったのか、ミケーレに問うた。

「行っちゃうの?」
「ああ。俺はここじゃあ、嫌われ者でね。俺を嫌わないのは、そこの彼みたいな変わり者だけさ。だから、あんまり長居出来ないんだ」
「嫌われ者?」
「ああ。だから、今日は帰るよ」
「また……ね」
「ああ、またな」

 ミケーレはそう言い残して、去っていった。次に彼が現れたのは、一週間後であった。
 彼なりに、マリアのことが気になっていたらしい。マリアがエルコラーニ枢機卿の応接室に通された時に見たミケーレの姿は、面会に現れる娘をソファーに腰掛けて待ち侘び、元気でいるか、変わったことはないか――などと、そわそわしながら心配している父親のようであった。

「やあ、マリア。変わりなかったか?」
「うん。ミ……、ミケーレは……?」
「俺か? 俺は元気だ。ありがとう、マリア。ああ、これはお土産だ。珍しいお菓子を見つけてな」
「あ、ありがとう」
 
 二人はそんなやり取りをするだけであったが、ミケーレは何だかんだと言っては、一週間ぐらいの間隔で現れた。その度に、これは何処そこで見つけたお菓子だの、これはマリアが好きそうだったから――と言っては、綺麗な花を摘んで持参したりした。

 一月(ひとつき)が経った頃、マリアは、

「協会に残ることにした」

と、ミケーレに告げた。たった九歳で天涯孤独になったマリアには、他に当てなどなかったからだ。ミケーレは、

「そうか」

とだけ言って、優しくマリアの頭を撫でた。
 いつものように――。

 しかし、その時のミケーレは実に微妙な表情をしていた。それは安堵とともに、新たな不安をも含んだ表情だった。ミケーレは教会のことを、良くも悪くも知悉していたからである。
 これでマリアがここから追い出される心配はなくなったが、後見人になっていたエルコラーニ枢機卿は、教会の裏側の組織――異端審問会にも所属している人物であった。だから、もし、そちら向けの素養があれば、今後は厳しい訓練も課せられることになる。ミケーレは、そのことを危惧したらしい。

 協会に残ればミケーレが安心すると思っていたマリアは、もっと、喜んでくれると思ったのに――と少しばかり、がっかりした。ミケーレの心配や教会の裏事情を知らない彼女からすれば、それも仕方がなかった。
 そんなマリアの心情を知ってか知らずか、ミケーレはいつものように、

「また、来るよ」

と言い残して帰っていった。

 それからもミケーレは、少なくとも一、二ヶ月に一度は現れては、マリアの様子を伺っていくのだった。

 そんな調子で二年が経った頃、マリアはずば抜けた身体能力を示し、異端審問会への所属を想定した訓練が課せられることとなった。以前にミケーレが危惧した通りである。
 その後はマリアの方が忙しくなり、ミケーレが訪れて来ても、訓練中などで会えないことが多くなった。それでも、ミケーレは訪問したことが分かる物を残していくので、彼以外に気の置けない知人のいないマリアには拠り所となった。

 マリアが異端審問会の訓練を始めて三年が経った。ミケーレの懸念も空しく、一通りの訓練が終了したマリアは異端審問会の所属となったのである。


 
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