-再びの木曜日、マコトとアキヒコの「破壊の破壊」上映会、骰子の破片(3)-

文字数 1,996文字

 武井クミコは平素、饒舌(じょうぜつ)なわが子が後部座席でおとなしく車窓から山々を眺めているのか不思議でならなかった。
 実際、マコトは何も見てはいなかったのであるが。

破壊の破壊(タハフトウルタハフト)』はマコトの持っていた映像作品への既成概念を壊した。
 元より爆発より早く逃げる映画には辟易していたが、この映画にはひどく横っ面を張られたものであった。
 1996年紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナで撮られたこの短編映画にはさしたる脚本も用意されてなかったという。
 だが作品を貫く父祖への呪縛的な論調は何だ?
 ヒロインはモスクで何を祈ったのか。
 そして国連軍の兵士(この時代にはお(あつら)え向きだ)の慰安(いあん)となった後、消え、
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 帰宅するとマコトは若干濡れていたので、風呂に入るよう言われそうした。
 入浴から出るとまだ六時前で夕方の薄暮が部屋に浅く入り込んでいた。

「見てしまったのかね、あれを?」

 珍しく角も隠さずメフィストは影を晒していた。

「悪魔に見られて困る映画でも?」

「わたしは彼女の救い主を知っているよ、何千年も前から知っているよ」

 メフィストは風呂上がりのマコトの頭に手を置いたが、マコトはそれを拒絶した。

「霊的なキリスト」

「さて、わたしは早々に君に答えを言われて少々戸惑っている」

 だが沈黙が、長い沈黙がマコトとメフィストの間にあった。

 マコト、ごはんよ

 階下で母の呼び声が(かす)かにした。

「行っておいで」

「ん、そうする」

 様々な奇妙な絵の貼り付けられたマコトの部屋でメフィストは一人立ち尽した。

「そうか……『破壊の破壊』を観たか」

 そして美丈夫のメフィストはどろどろと溶けてゆき、最後は黒いタール状のものになって床に溜まった。

 それからしばらく経ち、マコトが部屋に戻ってくるとタール状のままでいたため、マコトはひどく驚いた。

「メフィスト! その姿は!?」

「これか」

 メフィストが喋るたび呼気の漏れが泡となって弾けた。

「君が『破壊の破壊』の内容を観て理解したとなると、もはや以前の姿も意味を成さない。だから混沌に戻ることとしたのだ」

 そう言いながらパチパチとメフィストは話した。

「まあ、そう焦るなメフィストフェレス、ぼくにもあの映画でわからないことがある、それは君の誤謬(ごびゅう)に過ぎないかもしれない。早まるな

「わからないところだって?」

 タール状の物体は聞き返した。

「ふむ……一か所、それは彼女がなんとモスクで祈ったところなのか、だ」

「私は日本語字幕に賛同するが……」

「だとしたら祈りの内容が個人的にすぎないかね?」

「個人的……」

「目に見えるものを感じよ、目に見えぬものも感じよ」

「何だいそれは?」

「あるゲームの作中のせりふだ」

「ゲームかよッ!」

「そうバカにしたものでもない、案外深い」

 そう言ってマコトは部屋のパソコンに焼いてもらった『破壊の破壊』のDVDを入れた。

「もう一周しよう」

「勉強は?」

「観終わってからで良くないか?」


 クレジットが終わって女が出てくる。
 最初ひどくコントラストがきついので気が付かないのだが、この場所はモスクだ!
 破壊されたモスクの内部で彼女は吊りランプのただ中で話しているのだ。
 これにはメフィストも気づいた。

「国連軍の兵士と寝た後に来たという解釈なのかな?」

「わからないけれど、罪を告白するのにこれ以上の場所はない」

 遂にけばけばしく着飾った彼女が出てきて空爆後の街を闊歩する。
 そしてどうやら同じく破壊されたモスクに入って行った。
 ここで彼女はムスリム女性の伝統に従って、モスクの後ろの方から祈りを捧げている。
 何かを真摯(しんし)に祈っているのだがそこにあの邪魔な字幕が入る。
 最初気づかなかったが彼女は茶色の巻き毛に青い目だ。

「メフィスト、彼女は何と言っているんだ?」

「なになに……神様、あなたがいるなら、わたしをどこかへ連れ去ってください」

「全然違うじゃないか!」

 マコトは絶叫した。

「翻訳者の恣意(しい)が入りすぎている」

「彼女は娼婦としての役回りにうんざりしている?」

「それにうんざりしていない娼婦はいないよ」

「続きを観よう」

 当初、マコトが安宿だと思っていたのは国連軍の駐屯地のようだった。
 つまり彼女も含めて彼女たち『花嫁』たちは駐屯地に(おもむ)き金銭を受け取る。

「だがなぜ彼女は紙幣を破いたのだろう?」

「わからない」

 そしてモスクでの懺悔(ざんげ)と告白が始まる。
 それは最初のシーンと全く同じに見えて、実は都度取り直されたものであった。
 そしてまたあの問いが現れる。
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「霊的なキリストねえ……」
タール状だったメフィストは、にゅっと姿を縦に長くし元の美丈夫に戻っていた。

信仰=智慧(ピスティスソフィア)の伴侶たる霊的なキリスト、としかここでは思えないんだ。イスラム教の世界観にも預言者としてのキリストは存在する」

「答えは保留にして、ユウナからの通話に出たらどうだねマコト君」

「ユウナから!?」
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