第十一話 考え物
文字数 2,982文字
囲い
の外に逃げ出そうと試みたことは、何度もある。実は私以外の生徒も、何人か挑戦したことがあるらしい。だけど誰も成功した生徒はいない。許可なく外に出ようとすると、特殊な『時空コーディング』を施された
囲い
が、有無を言わさず逃走者を過去
まで巻き戻してしまう。外に出たつもりが、いつの間にか前日に飛ばされ、教室の席に座っていた……なんてことが、私にも度々あった。『時空間』を歪ませ制御する
じゃあ誰に外出の許可をもらえばいいのかと言うと、その点は誰に聞いても知らなかった。これまでに許可された生徒がいたと言う話も聞いたことがない。そもそも
囲い
の中に、生徒以外の姿を見かけたことがない。無人機やロボットが徘徊し、私たちの生活を補佐していた。中にはここを『天国』と呼ぶ生徒もいる。はたまた『実験場』や、『蠱毒』なんて呼ぶ人も。私に言わせれば、ここは『監獄』だ。
ここは『教室』とは名ばかりの、監獄と同じだ。動物園は檻の外から眺めるから楽しいのだ。どう猛な野生生物と一緒に檻の中に閉じ込められては、とてもじゃないが気が休まらない。ここにいる生徒は、本当に変わった人たちばかりだった。
中では頻繁に喧嘩も起きた。
外では『役立たず』な私だったが、図体だけは男子並みに大きかったので、いじめっ子から『考え無し』を追い払うのはいつも私の役目だった。もやしみたいな体型の『考え無し』はもやしみたいに無気力かつ無抵抗だったので、毎日『暴力』や『理不尽』たちからひどい迫害を受けていた。
「どうやって逃げ出せばいいと思う?」
「…………」
『考え無し』はいつも黙って私の話を聞いていた。「出ようとすると過去に飛ばされる。誰に許可をもらえばいいかも分からない」
「…………」
「簡単じゃないよ。一筋縄じゃいかない」
「…………」
「パズルか、
なぞなぞ
でもやってるみたい」私はため息を漏らした。頭の半分で外に飛び出す夢を語り、また残りの半分で諦めてもいた。逃げ出したい気持ちは強いけど、その方法が分からない。このまま一生、ここで朽ち果てるだけ……そう思っていた。
それが、あの日起きた、大時震で変わった。
時震が起きた時、私はちょうど教室にいた。
薄暗い教室には私と『考え無し』の二人だけだった。鼓膜が破れるかと思うほど強烈な爆発音と、白い閃光の流星群。時震はおよそ三十秒程度に及んだ。『教室』を
ピン
と囲っていた時間軸が、弓の「逃げなきゃ……」
やがて揺れが収まると、目の前に『考え無し』が立っていた。彼は私に手を差し出し、無表情でそう呟いた。その時初めて、私は『考え無し』の声を聞いた。よく通る、澄み切った声だった。私の頭は真っ白になっていた。恐る恐る手を伸ばす。握り返した彼の手も、若干震えていた。
これほど大きな時震は、生まれて初めてだった。
教室の中はぐちゃぐちゃになっていた。床は波打ち、天井はすっぽりとなくなっていた。時の狭間に落ちた机や椅子は、もはや原型を留めておらず、廃車のようにひしゃげたスクラップと化していた。二人して何とか外に這い出すと、足元にはまるで月面のように何個もクレーターが出来上がっていた。
外は夜のように暗かった。周囲は半壊していた。あちこちから火の手が上がっている。私は息を飲んだ。そこら中で悲鳴や警戒音が飛び交い、
囲い
の中は大混乱だった。「こっちだ」
『考え無し』が私の手を引いて、まだ火の勢いが弱い方へ向けて走り出した。私たちの他にも、何人かの生徒が走って逃げていくのが見えた。寮は倒れてこそいなかったが、いつもより背が低くなっていた。揺れで一階部分が、丸々押し潰されてしまっていたのだ。
火の粉がまい、頬をヒリヒリと焼いた。走っている間に小さな時震が二、三回私たちを襲った。倒れそうになりながら、やっとの思いで
囲い
の外枠にまで辿り着いた。特殊技術の囲い
は頑丈だったが、やはり時震の影響で、ところどころヒビが入っているのが見えた。「ここから……」
『考え無し』が子供一人分くらい裂けた囲いの穴を指差した。
「先に逃げて。今のうちに」
「逃げてって……キミは?」
「ボクは一旦過去に戻り、できるだけ生徒を逃す」
私は『考え無し』の顔を見た。彼は大真面目だった。どうやら本気で言っているらしい。
「待ってよ。こんな壊れかけの囲いに触って、無事に狙った過去に戻れるかも分からないのに」
私は呆れて首を振った。
「でも……」
「だったら、私も行く」
渋る『考え無し』の手を、私は再び握り返した。彼は驚いたように目を丸くした。
「本気で言ってる? その心は?」
「なに噺家みたいなこと言ってるの」
「ハナシカ?」
私は肩をすくめた。
「キミ一人じゃ、大変でしょ」
「……これだけは言える。君は全然、『役立たず』なんかじゃないよ」
「あなたこそ、助けに行くからには何か考えがあるんでしょうね?」
私は笑った。『考え無し』も笑っていた。今思えば、それが私が見た彼の最初で最後の笑顔だった。それから私たちは一緒に囲いに触れ、過去に戻った。最後に、工場が爆発する轟音を、私は遠くの方で聞いていた……。
……そして私は過去に戻ってきた。
壁に掛けられた時計を見る。時震が起きる、ちょうど三時間前だった。ただし、教室に『考え物』はいなかった。
……三〇四五年に起きた世界同時多発大時震災は、死者数一千万人超にも及んだ。世界は変わった。変わらざるを得なかった。独裁者が夢見た『美しい世界』でも、災害は勝者にも敗者にも、賢者にも愚者にも、強者にも弱者にも、誰の元にも平等に訪れた。だけど相変わらず、囲いの中にいた生徒たちは数にも入れられていない。
あれから十余年。
囲い
は崩れた。私は今、私と同じように『厄介者』扱いされてきた人々を逃したり、彼らの生活を取り戻すため、地道に地下活動を続けている。憧れていた外の世界に出られたのは嬉しかったが、背広を着た男たちから追われるようになってしまったのが玉に瑕だ。今では男装したり職業を誤魔化したりしないと、まともに旅も続けられない。背広の連中から勝手に付けられた私の新しい通り名は、『考え物』だった。考え物……頭を抱えてしまう者という意味らしい。もうあだ名はこりごり……だけど『考え無し』と名付けられていた彼ともどこか通じるものがあるようで、密かに私は気に入っていたりもした。
あれから私も色々世界を旅しているけれど、まだ一度も、あの時の彼とは再会していない。今どんな世界にいて、どんな名前を名乗っているのか。彼がまだ生きていると信じている?
もちろん、そんなの考えるまでもない。
《考え物・完》