第2話 訪問者
文字数 1,549文字
6月に入り衣替えから間もなく、深雪は教室には行かなくなった。正確には、行けなくなったという方が正しい。それからの彼女は、保健室の隣にある相談室で自習をしていた。
相談室は火曜と金曜の放課後、悩みのある生徒がスクールカウンセラーに悩みを打ち明ける場として使用されている。保健室登校ならぬ相談室登校をしている生徒は今のところ深雪しかいないが、彼女もまた週に2回、教室に行けない悩みをカウンセラーに相談していた。
カウンセラーは女性で、柔らかい雰囲気の親しみやすい人だった。話してみるとこれまで見えていなかったものが見えて、話すことで心が解れていくのがわかった。第三者による視点、アドバイスはこうも心に変化をもたらすのかと深雪ははじめて知った。
それでも教室に行く勇気はなく、深雪は自習の日々を送っていた。教室に行っていない分、どこまで授業が進んでいるのかわからなくて不便ではあったものの、誰の視線もなく一人でいられるのは気楽だった。
そのうち相談室によく顔を出す男性教諭と仲良くなり、お弁当を一緒に食べるようになった。教諭とはいえ誰かと話すのは楽しくて、ドラマの話をしたり、彼の奥さんが姑と仲が良くないといった大人の話を聞く機会もあった。
「今日からスポーツ大会か……」
そう言いながらテーブルの上に置かれたクラスTシャツを眺める。黒いそのTシャツの背部には英語で深雪の名前と名簿順の番号がプリントされている。
この日、校内ではスポーツ大会が開催されていた。大会は2日間行われ、養護教諭によればいつも通りチャイムは鳴るものの、基本的には出場競技のスケジュールで生徒達は動くという。大会の間は生徒達が常に廊下を歩いているので、トイレに行くのも一苦労だった。
クラスTシャツは朝に顔を出しにきた担任が置いていったもので、そういえばまだ教室に行っていた頃に代金を支払っていたなと深雪は思い出した。
だからといって袖を通す気にはならなかった。そもそも大会に参加しないのに着る意味はないし、思い出にもなりはしない。支払った代金がもったいないので捨てることはしないが、帰宅したら箪笥の奥深くにでも封印しようと心に決めた。
いつもと変わらず深雪は自習をする。廊下が少しばかり騒がしいが、集中してしまえば大して気になることもなかった。
予期せぬ訪問者が現れたのは、11時が過ぎた頃だった。
「失礼します。誰かいますか?」
突然ドアが開かれて、反射的に深雪はそちらに顔を向ける。相談室に入ってきたのはクラスメイトの男子だった。
「え、藤野さん?」
彼は目を丸くする。
深雪も予想外の出来事に声が出なかった。
パタンとドアが閉まる。その音がやけに大きく聞こえた。
はっとして深雪はテーブルの下に身を隠す。小さな子供のようで恥ずかしい上に無様だが、隠れずにはいられなかった。クラスメイトの顔なんてしばらく見ていない。それは向こうも同じことだが、何より深雪には刺激が強すぎた。
何を言われるだろう。からかわれるだろうか。嫌味を言われるだろうか。テーブルの下で深雪はぎゅっと目を瞑る。
「あー、ごめん。驚かせたよな」
予想とは裏腹に聞こえてきたのはそんな声だった。
「怖がらせるつもりはなかったんだ。ごめん」
気まずそうな声音に、深雪は恐る恐るクラスメイトの顔を見上げる。視線を彷徨わせながら頬を掻く男子の名前は記憶にある。
川瀬 陽也 、それがこの男子の名前だ。癖毛なのか髪の毛は少しばかり外に跳ねている。口許の左下には黒子があり、彼の友達がふざけてぐりぐりと押して遊んでいたのを一度だけ見たことがある。
「どうしてここに?」
意を決して深雪は口を開いた。
言葉が返ってくると思っていなかったのか川瀬は一瞬目を丸くしたが、やがて声を発した。
相談室は火曜と金曜の放課後、悩みのある生徒がスクールカウンセラーに悩みを打ち明ける場として使用されている。保健室登校ならぬ相談室登校をしている生徒は今のところ深雪しかいないが、彼女もまた週に2回、教室に行けない悩みをカウンセラーに相談していた。
カウンセラーは女性で、柔らかい雰囲気の親しみやすい人だった。話してみるとこれまで見えていなかったものが見えて、話すことで心が解れていくのがわかった。第三者による視点、アドバイスはこうも心に変化をもたらすのかと深雪ははじめて知った。
それでも教室に行く勇気はなく、深雪は自習の日々を送っていた。教室に行っていない分、どこまで授業が進んでいるのかわからなくて不便ではあったものの、誰の視線もなく一人でいられるのは気楽だった。
そのうち相談室によく顔を出す男性教諭と仲良くなり、お弁当を一緒に食べるようになった。教諭とはいえ誰かと話すのは楽しくて、ドラマの話をしたり、彼の奥さんが姑と仲が良くないといった大人の話を聞く機会もあった。
「今日からスポーツ大会か……」
そう言いながらテーブルの上に置かれたクラスTシャツを眺める。黒いそのTシャツの背部には英語で深雪の名前と名簿順の番号がプリントされている。
この日、校内ではスポーツ大会が開催されていた。大会は2日間行われ、養護教諭によればいつも通りチャイムは鳴るものの、基本的には出場競技のスケジュールで生徒達は動くという。大会の間は生徒達が常に廊下を歩いているので、トイレに行くのも一苦労だった。
クラスTシャツは朝に顔を出しにきた担任が置いていったもので、そういえばまだ教室に行っていた頃に代金を支払っていたなと深雪は思い出した。
だからといって袖を通す気にはならなかった。そもそも大会に参加しないのに着る意味はないし、思い出にもなりはしない。支払った代金がもったいないので捨てることはしないが、帰宅したら箪笥の奥深くにでも封印しようと心に決めた。
いつもと変わらず深雪は自習をする。廊下が少しばかり騒がしいが、集中してしまえば大して気になることもなかった。
予期せぬ訪問者が現れたのは、11時が過ぎた頃だった。
「失礼します。誰かいますか?」
突然ドアが開かれて、反射的に深雪はそちらに顔を向ける。相談室に入ってきたのはクラスメイトの男子だった。
「え、藤野さん?」
彼は目を丸くする。
深雪も予想外の出来事に声が出なかった。
パタンとドアが閉まる。その音がやけに大きく聞こえた。
はっとして深雪はテーブルの下に身を隠す。小さな子供のようで恥ずかしい上に無様だが、隠れずにはいられなかった。クラスメイトの顔なんてしばらく見ていない。それは向こうも同じことだが、何より深雪には刺激が強すぎた。
何を言われるだろう。からかわれるだろうか。嫌味を言われるだろうか。テーブルの下で深雪はぎゅっと目を瞑る。
「あー、ごめん。驚かせたよな」
予想とは裏腹に聞こえてきたのはそんな声だった。
「怖がらせるつもりはなかったんだ。ごめん」
気まずそうな声音に、深雪は恐る恐るクラスメイトの顔を見上げる。視線を彷徨わせながら頬を掻く男子の名前は記憶にある。
「どうしてここに?」
意を決して深雪は口を開いた。
言葉が返ってくると思っていなかったのか川瀬は一瞬目を丸くしたが、やがて声を発した。