第一章 探偵はたぶん死んでいる ③

文字数 3,240文字

「ほんとに死んだんですかね」
 先月付で配属になった若い男が、軽い調子で尋ねてくる。
 
「状況から考えれば、そうだろうな」
 発射された弾丸、残された血痕、壊れたフェンス、捜索は長期に及んだが、結局

は見つからなかった。
 あの出血で初冬の海に落ちたのだ、おそらく生きてはいないだろう。扱いは行方不明のままだが、ほとんどの者が彼女は死んだと考えていた。

「会ってみたかったなあ」
 この若者は、彼の――例の事件で死んだ男の後任として一課(うち)に配属されてきた。そうした経緯もあってか、事件の裏も少しは知らされているようだった。
 
「その件は、口にするなと言われただろう」
 事実、事件については箝口令(かんこうれい)が敷かれていた。
 表向きは彼女のプライバシー保護のため、しかし実際は、その内容があまりに危ういものだったからだ。

「……ただの都市伝説かと思ってましたよ」

「それでいいんだよ。ああいうのはな、宇宙人やら幽霊やらと同じで、存在をはっきりさせない方がいいんだ」
 
「確定無罪、犯罪者殺し、刑法四十一条が生んだ令和の怪物……」

「それ以上言ったら減給だぞ」
 
「勘弁してください、黙りますから」

 笑いながら、彼は自分のデスクに戻った。以前そこに座っていた男は、暴漢から少女を守ろうとして命を落とした――そういうことになっている。

 余計なことをするからだ。

 少女を連れ去ろうとした不審者(ホームレス)に、現役の刑事(デカ)が銃を奪われ撃ち殺される。そのうえ少女もそいつに撃たれて行方不明。事実よりはマシとはいえ、なかなかに酷い脚本(シナリオ)だった。

「おまけに容疑者は自殺……か」
 事件に巻き込まれた本当の意味での被害者に、私は心のなかで手を合わせた。

「先輩、課長が呼んでますよ」

「ああ、わかった」
 用件の予想はついている。事件の後処理、あとは彼女の今後についてだ。

「やはり、死んだことにするそうだ」
 頼られるのが嬉しいのだろう。刑事部一課を束ねる男は、明るい声でそう言った。

「……有名になり過ぎましたからね」
 ここ最近、彼女に関する情報がインターネットやSNSに出回り始めていた。根拠のない噂話が大半だが、なかには極めて真実に近い危険なネタも含まれていた。

「世間もだが、それ以上に警察(みうち)がな」
 確かに警察――とりわけ署管内においては、彼女の存在は周知の事実となりつつあった。警察と彼女、両者の目的、行動原理は重なっている。これは仕方のないことだろう。
 
「ここらで一度リセット、というわけですね」
 私の言葉に課長は頷き、その後不機嫌そうに唇を歪めて見せる。

「彼女自身はな、どうでもいいって感じなんだよ。ただ、支援者(フォロワー)のなかにうるさいのがいてな」
 政界、財界、裏社会、そしてもちろん警察にも、彼女の支援者――フォロワーはいる。
 支援者といっても基本的には見守るだけ、こちらから動くことはない。ましてや彼女の行動に口を出すなど――
 
「過干渉でしょう。どこのどいつか知りませんが、許されませんよ、それは」
 思わず語気が荒くなってしまい、私は課長に頭を下げた。しかし彼女に干渉――どころか、その行動に己の意思を反映させようとする者がいるなら、それは絶対に許されないことだ。
 彼女は自由でなければならない。彼女が彼女の意思で動くからこそ、我々は職分を放棄し、誇りに泥を塗ってまで、彼女の(がわ)についているのだ。
 
「俺たちは、職業柄こうなってしまったわけだが、他の支援者というのは、ほとんどが力のある者――権力者だ。見ているだけ、では気が済まんのさ」

「納得が――」

「してないさ、だから問題ない」
 言い切ったその言葉に、思わず笑みが(こぼ)れる。していないのは彼じゃない、彼女だ。我らの女王様(クイーン)は、そのクソを許さないと言っている。

「……隠蔽は上手くいっています。彼女の死を疑う者はほとんどいないと思われます」
 彼女が動くのなら我らが口を出す必要はない。私は私の仕事をすべく、今回の件の報告を始める。

「二重偽装、特に一つ目の印象が強烈だからな。その奥にもう一つ嘘があるとは思わんだろう」
 そう、事件は二重に偽装されている。大衆向けの嘘の裏に、警察関係者を主とした、彼女を知る者に向けてのもう一つの嘘がある。

 この事件、警察による発表は、身元不明のホームレスによる警察官の殺害と少女に対する殺人未遂、ということになっている。
 少女は現在行方不明、現場の状況から見て、銃で撃たれた後、海に転落したものと思われる。
 尚、容疑者は犯行後、銃を持ったまま逃走。事件発生からおよそ二時間後に、現場から二キロほど離れた河原にて遺体で発見されている。死因は拳銃で頭を撃たれたことによる脳挫傷、頭骨内損傷。自殺だろうと推測される。
 当然ながらこの話、真実はほとんど含まれていない。
 あの日、彼女の機転で我々は

の現場に駆けつけることが出来た。
 彼も彼女も生きている。現場はほとんど荒れていない。そんな状況だった。
 そのタイミングで駆けつけることが出来たのは、課長のもとに彼女からのメッセージが届いたからだ。
「10分以内に海浜公園跡へと来られたし、パトカーに事情を知る者二名を乗せて、時間優先、サイレンありで、あと課長は下田橋の近くで待機しててね」
 発信時刻から推測するに、殺されかけている最中にそれは打たれたものなのだろう。
 状況はまるでわからなかったが、彼女からの指示である以上、我らはすぐさま動くしかなかった。
 現場をみて、事情はすぐに理解出来た。
「都合のいいようにやるといい」、彼女のそんな言葉を受けて、我々は行動を開始した。

 目撃者はいなかった。私は事情を知る部下とともに、筋書きに合わせて現場をつくり始めた。
 ここで頭を悩ませたのは血痕についてだ。あったほうが良い、というよりなければさすがに説得力に欠ける。
 彼女を傷つけることに躊躇(ためら)いはあったが、「少量で良いから」と私は彼女に頭を下げた。彼女は嫌がるどころかむしろ乗り気で「出血大サービス」の台詞とともに、渡したナイフで即座に腕を切り裂いた。
 そしてもう一人――彼は、起こるすべてをただ淡々と受け入れた。
「出来るだけ、職場に迷惑がかからないようにして欲しい」
 要求はそれだけだった。
 部屋に遺書がある――前もってそれを教えてくれたことも我々の大きな助けとなった。その日の夕方、私は比較的

同僚の前で、彼の遺書を処分した。

 現職の警官による未成年者の殺害、そんな不祥事が(おおやけ)になれば、警察(そしき)に及ぼす影響は計り知れない。たとえ被害者に何かしら疑惑があったとしてもだ。
 彼の罪を隠すため、警察は別の事件をでっち上げた。
 勘の良い者――正確に言えば、自分は勘が良いと思い込んでいる者は、事件をそのように読んだ。そう読むように我々が事件をつくったのだ。

 真実、つまり事件の真相は、現職の刑事による殺人未遂、ということになる。
 銃が使われたこと、対象が未成年者の少女であること。それらを考慮すれば、大きな事件、不祥事であることは間違いない。間違いないが、未遂は未遂、銃は撃たれず相手はかすり傷一つ負っていない。彼女が何の裏もない本当の一般人であったとしたら、錯乱した刑事の

、それで話を終わらせることも出来ただろう。

 しかし彼女の抱える闇は、あまりに深く禍々しすぎた。
 自ら調べ、自ら暴き、自ら殺す――己一人ですべてを完結させる、

、探偵。
 彼が彼女の殺した数を何人と踏んでいたかはわからない。だがおそらく、その推測よりも実際の数は遥かに多い。
 事件が起きて、犯人が死んで、そこに幼い子供がいる。そんなことが何度かつづいた。
 名前は違う、年齢も常に同じというわけではない。ただ、容姿が似通(にかよ)っていた。
 それが同一人物だとわかったときの衝撃は凄まじいものだった。

 戸籍を変えながら、日本中で、犯罪者を殺しまくってるやつがいる。

 そしてそれは、幼女の姿をしている。
 
 幼女探偵――その名が警察関係者の間で語られ始めた頃、私は彼女の支援者(フォロワー)となった。
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