2.金庫破り

文字数 2,997文字

そうそう俺の知り合いでね、危うく金庫を破られるところだったというヤツがいてね。
金庫というと、会社の?

いいや、自宅だよ。

自分の書斎に自分の身の丈ほどの大きな金庫が置いてあるんだって。

それで金庫破りですか。

それだけ大きければそうやすやすと運び出せないでしょうから、中身を頂戴するには扉を開けるしかないということですね。

そういうこと。

なんでも、その泥棒はプロ中のプロで、自分に開けられない金庫はないと豪語する大泥棒だったんだとか。

危うくってことは、開錠に失敗して、プライドもズタボロだったのでしょうね。

残念ながら……、ああ、いや、さいわいと、なにも盗み出せないうちに退散したようだね。

セキュリティー会社からの通報で警察まで出動したっていうし。

セキュリティーのある邸宅に忍び込むとは度胸がありますね。

家人が在宅だとセキュリティーを切ってるんだよ。

いちいち反応して面倒だとかで……っていう、下調べまでされていたんだ。

それはまた不用心ですけど、じゃあ、どうしてセキュリティー会社から通報が?
家人と鉢合わせしてしまったんだ。
ええ! 危険な目に遭われたのでは?

いいや。それはない。

強盗と遭遇した時点で危険な目に遭ったというのであれば、そうかもしれないが、前科七犯の大泥棒も傷害罪で服役したことはないんだと。

不幸中の幸いでしたね。

それにしても、そんな大きな金庫になにを入れて置いたんでしょうか。

隠し財産なら警察の介入は避けたかったでしょうけど

だとしたら愉快だがね。

どうやら、現金とか証券以外の物もあるようで。

なにが隠されているのか教えてくれないんだ。それをいうと開錠のヒントになるとかなんとか。

気になりますね。

そもそもその知り合いは成金趣味がひどい男でね。

風呂上がりはハイブランドのバスローブを身にまとい、大きなグラスにバカラのボトルに入ったコニャックをわずかばかり注ぎ、プレミアムシガーをくゆらせ、傍らに猫を侍らせている。

侍らせている(笑)

そう、まさに侍らせている。

エジプトの壁画に描かれているような背筋の伸びた黒猫で、きっとそいつも由緒正しい血統書がついた高い猫なんだろうけど、鈍い色に光る目がさ、不気味なんだよ。

光の加減なのか片方の目だけが金色っぽい赤に見えて。

もしも猫ではなくドーベルマンだったら、噛みつかれていたかもしれませんよ?

それ以前に吠えられていただろうね。

猫ならせいぜい盛りがついたな、程度だろうけど、犬はね、いけないね。

ひょっとして犬は最強のセキュリティーなのでは?

だったりしてな。

だが相手が猫と老人とあって、泥棒は落ち着いたもんだった。

家主の方は灯りを付けた途端に書斎に誰かがいるもんだから驚いた。

でも、視力が弱いのか、誰だかわからず、初めは家の者だとでも思ったらしい

家の者が勝手に書斎に入り込んでいる、というほうが現実感がありますからね。

そうだろうね。

まさか泥棒とは思わなかったようだが、聞き覚えのない声で金庫を開けるように命じられて、部屋の中の方に入ってきた。

そしたらデスクの上に置いてあったメガネをかけて、泥棒をまじまじと眺めたんだよ。

家主の方も肝が据わっていますね。

ああ。そんな家主に遭遇したことはなかったね。

まぁ、そんなことでひるんでいられないから、開錠方法を教えろと脅したんだ。

その金庫にはダイヤルも鍵も付いていなかった。

昔ながらの金庫ならなんとかなっただろうに、なにかを読み取るようなプレートがついているだけだったんだ。

生体認証でしょうか。

うむ。そう思って、主の手を引っ張って、押しつけてみた。

右も、左も。

指紋や指静脈でもない。

顔をかざしてみたりね。

虹彩というのでもないらしい。

家主は金庫の『鍵』ではなかったと。

そう。

で、考えられないが、ほかの家の者が『鍵』になっているかもしれないと、家中の人間を呼び集めた……らしい。嫁と娘と、秘書と運転手と家政婦と庭師と。

本当にお金持ちなんですね。

そうだよ。憎らしいほどに金は持っている。

だから、愛人を認証に使ってるんだろ、ここに呼び出せっていったら、嫁のほうがわめきだして。

あなた愛人がいるの?どういうつもりなの。だいたいあなたは見栄ばかりなんだから、早く金庫開けて中身をくれてやんなさいよって。


そうこうしているうちに、家人の誰かがセキュリティー会社へ異常を知らせていたのか、外が騒がしくなって、退散していったというわけ。

まぁ、常識から考えて、自室の金庫なんですから、他人がいなければ開けられないというのは不便ですよね。

よこしまな感情が湧き起これば持ち去られてしまうこともありえますから――。


どうぞ。

ん? これは、もしや?
ええ、今宵はおもしろいお話を聞かせていただきましたので、サービスです。

裏メニューね。

こんな何層にもなった飲み物は初めてだな。

よく若い子がカフェラテだのタピオカだのって、やたら大きなコップに入った飲み物を持ち歩いてるけど、きれいなもんだね。

ありがとうございます。

青紫色はすみれのリキュール。緋色の上層はハーブのリキュールで、苦みが強く、おとなの味わいになってます。

真ん中の透明なところは?

氷の間に緑の丸い物が挟まっているけど。

青い小梅の砂糖漬けです。

苦みは抜けているんですけど、苦みのあるお酒と食べるとまた苦みがぶり返してくるような不思議な味がするんです。

ふぅん。きょうの俺の気分、か。

……うん、そうだね。ビターな味だね。

気分と言いますか、きっと、これが答えなのではと。
裏メニューのカクテルが?
キャッツアイとでも名付けましょうか。

猫の目か――。

ああそうだ言い忘れていた。

侍っていた猫の首根っこを捕まえて同じように肉球を押しつけたり、あの変わった色の目をかざしてみたり、ちょっと腹をつまんで鳴かせてみたり、いろいろ試してみたがダメだったんだ。

そうでしたか。

ならば、コンタクトレンズというのはどうでしょう。

ん?
お知り合いの家主の方は、普段メガネをかけておられるんですか。
ええと……普段は……

どちらでも構わないのですが、生体認証というのは欠点があるそうで。

個人宅におかれる金庫レベルならなおのことでしょうが、生きている細胞でなくともロックが解除できるそうなんですよ。

指紋ならあり得そうだが、瞳の虹彩も?
ええ。高精細画像をコンタクトにプリントするだけでセキュリティーを解除できるのだとか。
本当か?
試してみたことがありませんので(笑)
(笑)
メガネなら高級なフレームが使われているとかで盗まれることもあるかもしれませんが、コンタクトは盗もうと思うでしょうか。
ないだろうね。
誰の虹彩をプリントしたかは定かではありませんが、書斎に無造作においてあっても関心を寄せられることもなく、最強のセキュリティーになりますよ。
まぁ、ない話しじゃないね。
ええ、たんなる想像です。
与太話にしてはおもしろかったよ。
ありがとうございます。

家主は方々で珍しい宝石を手に入れたと自慢しているようでね。

そうなると――

アレキサンドライトキャッツアイ、なら面白いでしょうね。

あの黒猫の目のように、光源の違いで青にも赤にも光る、あれか。

いいね。ぜひいただきたい――いや、お目にかかりたいね。

二度目ともなると、次はお屋敷に入ること自体が難しいかもしれないですよ。
そのときは、ああ、いや、そんな予兆を感じたと知り合いから聞いたら、また話しに来るよ。
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