第3話

文字数 3,130文字

 即位した劉秀は洛陽(らくよう)へ移動する。
 本来の前漢の帝都は長安だが、現在そこは更始帝(後に赤眉)に占拠されている。
 当然聖通も劉秀とともに洛陽へ移ったが、そこに劉秀のもう一人の妻が待っていた。
 陰麗華(いんれいか)である。
 彼女はまだ無名時代の劉秀が憧れていた女性であり、その意味では純粋な恋愛結婚と言えた。ゆえに「皇后」には麗華が立てられるのではないかと考えられていたが、それは当の麗華が断った。
「郭貴人の功績あってこその北州平定、そして陛下のご即位です。まして貴人はすでに陛下の御子をご出産なさってます。皇后には郭貴人こそふさわしいと存じます」
 貴人とは後宮において皇后に次ぐ地位であり、聖通は劉秀の皇帝即位と同時にその地位に就いていた。
 だが聖通には、彼の基盤となった叔父である劉楊との紐帯(ちゅうたい)を強めた功績がある。その功績からいえば、彼女を皇后にするのが順当であろう。
 また麗華の言う通り、彼女は劉秀が即位した年に劉彊(りゅうきょう)という名の男子を産んでいる。
 これらのことから聖通が皇后に立てられないのは不自然と言っていい。


 やはり劉秀も本音は麗華を皇后にしたかったのだろう。
 しかし劉秀が聖通を皇后からはずしたかったのは私情だけが理由ではない。
 洛陽へ移る前、建武二年(西暦26)春、劉楊は謀叛を企てた(かど)で誅殺されていたのだ。
 正確には劉秀に代わって自分が皇帝になるための工作を始めただけで、実際に劉秀に剣を向けたわけではない。だが劉秀は劉楊の外甥である耿純(こうじゅん)に命じ、先手を打って半ばだまし討ちのような形で殺してしまったのである。
 叛意が明らかだったとはいえ恩人を不本意な形で誅したことに劉秀も負い目があったか、劉楊の一族には何の咎めも与えず、それどころか彼の息子を真定王に復帰させる寛大な処置も施している。
 当然ながら聖通へも何の咎もなかったのだが、その劉秀の負い目が聖通の皇后即位をさまたげた可能性はある。
 聖通がその賢明さゆえ、叔父の死に対し何も言わなかったことも、劉秀の後ろめたさを刺激したのかもしれない。


 だが麗華は聖通とは違う賢さを持っていた。
 彼女には聖通のような(まつりごと)の定見はなかったが、名家の出身ゆえ、妻として、女として、家内でどのようにふるまえばよいかの(のり)を徹底的に教育されていた。
 その則によれば、劉秀の正妻は聖通でなければならない。
 麗華に妬心があったとしても、それを表に出せば家内にどれほどの波風が立つかわかりきっている。まして劉秀は皇帝なのだ。そのような真似は麗華の、女として、妻としての矜持が許さなかった。
「…そうか、わかった」
 麗華に諭された劉秀はうなずくと、この年(建武二年)、聖通を皇后に、劉彊を皇太子に定めた。


 聖通も叔父の謀叛と誅殺を知り、自らの立場が微妙なものになったことはわかっていた。
 夫と叔父の確執と結末に心を痛めてもいたが、彼女の理性は乱世における無情も理解しており、夫への恨みも深いものにはならなかった。
「このようにかわいげのない女では陛下に見捨てられても無理はない」
 彼女の理性は自分が皇后に立てられない事情も察しており、聖通はそんな自身に苦笑する。
 だがそれだけに、自分が皇后に立てられたと聞かされ、さらにその理由を知ったときには驚いた。
「陰貴人が…」
 聖通が皇后になるにあたって、麗華は貴人に叙せられている。
 聖通にとって麗華は、心情的にも立場的にも複雑で微妙な存在だった。それは麗華にとっての自分も変わらないであろう。
 それゆえ聖通は麗華の真意を測りかねたのだが、洛陽で初めて彼女と対面して、それがわかったような気がした。
「陰麗華と申します。以後お見知りおきを。皇后陛下」
 深く頭を垂れる麗華は美しかった。洗練された美しさという点では、帝都である長安の美女たちの方が上かもしれない。
 だが麗華の美しさは柔らかさに包まれており、側にいる者を男女問わずほだす穏やかさに満ちていたのだ。
「心底からやさしい(ひと)なのだ…」
 麗華に会ってそのことを感得した聖通は、心の警戒を解くと、やさしく声をかけた。
「これから皇帝陛下は艱難辛苦の道を歩まれます。私たちも全霊を込めて陛下にお仕えし、お支えしてゆきましょう、陰貴人」
「はい、御意のままにいたします、皇后さま」
 聖通の言葉と口調に、麗華もどこか安堵したように再度低頭した。


 正室と側室の間に(げき)が生じなかったのは、彼女たちだけでなくすべての人にとって安堵すべきことだった。
 最も安堵したのは劉秀だったかもしれないが、彼もまた二人の間に余計な波風を立てないよう、彼女たちを同じように寵愛した。
 劉秀の子(男子)は十一人いるが、そのうち聖通と麗華が産んだのがちょうど五人ずつというほどの平等ぶりである。
 余談だが劉秀にはもう一人、(きょ)美人(美人は後宮における位の一つで貴人より下位)という妾がいた。彼女も男子を一人産んでいるが、それ以外、彼女の記録はほとんど存在しない。あるいは劉秀が戯れに手を付け、その一度の行為で妊娠したため、責任を取って後宮に入れたのかもしれないが、詳細は不明である。
 少なくとも聖通や麗華ほど、劉秀にも後宮にも影響を与える力がない人物だったのは確かである。
 

 二人の間に隙が生じなかったのは、劉秀の気遣いだけでなく、彼女たちがそれぞれに賢明だったこともあるだろう。自分たちが互いに嫌悪や憎悪を募らせ、対立を深めてゆけば、それが劉秀にも他の人々にもとんでもない迷惑をかけると理解していたのである。  
 だが二人が互いを許容できたのは、劉秀の器や魅力が桁違いに大きかったこともあるだろう。どれほどおのれを律していても抑えがたい情が湧いてくるのが男女の仲というものだが、劉秀の器は聖通と麗華に「自分だけではこの人を埋めることはできない」と自然に感じさせるほどの大きさで、それが彼女たちの陰気や(おり)を自然と薄めさせ、溶かしてきたのだ。


 さらにもう一つ、二人が互いを受け容れられたのは、それぞれの劉秀に対する「役目」が違ったこともあった。
 先述したように、聖通には皇后として、皇帝である夫を支える(つよ)さや賢さを備えていた。
 それは公式の場での振る舞いだけではなく、何か劉秀に政治的な問題や迷いがあるとき、聖通は彼女なりの異見を述べ、彼に新たな発想や別の視点を与えることに成功している。


 翻って劉秀が麗華を求めるのは、精神的・肉体的に疲弊したときが多い。言うまでもなく皇帝は激務であり、いかに精力的な劉秀でも心身をすり減らす事案に事欠かなかった。
 そのようなとき、女として劉秀をやさしく包み、癒してくれるのが麗華だった。劉秀が皇帝の衣を脱ぎ、一人の男に戻れるのは麗華のもとだけであり、彼女の肌を(しとね)に、乳房を枕にするときだけが、真に熟睡できる時間であった。


 聖通は麗華のような女性としての包容力に自信がなく、麗華は聖通のような見識も頸さも持ち合わせていない。互いが相手の長所に劣等感を抱いていたが、同時に敬意も抱いており、互いの短所を補って劉秀を支えている自負もあった。
 いわば聖通が劉秀の「公」を担当し、麗華が「私」をつかさどる。聖通と麗華は、劉秀という一人の男を支えることで、奇妙な連帯意識も育てていたのだ。

 
 劉秀の戦いは十余年に及んだ。その間苦行も多かったが、彼は名臣・名将に支えられ、そして聖通や麗華にも助けられながら、ついに悲願を達成した。
 建武十二年(西暦36)、最後の群雄だった公孫述(こうそんじゅつ)を滅ぼし、天下再統一を果たしたのだ。
 このとき、劉秀四十一歳、麗華三十一歳。そして生年ははっきりしないが、聖通は三十代半ばであっただろうと思われる。
 彼女たちにとっても長年の労苦が報われた瞬間であった。
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