第1話
文字数 2,421文字
穏やかそうな人だ。
郭聖通 が劉秀 に初めて会ったとき、最初に感じた印象はそれだった。
とてものこと大司徒だの大将軍だのには見えない。ましてや百万の大軍をたった三千の兵で撃ち破った武人には。
彼が今日から彼女の夫になる男だった。
更始二年(西暦24)春。
このとき劉秀は三十歳。聖通は二十代前半か半ばあたりではないかと思われる。
後に古代中国、後漢王朝の皇帝と皇后になる二人である。
郭家は真定県(冀州・常山郡)の名家だった。
聖通の父である郭昌 は田宅財産数百万を異母弟に譲ったことで地元民から義人として尊敬されていたが、それでも彼の家産に余裕はあったのだろう。それもあってか郭昌は、郡の功曹(人事担当官)にも仕えていた。
そのような評判や家産のためか、郭昌は王族の女 を妻に娶った。景帝の七代の孫にあたる真定恭王・劉普 の女 で、郭主 と呼ばれる彼女は、名家の出身にもかかわらず、しっかりとした性格の持ち主であった。礼を好み、倹約家で、母として見本となるような女性だった。
郭昌は早くに亡くなったが、郭主の実家が後ろ盾となり、彼女自身の裁量もあって、郭家の名家としての地位は変わらなかった。
聖通と弟の郭況 は、そのような両親のもとに産まれ、育っていた。
聖通は際立った美人というわけではなかったが、彼女の真価は別のところにある。
家を切り盛りする母の姿を見て育った聖通は、自然、彼女を手本として成長する。理想の母親像ともされる郭主自身、娘に対する教育は怠らなかった。
そして郭家は郭主の存在もあり、女性を主とする家風に染まっていた。
そこに長女としての自覚も加わり、聖通の視野や視点、考え方や能力もまた、男性的なものが伸びてゆく。
だが聖通が生まれ育った時代は過酷だった。
漢(前漢)王朝が王莽 という重臣に乗っ取られ、彼を皇帝とした「新 」という王朝が立てられたのだ。
新王朝は王莽の行き過ぎた復古主義政策のためほぼ十五年で滅亡してしまうが、そこからさらに新たな支配権をめぐって群雄が競う争覇戦の時代に移ってゆく。
郭家は裕福であり、また真定は中原(中国文明の中心圏)から離れた北方にあったため、聖通本人への影響は民に比べて少なかった。
だがそれゆえに被る責任もあった。
その一つが劉秀との婚姻である。
劉秀は群雄の一人である劉玄 (更始帝)の臣下で、今は真定を含む北州(黄河以北地域)の平定の任にあたっていた。
が、今北州は、前漢の皇帝・成帝の子を自称する王郎 という男がほぼ全域を掌握している。
劉秀と彼の一派は、王郎に追われる逃亡者でもあったのだ。
それゆえか劉秀の表情や身体からも疲労がにじんでいるように見えたが、聖通はそのようなことは一言も口にせず、しずかに挨拶した。
「郭聖通と申します」
「劉文叔 と申す。よろしく」
文叔は劉秀の字 で、字とは成人したとき本名(諱 )以外につける名である。それは聖通にとっても常識なので何も感じなかったが、劉秀の声には少し意外さを覚えた。
想像以上に豊かでやさしい声だったのだ。
聖通が最初に劉秀を深く感じたのは、この声だったかもしれない。
聖通の母である郭主は真定恭王の女 だが、今の王は彼女の父ではなく、兄弟(おそらく弟)である劉楊 に代替わりしている。聖通にとっては叔父にあたる男だが、彼もまたこの時期の北州における王郎の支配権を認めていた。
だがそれは確固たる根拠があってのことではなく、いわば時流に乗ったに過ぎなかった。
そんな中、彼は劉秀の配下であり、北州出身の劉植 に、劉秀に付くよう説得された。
劉秀は逃亡者だが、すでに武勲もあり、北州での鎮撫が適切だったこともあって、少数ながら味方に付く者もいた。
その中で劉楊は、十余万の兵を持つ大勢力である。劉楊としても出自も実力もはっきりしない王郎にいいようにされるのは、不快だけでなく不安でもあった。
劉楊は、政はまだしも武に自信がなかった。その点劉秀のような実績ある将軍を味方にできれば安心であろう。
「よし、わかった大司徒(劉秀)に付こう」
劉楊はそのように決したが、劉秀との結びつきをさらに堅固なものとするために、姪である聖通を彼に娶 わせることにしたのだ。
政略結婚であるが、この時代、仮に富裕の家でなくとも親が結婚相手を決めることは珍しくないし、まして聖通は王族の家系なのだ。聖通にとってこのような状況は、物心ついたときから覚悟している。
そしてもう一つ問題があるとすれば、北州遠征のため別れて暮らしてはいるが、劉秀にすでに妻があることだった。
だが地位や財のある男が複数の妻を持つことも珍しくない時代であるだけに、そのことも聖通は、一応は納得して受け容れていた。
それゆえ聖通にとっての問題は、夫となる劉秀自身の為人 だったのだが、どうやらそれもさほど悪いものではないらしかった。
「運がよかったということにしておきましょう」
自分で夫を選ぶ自由がない以上、結婚相手の良否は運に左右されるが、自分は不運ではなかった。聖通はそう結論づけたが、劉秀も花嫁に対し似たような感想を持った。
「賢そうな娘だ」
劉秀も皇族ではあるが、高祖・劉邦が前漢王朝を建ててすでに二百年。野に下って庶民同様の生活をする劉氏も珍しくなく、劉秀もその一人だったため、王位を継承して存続している真の皇族の一員である聖通には、彼も気後れするところがあったのだ。
が、やってきた聖通は、少し硬質の雰囲気を漂わせているが、権高さは感じさせない。それでいて嫌味の無い純粋な誇りを内包している。それは自分の身分や立場を、この時勢において客観的に評価する賢明さがなければ不可能である。
女としての魅力はさほどではないかもしれないが、あるいはそれ以上の何かに成り得る女性かもしれない。
互いに深い愛情を抱いたわけではないが、凡庸な男女では通い合わせられない何かを感じ取り、二人はこの夜、同じ床に入った。
とてものこと大司徒だの大将軍だのには見えない。ましてや百万の大軍をたった三千の兵で撃ち破った武人には。
彼が今日から彼女の夫になる男だった。
更始二年(西暦24)春。
このとき劉秀は三十歳。聖通は二十代前半か半ばあたりではないかと思われる。
後に古代中国、後漢王朝の皇帝と皇后になる二人である。
郭家は真定県(冀州・常山郡)の名家だった。
聖通の父である
そのような評判や家産のためか、郭昌は王族の
郭昌は早くに亡くなったが、郭主の実家が後ろ盾となり、彼女自身の裁量もあって、郭家の名家としての地位は変わらなかった。
聖通と弟の
聖通は際立った美人というわけではなかったが、彼女の真価は別のところにある。
家を切り盛りする母の姿を見て育った聖通は、自然、彼女を手本として成長する。理想の母親像ともされる郭主自身、娘に対する教育は怠らなかった。
そして郭家は郭主の存在もあり、女性を主とする家風に染まっていた。
そこに長女としての自覚も加わり、聖通の視野や視点、考え方や能力もまた、男性的なものが伸びてゆく。
だが聖通が生まれ育った時代は過酷だった。
漢(前漢)王朝が
新王朝は王莽の行き過ぎた復古主義政策のためほぼ十五年で滅亡してしまうが、そこからさらに新たな支配権をめぐって群雄が競う争覇戦の時代に移ってゆく。
郭家は裕福であり、また真定は中原(中国文明の中心圏)から離れた北方にあったため、聖通本人への影響は民に比べて少なかった。
だがそれゆえに被る責任もあった。
その一つが劉秀との婚姻である。
劉秀は群雄の一人である
が、今北州は、前漢の皇帝・成帝の子を自称する
劉秀と彼の一派は、王郎に追われる逃亡者でもあったのだ。
それゆえか劉秀の表情や身体からも疲労がにじんでいるように見えたが、聖通はそのようなことは一言も口にせず、しずかに挨拶した。
「郭聖通と申します」
「劉
文叔は劉秀の
想像以上に豊かでやさしい声だったのだ。
聖通が最初に劉秀を深く感じたのは、この声だったかもしれない。
聖通の母である郭主は真定恭王の
だがそれは確固たる根拠があってのことではなく、いわば時流に乗ったに過ぎなかった。
そんな中、彼は劉秀の配下であり、北州出身の
劉秀は逃亡者だが、すでに武勲もあり、北州での鎮撫が適切だったこともあって、少数ながら味方に付く者もいた。
その中で劉楊は、十余万の兵を持つ大勢力である。劉楊としても出自も実力もはっきりしない王郎にいいようにされるのは、不快だけでなく不安でもあった。
劉楊は、政はまだしも武に自信がなかった。その点劉秀のような実績ある将軍を味方にできれば安心であろう。
「よし、わかった大司徒(劉秀)に付こう」
劉楊はそのように決したが、劉秀との結びつきをさらに堅固なものとするために、姪である聖通を彼に
政略結婚であるが、この時代、仮に富裕の家でなくとも親が結婚相手を決めることは珍しくないし、まして聖通は王族の家系なのだ。聖通にとってこのような状況は、物心ついたときから覚悟している。
そしてもう一つ問題があるとすれば、北州遠征のため別れて暮らしてはいるが、劉秀にすでに妻があることだった。
だが地位や財のある男が複数の妻を持つことも珍しくない時代であるだけに、そのことも聖通は、一応は納得して受け容れていた。
それゆえ聖通にとっての問題は、夫となる劉秀自身の
「運がよかったということにしておきましょう」
自分で夫を選ぶ自由がない以上、結婚相手の良否は運に左右されるが、自分は不運ではなかった。聖通はそう結論づけたが、劉秀も花嫁に対し似たような感想を持った。
「賢そうな娘だ」
劉秀も皇族ではあるが、高祖・劉邦が前漢王朝を建ててすでに二百年。野に下って庶民同様の生活をする劉氏も珍しくなく、劉秀もその一人だったため、王位を継承して存続している真の皇族の一員である聖通には、彼も気後れするところがあったのだ。
が、やってきた聖通は、少し硬質の雰囲気を漂わせているが、権高さは感じさせない。それでいて嫌味の無い純粋な誇りを内包している。それは自分の身分や立場を、この時勢において客観的に評価する賢明さがなければ不可能である。
女としての魅力はさほどではないかもしれないが、あるいはそれ以上の何かに成り得る女性かもしれない。
互いに深い愛情を抱いたわけではないが、凡庸な男女では通い合わせられない何かを感じ取り、二人はこの夜、同じ床に入った。