文字数 784文字

 それから、毎日、少女はわたしのことを放しませんでした。まだ青空が広がって、太陽がわたしと目を合わせるときに、ガチャリと玄関から音が鳴って、ドタドタと慌てる足音が響き、ドサッとソファにランドセルを放り投げ、それから初めて出会ったときと変わらない、底のない明るい笑顔をわたしに向けました。
「かーえーるーのーうーたーがー」
「さーいーたー。さーいーたー。ちゅーりっぷーのはーなーが」
「ゆーきや、こんこ。あーられや、こんこ」
 少女の歌声に合わせて、わたしも口ずさんで歌いました。ふたりっきりの合唱です。あのときほど、わたしの心を震わせてくれることはないでしょう。時折、少女が押すべき鍵盤を間違えてしまい、わたしが音程から外れてしまうことがありました。わたしは外れた自分の歌声に思わず笑ってしまい、少女もまた、間違えちゃったと歌うのを止めて、クスクスと笑いました。
 ずっと歌い続けました。みるみる、少女の背は伸びました。
 それでも変わらず、わたしたちは色々な歌を口にして、いっしょに歌いました。彼女の歌声にハモるように、わたしも歌う。ときどき、わたしが先に歌って、少女は違う音色で歌うときがありました。伴奏と呼ばれるものだと、少女から教わりました。わたしが少女の歌声を引き立てる。いっしょに歌えなくなるのはさみしいですが、少女の可憐な歌声を耳にしたら、そんなさみしさもすぐになくなって、すぐに楽しい気持ちが湧き上がってくるのです。無邪気な声は変わらない、あのときの乱暴さはなくなって、繊細で優しい声で歌うようになりました。ふたりっきりのときは、大きな声で歌って、親がいると、恥ずかしそうに小さな声で歌っていました。どの声もすてきでした。少女がぱたんと閉ざしたドアを、両親がそっと少しだけ開けて、少女の歌を聴いているのを、わたしは見ていました。なにも変わらない、幸せな日々でした。
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