第8話

文字数 3,987文字

 13.

「何が、あった……?」呆然、ノワール。うずくまる。「ヴィオレッタ、教えてくれないか……?」
 返事は――ない。
「ヴイオレッタ……クリムゾン……」ノワールの声が虚ろに消える。「……僕はいったい何を……やったんだ……?」
 ノワールの耳へ、かすかに、音――紙。懐の中。
「何……だ?」
 ノワールは手を内ポケットへ――感触。取り出す。丁寧に折りたたまれた、それは手紙。
「……いつの間に?」
 血にも汗にも、手紙には汚れた気配がない。きれいな折り目を開きかけ――気付く。暗い。
「くそ、〝力〟が……」ノワールは眉をしかめた。「いや、当然、か……」
 クリムゾンを葬った今、借り受けた〝力〟は失われていて当然。ノワールは強い疲労を自覚しながら立ち上がり、重い足取りでミニ・クーパーへと歩を向ける。

 ミニ・クーパーのドアを開け、ノワールは力なく中へ乗り込む。疲労がひどい。しかし好奇心一つを支えに、室内灯を灯して手紙を開く。

 ◆

 ノワールへ。

 ◆

 先頭、その流麗な筆記体がまず眼に入る。
「クリムゾン……! ……いつの間に!?
 さらにノワールは手紙を開く。

 ◆

 この手紙を読んでいるということは、私を葬ったということだね。おめでとう。

 〝セフィロトの樹〟や〝地獄の門〟の儀式については、恐らく〝忘れられた協会〟が歪めた情報を渡しているはずだ。

 ◆

「『歪めた情報』……?」ノワールの顔に恐怖が兆す。「じゃぁ僕は……!?

 ◆

 〝セフィロトの樹〟の儀式を経て誕生する〝完全体〟だけが、〝地獄の門〟の儀式で魂を肉体へ還すことができる――ここまでは事実をそのまま伝えているはずだ。つまり〝完全体〟の〝力〟がなければ、ヴィオレッタに肉体を与えることはできない。
 ただし、〝完全体〟の元となる素体が問題だ。人間のキャパ程度で〝完全体〟に成り代わろうなどとしたら、その時は〝力〟に魂が耐えられない。〝完全体〟の〝力〟だけが暴走することになる――〝審判の日〟が到来するというわけだ。

 ◆

 ノワールが唇を噛む。「じゃ、クリムゾンなら大丈夫だったってのか……?」

 ◆

 〝完全体〟の〝力〟を制御できるのは〝純血種〟、つまり〝セフィロトの樹〟を構成する悪魔以外にない。

 ◆

「待て、」ノワールの声が焦燥を帯びる。「それじゃクリムゾンが〝セフィロトの樹〟の儀式を完成させても……!?

 ◆

 そして私は、〝隠された第11の柱〟に当たる。だから〝忘れられた教会〟の連中は、キミに何か渡しているはずだ――私を〝封印〟して〝セフィロトの樹〟のピースとするために。キミがそれを私に使っていないことを願いたいね。

 ◆

「あいつら……!」ノワールが歯噛みする。「食わせ者だとは思ったが……!」

 ◆

 ただ私も、現世の肉体に縛られたままでは〝完全体〟の〝力〟を制御することは不可能だ。それに〝最後の1体〟も異界へ逃げ込んだ。私も異界に戻らなくては手が出せない。
 かと言って、私はこの肉体が滅びるまで現世に留まる他ないし、また自らこの肉体を放棄することもできない。というのも〝高潔な悪魔〟だけが〝復讐の力〟を手に入れることができる一方で、〝卑劣な悪魔〟は〝力〟を削がれてしまうからだ。
 つまり私が異界へ戻るに当たっては、有り体に言えば、『手加減なしのキミに殺される』必要があった――ということになる。

 ◆

 「何てこった……いい性格だよ――」苦く呟いたノワールが、次いで息を呑む。「――待てよ、それじゃ666人の魂は……?」

 ◆

 いずれにせよ、キミは〝地獄の門〟の鍵――〝魂の純度〟の高い666人を気にかけるだろうね。
 結論を言えば、あの鍵はあくまで『人の世から』〝地獄の門〟を開くために必要なものだ。悪魔の世界である異界から〝地獄の門〟を開く分には必要ない。
 こう伝えれば安心してくれるかな?

 ◆

 ノワールが大きく、息をつく。「だけど、ヴィオレッタの魂は……」

 そこで、文面が――動く。

 ◆

 ヴイオレッタの魂は私が預かっていく。〝地獄の門〟をこちらで開く都合があるからね。

 ◆

「――クリムゾン!?」ノワールの声に生気。「ヴィオレッタも!?
 文面がさらに伸びていく。

 ◆

 24時間後、グレンダロッホのラウンド・タワーへ行け。地下に隠しておいた石櫃がある。
 ヴィオレッタが宿るべき肉体は、今そこにある――彼女の双子の妹の〝遺体〟がね。

 ◆

「待てよクリムゾン!」ノワールが手紙へ語りかける。「妹だって!?
 逸るノワールを尻目に、手紙へ図が浮かび上がる。それからさらに伸びて文字。

 ◆

 時間がない。簡潔に伝えよう。
 ヴィオレッタの魂をスマートフォンに〝封印〟した張本人は、病弱だった妹の延命を餌にしたのさ――〝実験〟へ参加させるためにね。
 私が察知した時には、〝実験〟は成功したが証拠は隠滅されたところだった――つまりヴィオレッタの肉体も、妹の延命の資金源もね。
 私は密かに妹を保護したが、すでに手遅れだった。そこで魂の抜けた〝遺体〟を保管することにしたわけさ――私の〝力〟でね。
 だがそれも、私が現世に留まっている間だけだ。現世を去った今となっては、〝遺体〟の状態を維持できるのは24時間が限界だ。それまでに〝最後の一体〟を〝封印〟して、儀式を完成させる。

 ◆

「強引だな――相変わらず」呟くノワールの声に、涙の気配。「このために……!」

 ◆

 これは、ここまで協力してくれたキミへの礼だ。現世で使える私の〝力〟、残り全部でヴィオレッタの魂を救おうじゃないか。だからキミは、グレンダロッホで彼女を迎えてやるがいい。

 ◆

「僕は結局……」ノワールの声が小さく震える。「……何も解っちゃいなかったってことじゃないか……」

 ◆

 そこは涙を流すところじゃない。私はキミを嵌めたんだ――〝最後の1体〟を追うためにね。

 ◆

「違う……!」ノワールの絞り出す声が濡れていた。「……もっと他にも……あったはずじゃないか……!!
 
 ◆

 私のために流す涙なんてものがあるとはね。それはヴィオレッタとの再会の時に取っておくがいいさ。
 ヴィオレッタを幸せにしてやるんだね――これが私からの遺言だな。

 ◆

「……お節介焼きめ……」感情をこらえつつ、ノワール。「……感謝するよ……」

 ◆

 キミは本気でなきゃ動かない、実に厄介な人間だ――悪魔の私にとってはね。けれど、その腕には本当に世話になった。感謝している。
 まぁ、これが最期ってわけでもない。キミが今の仕事を続けていれば、いつかまた会うこともあるだろう――必ずね。

 ◆

「……その時は……」ノワールの声が崩れる。「……また僕が〝契約〟してやるさ……余計な悪さを働かないように、ね……」

 ◆

 それも一興だね。
 そろそろ、ここまでだ。
 いずれ、どこかで。

 クリムゾンより。

 ◆

 そこから、手紙の文字が伸びることは――なかった。


 14.

 月明かりに浮かぶグレンダロッホ、ラウンド・タワー前には黒ローブ――気まずそうな佇まい。
「全てはクリムゾンから聞いた」立ち止まったノワールが眼線を射込む。「その上で――僕にも『老獪や狡猾』でもって接する気かい?」
 沈黙――のまま、黒ローブは背後に道を示した。ノワールの頷きを確かめて、先に立ってラウンド・タワーへ。
 梯子を伝って地上3.5メートルという入り口へと這い上がり、中へ。
「しばらく出ていてもらおうか」ノワールは静かに、ただし力強く、「ここからは君達に見せるものじゃない」
 黒ローブは一つ肩をすくめると、部下を連れて外へ出る。
 沈黙を確かめ、タワー内を改め、それからノワールは下へ――最下層へ。その床、クリムゾンの遺した図を手がかりに、下層へ通ずる入り口を探し――、
 見付けた。そこから図の指示に従う。隠されていた入り口が開く。ノワールは明かりを片手に、中へと降りていく――。
 地下室中央に――石櫃。ノワールが歩を進める。周囲の空気が冷えていく。
 左手首、アーミィ・ウォッチで時刻を確かめる――クリムゾンとの別れから、24時間まであと少し。
 しばし待つ――そこで。
 石櫃に、淡く――光。
「……始まったのか」ノワールが一つ唾を飲む。
 音もなく、石櫃の蓋がわずかに浮き上がる。中からさらに光が覗く。
 蓋がずれた。石櫃の中身が見えてくる――。
 白い腕。ブロンドの髪。
 少女の域を脱して間もない、女の顔がそこにある。
 眠るようなその口元には、微笑を思わせる気配が映る。
 細く、儚げな肢体の線は、女の気品を示しつつ不動。
 そこで柔らかな圧を感じた。女の内から、滲むような存在感。
 ノワールに、言葉はなかった。ただその変化に見とれていた。
 圧が脈打つ。光が強まる。
 圧が脈打つ。光が凝集し始める。
 圧が脈打つ。光は女の胸元へ。
 圧。脈。光。集まり、強まり、軽やかに――弾けた。
 静寂――。
 ノワールが女の顔を覗き込む。圧も光もすでにない。しかしそこには明らかな――生気。
 女の眼が、静かに――開く。
 慣れないような瞬き、戸惑うような表情――そこには間違いなく生命が息吹く。
「……ノ、ワール……?」涼やかな、それでいてどこか寂しげな――声。ヴィオレッタ。
「ヴィオレッタ……!」応じるノワールの右眼に涙。「……よかった……!!
「ノワール……!」ヴィオレッタの眼にも涙。「夢じゃ、ないのね?」
 抱き合う。二人。抱き締める。互いの存在を確かめ合う。
「僕と……」ノワールがヴィオレッタの耳元へ、「……ずっと、一緒に……いてくれ……!」
「……嬉しいわ……」次はヴィオレッタがノワールへ、「……私も、ノワールと……ずっと一緒よ……!」
 力を緩める。確かめ合う。互いの瞳が自分を映す――頷き合う。
 ノワールがヴィオレッタを抱き上げた。
「さぁ行こう」石櫃を背にしてノワールが告げる。「僕たちの、未来へ――」

 fin.
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