文字数 2,446文字

 日が完全に落ちきり、すっかり視界が闇に覆われてしまったしばらく後、玄関先から鍵が開く音が聞こえた。電気がつき、男が部屋に入ってきた。

 まだ若い顔立ちをしているが、細身で色白なため健康的には見えない。彼が身につけている毛玉が目立つスウェットやよれよれのジャケットも男の雰囲気を損なっていた。

「二万? 安すぎるね。そんなんで売れる訳がないでしょ? ゲームソフトじゃないんですよ?」
 男は電話で誰かと話している最中だった。

 ポケットから別の携帯電話を取り出して充電器に入れるとパソコンが置いてある机の前に座った。

「あなた知っているでしょう? 部屋の中で作ったやつは強いんだ。そのなかでも僕のやつはそこらのとはわけが違う。高い金出してライトも水周りも全部揃えたんだ。それ相応のものが必要でしょう? え? しっかりやっているよ。写真でも撮っておくろうか? もしどうしても二万って言うんなら売らないよ。買い手はあなた以外にもいるんだから。」

 男は電話でなにやら交渉を行っているようだった。なんの話をしているのかはよく分からない。彼は例の充電器群の中から一つを取り出しカチカチと操作しながら会話を続けた。

「だいたいあんた達は袋何千円とかでやっているんだろう? 僕のところにもう少し入ったっていいじゃないか。作っているのは僕なんだ。そうだな……。四万だ。これよりは安くできないよ。」
 男は語気を強めてそういった。

「まぁいいだろう。わかった、三万五千だ。加工は全部任せるよ。僕はそこまでやらないから。今日の夜一時、いつものところはやめよう。いつも同じ場所を使うと足がつきそうだし……。裏手のコンビニがある通りに公園があるのは知っているか? そこのベンチにしよう。あぁそうだ。また後で。」
 男の電話が終わった。

 耳に当てていた電話器を机に置くと、今度はまた別の電話を充電器から取り、右手でいじり始めた。

 通話中に操作していた携帯を左手でもったまま、次は右、今度は左といった具合に打ち続けている。まったく器用なものだ。

 私がこの世の中に出回るようになってから、人の見てくれが変わるのも、物の流行り廃りも幾度となく見てきたが、私があの屋上でサキの手を離れてからの数ヶ月の間に、携帯電話の複数持ちがスタンダードになったのだろうか。 

 あまつさえ、両手でその複数のうちのいくつかを同時に扱うことが当たり前になったのだろうか。私は、人間社会にどのような変化があっても、もう何も驚かない。

 男がしばらく器用な携帯捌きを披露していると、今度は机の上の充電器に収まっている電話の一つが鈍い振動を起こした。
 
 男はその機種をしばらく無視していたが、振動は長く続いた。

 着信である。

 男は舌打ちをして電話を取った。

「もしもし、松永の携帯でございますが……。ええ……。 はい……。」

 先ほどとは打って変わって非常に丁寧な調子で答えた後、男はしばらくの間「ええ」だの「はい」だのと相槌を続けた。

「ええ。ですから前も申し上げたと思うのですが、僕は今ですね、少し体調を崩しておりまして……。遊んでいるわけでは無いんですよ。いえ、もちろん単位は取るつもりですし、勉強が嫌になって学校に行ってないという訳でもないです。」

 どうやら彼は学校に通う身の上らしかった。先ほどまでのイライラした様子を微塵も出さずに、彼は話を続けた。

「感染症かと言われると別にそういうわけではないです。検査にも行きましたが、これといった問題はないと言われまして……。ただいつも学校へ行く時頃になると体の調子が悪くなるというか……。カウンセリング? うーん、考えておきますよ。はい……。ええ……。とにかく近いうちには先生のところにも顔を出すようにしますので。」

 男はそんなことをのらりくらりと言いのけて、「それでは」と電話を切った。

「ほっとけ」
吐き捨てるように言うと、着ていたジャケットのポケットからおもむろに煙草を取り出して一服し始めた。

 もうもうと白い煙が立ち込めて、私の視界を悪くした。まだ微妙に湿り気の残る私の体が、煙を吸着していくことが分かった。
 
 煙は部屋全体に立ち込めている。しかし男は窓を開けるといったことはせずに、その後もいらいらと片方の足を小刻みに揺らしながら携帯の操作を続けた。

 何時間かのうちに男は五本ほど煙草を吸った。

 ヘビースモーカーである。そのせいですっかり空気が悪い。

 しばらくして日付が変わるころになると、男はどこからか道具箱のようなものを取り出した。

 中からジッパーの付いた透明の袋と刃の部分がやけに長いハサミを取り出して、押入れの扉を開けた。

 中に見えたのは植物だった。

 細長い発泡スチロールの容器が所狭しと並べられ、容器の中の土に植えられた植物の背丈は、男の膝くらいまである。

 押入れは男の腰あたりに中敷居があり、その上にも下のスペースと同じ植物が鬱蒼と茂っていた。男は上半身だけ押入れの中に入れて、植物の様子を確認している。

「良い出来だな。こっちはあいつには売らん。」
 誰に聞こえるわけでもない独り言をつぶやいて、押入れの襖を閉めると、反対側の襖を開けた。

 反対側のスペースも先ほどとほぼ変わらない光景が広がっていた。植物は白色の光を放つ照明器具に照らされて青白く見える。

 床に敷かれた発泡スチロールの間に管が張り巡らされており、その先端がそれぞれの容器に繋がっている。

 気味の悪い光景だった。

 男は、植物の中に割って入り適当なものを見つけては、ハサミで切り取り透明な袋に入れていった。

 用事が済むと襖を閉めて携帯電話を一つ取り、部屋の電気を消して家を出ていった。

 人のいなくなった部屋の暗がりの中で、携帯電話の群れの不規則な光の点滅が、やけに存在感を放っていた。
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