文字数 3,199文字

 では、私達の持ち主の話に移ろう。

 しかし、持ち主というが、まず以ってどういう顔をしているかを私は知らない。見る間もなく財布に収められたからだ。師匠を含めた同僚のお札達曰く、

「あれはひどい。」
「近年稀に見る不細工だ。」
「親の顔が見てみたい。」
「あの顔でよく結婚できたものだ。」
「幸が薄い。」
「救いようがない。」
といった具合でひどく評判が悪い。

 私達お札は人間の顔を見るという時間の多さに恵まれているほうではないので、本来、このことに関してはあまり興味を抱かない。

 それにもかかわらず、これほどまでに辛辣な意見が出揃うのだから穏やかではない。ぜひ一度その顔を拝みたいと思うのだが、なかなかその機会に恵まれないでいる。

 ひどく不細工ということで噂になる主だが、妻帯者である。それどころか、二人の子供を含めた四人家族の大黒柱である。
 
 彼の尋常ならざる不細工のDNAは次世代に引き継がれてしまっている。

 主は私たちが入っている財布を、普段は夫婦の寝室に保管している。聞こえてくるのは彼ら夫婦の何気ない日常会話だった。

「新学期はもう始まっているんだろ? あいつら寝かさなくていいのか?」
 遠くのほうから子供のはしゃぎ声が聞こえる。

「あれ、私言ってなかったっけ? 今年から夏休みが長くなったのよ。だからまだあの子達は夏休み満喫中よ。」
 季節は夏が過ぎ秋に差し掛かったところである。
 今年の夏も暑かった。
 
 毎年夏になると定番となったかのように、「記録的」「何十年ぶりの」「猛暑日」「熱帯夜」という言葉がテレビから聞こえてくる。もはや異常が通常になりつつあるのが、最近の夏だ。
 
そういうわけで、夏の盛りが過ぎ暦の上では秋になっても、夏の残滓はしぶとく残っている。外からは扇風機を使用しているのか、鈍いモーター音が聞こえてくる。

「冬休みが短くなるみたいよ。クリスマスから三箇日がお休みで、それからすぐ学校だって。その分を夏に回したんだってさ。夏休みが長いほうが子供にとっては嬉しいんじゃない?」
「そういうものかな? 休みの量は同じなんだろ?」
「子供にとって夏休みは特別よ。子供心が分かってないのね。そんなんだとどんどん老け込んでいくわよ。ほら、あなたまた少し白髪が増えたんじゃない?」
「もう歳も歳だからな。増えるのは仕方がないよ。抜け落ちるよりかははるかにましだと思うけどな。」

これまでの会話の内容により主である男のほうは四十代前半、妻は三十代半ばということが判明している。

妻が夫の加齢による容姿の変化を軽くなじる、というのはこの夫婦がコミュニケーションを図る上での一つの方法になっている。

「ところで、サキちゃんのことなんだけど……。」
 妻が話題を変えた。

「お盆は忙しくてサキちゃんのところにあの子達連れて行けなかったじゃない? あなた今週末か来週にお休み取れない? 行けそうなら連れて行って欲しいんだけど。」
「ちょっと難しいなー。来週末に大きな展示会があるんだ……。土日どちらも駆り出されそうなんだよ。」
「あら、そうなの?。」
「お前、行ってやれないのか?」
「土日も仕事しなきゃ追いつかないくらいなのよね。」
「そうか。お前も忙しいんだな。サキちゃんが住んでいるのは緑町だし、ここからだと少し遠いんじゃないか?」
「でも、カホはもう高学年になるし。これくらいなら二人でも大丈夫じゃないかって思うのよね。ほら、ここから緑町までは電車で一本だし。」

 妻は部屋の中をうろつきながら話をしているらしい。話し声の聞こえてくる方向が逐一変わる。

「うーん、まあ、悪くないんじゃないか?」
「じゃあ、決まりね。明日にでもサキちゃんに連絡しておくわ。」
 主はあっさりと折れて、妻の意見に従った。そういう力関係なのである。

 外からドライヤーの音が聞こえ始めた。
 既に稼動している扇風機の音も重なり、会話の内容が一層聞き取りづらくなった。

「サキちゃんは元気でやってるのか? 義姉さんが勘当も同然みたいに家から追い出したって聞いたけど?」
「そうなのよ。あのひとは昔っから了見が狭いから嫌になるわ。もうサキちゃん十九だし、自分が思ったようにさせてあげたっていいと思うのよね。それに、私はあの子がこれからどんな風になるのか興味があるの。」
「確かに、追い出したっていうのはやりすぎだろうけど。俺は、なんていうか、サキちゃんは少し危なっかしくて、抜けているだけのような気がするんだよな。」
「馬鹿と天才は紙一重っていうじゃない? 私はあの子が天才のほうにかけるわよ。だってそっちのほうが面白いじゃない。」

 妻のサキちゃんという人物への関心は純粋な心配だけでなく、好奇心からもきているらしい。

「まあとにかく、姉さんたちに見限られてしまった以上、誰かががそれとなく見守ってあげるっていうのが必要でしょ? あの子は私の大事な姪だし。まぁなにより、あの二人がサキちゃんに懐いているっていうのもあるんだけど。特にシンヤのほう。」
「ほんとにな。あれはどうしてなんだろう。通じるところでもあるのかな。」
「おそらくね。そろそろ寝ようか? とりあえず私が明日サキちゃんに連絡しておくから。」
 彼女はそういうと、ドライヤーと扇風機の電源を落とした。部屋は一転して静寂に包まれた。


「人間というものはね、いや、もちろん人間に限らず動物っていうのは皆だけど、つがいになって子孫を残すものなんだ。ボクらはほっとけば人間様がジャブジャブ刷ってしまうけどね。まあ大違いだよ。」
 
 部屋が静かになってしばらく経つと、いつものように師匠が若いお札に向かって講釈を始めた。テーマは結婚と出産である。

「そう、そうなんだ。それがつまるところ結婚というシステムになるわけだ。君達もこれからご祝儀袋の中を経験することになると思うよ。結婚式という場では、彼らは口々に『めでたい』『めでたい』と言って言葉を交わし合う。幸せの絶頂だと羨ましがる。ところが結婚式から数年もするとほとんどの夫婦は、特に男のほうはこのシステムに参ってしまうんだよ。」

 その通りだ。私が居酒屋などの盛り場で、男が結婚生活について愚痴ているのを耳にしたのは一度や二度ではない。
 
 ひどくなると、彼らは家中に響き渡るような声量で妻と口論をし、皿やら本やらが飛び交う修羅場を引き起こす。

「妻が子供を産むと結婚っていうシステムは大きく意味合いが変わってくるんだよ。新しい人生に対して責任があるからね。そして、彼らの生活と人生はそれから何十年も子供に費やされることになってしまう。そうやって余裕のない生活をずっと送っていると、些細な違いが我慢できなくなってくるんだね。結婚っていうのはよっぽど相性がよくなきゃしちゃいけないものだとボクは思うよ。」

 いつも師匠の話には納得させられる。彼の凄さは知識の量だけではなく、その見識の鋭さである。

「その点、あの夫婦は数少ない成功の結婚だね。特にあの醜男のほうは良くできているよ。」

 その言葉には大いに賛成である。しかし、「醜男」とはひどすぎる。

「外面は酷いが中身はしっかりしているよ。しかし、ありゃあほんとに不細工だねぇ。あんな酷いのはなかなかお目にかかれないよ。彼の両親は普通の見てくれだったんだけどね。なにをどう間違えたのかな。」

 もはや、主がいかに不細工かというテーマは、私達の間での人気トピックであった。今宵は、そこから転じて、今まで見てきた醜い顔を持つ男の話を披露しあうという流れになった。

 そこでも、ビルマのジャングルでトラに襲われ、顔に重症を負った帰還兵の話をする師匠の独壇場であった。

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